卍なエピローグ

「チョーべりべり卍っ♪ いぇいいぇい♪」


 部屋に戻るなり、ミコトが振り付けありの意味不明な歌をノリノリで歌っていた。


 なんか最初に会った時も同じように歌っていた気がする。神様の世界で流行っていたりするのだろうか。


「お、おかえりー。どうだった?」

「なんとか、伝えることができました。それと――」


 ほんの少し、口にするのは恥ずかしいけど。


「俺たち、付き合うことになりました」

「おぉー! よかったじゃん~!」

「はい! 本当に。よかったです!」

「じゃあお祝いしないとね! 手出して?」


 ミコトの言うとおり、手を差し出すとミコトの白い手が重ねられた。


「うぅ~バンザーイ! 彼女持ちバンザーイ! リア充バンザーイ!」

「え、えっと」

「ほら! やるの! バンザーイ!」

「ば、バンザーイ! 彼女持ちバンザーイ! リア充バンザーイ!」

「そうそう! あはは! バンザーイ! バンザーイ!」


 俺とミコトは年甲斐もなくはしゃいだ。最初は恥ずかしかったが、やっている間にだんだんと楽しくなってきて、それと同時に自分が今充実しているということを実感して嬉しくなった。


「こうしてさ、嬉しいことがあったらはしゃがなきゃ。そうするともっと嬉しくなるっしょ?」

「そうみたいです。勉強になりました。バンザーイ!」

「あはは! まだやってる!」


 心のどこかに余裕ができたのかもしれない。俺はいつもより自分を解放できるようになっていて腹から思いっきり笑ってみた。


 するとミコトも俺を見て嬉しそうに笑う。


 ひとしきり騒いだ頃、ミコトが息を吐いて言った。


「ふぅ、じゃあ。そろそろ行こっかな」

「あ・・・・・・」


 忘れていた。ミコトとは今日でお別れなのだった。


「でもよかった。キミの幸せそうな顔を見れて。ん、ちょっとは安心したかも」


 そう言って笑うミコトの表情はいつもの無邪気なものではなく、人間を見守る確かな神様のような雰囲気だった。


「あの、一つ。聞いてもいいですか?」

「んー? スリーサイズ以外だったらいいよ?」

「どうして、俺のことなのに。そこまで嬉しそうにしてくれるんですか?」


 ミコトの冗談は受け流して、真剣に聞いてみる。ずっと気になっていたことだ。


「俺の願いを叶えてくれるのって、確か俺が100万人目の参拝者だったからって理由ですよね。たったそれだけのことなのにどうしてそこまで親身になってくるんですか?」

「んー、そうだねぇ」


 ミコトは考えるような素振りを見せて、


「まぁ簡単に言うとね。そのキミが100万人目の参拝者っていうのはウソなの。そもそも参拝者の数なんていちいち覚えてないしね」

「えぇっ!? でもそれじゃあ!」


 それじゃあ、尚更俺の願いを叶えるなんて動機がないじゃないか。


「寂しそうだったんだよ」


 ミコトは俺とは目を合わせずにいつかのことを思い出すかのように口にした。


「鐘を鳴らすとね、ちょっとだけ神様の世界とこの世界が繋がって、それで参拝者の心の声を聞くことができるの。そうやってウチは色んな人の願いを聞いて、まぁなんとなーくだけど叶えられるようにおまじないを振りまいてた。それが神社に祀られた神様の些細なお仕事。でね、キミが来たときも今まで通りテキトーにお仕事するつもりだったんだけど」


 ミコトが俺を見る。


「キミは拝むフリをして、何も願わなかった。ううん、願おうとしなかったんだよ。心の中を覗いても、まったくの無だった。そういう人ってね、昔から一定多数いるものなんだけど大概が・・・・・・近いうちに、死んでた」

「――ッ!」

「ねぇ、キミはもしかして。死のうとしてたんじゃない?」

「それは・・・・・・」


 俺は・・・・・・そうだ。


 この世界の何もかもが嫌になっていたんだ。


 自分のやりたいこととか進路とか。色々な事情に板挟みにされたあげく有象無象の自分の才能に呆れ果てて成りたいものもやりたいことも全部諦めて、このくだらない世界に嫌気がさしていたんだ。


 生きていたって、ロクなことがない。なら死んだ方がマシだ。


 でも、死ぬことはできなかった。死ぬことが怖いのは勿論だし、本当に希望がないとも思えなかったからだ。


 きっと、きっと何かきっかけさえあればこの暗がりにも光が射すとそう思っていたから・・・・・・。


「そして、迷ってた」


「・・・・・・はい」

「キミの心の中は確かになんにも無かったよ。全部を諦めてどうでも良くなった人ってそういうものだから。でもね、キミの。キミの目は違った」


 目。それはこの短い期間で前と意識が変わったものだ。


 ミコトは、よく俺の目をまっすぐに見つめていた。それに、俺に目を逸らすなとも教えてくれた。


「キミの目は確かに何かを見てた。この世界に興味なんてないはずなのに、キミのその目はそれを見てた」

「それって」


 俺が言うと、ミコトは先ほどまでの真剣な表情を崩して、ぷぷっと笑った。


「キミね、神社に来てた他のカップルを思いっきり羨ましそ~に見てたんだよ。あはは! あの時のキミ、ホント面白かったなぁ~!」

「なっ! そ、それはだって!」

「知らなかったもんね」


 ミコトは言う。


「この世界の色んな嫌な部分を見てきて、色んな壁にぶつかって。でも、キミは恋愛だけは知らなかった。それがキミにとっての唯一の、希望だったんだ。そう思ったらウチ、もう面白くって面白くって! 死のうとしてる人間が最後に思うコトがそれかー! って、あははは! ううん、いいんだよ。性に対しての執着は生物の本質なんだから。でも、ぷぷっ。あの時のキミの目。今思い出しても傑作だったよ」

「・・・・・・一応聞きますけどどんな目をしてました?」

「スケベな目」


 からかうように言われて、自分の顔が熱くなる。


「だからさ、きっとこの子についていけば楽しそうなコトが待ってるそんな気がしたんだ」


 それが理由、と付け加えてミコトが言う。


「まぁでも、いきなり胸を揉まれたことはいまだに根に持ってるけどね」

「すみません・・・・・・」

「ゆるさん」


 額を指で突かれる。言葉とは裏腹にミコトはやはり笑っていた。


「だからさ!」


 んーっと伸びをするミコト。


「ウチも楽しかったしキミも彼女を作れた! 互いに得をして終われるんだから嬉しいに決まってるっしょ? これが、ウチの答えだけど、他に質問は?」

「・・・・・・ないです」

「そ! じゃあまぁ理由はどうあれ、ハッピーエンドで終われてよかったじゃん! 最後のお告げも守れたんっしょ? じゃあ約束通りひび割れの呪い解いたげる」


 そう言ってミコトが俺の足に手をかざす。


「いえ、守れてないです」


 俺がそれを制止するように言うと、ミコトが目を丸くして驚いたような表情を見せる。


「守れてないって、でも。キミは山吹ちゃんにありがとうって言えたんでしょ? だったら――」

「ありがとうございました」

「え」

「あなたにお礼を言ってませんでした。今までのこと、そしてこれからのことも全部、全部。ありがとうございました」


 頭を精一杯下げる。


「それに、山吹さんのお婆さんの病気、治してくれたのはあなたですよね」

「・・・・・・」

「ありがとうございます。本当に、俺は神様の力なんて借りてないって言ってくれましたがそんなことないです。俺はあなたがいてくれなかったら。大きなきっかけをくれなかったらここまでこれずに・・・・・・本当に、未来を失っていたかもしれません。だから」


 気持ちは伝えなければならない。まっすぐ、偽りなく。


 今まで色んなことを教えてくれたミコトに向けて、学んだものを全て活かしてもう一度言う。


「本当に、ありがとうございました!」


 部屋に響いた俺の声。ミコトの返事はない。


 代わりに、俺の頭をひんやりとした手が包んだ。


「もう、最後にそれはずるいよ」


 髪を掬うように、そしてあやすように頭を撫でるる


「ウチも、ありがと。立派になったねぇ、本当に」

「そうでしょうか」

「うん、ウチも教えた甲斐があったよ」

「・・・・・・全部本の受け売りですけどね」

「あー! それ今言うかなぁっ!? 野暮すぎるよキミ! 今度は空気を読めるようになるまで特訓しようか!?」


 そう言ってミコトは部屋の隅に投げてあった自己啓発本をパラパラとめくりだした。


「はは、いいですよ。それに。俺は最後にもらった『どんな時でも感謝をすること』というお告げ。これを俺はこの先ずっと覚えてようと思います。これだけは、忘れないように」


 感謝っていうのは生きていく上で、そして人生を楽しむ上で最も必要不可欠なものだと分かった。


 起きたらご飯が用意されていて、蛇口をひねれば水もでる。


 そんな些細な当たり前の日常にも感謝すべきことは潜んでいるのだ。


 だから常に感謝の気持ちを忘れてはいけない。


 俺を笑わせてくれる人や怒ってくれる人。いつも一緒にいてくれる人と俺を想ってくれる人。その全ての人に毎日ありがとう、と。そう言えるようになったらきっと人生は楽しいものになる。


「あなたが最後に、俺に教えてくれたことですから」


 顔を上げると、消えかかったミコトの顔があった。


 両頬に手を添えられて、目が合う。でも目は決して逸らさないようにしてミコトの言葉を待った。


「楠木、颯太」


 はじめて、彼女の口から俺の名前が紡がれた。光が射して、温かい空気が肌に触れる。


「これからもきっと、辛いことや苦しいことが待ち受けているでしょう。立ち向かうのも構いません、逃げるここともまた人生です。その先に何が待っているかは誰にも分かりません。ですが、後悔のないようになさい。それがあなたの人生を華やかにする唯一の方法なのですから」


 まるで純水のような透き通った声が俺の心に澄み渡っていく。


「安心しなさい。この世界は、楽しいことで溢れていますから」

「・・・・・・はい」


 返事をすると、ミコトが離れていく。


「にひひっ、神様のウチが言うんだから間違いない! だから精一杯はしゃいでこ!」


 もうほとんど見えなくなったミコトの、黄色の髪が流れ星のような軌跡を描く。


「あ、そうだ。おみやげにチョッパチュップス持ってこーっと」


 そう言って机の上に乱雑に置かれたチョッパチュップスを腕に抱く。


「あれ? いつの間にそんな買ったんですか? というかそんなに買う金どこにあったんですか?」


 するとギクっと、姿は透けて見えづらいがミコトの肩が震えたことはなんとなく分かった。


「って、あれ!? そういえば俺の漫画なんか少なくなってませんか!?」


 見れば本棚はすっからかんで数冊が横に倒れているだけの状態だった。


「もしかして、売ったんですか!? その金でチョッパチュップスを買ったんですか!?」


 人の金を無断で使うわけがないとか言っておきながら人の物勝手に売ったら同じじゃないか!


「ちょっと! 聞いてるんですか!?」


 返事はなく、開いた窓から風が吹くだけ。


 そしてよく見ると、カーテンと共に靡く1枚のシールがありそこには「マジ卍」とだけ書かれていた。


 に、逃げやがった――!!


「やられた! クソがぁぁぁぁぁーー!!」


 なんて神様だ! いや強盗だ! やっぱりあいつは強盗だったんだ! それにマジ卍ってなんなんだよ結局どういう意味なんだよ!


「あんたさっきから一人でなにやってんのよ」


 母さんが顔を出し一人で騒いでいる俺を怪訝に見る。


「プラスチック爆弾だ! プラスチック爆弾であの神社吹き飛ばしてやる!」

「なに物騒なこと言ってるのよ」

「そうでもしなきゃ俺の気が収まらないんだよ!」


 そんな俺を見て母さんが言う。


「発狂するのも大概にしなさいよね。もうすぐご飯だから降りてきなさい」

「あーわかったわかった! クソ~! そもそも神様にしてはうさんくさぎなんだよなんだよギャルの神様って! どんだけ現代チックなんだよ! マジ卍だよチクショウ!」

「あんた、言葉の割には楽しそうね」


 多分、俺は笑っていたのだろう。


 あまりにも自分勝手で自由な神様がおかしくて、そもそも神様なんて存在を当たり前のように信じこんでいた自分がおかしくて。その神様と一緒に頑張った日々がおかしくて、どうせ手に入るはずもないと思っていた幸せの中にいる自分とそれがきっと続いていくであろう未来がおかしくて。


 笑ってしまっていたのだ。


 諦めなければ夢は叶うとか努力は必ず報われるだとか、そういう綺麗事は正直今でも嫌いだ。


 それは本当に装飾に装飾を重ねて見栄えだけよくした綺麗な言葉で、その実際は「夢を追いかけ続けていくうちに最善の妥協や落とし所を見つけられる」「努力というのは報われるものではなく都合のいい時に自分で自分を認めるものである」といったところであり本当に自分の思い描いた未来を叶えられる人間は極少数だ。


 これは紛れもない、本当のことである。


 何故なら、ミコトに渡された自己啓発本にそう書いてあったからである。


 ――だとしても。


 自分の人生を嘆いてはいけない。充実とはほど遠い生活を恨んではならない。


 きっといつか、そういう停滞した日常に終止符を打ってくれる「きっかけ」は必ず現れる。


 それは前兆もなにもない、まるで強盗のように突然やってくる。そして何が何だか分からずにしどろもどろしていると、いつのまにか今までの日常は無くなっているのだ。


 もし、自分の人生や生活に納得がいかなくて、だけど変えられずに不完全な日々を送り続けて後ろ向きになった時は。また思い出したい。


 この世界は楽しいことばかりだ。


 たまたま、偶然、他力本願のまま成功を収めてしまったラッキーなだけの凡人が分かったような口でそんなことを言っていたなと、愚痴を吐いたら。


 そうしたらあとは簡単。感謝の言葉を口にするだけだ。


「母さん、今までありがとう」

「あんた、まさか死ぬ気じゃないでしょうね!?」


 尋常じゃない俺の雰囲気を察して母さんが飛び上がる。


 だけど、バカを言え。こんな楽しいことで溢れた世界なんだ。


「死ぬわけないだろ」


 そう言って俺は、開いていた窓をそっと締めた。

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ギャル神様の卍なお告げっ! 野水はた @hata_hata

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