もう一度、もう二度と

冬月 mai

もう一度、もう二度と


プロローグ

いざペンを取ると、時が巻き戻ったかのように涙が流れた。私、まだこんなに悲しみを覚えているんだ・・・ぎゅうと胸が締め付けられる気持ちも、ついには漏れ出した嗚咽も、自分のものなのに、なぜこんなにも悲しいのか、自分の反応に理解が追いつかずに戸惑っている。とっくに整理済みだと思っていた気持ちが、一片の変わりもなく私の心に残っていたらしい。そのことにたじろぎながらも、懐かしく、切なく、少し誇らしい。





1出会い

最初の記憶は、ものすごいスピードで走り回る黄土色の毛玉。ケージから出された子犬は、ソファをトランポリン代わりに我が家のリビングを縦横無尽に駆け回った。目の前で残像が走り抜けていく。まだ1才にも満たないのだ。その子犬は、好奇心旺盛で怖いもの知らず。でも、3歳と幼かった私も、それは同じだった。だって、これってまさに「出会い」。父とも母とも自分とも違う生き物が、これまでに見たことがないようなスピードで家の中を駆けまわっている。新しい風を前に、私はこれから起こることにドキドキワクワク期待を膨らませていた。この新しい生き物と、ただ触れ合ってみたい、と。


子犬の名前は「ロビン」。当時、8歳上の姉がディズニー映画の「ロビンフット」にハマっていたからだ。それは、きつねの主人公が駆け回る映画で、私はほとんど見たことがないけれど。犬種は「ゴールデンレトリバー」。明るい黄土色の毛をしていて、他の犬種に比べて少し長めの毛は、太陽の光を受けるとその名の通り黄金色につややかに輝いて見える。耳は垂れていて、大型犬だ。

子犬ロビンは、すぐにわが家の人気者になった。少しやんちゃだけど人懐っこく、愛くるしい存在だった。





2新しい日常

出会いの次に思い出されるのは、片想いの気持ち。

子犬のロビンが一番に懐いたのは、母だった。ご飯をくれて身の回りの世話をしてくれるし、たぶんそこにある母性を感じ取ったのだろう。母を見つめるロビンは、やっぱり他の家族へとは違う、素直な甘えたがりの表情と気遣うような従順さを持っていた。一方、父は全身をこねくり回すように撫でて思い切り遊んでくれる。顔や体をもみくちゃにされながら、興奮したロビンは、ウナギみたいに体をぐりんぐりんくねらせて、甘噛みをする。しっぽはちぎれんばかりに左右に振り続けられ、男同士、無邪気にじゃれ合っていた。

3歳児の私はというと、自分もまだ子供なので「遊んであげる」なんてことはできない。それでも子犬と仲良くなりたい気持ちは人一倍あって、私はロビンに興味津々だった。

そんなある日、ショッキングな事件がおこった。それは、ロビンの食事時のことだった。勢いよくご飯を食べるロビンを私は隣でじーっと見つめていた。眺めるのではなく、やっぱり見つめていた。目の前では、ロビンがご飯茶碗―ご飯茶碗といっても、犬用の平らで大きな鉄製の器―の中のドッグフードを一生懸命追いかけている。その頭の動きに合わせて、2つの垂れた耳がユラユラ揺れていた。私は思わずそっと、その耳先に触れた。耳の毛並みは特別、するんっとしていて柔らかく、少しひんやりしていてとても気持ちいい。ずっと触っていたくなる感触だ。その触り心地にうっとりしていた、その時。

「ヴーッ!」

うなった。ロビンがうなった。噛み付いたわけでも、牙を見せたわけでもない。でも、短くうなり声をだした。ご飯を横取りされると思ったのだろうか。でも、もうそれだけで幼い私には大ショックだった。悲しさがわぁーっと胸の中にせりあがってきて苦しい。涙がじわっと浮かんできて、みるみる溜まった。

うなり声が怖かったのではない。

『ロビンが私にうなった』

そのことがひどく悲しい。

―お母さんにだったら絶対うなったりしない。私のことなんて好きじゃないんだ・・・

そう思うと、たまらなく悲しい。

「どうしたの?」

泣いている私を見付けた母は、理由を尋ねた。

「ロビンがうなった・・・」

私はやっとの思いで、つぶやく。しかし、次の母の返事は意外なものだった。

「えぇっ、ちゃんと怒ったの!?」

ただ慰められると思っていた私は面食らった。『よししよし、かわいそうにね』そんな風な言葉を予想していた。だって、好かれなくて悲しいと泣いていた。好かれないから相手を怒る、なんていうのは変だ。でも、母にとってはロビンは子供と同じように叱ってしつける対象なのだ。

母の予想外の角度からの言葉に戸惑った私は曖昧に返事をした。私と母の全く違うスタンスに気が付き、そういう関係もあるんだなと、涙をぬぐいながらぼんやり思った。

そんなこともきっかけだったのだろうか、私はいつの間にか、ロビンと親友であると同時に、ときに姉であり、まれに妹のような関係を築いていた。


小学生になった私は、ある日1枚の写真を見て、舌を巻く。

「ねぇ!ロビンって最初はこんなに小さかったの!?」

父の腕に抱かれた、小さな子犬の写真。なんだか少し眠たそうなおぼつかない表情は無垢そのもので、全身の毛がうぶ毛のようにふわふわだ。今ではふさふさと豊かにはえそろったしっぽも、まだひょろひょろと短く頼りなさげ。毛の色は今よりも白っぽくて、耳だけが少し濃い色になっているのがやけにかわいい。

何しろロビンが子犬だった当時、私もかなり幼くロビンのことは走り回る毛玉としての記憶しかない。はっきりと姿を記憶しているのは物心ついてからで、その時は既に背丈も伸び、鼻先も少し長くなってロビンは青年の顔をしていた。

 こんなに儚くかわいい時分があったのなら、私もその時の姿を記憶にとどめておきたかった。惜しいことをした。3歳の記憶力では、難しかったか。それにしても、ロビンがこの家に来たとき、腕の中に抱え込んでしまえるほど小さかったなんて。それに、写真を見てはじめて、その事を知るなんておかしな気分だ。

―本当に一緒に育ってきたんだなぁ・・・

私は、胸の中で独りごちた。たぶん、一緒に遊んで、笑って、驚いて、体も気持ちを一緒に成長してきたんだ。同じ速度で過ごしたから、幼い君を幼い私は認識できなかったんだろうなぁ。私たちは、大人になりながらいつも互いのそばにいた。


私には、少し個人主義なところがある。昔から、リビングで映画を見ながら家族団らんを過ごしていても、ふとテレビの騒音に疲れを覚えて、その場を離れることがよくあった。そんな時に一緒にいたのが、ロビンだった。昼間はリードをつないで庭先で過ごしていたロビンは、夜は家の中のケージで眠っていた。

リビングのすぐ隣の部屋が「ロビンの部屋」。騒音を逃れてきた私を、ロビンはときに嬉しそうに、ときに静かに迎えてくれた。そうしてケージの扉をそっと開けた私にしっぽで挨拶する。時々、もう眠っていたのか、少し重たげな瞼をしているのを見るのがなぜか好きだった。ロビンのまどろみの中に私も入っていけるような気がするのだ。

ロビンは頭でも体でもなく、不思議と手を撫でられるのが好きだった。「お手」の要領で差し出された手をゆっくり何度も何度も撫でる。ほとんどマッサージのようだった。撫でるのをやめると、「もっと」と言うように再び手を差し出してくる。一時間も二時間も、ただその手を撫でながら、何を思い、何を考えていたのか今となってはあまり思い出せない。ただ、子守唄代わりの鼻歌を歌って聞かせたり、「ろーびん、ろびん」ただ名前を呼びかけたりしていた。そこに特別なことは何もなく、ただ時間が流れた。一緒にいることで充分満ち足りていた。コーヒーが少しずつ抽出されてたまっていくのを見守るような時間だった。2人で時間を紡ぐ。そのことが、とても心地よく、今にして思えば、何にも代えられないものだった。


ロビンはみるみる成長して、やんちゃな可愛らしさを残したまま、落ち着いた優しさをもった成犬になった。犬の成長スピードは人間よりも早い。子犬が成犬へと成長してからは、もしかしたらロビンのほうが「お兄さん」をしてくれていたこともあったかもしれない。  

ロビンが大好きな私は、「構いたがり」でもあった。ただじーっと見つめるにとどまらず、わざと耳元に狙いを定めてふっと息を吹きかけて反応を見たり、はぁはぁと出している舌をちょんっとつつくと引っ込めるのが面白くてしつこく何度も繰り返したりした。昼寝しているロビンにそーっと忍びよって「わっ!」と驚かせるのは日常茶飯事。ビクッと体を震わせて飛び起きたロビンは、ケラケラ笑う私を見付けるとやれやれと静かに寝転び直した。はたまた、母が集めたリボンの切れ端を引っ張り出すと、「待て!動いちゃだめだよ。待てだから!」と言いながらロビンの胸毛にいくつもリボンを結び、あまりに可愛かったので写真を撮りまくった。床にドッグフードを一粒ずつを並べて、ヘンゼルとグレーテルさながら、ロビンがそれを辿ってくるのを眺めたりもした。全部、私にしてみればじゃれ合いという名のスキンシップだったけれど、相手をするのは相当、面倒だっただろう。それでも、あの耳を触ってうなられた時以来、ロビンから怒られたことは一度もなかった。もしかするとあの時ロビンは私を傷つけたことに気付いたのかもしれない。「しまったな」とバツが悪い想いをしたりしたんだろうか。

ロビンは面倒な構い方をする私を嫌うことなく、いつもただ優しくそこにいてくれた。ギュッと抱きしめると、うっと息を止めていたのを憶えている。私にはなぜロビンが息を止めるのか分からなかったが、今さら照れたように戸惑うような反応がおかしくて、いつも笑ってしまった。


もちろん、私が「お姉さん」をする時だってある。あれは、私が小学生の高学年ぐらいの頃だったと思う。

ある夜、ロビンが脱走した。いつも通り、夜になったのでロビンを庭から家のケージの中に入れたのだが、寝る前にたくさん水を飲んだのでトイレのために一度外へ出すことにした。ロビンの部屋には大きな窓が一つあって、そこから外に出られるようになっていた。窓の外には柵があって、夜にトイレをさせるときはそこに連れ出すのだ。

終わった頃を見計らって窓を開ける。

「ロビンー?」

いつもならすぐに中に入ってくるのに、名前を呼んでも帰ってこない。外を見ると、周りを囲っていた柵の一部が緩んでいた。その隙間からロビンは逃げ出してしまったのだ。

「ロビンー!ロビンー!」

すぐに名前を呼んだが、返事はない。もう陽はとっくに落ちていたから、辺りは真っ暗だ。家の両サイドは他の家が連なっていて低いコンクリートのブロック塀があるし、正面は父お手製の木の柵を立てているから出られない。まだそう遠くへは行っていないはず。見当をつけ、家の裏側へ回り込むと、果たしてロビンはそこにいた。クンクン草むらの匂いを嗅いでいる。やれやれ、一安心。こちらの心配を余所に、悪びれることなくはぁはぁと息を弾ませて夜の脱走を満喫しているようだ。ロビンのそばへ行って、首輪を握る。

「もうっ、帰るからね!」

家へ戻ろうとしたその時だった。思わず背筋がぞくりとした。正面で一匹のネコがこちらを見つめているのだ。しかも、その目が赤い。夜の暗闇の中、2つの赤い目が不気味に光っているではないか。

私は息をのんだ。ロビンはピンッと耳を立てて「なんだろう?」というようにネコを見ている。好奇心旺盛でやんちゃなこの子のことだ、ネコに向かって飛び出しかねない。ロビンの首輪を掴む手にぐっと力を入れる。家に帰るためには、ネコ前の道を通らなければならないのだ。

「いくよ」

力を込めた声で静かにそう呼びかけると、ロビンが自分から離れないように、ぐっと引き寄せた。 

あえて赤い目と視線を合わせたまま進む。怖い。怖くないはずがない。だけど、視線を外して隙を見せた瞬間、きっと襲われる。空気はピンと張りつめていた。

―私がこの子を守らなきゃ。

ネコとの距離はじりじりと縮まり、2つの赤い目が近づいてくる。大丈夫、曲り角まであと一歩だ。あと一歩―

そこから先はよく覚えていない。気が付くと家に帰り着いていた。心臓はバクバク。あまりに恐ろしかったので、ネコのことを家族に話す気にはなれなかった。本当にあのネコがあの場所にいたのか、今では自分の記憶に自信を持てなくなる。でも、確かにあの時、「私がこの子を守らなきゃ」と強く思った。あの時は絶対、私がお姉ちゃんだったよね。


中学生になると、私はロビンのクロッキーを描くようになった。わが家は、父も母も画家という少し変わった家庭で、2人は自分の制作活動をしながら絵画教室を営んでいた。そんな両親に育てられた姉と私と妹、3人娘はみんな幼い頃から両親の絵画教室に通っていた。だから家の中は父と母、そして娘たちの作品で溢れていた。

教室では絵を描いたり、粘土をこねたり、染め物をしたり、それはもう色々なものを作った。一生懸命作っているのに、私の作品はどうしたっていつもどこか無骨で、自分の作品が気に入らない、とふてくされる私に、母は「かわいいのに」と笑って、どれも家の中に飾ってくれた。ロビンは娘たちの作品の中に度々登場したので、壁の絵の中やコーヒーカップの絵柄の中など、あちこちを賑わわせた。

小学生までは、母が担当している子供向けの絵画工作クラスに通っていた私だったが、中学生になると父のクラスに通うようになった。それは大人向けのクラスで、油絵や水彩画、デッサンなどを教えていた。美術学校の受験生や新しく趣味を始めた大人たちが通うクラスだ。

教室では、好きな画法で好きなものを描けばよかった。色々試してみて、私が気に入ったのは「デッサン」だった。鉛筆を使って、モノクロでモチーフを写実的に描く画法だ。対象をしっかり観察しなければならないので、見慣れたものを一から見直して「なるほど、こんな造りになっているのかぁ」と発見していく面白さがあった。

しかし、習い事に怠け心はつきもの。確かに、絵を描くことは面白かったし、集中していると自分だけの世界に没頭できる瞬間があって後には心地よい疲労感が広がった。それでも、どうしても億劫なときがある。そんな私が「これだ!」と閃いたのが、「ロビンをクロッキーすること」だった。クロッキーというのは、鉛筆やペンですらすらと流れるように短時間で対象を描きとる絵の描き方だ。時間をかけて一枚の絵を仕上げる油絵やデッサン、水彩画よりはるかにローカロリー。さらに、せっかく短時間で集中して仕上げるのだから、動かない物質では張り合いがない、と私はロビンを描くことにしたのだ。これなら、ちゃんと絵は描けるし、ロビンと一緒に居られて楽しいし、一石二鳥!この妙案には、我ながら天才だと自画自賛した。私の下心には露ほども気が付かずに、父は2つ返事で了解を出した。それから、毎週月曜日、私は一人庭先に出てロビンのクロッキーをするようになった。

実際、クロッキーという手法は私に合っていた。刹那の瞬間を切り取って頭の中で残像を追いかけながら仕上げるクロッキー。集中した迷いのない線が引けると爽快そのもの。自分の頭で考えるより先に線を動かして気持ちをそのまま紙に定着させられたときは、何ともいえない心地よさが胸に広がった。

私のクロッキー帳には、ロビンの横顔が日毎に溜まっていった。最初は形を追うことばかり目指して硬かった線も、次第に自由に柔らかくなっていった。なぜ「横顔」の絵が溜まっていったかというと、描きはじめて気が付いたのだが、ロビンはずっと窓ガラス越しに家の中を眺めているのだ。家の中で母がテーブルから席を外すとピクッと耳をたてて、「どこに行くんだろう?」と目で追っていたりする。この窓からいつも家族のこと眺めていたのだ。本当は色々な角度から描いて練習したかったのだが、窓にピタリと張りついているので、正面に回り込むこともできない。仕方なく横顔ばかりを描いていくうちに、私の手はロビンの額から鼻筋までのなめらかな線を覚えていった。2冊のクロッキー帳はもうほとんど横顔で埋め尽くされた。


時は、思い出を積み重ねながら流れていった。ボールやフリスビーで遊んだり、おもちゃを引っ張りあっこをしたり、差し出した手の高さまでジャンプする芸を教えたり。カップのヨーグルトを最後は少し残すのは、ロビンにあげるため。料理中にでたキャベツの芯をお母さんからもらってあげると、カリカリといい音をさせて食べた。スリッパを噛んで離さないときはエサで釣って口を開けさせた。ペットボトルのキャップを咥えたときは危ないから無理やり口の中に手を突っ込んで取り出し、きつく叱った。いつもツバキの木陰で昼寝をしていた。つまらないときには、寝転がったまま目だけを合わせてきて、フンッと鼻を鳴らしてみせる。散歩コースの川は、何かいないかと2人で覗き込んだ。お風呂に入れているときは少し怖いのか、鼻先を私の脇に突っ込んでくるのが愛おしかった。毛並みと同じ金色のまつ毛と明るいブラウンの瞳がキレイで好きだった。うれしそうに屈託なく笑う顔がとてもまぶしかった。

 ありふれた日常の中の、ふとした表情のすべてにシャッターを切っていた。言葉が通じない分、私もロビンも素直だった。その真っ直ぐな気持ちの交換一つ一つがうれしかった。





3約束

そして、中学3年生の夏が訪れた。

私と妹は、高校受験に向けて塾に通っていた。成績は上々で、志望校も順調にいけば合格できるだろうと言われていた。とはいえ、受験期。張りつめた空気の中、日々勉強に打ち込んでいた。

その日も塾へ行くことになっていた。前日からロビンは少し元気がなくて体調が悪いようだった。今までも夏バテして吐いたりすることがあったので、今回もそうなのかなと心配していた。私は後ろ髪を引かれながらも塾へ向かった。

ところが、授業中に急に呼び出しの電話がかかった。それは、母からの電話だった。

「ロビンの体調が急に悪くなって。いま病院にいるんだけど、お医者さんがもう危ないかもしれないって・・・」

―危ない?危ないって、命が?

私は最初状況がつかめなかった。だって、そんなわけない。つい数日前に庭で目一杯遊んだ。私と妹は木蓮の木に登って、ロビンは飛びはねたり走り回ったりして元気いっぱいに・・・そんな急に、命が危ないだなんて。

「とにかく、タクシーで病院までおいで。タクシー代はこっちについたら払うから」

母の切迫した声だけが、現実味を持っていた。

「うん、わかった・・・」

電話を切った私は、すぐに先生に訳を話そうとした。

「先生、すみません。今日早退します。あの、愛犬がいるんですけど・・・」

そこまでしゃべって、続きは出てこなかった。『今、危篤状態で』『死ぬかもしれなくて』そんな言葉を口に出そうとすると、急に泣きそうになってしゃべれなかったのだ。

「わかった。行ってこい」

私の様子を見かねた先生は、事態を察してくれたのかすぐにそう返事してくれた。こんな急なこと、信じていないはずなのに、言葉にしようとすると詰まってしまうなんて。胸の中のざわつきはどんどん膨らんでいた。

タクシーを呼び、妹と一緒に病院へ向かった。どうしてこんなことになったのか、訳も分からないまま後部座席で2人してわんわん泣いた。不安で、心配で、どうしようもなかった。

それは「血管肉腫」という病気だった。体の内側に悪性の腫瘍ができてしまい、それが破れて、体内に血液が流れ出してしまっていた。だからロビンは貧血をおこしてフラフラしていたのだ。病院で見たロビンのお腹は、血液がたまってしまったのか、不自然に膨らんでいた。手術をする手もあるが、手術中に死んでしまう可能性もある。それに例え手術が成功しても再発がとても多い病気だという。人間でいう癌のようなものだそうだ。ゴールデンレトリバーに多い病気だと聞いた。そんなの知らない。そんなこと、知らなかった・・・

迷った末に、両親はロビンをそのまま連れて帰る決心をした。病院に連れてくる前にフラフラと千鳥足になって明らかに弱り切ったロビンを見ていたからだ。このまま手術しても、もたないかもしれない・・・それなら手術室で死んでしまうよりも家で看取った方がいいだろう、と。それでも私は、ロビンが助かる可能性を、ただそれだけを見て、信じていた。安静にしていれば血は固まるかもしれない。きっと何とかなる。だってこんなに急に私達に別れの日がくるわけがない。

帰りの車の中、私はロビンと一緒にトランクに乗りこんだ。起き上ったりしないように、そばについて体を撫でた。

「ロビン、大丈夫だよ」

囁いた言葉は、自分に向けたものだったかもしれない。どうしても、よくなってほしかった。

家につくと、リビングのダイニングテーブルを端に寄せ、シーツを敷いて即席のロビンの寝床をつくった。横になっていると少しずつ安定してきているように見える。体調がよくなってきたのか、起き上って家族のもとへ駆け寄ろうとする。いつもは隣の部屋のケージに入れられているので、リビングでみんなの側にいれるのが嬉しいのだ。

「だめだよ、まだ寝てなきゃ」

家族が交代でそばについて上体をおさえて、また寝かしつける。ロビンは仕方なく寝た姿勢のままパタパタと尻尾を振る。

―もしかしたら、このまま元気になってくれるかも・・・また一緒に走り回れるようになるんじゃないか?

ロビンの回復は、私の心に一筋の希望を与えた。

でも、その後ロビンは発作を繰り返した。

苦しそうにもがいて、吐く。どこが痛いのか体をよじる。

「よしよし、大丈夫だよ、大丈夫だよ」

身体を撫でながらなだめても、私にはどこが痛いのかも、なぜ痛いのかもわからない。その苦しさをほんの少しも和らげることはできない。もう胃に何も残っていないのだろう、黄色の胃液だけを吐く。鼻にしわを寄せて。少しすると発作は収まり、険しかった表情は穏やかさを取り戻すが、それも長くは続かない。

何度目の発作の時だっただろうか。

「ロビン、いかないで、いかないで!」

私は必死に呼びかけた。まだ奇跡を信じていた。どうにかなるはずだ。だって、まだそばにいてほしい・・・

そんな私に、姉がそっと言った。

「ね、もうロビンのこと行かせてあげよう?」

その言葉に、一瞬、時間が止まった。音も消えた。そして目に入ったのは、苦しそうにもがくロビンの姿。私がこの子を引き止めているのだろうか。だから苦しいのに頑張っているのだろうか。これ以上引き止めるのは、ロビンを辛くさせることにしかならないのだろうか。あぁ、ロビンはもう、本当の本当に・・・このまま私が泣きついていたら「泣いてるなぁ、ごめんね」って、ロビンは悲しみながらいくことになるになるんだ。心配かけて、悲しい気持ちのままいかせたらだめだ。本当は認めたくない。もうダメだなんて思いたくない。ずっと見ないようにしていた。でも、私は現実を受け入れた。

私は、引き止めるのをやめた。


最期の時は、静かに訪れた。発作が収まっていき、ロビンは目をつむって安らかな呼吸を始めた。すー、すー、と息がもれる。その吐息が徐々に小さくなっていく。だんだん小さく短くなっていって、そして、最後に消えてしまった。

「ロビン?」

呼びかけても、返事はなかった。目は閉じられたまま、しっぽも動かない。ロビンは死んでしまったんだ。本当に死んでしまったんだ。静かに見守っていた家族みんながわーっと泣き出した。私も涙が溢れた。でもその涙に実感が伴わない。天使みたいな安らかな顔をしているロビンは、まるで本当に寝ているだけなのだ。これから、どうすればいいんだろう。理解も、気持ちも追いつかなかった。

気が付くと、ロビンの体に覆いかぶさるようにして眠っていた。泣き疲れて、寝てしまったらしい。死後硬直で固まってしまった体は、以前のように温かかくも柔らかくもなかった。

―命が抜けると、こんな風になってしまうんだ・・・

だけど、石のように固まった体を見ても、やっぱりまだ信じられない。ぼんやりとその顔を眺めた。ロビンが息を引き取るときに、どこかに潜んでいた小さなダニが何匹もわーっと離れていったのを思い出す。現実は、リアルで残酷だ。まだ息をして、もがいていたのに。生きているのに、と腹が立った。

きっとダメだと言われると分かっていたけど、夜もロビンと一緒に寝たいと言った。案の定、母からは自分のベッドで寝るようにと言われた。別れの準備をなんとか始めなければならなかった。


葬儀が執り行われたのは、翌日だった。ペット専用の葬儀場を家族で訪れた。大切な誰かの死に直面するのは、初めてのことで、私には死というものの受け入れ方も乗り越え方も分からない。

庭いじりが好きな母は花壇からたくさんの花を持ってきた。ロビンもきっと庭先でいつも見ていた花たちだ。棺桶は色とりどりの花に溢れて、花園のようだった。

何をどうすればいいのだろう。葬儀場のやさしいオルゴールの旋律がぎゅうぎゅう胸を締め付ける。何をどうすればこの悲しみを落ち着けられるのだろう。君に何という言葉をかけるのが正解なんだろう。流れる涙は、全くしょっぱくなくて、ただの水みたいだ。そして川を流れる水のように、とめどなく、すーっと頬をつたっていく。本当の本当に悲しいと、涙はこんなに軽くなってしまうのか。

「それでは、棺のフタを閉めます」

葬儀屋のスタッフが大きな木のフタを持ち上げる。

―待って、もう一度だけ・・・

でも、その言葉を口にすることはできなかった。喉元まででかかった声を私はぐっと押しとどめた。だってそんなものは切りがないのだ。「もう少し」が終わったら、また「もう少し」と思うだろう。みんな、一生懸命に気持ちを整えているのに、わがままは言えない。私たちは、お別れしなければならない。何を贈ればいいのか分からないまま、棺のフタが閉められてしまう。迷った末に、私は心の中で唱えた。

「ロビン、ずっと大好きだよ」

さよなら、とは言えなかった。


結局、解決は時間に頼るしかなった。葬儀の翌日には、塾での模試があり、現実は何の変わりもなく進んでいた。私はその模試で今までで1番の成績をとった。ロビンのことを理由に結果を落とすようなことがあってはいけないと強く思った。そんなことがあったらロビンに申し訳が立たない。私たちを気遣うように安らかにいったロビンに自分ができる応え方だった。でも、試験を終えて教室を出たところで、妹と目が合うなり、私たちは人目もはばからずに泣き出した。もうロビンはいない。その悲しさと寂しさは押し込めていても、出口を見付けるとすぐに溢れ出てきてしまう。それでも、分け合ったからと言って、悲しみが消えるわけではなかった。


いつもリビングの大きな窓から、すぐに庭先で寝転ぶロビンの姿が見えた。その窓を開けると、父お手製のウッドデッキがあって、そこでブラッシングをしたり一緒に日向ぼっこをしたりしていた。最近では、ロビンは黒い鼻をぐっと網戸に押しつけ、横にスライドさせて開けれるようになっていた。興奮した私が「ロビン、すごい!!」と褒めまくると、網戸だけでなく重たいガラス戸まで開けられるようになってしまった。それから結局、母が「虫が入ってくる」と怒るので、ガラス戸は開けないようになったのだ。でも今は、その窓を見ても景色は寂しくて足りない。ロビンをつないでいたリードだけが、しばらく残されていた。それもいつしか片付けられた。

死んでしまってすぐは、まだ近くにいるような気配がしていた。なぜだか分からないけれど、家の中のどこかにまだいるような。毎年夏になると日陰を求めてそうしていたようにウッドデッキの下に潜り込んでいるのかもしれないし、姿は見えなくても庭じゃなくてケージの中にいるのかもしれない。でも、その気配すら少しずつ薄らいで、四十九日を待たずに消えてしまった気がした。あぁ、気配すらいなくなってしまった、そう思った。それでも遺骨は埋められないまま箪笥の上に飾られていて、淡いピンクの骨壺袋の刺繍がキラキラ輝いていた。それももう、ただの物質になってしまったのだ。あの子は消えてしまった。その残骸を集めても、どうしようもないことを知った。

しばらくたってから、母はウッドデッキを取り払おうと言った。色褪せて古くなったウッドデッキ。ダメだとは言えないだろう。その分、花壇が広がって、たくさんの花が植えられた。ロビンがいた形跡が消えてしまう寂しさを感じながらも、きっとこの方がいいんだろうと思った。私も少しずつ現状を受け入れようとしていた。

それでも時々、夢を見た。それは色々な夢なのだけど、いつもロビンが出てきて、体を撫でてあげたり散歩をしたり、一緒に時間を過ごしている夢だ。幸せな気持ちで目が覚めて、寝ぼけまなこのままぼんやりと思う。

「そういえば最近ロビンにかまってあげてないなぁ。変だな、どうしてだっけ・・・」

そこではたと気が付く。そうか、ロビンは死んだんだった・・・こんな朝は切なくてやり切れない。あの日の悲しみが、また胸の中にせり上がってくるのだ。

 死の間際に描いた、ロビンのクロッキーがある。間際というのは本当に間際で、病院から自宅に帰った後、リビングで寝ていたロビンを描いたのだ。最後のクロッキーだ。死んだら、体もなくなって、ロビンが私の中から消えてしまうんじゃないかって怖かった。描きとめておきたかった。描きとめておけば、ちゃんと思い出せると思った。描きとめることしかできなかった。もう増えることはないクロッキーだから、この瞬間を紙の上に残しておこうと思った。

10枚ほど描いたクロッキーの中にその1枚はあった。そこには、とても安らかなロビンの顔が柔らかな鉛筆の線で描き出されていた。自分で描いた絵じゃないみたいだ。ロビンの優しげな気配を感じる。金色のまつ毛、流れる毛並み。天使みたいだったなと思い出す。甘えたがりで、優しいあの子。

死に際にクロッキーなんて妙だと思うけれど、間違っていなかった。だって、どんな写真より深く、最後の瞬間が焼き付いたから。あの頃クロッキーを始めておいてよかった。それは、最後のコミュニケーションだったかもしれない。

 ロビンが死んでから、私は人知れずクロッキー帳に自分の気持ちを書き続けた。心の中で何度も呼びかけながら、これまでの思い出を書き付けた。さながらラブレターだった。それは、悲しみを整理するための儀式だったのかもしれない。吐き出さなければ、どうにもできなかった。もうロビンはいなかったけど、白い紙に書き綴ることで語りかけていた。抱きしめる体がないことが不安で仕方なかった。確かにそこにいて、たくさんの時間を一緒に過ごしてきたのに。君のことを忘れてしまったらどうしよう、って。





4また、新しい日常

受験は無事に終わり、私は高校生になった。地元から少し離れたその進学校は、これまで通っていた中学校とは全く雰囲気が違った。

やんちゃな生徒はいなくて、みんな少し大人に見えた。新しい生活には期待と不安がつきもの。私も感情の波にもまれていた。時々、むしゃくしゃすることがあると、「こんな時にロビンがいてくれたらなぁ」と独りごちた。抱きしめたり、一緒に遊んだりすれば、いつでも笑顔になれたから。  

今まで難なくトップをキープしてきたテスト結果の順位が下がって、自分の取柄がなくなってしまったようでショックだった。なんとなく部活の友達のノリについていけなくて馴染めないなぁと悩んだ。初めての彼氏ができたけど、いつも素直になれなくて自分の気持ちを上手く伝えられなかった。年相応に悩んだり、迷ったりしながら生活は流れていった。

少しずつ大人になっていく自分のことを考えると、なぜか無性に焦った。大人になるってどういう世界なんだろう?期待も不安も胸に渦巻いていた。特に胸が締め付けられるのは夏だ。夏がくるとまた季節が巡り、時が進んだことを肌で感じる。じりじりと熱い日差しに、焦燥感を煽られるような気さえした。

ロビンが死んだのも、夏だった。命日は忘れてしまった。あの日、今日が何日かを記憶にとどめる余裕がなかったのかもしれないし、自分には必要ないものだったのかもしれない。命日でなくたってロビンのことを想う日はあったし、写真を眺めながらそっと記憶のフタを開けてみるときがあった。

そういえば、こんなこともあった。ある時、どこでだったか、どこかのカフェかカラオケボックスか、流れている曲を聴きながら不思議な感覚に襲われた。その曲を聴いていると、なぜかどうしようもなく悲しさがあふれ出すのだ。

―どうしてこんなに切ない気持ちになるんだろう?

記憶をたどってみると、それはロビンの葬儀場で流れていたオルゴールメロディーの原曲だった。その旋律が、あの時の気持ちを律儀に運んできたのだ。別れた恋人を想う歌詞は、確かにもう側にいない誰かを想う気持ちとシンクロしていて、妙に納得したりした。

 2度目の受験はあっという間にやってきた。大学で私が選んだのは、文学部。文章を書くことが好きだった。そして小説家になりたいと密かに思っていた。きっかけは小学生の頃、国語の授業の感想文や連絡帳の日記を見せると、母がいつもとても喜んでくれたことだ。身内のひいき目だったのだろうけど、自分が書くもので人を喜ばせられるのか!と無性に嬉しかった。その原体験が、私に小説家になりたいという夢をくれた。

実際、それは自分には大それた夢に思えた。宇宙飛行士になりたいとか、プロ野球選手になりたいとか、そんな夢を多くの人が次第に口にしなくなるように、私もいつしか小説家という夢を隠すようになった。でもやっぱり、ずっと自分で表現することに憧れていた。

だから大学では文学部に入ると決めていた。文学部に入って、苦手な数学や物理とはおさらばして、好きなことだけをもっと勉強するのだ。

そんな決意を胸に入学した大学生活は意気揚々とスタートした。今回ばかりは、変化への不安より好奇心や興奮が勝っていた。新しい生活は順調に流れ出し、何かに付けてロビンのことを思い出す、ということは気づけばなくなっていた。心がざわめくほどの悲しさや寂しさを、時間がやわらげ、受け入れさせてくれていた。それでもときどき思いついたように、「犬が飼いたい」と母に訴えた。テレビで動物番組を見たりすると、たまらなく恋しくなるのだ。

「また死んだから悲しいからいやよ」

母はいつも取り合ってくれない。私はどうしようもなくあの温かさが恋しくなるのに。

それと同じものをもう味わうことはないのだと分かったのは、もうしばらくたってからだった。ある日、話題のドッグカフェがオープンした。ペットブームの今だ。犬との触れ合いが楽しめるそのカフェは初日から大人気で店の前には長い列ができ、整理券が配られていた。犬とふれあえるカフェが近所にできたという情報は、もちろんすぐに私にも届いた。できればゆっくりしたときに行ってみたい。オープンから数カ月様子を見た後、満を持して私はそのカフェを訪れた。

行ってみると、それはとても切ない気持ちにさせられるものだった。犬たちは明らかに現状に飽き飽きしていて、人間に全く興味がなかった。お客さんは入れ代わり立ち代わりでひっきりなしにやってくるが、みんなつまらなそうに昼寝している。「わぁー、かわいい」と人が近寄ってきても、その横をスッとすり抜けていってしまう。犬たちにしてみれば、毎日テンションの高い人間が大勢やってきて、辟易していたんだろう。無理もない反応だと思った。店員さんには懐いていて、ぴょんぴょん飛び跳ねながらおやつをねだっていたのが救いだ。

―犬と触れ合えればいいってことじゃないんだ。お互いに気持ちが通って初めて温かさを感じるんだ・・・

ロビンとの時間があまりにも当たり前になっていて、今さらそんなことを思った。こんなに基本的なことが抜けていたなんて。私と一緒に毎日を過ごしてきたあの子はもういない。だから、あの日々と同じ気持ちにはもう二度となれないのだ。「もう会えない」「死んでしまう」というのはそういうことなのだ。私はようやく、はたと気がついた。例え新しい犬を飼ったとしても、それはその子とどんな関係を築いていけるかという話で、きっとロビンとは違う反応をして違う時間を過ごすのだろう。あまりにも当たり前にそばにあった温かさだったから、いつの間にかそれが犬と人との関係のように勘違いしてしまっていた。そうじゃなくて、あれはロビンと私の関係だったのだ。一緒に成長しながら、お互いを理解していたから、ただ隣に座っているだけの時間に安らぎがあったんだね。

それでも、ついつい散歩中の犬を見かけると、目で追ってしまう。大抵の犬は私の視線に気が付いて、「遊んでくれるの?」というように好奇心旺盛な目で見つめ返したり、チラリと振り返ってこちらを見たりする。そんな時、あの子たちにはあの子たちの飼い主との幸せな時間があるんだろうなぁと少し切なく見送る。


気が付けば、大学3年生。また夏がやってきていた。社会に出る前に自分の夢と向き合うはずが、随分贅沢に時間を使ってしまっていた。周囲ではちらほらと企業のインターンシップに参加する友人がでてきて、就職活動が始まっていた。のんびりしていた私が重い腰を上げたのは、もう夏の終わり頃。フリーペーパーを発行している企業のインターンシップに参加してみたが、どうもやりたいことはこれじゃないという気がした。小説家になりたいという気持ちはあったが、そうは言うものの執筆に打ち込んでいるわけでもなかった私は、ともかく本づくりについて学ぼうと出版社の入社試験を片っ端から受けだした。しかし、もともと狭き門と言われる出版社の採用枠。生半可な気持ちでは拾ってくれる会社はなかった。エントリーシートの締め切りは次々と迫ってくる。追われるように送っても送っても、結果はお祈り。面接を受けに行った初めての東京は、田舎娘には街自体がよそよそしい顔をしている気がして孤独と不安が募った。

このままではダメだ。60社ほど受けただろうか、私は徐々に選択肢を広げて出版社以外の企業の試験も受け始めた。就職氷河期でもなし、業種を選ばなければ内定をくれる会社もあったが、やっぱり少しでも自分の趣味嗜好と近い仕事に就きたい。そんな中で私が見出した一つの選択肢が「コピーライター」という職業だった。ポスターやCM に使われるキャッチコピーを考える仕事である。これなら言葉に携わりながら仕事ができる。こうして私は数社の採用試験に応募して、内定を出してくれた地元の広告会社に就職した。

しかし、それからの生活は順風満帆とは程遠かった。1つのゴールに思えた「就職」はやはり始まりに過ぎなかった。ポストが開いていたこともあり、運よく希望の部署に配属されたはいいものの、広告やコピーライティングに関する知識はゼロ。退社時間は終電ギリギリになる日も多い中で、私は本を読み、コピーライター講座に通いながら勉強した。それでも成果は簡単には上がらない。上司には「本当にこの仕事をやりたいのか」とつめられる始末だった。ままならないことばかりで戸惑ったり悩んだりする中でせめて自分の癒しを日常の中に取り入れようと、スマートフォンの待ち受け画面にロビンの写真を設定した。こんな時に君がそばにいてくれたら、撫でまわしたりぎゅっと抱きしめたりして一緒に笑う時間をくれただろうな。目まぐるしい日々のせいなのか、以前のようにロビンの夢を見ることはなくなっていた。寝覚めにあんな寂しい想いをすることはなくなったが、少し寂しい気もした。

念願の一人暮らしを始めたのは、就職して2年たった頃だった。就業時間が長い中での、実家からの通勤1時間は次第にしんどくなっていた。そして何より、家族と過ごす生活の中で仕事に打ち込む難しさを感じていた。家族の存在は温かかった。だけど、その温かさと離れて自分の課題だけに時間を使いたいという思いが日毎に強まっていた。

決心してからの私の行動は早かった。これまでにないほどテキパキとやるべき準備を進め、最短の日取りで新しい住まいへ移り住んだ。ここで、始め直すのだ。無駄なものをはなるべく持ってこずに実家に残した。今まで与えられたものは置いていって、もう一度自分を作り直そうとしていた。


「寝る間を惜しんでも、やりたいことって何?」

大学時代からの友人は、私に尋ねた。新生活を始めてからも、私の生活は好転せず、相変わらず仕事は上手くいかなかった。この仕事に魅力を感じたのは本当のことなのに、結局本気で打ち込めるほど好きじゃなかったのだろうか・・・

「やりたい事が何なのか分からなくなってきた」

そうぼやく私に、女はその質問を投げかけたのだ。私は一度端へとよけた小説家という夢をちらりと見た。それは心の隅そっと置いてあった。

―本当にやりたい事って、もしかして今の仕事じゃないのかもしれない。

もやもやとした気持ちがくすぶっていた。これが自分の本心なのか、単純な現実逃避なのか、自分でも分からなかった。でも、気が付けば自分で公募雑誌を買い、ネットで情報を調べていた。そこには、布を被せていた夢と、じりじりと距離をつめ始めている自分がいた。それでも、手探りで何を書けばいいのか分からなかった。


公募の中に私小説を募るものがあった。私は最初、それを素通りした。小説に書き起こすような大きなものを自分のこれまでの人生から見出せなかったからだ。だけど、コンテスト一覧が載った「公募ガイド」を一通り見終わった後、一息つきながら私は考えていた。

―もし私が自分のことを書くとしたら、何なら書けるだろう?

小説という一つの塊にできるものが私の中にあるだろうか・・・そして、目にとまったのが、本棚の写真だった。そこには、ケージの中から顔をだしてこちらを見ているロビンが写っている。ケージには油性ペンでロビンの名前が書かれているが、子供の頃に書いたものなのだろう、「ROBENN」と綴りが間違って「I」のところが「E」になっている。ロビンが死んでから、実家でも、ずっと自分の部屋に飾っていた写真だ。それは寂しさからというよりも、「ほら、一緒にいるからね」ってロビンを安心させるために飾り始めたような気がする。私自身も自然と安らいでいたのだろうけれど。

―そういや、引っ越しの時も当たり前にこの写真を持ってきて飾っていたなぁ・・・

今までの自分から変わりたくて、今までを引きずりたくなくて、一からやり直したくて、実家からは必要最低限のものにしか持ってこなかった。それでも、この写真はダンボールに詰め込んで新しい本棚に飾っている自分がいた。

―どうして私の中でロビンの存在はこんなに当たり前なんだろう?

ロビンのことなら、私の中に書けることがあるかもしれない、そう思った。だってたぶん、私が今まで生きてきた中で一番の感情だから。


書き始めると記憶のフタは少しずつ緩んで開き始めた。2人の間にどんなことがあったか、どんな毎日だったか。ロビンのことを忘れたことはなかったが、日々の思い出を一つ一つ思い返してみるのは久しぶりだった。そのどのシーンにも優しさと愛しさがつまっていた。今一度、それぞれを手にとってみると、思い出が鮮やかに蘇って、笑ってしまうから不思議だ。ところが、記憶をたどっていくうちに、思いがけず、胸の中に得も言われぬ悲しみが広がり出した。温かな記憶とともに、それが去ってしまった悲しみが昨日のことのように湧き上がってくるのだ。心臓がぎゅっと締め付けられるような気持ちが、ぐんぐんせりあがってくる。悲しい。優しい思い出が浮かんでくるほど、ただ、悲しい。だって、ロビンはもういない。喉にぐっと力が入り、胸がキーンと痛んだ。気が付けば、顔をくしゃくしゃにしながら泣いていて、ついに嗚咽が漏れ出した。

私は、自分自身の反応に正直、驚いていた。おかしい。どうしてこんなに悲しいのだろう?もう自分の中で、ちゃんと理解したし整理したはずのことなのに。膨らんでいく自分の感情に戸惑いが隠せない。

―あぁ、初めて知ったな。

この強い悲しみを、認めないわけにはいかなかった。どんなに時間がたっても、この悲しい気持ちをなくすことはできないのだ。ロビンが死んでしまったこと、とっくに乗り越えているし、整理したつもりでいた。それなのに、いざアルバムのページをめくるように思い返していくと、涙が止まらず、それどころか胸の中の悲しみは久々に外に出ることができたとでもいうようにぐんぐん勢いを増していくのだ。片付いたと思っていた気持ちは、ただ綺麗にたたんで目に見えないところにしまい込んでいただけだった。乗り越えるなんて、そんなこと最初からできるはずのないことだったんだ・・・ 

あの日、棺桶の前でどうすればいいか分からず、ただ「ずっと大好きだよ」と呟いた私。その私が、全く変わらない姿でそこに立っていた。その言葉は、その死をどう受け入れればいいのか分からないまま、戸惑いながらなんとか絞り出した答えだった。私にとって、決心にも似た、ロビンとの約束。絶対に忘れたりしないし、どんなに時間がたっても大好きっていう気持ちは変わらないから。だから安心してね。安心していっていいからね。そんな約束。自分で思う以上に、ちゃんとその約束を守り続けていた。私は、ロビンが死んだこと、いなくなったこと、きっと本当に乗り越えたわけじゃない。ただ、悲しみを奥に包み込んで心の中に置いておくことで、日常を取り戻したのだ。だけど本当はやっぱり今でも、あの日と同じ気持ちで、温度で、死んでしまったことが痛くて悲しい。

ロビンが死んでから、もう10年がたっていた。時間は変わらずに流れ続けたけど、大好きな気持ちはちっとも変わらない。たくさんの思い出を、きっと、悲しみまで届いてしまわないようにキレイにラッピングして心の中で飾っていた。本当の気持ちは、嬉しいも哀しいもそのラッピングの中にあるのに。

今、そのビニールを剥がして、もう一度直に触れてみたい。そう思った。君の存在に、もう一度触れてみたい・・・それは、温かくも、たぶんもう一度悲しいことだろうけれど。それでも君との日々を傷つかない程度にではなく、ちゃんと思い返してみたら、どんな風だろう。もしかしたら・・・もしかしたら、もう一度君に会えるのかもしれない。悲しみを恐れて、ずっと触れずにいるのはもったいないかもしれない。

私は、書くことを決めた。ロビンとの日々を、一つずつ開けて広げてみよう。そして願わくば。

―もう一度、君に会いたい。


エピローグ

もし、タイムマシーンがあったら。そしたら、私は時空を超えて本当に君に会いにいくだろう。君もたぶん私が分かると思う。駆け寄ってきてくれると思うし、私は抱きしめると思う。いつものように、うって息を止めるだろうか。そしたら、笑うと思う。だけど、タイムマシーンはない。思い出をどれほど鮮明に再生したとしても、それはやっぱり思い出だった。


君との日々を言葉にしてみて分かったのは、やっぱり君はもういないということだった。どれだけ思い出を辿っても実体や確信には行きつかなかった。結局、あぁ本当にもういないんだなという事を再確認するだけになった。

でももう一つ分かったことがある。君は私の一部だということ。心の中に君がいるとかそういうことじゃなくて、そんな塊じゃなくて、もう本当に気付かないほど微細に私の中に混ざりこんでいる。思い返してみれば、君が少し意固地になりやすい私に、心の開き方を教えてくれたんだと思う。優しさや愛情の示し方、楽しい気持ちの共有の仕方。私たちには言葉はなかったけど、お互い全幅の信頼を置いて身を預けられた。言葉がないから、いつも素直に全力で気持ちを伝たし、君のどんなサインも見逃さないよう見つめていた。君がいたから、こんな私が、自分の心にこんなに深い気持ちがあることを自覚できたし、自分以外の誰かに心を開いてみせる喜びを知ったのかもしれない。こんな風な関係は他の誰ともない。だけど、君とそんな風でいれたから、そういう気持ちがあることを知った。君がいなかったら、私は今とは全然違う私になっていたかもしれない。それほどに熱烈に、君を愛していた。

きっともう会えない。死んでしまうってそういうことなんだ。抱きしめることもできないし、自分の記憶の中だってやっぱりそれは記憶でしかない。それでも私は、君のことをこれからも忘れない。たとえこの先、思い出が鮮やかさを失っても、君の隣で知った感情を忘れることはないから。君がいたことは、私が誰より知っているから。もう体がないことで不安になったり怖がったりしない。やっぱり「さよなら」とは言えない。だけどもう、もう一度なんて言わないよ。本当にありがとう。






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もう一度、もう二度と 冬月 mai @fuyutukimai

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