ラストエンド 雪解けと春 ―前編―

『よかった――ね。楠音くすねちゃんと仲――直りでき……て』


「クスネのおかげだよ」


『今の比奈ひなちゃんの方が――、ワタシ、好き……だよ』


「ちょっと今日ノイズ多いね。大丈夫?」


 部屋の中に投影されたクスネの姿には不規則な線が入り、声も電子音っぽくかすれている。


『へーきだよ。比奈ちゃんはお出掛――け?』


「うん。いろいろ片づけて……そして、新しい一歩を踏み出してくるよ。結果はどうなるか分からないけどね」


 言葉に宿った意志をクスネは読み取ったのだろう。鈍感な人間よりもよっぽど人の機微に聡いクスネだ。その表情は今までで一番優しかった。


「行ってくるね、クスネ!」 

『うん、いってらっし――ゃい、比奈ちゃん』


 靴を履いて勢いよく部屋を飛び出す。


 その後ろ姿を、クスネは見送る。


 カチャン……。


 玄関の扉が閉まり、人の気配が消えた部屋に静寂が訪れた。薄暗い部屋の中、同居人が去った玄関の方向を、クスネはいつまでも見つめていた。


『……バイバイ、比奈ちゃん』





「今日はどうしたのかな? わざわざ練習場まで貸し切って」


 わたしは楠音を連れて、大学の練習場に部長と副部長を呼び出した。


「勝負しましょう。わたしと楠音ペア、部長と副部長ペアで」

「勝負? 何の?」

「カーリングに決まってます」


有梨栖ありすさん、あなたともあろう人が何を世迷言を。カーリングは四人でやるスポーツよ」


「百も承知です。今回はひとチーム二人なので、一人が投球者デリバリー、もう一人がスイーパーと司令塔スキップを兼任します。エンドは10まで行いますが、一回のエンドにひとり四投する特別ルールです」


 普通は投球者に、スイーパーが二人、そしてリーダーのスキップがいて、一人が二投したら交代していく。


 わたしの説明を聞いた部長が右手を口元に遣って考える。副部長も同じように頭の中で情報を整理するような素振りを見せた。


「つまり、一人あたりの投球数が多い分、最後まで集中力を維持できるかが鍵ってわけね」


「それにスイーパーが一人少ない分、ストーンの軌道調整が難しくなる。投球者のコントロールがいっそう重要になってくるわけね」


「そういうことです」


 先輩たちはしばらく思案した後、副部長がスッと片手を挙げてこう尋ねた。


「有梨栖さんはこれを勝負と言ったね。遊びじゃなくて。つまり、何か狙いがあるんだろう?」


「お二人が勝ったら、潔くわたしはカーリング部に入部します」


「本当に!? それは願ったり叶ったりなんだけど。もし、私達が負けたら?」


「それは秘密です」


「不公平じゃない?」


「ダメですか? 部長と副部長ともあろうお二人が、入部したばかりの一年坊と、ブランク明けの怠け者に負けるはずないので、言う必要もないと思ったのですが」


「言うね~。おもしろい! 乗ったその勝負!」

「ちょっ! 勝手に決めるなっ、副部長!」


 部長のツッコミが試合開始の号令となった。





 試合は意外な展開を見せる。


 第1エンドで1点を先取したわたし達は、第2エンドで追加点。序盤を2対0という幸先の良いスタートを切った。


「さすがに上手いね。ブランクなんてどこ吹く風って感じじゃない」

「部長さん達も。いろいろ勉強になります」

「社交辞令を言える余裕もあるか。こりゃ何が何でも勝って入部させなきゃね」


 啖呵を切ったものの、正直不安だった。以前のようなプレーができるのか、またカーリングができるのか、心の底では怖かった。


 でも、杞憂だったかもしれない。


 実際に氷上に立てば、ストーンを手にすれば、あの頃に戻れる。あの楽しかった日々に。


 以前のような恐怖感はなくて、今はただ純粋にカーリングを楽しめている自分がいる。


 それはきっと楠音のおかげ。


 わたしが投じるとき、楠音が反対側から指示をくれる。大丈夫、安心してと目で語りかけてくる。だから、なんの迷いもなくストーンを放てる。


 不思議……。まるで、楠音とはずっとバディを組んでいたような感覚。言葉を交わさずとも楠音の気持ちが伝わってきた。


 しかし、わたしと楠音の呼吸が合わさっていくのを、部長と副部長も黙視していない。ふたりもエンジンがかかってきて、中盤は激しい争奪戦となった。


 両チーム痛み分けに終わりスコアレスドロー。迎えた第7エンド。


 ハウス前に築いたわたし達のガードストーン。自画自賛したくなるほどの完璧な配置。経験上、あれを突破するのは難しい。追加点を確信していた。


 ……そう思っていた。


 その安易な期待は、瞬殺されることになる。


 相手のターン。ハウスの中から部長が石の配置を計算しながら指示を出す。四十メートル離れた副部長はそれにコクリと頷いた。


 副部長は腰を持ち上げ、獲物に飛びかかろうとするライオンのようなフォームをとった。


 ――滑走。


 副部長の力強いスライディングから投じられたストーンは、豪快な音を立てながら直進する。ハウス手前に置かれたガードに衝突し、弾かれた石はそのままティーラインのストーンをロール。


 コンピューターで計算したような絶妙な角度からの侵入。


 まるでビリヤードのように次々と玉突きが起こり、最終的にハウス中心に残ったのは相手ペアのストーンだった。


 テクニカルながら狙った獲物を打ち抜く弾丸のような一手。


 楠音も、相手の華麗な一手に動揺したのだろう。結局、第一ストーンは奪取できず、部長に第二ストーンまで取られて、この回に同点にされてしまった。


 これで勢いがついたのか、次のエンドで追加点を献上し、2対3。


 第9エンドも苦しい盤面となったが、なんとか0点に抑えることができた。



「大丈夫、比奈?」

「うん……。楠音も疲れてない?」

「私も大丈夫。しっかし、キツイね」


 最終エンドに入る前の水分補給。改めて二人の強さを認識する。


 頭脳明晰で適確な指示を与えてくる部長に、おっとりした性格だけど力強いプレーが持ち味の副部長。


 油断なんてしていなかった。むしろ、終始リードされる展開を想像していただけに序盤が出来過ぎていたのだ。


 どんなに勝っていても、どんなに負けていても、たった一投で試合の流れはガラリと変わる。それがカーリングの醍醐味であり、怖いところ。


 わたしが一番よく知っていることじゃないか……。


 氷上のチェス盤で繰り広げられる攻防。この大学も特待制度をとっている強豪校。そのトップ2を司る二人なんだから、強くて当然。今まで対戦したどのチームよりも手強い。


 でも――


「楽しいね! 比奈」

「うん!」


 後半の試合運びを見る限り、状況は絶望的。点差はわずか一点だけど、勝てるビジョンがまるで視えない。なのに、わたし達は笑い合った。


 勝算もないけど、同じくらい諦めの気持ちもない。


 最初はブランクで硬かった体も、だんだん実践を思い出してきた。連動して意識が研ぎ澄まされていく。脳細胞がうるさいぐらいに活性化し、視界がクリアになっていく。


 広いアイスリンクを見渡す。白銀の世界はとても眩しく感じられた。


「やっぱり、ここがわたしの居場所なんだな……」


 もし、カーリングの妖精が存在するなら、こんなわたしにも「おかえり」って言ってくれるのだろうか。


 そんな事を考えてしまう……。


 スポーツドリンクをベンチに置いて、気を引き締める。楠音と視線を交わした。


「行こう、楠音! 最後のエンドだよ!」

「オーケイ! しっかりついてきてよ、比奈!」

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