かみやま、しもやま

三ツ葉

かみやま、しもやま(1)

 

「上山口駅は山口県山口市にあるが、下山口駅は埼玉県所沢市にある」


 山口市に勤めていた頃、鉄道好きの知人からそんな小話を聞いたことがあった。

 私は駅名よりも、むしろ所沢に「山口」という地名があることに驚いた。野球部に所属し、練習に明け暮れていた高校時代。所沢に部の専用グラウンドがあったため、毎週のように電車とバスを乗り継いで通っていたが、一帯に「山」は見当たらなかったように記憶していたからだ。


 山口市では山を探すのに困ることはない。街は壁に囲まれるように山が連なっており、周囲を見渡せば必ず盛り上がった緑が視界に入る。

 中でも美しい稜線を描く東鳳翩山ひがしほうべんざんがその代表格とされている。山口という地名の由来は諸説あるが、この「山」の入り「口」だったことから付けられたと私は聞いている。


 東鳳翩山は、幼少期を山口県で過ごした作家国木田独歩の短編小説『山の力』にも登場する。少年時代の著者が磁石石を探しに友人と一緒に山に分け入る様子が生き生きと描かれている。

 独歩と言えば『武蔵野』だが、山口県にもゆかりがあることは一般的にはあまり知られていないように思う。恥ずかしながら私もその一人で、山口県立図書館で開かれた独歩の企画展を訪れ初めて知ったことだった。


 7月上旬の平日。

 生まれ故郷の東京に帰ってきていた私は、JR中央線から西武線に乗り換え、ライオンズ仕様のラッピング電車に揺られていた。

 武蔵野の山口は、一体どの山の入り口なのか。なんとなく自分の目で確かめてみたくなったからだ。あるいは、独歩を通じて二つの山口が繋がるかもしれないとの期待もあった。


 下山口駅に降りると、快晴の空から夏の陽光を浴びた。ホームが一つしかない小さな駅には、私以外に幼児を連れた母親と若い女性が下車していた。


 それにしても、山がない。

 階段を登り駅の連絡通路から周囲を見渡すが、目立つ高い影と言えば西武園ゆうえんちの観覧車ぐらいのものだ。まさに、和歌にうたわれたように「むさしのは月の入るべき嶺もなし」である。ますます「山」の正体が何なのか気になってきた。

 駅前の観光案内図やグーグルマップを眺めていると、山口民俗資料館という施設があることに気がついた。地域の歴史を調べるにはうってつけの場所かもしれない。ひとまずここを目的地に歩き始めることにした。


 ところが、道中で事件は起きた。

 駅から資料館への通り道に『山口城跡』という史跡がある。背の高い草が生い茂っているばかりで城の面影は全く感じられず、城跡とされる場所にはスーパーマーケットが建っている。城の歴史を解説する案内看板に、「山口城は、平安時代末から鎌倉・室町時代にこの一帯を本拠とした武蔵武士の山口氏によって築かれたとされています」と書かれているのを目にしたのだ。


 あぁ、なるほどと合点がいった。

 山口氏が治めていたならば、たとえ山がなくても山口という地名になってもおかしくはない。期待外れという表現は不適切かもしれないが、「山のない山口とはなんぞや?」という謎をわくわくしながら解き明かそうとしていた私からすると、いささか物足りない答えではあった。


 結末を知ってしまった映画を見るような気分で資料館に向かうと、この日は休館日だった。すっかり力が抜けてしまう。すでに疑問は解決したのだ。引き上げてしまおうかとふと考えたが、もう一箇所だけ巡ることにした。


 次の目的地までの道のりは、なだらかな傾斜が続く坂道だった。気温は30度を超えており、汗が吹き出てくる。早くも歩き出したことを後悔し始めていた。

 坂道の途中、住宅地に囲まれた中に山口公民館こと「所沢市山口まちづくりセンター」はあった。資料館で情報が得られなかった場合、公民館の職員かここで活動している住民団体に聞いて回ろうと算段をつけていたのだ。


 ひとまず建物内に入り、ベンチに腰掛けて休憩する。

 冷房は効いていなかったが、冷んやりと心地いい。ぼんやり館内を眺めていると、掲示板に「所沢山口ほほえみウォーキングマップ」なるものが張られていることに気がついた。

 地域住民でつくる協議会が作成した町歩き地図らしい。名所旧跡や自然、おすすめのウォーキングコースなどが記され情報量が多い。地域の伝承や地名のいわれも記されていた。


 そこには『山口 「山の口」の意』とあった。


 何度か読み返したが間違いない。山口市と同様に「山」の「口」であることに由来すると書かれている。私が最初期待していた通りの理由だった。

 では、山口の山とは何を指しているのだろうか。そして山口氏とはどのような関係にあるのだろうか。あるいは資料によって諸説あるのだろうか。疑問が次々と浮かぶ。


 地名探しの旅は振り出しに戻ったのだ。

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