第2話 ごちそうさまでした

どうだった?

この話、怖かった?

君も気をつけてね。

見慣れない道に不可思議な高揚感こうようかん

きれいな景色でも、好奇心こうきしんは猫をも殺す。


「いつでも、誰でも、必ず引き止めてもらえるとは限らないからね?」


彼は微笑を浮かべながらそう一言、口にしたところで小さく息を吐いた。

自分の生唾なまつばがゴクリと音を立てて下に落ちていく。

静かな店内にその音だけが響いた。

しばしの静寂せいじゃくを破って彼は楽しげに声をかけてくる。

「どうだった?怖くなかった……わけじゃなさそうだね。それとも、怖すぎた?」

刺激が強すぎたかな?と悪戯いたずらめいた笑いを美しい顔に浮かべて彼はこちらをみつめる。

正直、けっこう怖かった……と思う。

おばけやら幽霊やらが出てくるわけでもない。

むしろ晴れた空や花々など穏やかな風景が容易よういに想像できた。

それなのに、その話には、そこはかとなく仄暗ほのぐら薄気味悪うすきみわるさがあった。

自分で想像しているからなおさら気味が悪かったのかもしれない。

楽しげな女子高生、美しい穏やかな光景、それに似つかわしくない気味の悪い結末。

結局その恐ろしさの正体は何だったのかあやふやなままというわからなさ。

そして美しい顔と美しい声音でつむがれるからなおさら空恐そらおそろしく感じる気がする。

なんだかしてやられたような悔しさがあるのに、とても満足している自分もいる。

そんなあましてしまう感情から意識をそらすように彼に声をかける。

「怖かった……ですし、たしかにとても満足した気がしますけど……。結局、その不可思議な道って何だったんでしょうか?」

こういう結果や答えを聞いてしまうのは、クイズの正解を強請ねだるみたいに無粋ぶすいなことかもしれない。

けれど、一人で考えてモヤモヤするより答えや考察こうさつを聞いてスッキリしたい。

あえてたずねてみることにした。

彼は少しだけ思案しあんげに眉をひそめてから、ぱっと晴れやかな表情でこちらに笑いかける。

そして何でもないことのように答えた。


おにくちなんじゃないかな」


「鬼の……?」

予想外の彼の答えに戸惑とまどうこちらを置き去りにして彼は言葉を続ける。

本当に何事もないような声音で。

「たまにあるんだよ。知らず知らずに開いた鬼の口の中に迷い込んでしまうこと。神隠かみかくしなんていい例だよ」

全然良くない。

不謹慎ふきんしんな彼の物言いに自分の表情が曇っていくのがわかる。

しかも、たまにあるんだよね、って何事もなさそうに言うけどたまにでも、あっちゃ困るでしょ。

「ほら、赤口しゃっこうってあるじゃない?大安とか仏滅とかよくカレンダーに書いてあったりするやつ。その赤口ってね、ある意味仏滅より悪い日って言われたりする。何もかも消滅する日とか地獄のかまの口が開く日とかね。……口って意外と開いてるもんだよ?」

彼は自身の口元に指をあてながら意地の悪そうに微笑んだ。

しぶい顔をしたまま、彼に問う。

「迷い込んでしまったら、どうなるんですか?」

彼は少し意地悪さを含んだにこやかな表情を崩すことなく迷いなく答えた。

「そりゃあ、口だもん。とび込んでしまったら、み込まれるだけ。……もう戻れない」

聞かなきゃよかった。

彼の答えを聞いてスッキリするどころか空恐ろしさが増しただけだった。

「……話より今の答えが一番怖いです」

「あらら?それはごめんね?」

曇らせた表情のまま不満気に彼を見ると、彼は大仰おおぎょうに驚いた表情を浮かべた。

そして彼はおどけたように謝ると、片手を自身の胸にあててそっと会釈えしゃくをする。

まるで王子様のような美しい彼の振る舞いに、悔しくも思わず顔がほころんでしまった。

「でも君も気をつけなよ?」

会釈をした彼は下から覗き込むように上目遣いでひっそりと声を小さくしてこちらをみつめる。

「怪しいと思ったらすぐ引き返さないとね?最後に役に立つのは自分の勘だったりするから。君がもし怪しいと感じたところに行ってしまったら……」

彼は妖艶に微笑んで秘めやかに言葉を紡ぐ。


「もう後戻りはできないかもしれないよ?」


その一言に胸を突かれた心地になった。

今の自身の状況に彼の言葉が重なって、この喫茶店に入る前に感じた感覚と彼の語った女子高生の話が一瞬で頭の中をめぐる。


見慣れない小さな喫茶店きっさてんの前で足を止めた。

たくさんの大きなビルが立ち並んでいる大通りの中にぽつりとひとつ小さくたたずんでいる。

どのビルもどこにでもありそうなそれなりに新しく近代的な建物であるのと比べ、その喫茶店は見るからにレトロなたたずまいだ。

雰囲気があると言えば聞こえがいいが素直な意見を言わせてもらえばその場所だけ異様だ。

たくさんの人で大きな賑わいをみせるビルとは違いその喫茶店には人が入る気配さえ見せない。

人々は当たり前のように喫茶店の横を通り過ぎていく。

まるでこの喫茶店が見えていないかのように。


異様に感じた喫茶店。

もしも知らず知らずに迷い込んだ鬼の口だったら。

美しすぎる人たち。

妖艶な美しさはまるで人間ではないみたいに。

いまの彼の言葉はまさに。

もう後戻りはできないと告げられたようだった。


「ごちそうさまでした」

私はそう一言彼らに告げてその喫茶店を後にする。

「またおいで。美味しい料理と怖い話といっしょに待ってるよ」

彼は妖艶さを含んだ微笑みを浮かべてそう言った。

まどわすような微笑みで、いざなうような声音で。

「またぜひ、どうぞ」

柔和にゅうわな笑みを浮かべた青年もカウンターの向こうから声をかけた。

自分は一度振り向いて、彼らに向かって微笑んだ。

「また来ますね!」

どれだけ怪しいと思ってももう引き返せない。

どれだけ自分の勘がうったえても聞こえないふり。

だって怪しいと感じたところに来てしまったから。


もう後戻りはできないから。


ふと、喫茶店の入口をみつめる。

とび込んでしまったら、呑み込まれるだけ。

……もう戻れない。




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怖い話はじめました。 うめもも さくら @716sakura87

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