ラストエンド 雪解けと春 ―後編―

 最終エンドは、第一ストーンの主導権がせわしなく変動する乱打戦となった。


 取られて、取り返して、また形勢逆転されて……。


 ハウス内のサークルは、まるで上空から爆弾が降ってくる戦場のように盤面が移ろいでいく。


 常にリスクケアを考えるカーリングは脳の糖分を激しく消耗する。ただでさえ二人少ない特別ルールだ。体力、集中力ともにすでに限界に達していた。


 一方で……。


 猫の足音よりも微かな滑走音から、楠音くすねがストーンを放つ。その美しい投球フォームはこれが勝負の最中だということを忘れさせてくれるよう。


 難敵と対峙しながらも、彼女の可憐な一挙一動に惹かれていく自分がいた。



 そして……、長かった戦いもついに終わりが見えてくる。


「ここを崩せば勝ちだよ、比奈ひな

「ハァハァ……無茶言うよ」


 すでに相手チームの投球は全て終了しており、残すはわたしのターンだけとなった。


 第一ストーンは相手、少し斜めに離れた場所にわたし達の第二ストーン。行く手を阻むように相手側のガードストーンがハウス前に二つ置かれている。第一ストーンはガードにすっぽり隠れる形になっていて、その隙間はほとんどない。


 普通に投げれば、壁に砕かれて散る。しかし、ここで得点しなければわたし達に勝ちはない。


 投げるのはわたし。しくも高校最後の大会――わたしがカーリングを辞めるきっかけになった準決勝と状況が似ている。


 緻密ちみつに計算されたストーンの配置――わたしの小さな大砲であの難攻不落の城壁に風穴を開けなればいけない。


 できるのか……わたしに。


 あの冬が脳裏を過ぎる。いろいろな物を失った、あの大会を。ストーンに置かれた手が震える。


 たぶん、人は過去を完全に克服することはできない。乗り越えたと思っても、風化しただけで、潜在的に燻り続ける。


 戦い続けなければならない。


 その時、わたしの手にふわっと別の手が重なる。白く整ったきれいな手。場内の冷気すら忘れてしまうような、天使のぬくもりを伴っていた。

 

 隣を見る。


 楠音だった。


 本来、スイーパーのポジションについているはずの楠音は、わたしの隣で同じように滑走の姿勢をとっていた。


「大丈夫。大丈夫だよ、比奈」

「……ありがとう、楠音」


 彼女の穏やかな横顔に安心する。


 視線を交わした後、わたし達は四十メートル離れた氷上のチェス盤を見つめた。


 ストーンに重なる二人の手。わたしと楠音は肺の空気を全て出すように大きく息を吐いた。そして――


「なッ! あの子たち」

「ふ、ふたりで!?」


 見守る部長と副部長が驚愕の声を上げる。


 どちらからというわけでもなく、同時に滑走。不思議だ……楠音のすべてがシンクロして脳に流れ込んでくるみたい。


 わたしの右手と、楠音の左手を添えて、ひとつのストーンを二人で運ぶ。比翼の羽をはためかせ、ひとつのストーンに二人分の想いを乗せて届ける。


 ……違う、


 ここにはいない、もう一人の女の子の姿がクロスした気がした。


 合図なんていらない。わたしと楠音は同時に手を放す。放出されたストーンはまるでわたし達の意志を受け継ぐように、前へ進む。


「「いっけえええぇえええ!!」」


 ストーンは最初のガードを突破し、二つ目の防壁に向かっていく。


 部長は右手を口元に遣って静かにこう零した。


「……ぶつかる」


 経験者ならずとも、このまま行けば、わたし達の石と相手のガードストーンが衝突することくらい容易に想像できる。


 体の内側に冷たい汗が流れた。


 けれど、石を放った後も、楠音はわたしの手を握り続けていてくれた。ぎゅっと握り返して、見守る。願って、託す。すると、


「え……?」


 それはきっと副部長の声。信じられないものを目の当たりにした困惑の声色だった。


 一時はぶつかると思った。いや、ぶつかるはずだった。


 ラストストーンは運命を捻じ曲げるように、物理法則を無視して鋭利な軌道を描いていく。わたしの目にはそれが、ストーンに魂が宿ったように映った。


 そして、二つのストーンがハウス手前で重なる。


 刹那、周りの音がすべて消えた気がした。


 紙一枚くらいの隙間を縫うように、二つ目のガードストーンの横を通過する。最後の勢いを振り絞ってティー中央のキングを捉えた。そして――


 カコン……。


 静寂に響いた小気味のいい音は、やがて若き二人のルーキーの歓声に変わるのだった。





「いや~負けた負けた!」

「部長、それに副部長。今日はお手合わせありがとうございました」


 負けて悔いなしと、晴れやかな笑みを浮かべる部長たちに、わたしと楠音は頭を下げた。


「それで、要求はなんだい?」


 部長の質問に楠音が一歩前に出た。


「私は今日限りでカーリング部を退します」


「「はあああああ?!」」


 叫喚する二人を尻目に、楠音は口角を吊り上げながらわたしの腕を抱いた。


「そして、比奈と一緒に新規クラブを立ち上げて、全国目指します!」


 金魚のように口をパクパクさせる二人。


「ま、勝負は勝負だしね」


 副部長が肩をすくめながら呆れ交りに笑った。


「ちょっと、副部長の分際で勝手に締めないでよね。決定権は私なんだから」と部長がたまらず言葉を差す。


「ありがとうございます! 次会う時はライバル同士ですね」

「次は負けないからね!」


 わたしと副部長は固く握手した。


 これでゴールじゃない。ここからが船出だ。前途多難な大学生活になると思うけど、楠音と一緒なら、きっと大丈夫だ。きっと――。


「だからぁ~勝手に締めるなーーーッ!」





 これがわたし、有梨栖比奈ありすひなの大学一年の話である。ここからは後日談になる。


 部長たちと勝負をしたあの日――姿


 端末に届いていたサービス終了の通知。不思議な事に、製造元やソフト情報を検索しても何もヒットしなかった。


 その日は一晩中泣いた。たぶん人生で一番泣いたのではないだろうか。


 偶然出会って、突然姿を消したクスネ。不意に終わりを告げた短い同居生活。


 AIホログラムで、ライフサポートプログラムで、わたしの唯一の親友だったクスネ。


 彼女と過ごしたこの一ヶ月が、まるで夢物語のよう。



 それから少し時間が経って――。まだ日常にぽっかり空いた穴を埋めることはできてないけど。でも……、今はこう思うようにしている。


  クスネは、わたしと楠音が出会うきっかけをくれたんじゃないかって。そして、過去にすがるわたしを導いてくれたんじゃないかって。


 あの日。楠音と一緒に勝負に挑んだことで、クスネの役目は果たされたのだ。


 わたしは大好きな場所に戻って来れたし、大切な人ができた。クスネは消えてなんかいない。カーリングを続ける限り、楠音と一緒にいる限り、いつでもクスネに会える。


 クスネのことだ。寂しい顔ばかりしていると、「めっ! だよ、比奈ちゃん」ってきっと叱られる。


 笑っていなきゃ。前を向いていなきゃ。


 それが、クスネとの約束だから。





 わたしと楠音は大学を卒業後、一般企業に就職。それぞれの社会人クラブで活動している。


 地元の大会ではお互いに決勝の常連だ。

 プライベートで交流を温めながら、試合で相まみえれば良き好敵手である。


 少しずつお互いのことを知って、カーリングの腕も磨いて、気が付けば一緒にいる時間も長くなっていた。



 そうして、季節は巡り、あれから何度目かの春を数えた――。


「比奈~! 早くしないと代表合宿、遅れちゃうよー!」

「まってー楠音~! あっ、そうだ!」

「もう、早くしてって! 遅刻したら監督やコーチの印象悪いんだから」


 わたしはテーブルに置かれた「それ」を手に取る。見た目は神社のお守り。大学生の時に出会った少女のシリアルデータが入っている。


 この数年間、試合の前にいつも勇気をくれたお守りだ。


「お待たせ!」

「もうっ、同棲してるこっちの身にもなってよね」

「ごめんってば、えへへ」

「まぁ、かわいいから許す」


 楠音の差し出した手を握り返す。


 小言も多いけど、なんだかんだ面倒見の良い楠音。彼女の優しい翡翠ひすい色の瞳は、昔から何一つ変わっていない。


「楠音もその髪、似合うよ」


 バッサリと切った亜麻色のショートヘアーを褒めると、楠音は照れ交りに「ありがとう……」と小声でつぶやいた。


 指を絡めて、見慣れた道を歩いていく。


 時折吹く風はまだ少し寒いけど、もうすぐこの並木道も桜で彩られる。春はすぐそこまで来ている。


「楽しみだね。どんな強い人と対戦できるんだろう」

「そのためには、まずレギュラー勝ち取らないとね」

「ふふっ、そうだね」


 神様は意地悪だから、時々こういう質問をする。クスネと楠音、どっちが好きなのって。その質問に、わたしはこう答えるんだ。


「行こう! 比奈」

「うん!」


 ――わたしは、世界中の誰よりも、くすねが好きだ……ってね。



*End*

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クロスフェアリーは永遠に舞う 礫奈ゆき @rekina_yuki

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