君は父親に似ているって女神ウルドは言った。

成井露丸

君は父親に似ているって女神ウルドは言った。

 JR山科駅のホームで水上みずがみ道哉みちやは肩から掛けたショルダーバッグの持ち手をぎゅっと握りしめていた。その背中には不安と勇気が一緒に背負われている。梅雨の湿気が少しだけ不精に伸びた髪を首筋にへばりつけていた。じっとりと晴れきらない空が、波打った屋根の縁から先に浮かぶ。青年は左手に不似合いな花束をぶら下げていた。


 スマートフォンを取り出して時刻表を調べる。電光掲示板を見る。次に来る湖西線に乗れば京都駅から福井に向かうサンダーバードには間に合う。


 ふと視線を上げる。

 二本の線路を挟んだ向こう側、草津・米原方面のプラットホームにすっと立つ女性の姿を見つけた。腕を組んだその人は胸元の開いた白いタンクトップに緑色の薄手のカーディガンを羽織っていた。下は黒いスキニーレギンス。ファッション誌の中から飛び出してきたようなスタイルに目が引かれた。


 腕を組んで足の爪先までを綺麗に伸ばして立ちながら、まるで彼女は水上道哉のことを知っているように、彼の方を笑顔で眺めていた。

 そんな女性に知り合いなんていないのだけれど。


 目が合う。すると彼女は組んだ腕から、右手を引き出し彼に向けてにこやかに振った。

 ガタンゴトン――ガタンゴトン――。

 その瞬間、北に向かう特急列車がホームの間をすり抜けて、視界は遮られた。道哉は視線を上げたまま、風と振動を鳴らして抜ける列車の姿が消えるのを待った。ホームに乱流を撒き散らしたそれが過ぎ去った時、復活した視界に彼女の姿はなかった。

 きれいさっぱり。

 道哉は不思議に思い首を傾げる。


「――やぁ、旅行かい? 青年」

「おわっ!」

 不意打ちみたいな声がけ。思わずのけぞる。

 振り返るとさっきの女性が立っていた。

 腰に手を当てて肘を立てて。白銀色の長い髪をなびかせて。

 遠くからも目を引いたのはその髪の色だった。海外の人なのかなぁと思ったけれど、褐色の肌とその話し方はそうでもないようだと告げていた。


 それにしても、この一瞬で、どうやって向こうのホームからこっちのホームに移動してきたのだろう? 走って階段を降りて階段を駆け上がれば、可能性はあるかもしれないけれど、その女性は息ひとつ乱していなかった。

 靴もスニーカーではなくて、踵が高めのパンプスだ。


「……え、えっと。……すみません、えっと」

「ふふん! 『どうして、この人はこんな一瞬でホームを移動してこれたのか?』って考えているだろう?」


 自慢気な腕組み。「全てお見通しさ!」と言わんばかりに。


「あ……はい。……それに」

「ふふふっ! 『自分にこんな綺麗な女性の知り合いはいただろうか?』って思っているだろう? 童貞!」

「あ、いや……はい」


 綺麗だと口にするつもりはなかったけれど、綺麗だと思っていたのは本当なので、否定もしにくい。

 なお最後の童貞はどう考えても余計な一言であるが、残念ながら事実である。水上道哉は童貞である。童貞は悪いことじゃない。


「ふふふ、君の考えていることなど、全てお見通しさ!」


 今度はもう自分で言った。流石の不審者っぷりに水上道哉は眉をひそめる。

 こんな知り合いが自分にいただろうか。いや、居ない。居たら流石に覚えている筈だ。なんと言っても彼女の頭の上には――


「まったく、運命の分かれ道に居るというのに、随分と腑抜けた顔だな。水上道哉青年」

「なんで僕の名前を……? えっと……誰なんですか?」


 青年がそう言うと、その女性はニヤリと笑う。


「ふっふっふ。私は時と運命を司る女神――ウルド様さ!」


 そう言ってスタイルの良い女性は背中に羽織ったマントをばさりと広げるようなポーズをとった。なお、マントは羽織っていないので、緑色のカーディガンのみが揺れる。


「――女神様?」

「ふふふ。驚いただろう、青年。時を超えてやってきた、女神ウルドさまが君の全苦悩に女神力介入しにきたぞ! 世界線を変えるのだ!」


 休日に友人とカフェにでも行きそうないでたちの女性が中二病全開な台詞を放つ。普通ならドン引きするところであるが、道哉はなんとなく、そんな彼女の言葉を完全に無視する気にはなれなかった。

 だって彼女の頭の上には白く輝く光の輪が浮かんでいたから。

 流石にそんなもの、生まれてから見たことがなかった。

 あと、きっと確かに自分が運命の分かれ道に居るとは思うのだ。


「だから君の願い事を叶えてあげよう!」


 水上道哉は、だから、彼女の言葉を信じることにした。

 少なくとも京都行きの湖西線新快速が到着するまでの十分間だけ。 


 ※


 大学に入ってから僕はきし絵里えりのことが好きになった。初め彼女とは共通の友達を通して知り合った。彼女は吹奏楽のサークルに入っていてホルンを吹いていた。高校時代に同じ吹奏楽部だった友人がそのサークルに入っていて、彼を通じて知り合うことになったのだ。ほとんど一目惚れ。でも、自分自身はサークルに所属している訳でもなかったから、親しくなっていくきっかけもなければ、一緒に取り組む青春のサークル活動も無かった。本当は彼女目当てにその吹奏楽サークルに入ろうかとも思ったのだけれど、トロンボーンへの情熱はもう高校時代で燃え尽きていて、僕の重い腰は上がらなかった。

 それに色恋の欲望をモチベーションに音楽を続けることは音楽にも彼女にも失礼だと思ったし。


 だから関係を進展させるきっかけは多くなかった。それでも共通の友人と一緒に飲み会をしたり、吹奏楽の定期演奏会に足を運んだりして、僕と彼女は友達と呼べる程度の関係にはなっていった。でもそこから先は全然遠くて、吹奏楽部のコミュニティの周りに張り巡らされた分厚い防壁の前に、僕は完全な部外者だった。だから岸絵里のキャンパスライフにとって、僕という存在がどれほどの意味を持っていたかは分からない。でも、ずっと好きだった。


 やがて彼女は吹奏楽サークルの先輩と付き合いだした。


 ※


「――そして、それから三年間、君は指を加えて見ることしかできなかったんだな。この意気地なし」

「えっと、さっきから歯に絹を着せなさすぎやしません?」


 ウルド様はそんな言葉を涼やかにやり過ごした。

 そして北の梅雨空を見上げたまま、道哉に続きを促した。


 ※


 それからも僕は彼女と友達であり続けた。彼女が打ち込むサークル活動の外側に居て、時々会っては話を聞く友人。そんな立ち位置にはなれたのだと思う。彼女のサークルでの悩みを理解してあげられるっていう程度には高校時代の吹奏楽経験が役に立ったんじゃないかな。


 やがて四回生になって、サークルも引退して、大学の勉強はゼミ中心になっていった。就職活動も忙しくなった。僕らはその間ずっと友達であり続けた。

 僕はせめてその関係を一生ものにしたかった。彼氏になれなくても、彼女はこの世界で僕が一番大切だと思う存在だった。彼女が幸せでいてくれればそれで良かった。

 でも、そんな僕の願いに反して、世界は必ずしも彼女に優しくはなかったのだ。


 就職して東京で働きだした先輩は彼女とは別に女性を作っていた。彼女は知らない間に二股をかけられていたのだ。それに気付いてからの彼氏と別れるまで一年間、彼女はやりたくもない駆け引きに疲弊していった。最後には彼女から別れたのだと言うけれど、詳細は僕の知るところではない。


 悪いことは重なるもので、先週、彼女の一人暮らしのマンションに空き巣が入った。さらにストレスからか高校時代まで抱えていた彼女の心臓病が再発し、突然、彼女は福井の実家へと帰って、引きこもってしまったのだ。


 ※


「だから、決意をこめて、そんな彼女のお見舞いに、特急サンダーバードに乗ってはるばる福井まで行こうとしているんだね。青年」

「そういうわけで、女神様が『運命の分かれ道に居る』って言うのも納得はできるんです。それで僕の運命はどうなるんでしょうか?」


 ウルド様が見上げる空を水上青年も見上げていた。

 梅雨空の雲間に差し込む光は、残念ながら特に無かった。


「君がここで電車に乗って福井に行くか、やっぱりやめて帰るか。ここが運命の分岐点だ。電車に乗ればそれはX世界線に通じる。乗らずに帰ればY世界線に通じる」

「この選択が、そんなに大きな違いを生むのですか? ――本当に?」

「運命の女神様、ウソ、つかないネ」


 白銀の髪の女神様が肩をすぼめる。最後の言葉はなんだかウソ臭かった。


「X世界線とY世界線。どっちで僕は彼女と一緒になれますか? そして彼女と僕は、どっちの世界線で幸せになれますか?」


 藁にも縋る思いがずっとあるのも事実だ。

 運命の女神様なら知っているのかもしれない。

 それを水上道哉は知りたかった。


「聞いちゃうと影響されちゃうよ? 未来が変わっちゃうかもよ。それでも良いかい?」

「構いません」

 その答えに悪戯っぽく笑うとウルド様はひとつ頷いて説明を始めた。

 過去を司る運命の女神ウルドは、そうやって人の運命に介入するのが大好きなのだ。ただ、やりすぎると上位神に怒られるのだけれど。


「彼女と一緒になれる世界線はX世界線――つまり君が電車に乗って福井に行く世界線さ。それがきっかけになって君と岸絵里は交際に至る」

 分かりやすいくらいに道哉の顔に驚きと笑みが浮かぶ。

「――話は最後まで聞け、童貞」

 口を挟んだわけでもないのに怒られる。理不尽。


「でも、その運命の道が君の幸せな未来に繋がっているかと言うと――NOだ。君は大した成功も収められずに、若くしてこの世を去る。早い話が死ぬ」

 死という言葉に驚いてか、道哉の目が開かれる。

「――彼女とは?」

「結婚するよ。選択肢を大きく間違わなければね。そして男の子も一人授かる。母親のことを本当に大切に思う男の子さ」

「……結婚かぁ。想像できないや……。でも、その頃の彼女とその子供の隣に、僕はいないんですね」

「ああ、そうさ」

 しばらく思案するように、顎に手を当て、それから彼はウルドに続きを促した。


「じゃあ、もう一つの選択肢。僕が福井に行くのを諦めて、家に帰って彼女のことは諦めるY世界線では?」

「君は彼女と恋人にはなれないし、もちろん結婚もできない。彼女のことは君の中でしこりみたいにずっと残り続ける」

「――最悪じゃないですか」

 そう道哉が言うと、ウルドは肩をすくめてみせた。


「そうでもないさ。みんな多かれ少なかれ、そんな過去を抱えて生きている。折り合いをつけて。まぁ、それでもなんとか生きていくものさ。普通のことだよ」

「それで、僕は幸せになれるんですか?」

「ああ、なれるさ。それなりにね。そこそこ良い会社にも入るし、三〇代後半で少し遅めだけれど伴侶も見つけて人並みの幸せを手に入れるよ。それにそこそこ長生き。人生の幸せ総量みたいなのを考えると、俄然お勧めの選択肢はこっちだね」

 花束を持つ手の力が少し抜けて、紫陽花とカラーの頭が垂れた。


「――そうだ。彼女はどうなんですか? どちらの世界線で幸せなんですか?」

「君の未来と違って彼女の未来は収束しないよ。X世界線でも彼女は生き続ける。君を失ったまま、君の息子と一緒にね。Y世界線でも君の知らないところで彼女は生き続けるよ」


 プラットホームにアナウンスが流れる。京都行きの湖西線新快速の姿が遠くに見えて来る。運命の分岐点は近づいてきているのだ。


「全部ハッピーになる未来を準備してくれるほど、女神様は運命の大安売りをしないんですね?」

「生憎運命っていろんな人間の相互作用で出来上がる代物だからね。あと物質を支配する力学に逆らうこともできないワケ。だから私にできるのは選択肢にちょっとばかりの影響を与えるくらいさ。線路のポイントを切り替えるみたいにね。――まぁ、ちょっと未来で相談を受けて、この瞬間の君にアドバイスだけしに来たってわけさ」


 ガタンゴトン――ガタンゴトン――。

 やがて列車が山科駅へと滑り込んでくる。

 それはX世界線へと繋がる電車なのだと女神は言う。

 それを信じるかどうか。そもそもこの女性が女神様なのだと信じるかどうか。そして、まだ見ぬ未来の可能性を信じるかどうか。


『山科〜、山科〜。新快速京都行き〜。足元に気をつけてお降り下さい〜。お降りの方を優先して――』


 タイムアップだ。決めなければならない。

 道哉はショルダーバッグを肩に掛け直し、花束を持つ左手に力を入れた。

 そんなエネルギーが紫陽花とカラーにも伝って、二つの花も顔を上げる。


「ありがとう、ウルド様。――僕はそれでも福井に行くよ。彼女の顔を見たいから。今辛い彼女を勇気づけたいから。それで彼女と一緒になれて、子供も授かれるなんて、――そんなに素晴らしい未来はないよ」

「でもその結果、君は命を失うんだぜ? 君がいない未来で、彼女は一人で生きていかないといけない。それでも良いのかい? それで君は彼女を幸せにすることになるのかい?」


 アナウンスが乗車を急き立てる。道哉は一歩、足を踏み出した。


「僕の命なんて関係ないよ。それに僕が死んだ後、彼女は一人じゃないんでしょ? 僕らには子供が出来るって。もちろん僕も死なないように努力する。たとえ小さな可能性でも運命に抗えるなら。彼女と自分と子供の未来のために全力を尽くすよ。――でも、それでも僕が死んでしまった時には、僕の子供に託すよ。……もし女神様が未来で、僕の長男に会えるなら伝えて欲しい。僕の代わりにお母さんをよろしくって。きっと僕の子供なら彼女の――お母さんのことを、大好きな筈だから」


 道哉は電車の中で振り返って、そう言った。

 ウルドは見送るみたいに向き合って立つ。


「――勝手な父親だな」

「僕の名前はさ、死んだ父親がつけてくれたらしいんだ。迷った時は信じた道を行けって。――それがお前の道なりってね。ありがとう女神様、行ってくるよ。僕の道――X世界線へ。……もしもの時は、未来の息子によろしく!」


 そして電車の自動扉が閉まった。

 ガタンゴトン――ガタンゴトン――。

 再び電車は動き出す。


 未来は分岐し、選択され、やがて時間発展の非線形ダイナミクスが未来を駆動する。超高自由度のアトラクタはやがていくつもの収束点を経て、バタフライ効果とリアプノフ安定性を共存させながら、人々の運命を紡いでいくのだ。


「……だってさ。一本気な父親じゃないか、水上みずがみ優人ゆうとくん?」

「ほんと、勝手ですよね」


 振り返った女神ウルドへと、ベンチに座っていた僕が返す。

 パンプスをプラットホームの地面につけながら、彼女は僕の隣に腰を下ろした。黒いスキニーレギンスの細い脚を組んで、頭上に光輪を光らせながら。


「伝言引き受けちゃったんだけど、聞いていたから、わざわざ言わなくても良いよね?」

「いやまぁ、はい。聞いてたんで大丈夫ですけれど」


 さっきまで「20年前の父親」が立っていたホームを眺める。

 水上道哉と結婚して、水上絵里となった母から生まれたたった一人の子供、それが僕だ。

 幼少の頃に父親を亡くしたから、僕は父親の顔をほとんど覚えていない。

 母は病弱な体に鞭を打って、女手ひとつで僕を育ててくれた。そんな母の人生が幸せなものであるか、不幸なものであるかはわからない。ただ、僕は母のことが大好きだった。マザコンだって言われることもあるけれど、そんなんじゃない。胸を張って言う。僕は重度のマザコンだ。


 だから自分はどうなっても良いから、母を幸せにしてあげたい。そう思ってばかりいた。でもまだ高校生の僕に出来ることなんて限られていて。無力感にばかり苛まれていた。いっそ、僕がいない方が、母は自由に生きていけるんじゃないだろうか。そういうふうに自分を追い詰めてしまったことだって数知れずあった。自分の存在は母にとって重荷でしかないのではないか。自分がいなければ母はもっと自由に生きられるのではないか。


 そんな時、過去を司る時と運命の女神――ウルドに出会った。

 そして知ったのだ。この瞬間が世界の分岐点だったってことを。

 ウルドは言った。


『あの分岐点で君の父親――水上道哉が電車に乗らなければ全ては変わった。それはきっと君が生まれない未来だろう。君の母親は君を育てる苦労をせずに済むし、もう少し楽な人生を歩めることになるのさ。――Y世界線の人生をね』


 ウルド様が僕に授けてくれるチャンスは一回きり。彼女と一緒に過去に飛んで、分岐点で未来を変える。

 でも親との直接接触はタイムパラドックスに深刻な影響を与えるからと言われて、僕はウルドに会話を託した。

 その情報は全て僕の中へと流れ込むように伝わってきたし、その逆も出来たから、さっきのウルドの会話はほぼ僕がした会話だと言っても構わない。

 だからこれが、――僕が選んだ世界なのだ。


「結局、過去に来たのに何も変えなかった気がするけれど、構わないのかい?」

「――ああ、構わないよ。何も変わらないけれど、変わったものもあるから」


 僕は父のことを知らなかった。親族から聞かされた話では、父と母は出来ちゃった婚だった。確かに結婚記念日から僕の誕生日の間の日数は随分と足りない。そういうこともあったし、日々苦労する母のことを見ていると、父のことを無責任で甲斐性もない不誠実な男――という風にさえ思っていた。

 まぁ、その辺りは大学生の彼の言葉を聞いた今でも完全に払拭された訳ではないのだけれど。それでもなんだか父の思いは伝わってきて、僕の気持ちは奮い立たされた。


「時間だよ、優人。――二〇年後に戻るけど。いいかい?」

「あぁ、頼むよ、ウルド」


 やがてウルドを中心に青い光の球が大きく浮かび上がる。

 それはベンチに座る僕ら二人を包み込んだ。


「未来は何も変わらない。典型的なX世界線に君は還る。父親は死んでいて、母親は苦しい日々にもがいている。そして女神様に与えられた一回きりのチャンスを使って何も過去を変えられなかった少年が居る。――そんな君が、未来に戻って、いったい何をするんだい?」


 時を超えて人を運ぶ運命の光球を両手で広げながら、ウルドは僕を見ずにそう尋ねた。


 いつか母が言っていた。僕の名前は死んだ父親がつけてくたのだと。身近な人が困った時に、助けてあげられる優しい人になって欲しいと。


 その本当の意味が――今ならわかる気がする。


「――僕が母さんを守るよ。全力でね!」


 自分が居なくなることで母の負担を減らすことを考えていた。


 でも、それは僕の道ではないのだ。

 父の代わりに母を助けて、幸せな未来を切り拓いていく。

 それこそが自分自身が生まれた意味なのだと知った。


「じゃあ、戻るよ。X世界線へ!」

「あぁ、よろしく頼むよ、ウルド。……母の子供として生まれることができて、父はいなくてもその意思を継いで、一生懸命に頑張ることができる。そんな素晴らしい世界線はないよ! ――その先の未来は、僕自身の意思で変えてみせる」


 やがて光球が収束する。

 青い球に包まれて、その向こうに見えるJR山科駅からの風景がフェードアウトしていく。

 そんな中で、隣のウルドと目が合った。美しい褐色肌に浮かんだ大人びた笑顔は、妖艶でいてどこか満足気。掠れ行く景色の中で赤い唇が踊り、最後の声が聞こえた気がした。


『――君は父親に似ている』


 母さんと暮らす福井の家に帰ったら、ただ「ただいま」と言おう。


 二〇年後の世界に跳ぶ瞬間。僕はそんなことを考えていた。

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