第9エンド 告白と決意 ―後編―
翌日――
指定した公園に
「ひどい顔ね」
「そっちこそ」
お互い昨日は泣きはらしたので、目元の赤みがまだ取れていない。
「で、何の用かな?」
「久遠さんに聞いてほしいの。なんで、わたしがカーリングを辞めたか」
余談を一切挿まない単刀直入な物言いに、久遠さんも姿勢を正して向き合った。
わたしは遠くない過去を思い返しながら、語りだす。まだ楽しかった、あのきれいな日々を思い出しながら。
一年生のときからレギュラーだった。大会でMVPに選ばれたことだってある。
その裏で、先輩を差し置いて大会に出るわたしのことを快く思っていなかった身内がいたことも事実。
でも、だからこそ、周りの期待に応えなきゃって思ったし、実力で周りを納得させようと奮起していた。
徐々にわたしを認めてくれる人も増えて、控え組の部員もサポート役に徹してくれた。
わたしもカーリングと向き合うのが心の底から楽しかった。
毎日がきらきらしていた。
でも、楽しかった日々も、やがて終わりを迎える。それはやはり、あの高校最後の準決勝を語らずにはいられないだろう。
全国大会への切符をかけた予選。迎えた準決勝の第八エンド。ストーンを投じるのはわたしだった。
それまでは相手チームの
相手は無名の高校だった。だから、油断していていたのかもしれない。その学校は新任のコーチに代わり、その冬ために練習を重ねてきたのだ。
先制点はこちらだったけど、中盤でチームに小さな綻びが生まれてしまって、相手はそのミスを見逃さなかった。逆転されて、粘り強い防壁を崩せないまま試合終盤までもつれ込む。
そして――第八エンド。
そのエンドは相手にも隙ができた。カーリングは着実に一点ずつ返していくのが定石。一気に逆転劇を演じる夢なんて見るものじゃない。
それを十分に理解していたつもりなのに、自分の腕に
とにかくチームメイトを安心させたかったし、わたしならそれが出来ると妄信していた。
その判断を生涯悔やむことになるとも知らずに……。
わたしのショットは狙ったロールにはならず、自分たちの石も弾き、相手に追加点を献上するような形になってしまった。最悪の一手だった。
それは、素人の目にも分かる明らかなミス。
失速した勢いは戻らず、負の連鎖は続く。心の中で何かが壊れていく音がした。
結局、さらに開いた点差を埋めることはできず、わたし達は敗北を喫した。
わたしのたった一手で、みんなが築いてくれた三年間を終わらせてしまったのだ。
相手チームも、久遠さん率いる高校に決勝で負けてしまったけど、全国進出を有望視されていたわたし達に勝てて大金星という様子だった。
あっけない幕切れだった。
「自分のせいでチームが負けた。
「ううん……そうじゃない」
全日程が終わって、忘れ物をしたわたしは更衣室に戻った。ドアノブに手を掛けた瞬間、まだ残ってたチームメイト達の会話が聞こえてきた。
聞いちゃいけないと、第六感が告げた。でも、結局わたしはドア一枚隔てた向こう側の会話を立ち聞きしてしまったのだ。
――あ~あ、うちらも引退か~。
――あのミスがなければねぇ。
――ぶっちゃけさ、敗因って有梨栖だよね?
――で、でも……、私も序盤でミスしちゃったし。
――違うよ。あそこで無茶なショットを狙いにいったのが間違いなのさ。
――そ、そうだよね。私のせいじゃないよね。有梨栖さんが悪いんだよね。
――そう、有梨栖が戦犯。だから、気にすんな。
――これでエースとかお笑いだよね。
――あいつスポーツ推薦決まってるんでしょ?
――早和大学だって、名門じゃん。
――う~わ。うちらはもう引退なのに、あいつ保険持ちかよ。
――嫌な奴。所詮、高校大会なんておままごとくらいにしか考えてないんでしょ。
――早く行っちゃえばいいのに。
――お高くとまったお姫様だからね~。貴族は歩くのも優雅にノロマなんだよ!
――あっははははははは!!!
その醜悪な笑い声と光景は、今でも夢に見る。
「……最低だな」
久遠さんが静かな苛立ちを滲ませる。下唇を強く噛み、爪が食い込むほどに拳を握りしめる。
「今まで一緒に練習してきたチームメイトだろっ! それをっ――」
「いいのっ! わたしの実力が足りなかったんだよ。あのエンドで得点してれば、勝ってたの」
「それは違う。カーリングは団体スポーツでしょ。勝つのはチームの喜びで、負けるのはみんなの責任だよ。有梨栖さん一人に押し付けるなんて――」
「だから、もういいのっ!」
わたしがピシャリと言うと、久遠さんも一旦は言葉の矢を収めた。
「みんなが優しい子だって、分かってる。三年間、一緒に汗を流してきたんだもん。あの日は、敗戦のショックで心にもないことを言っちゃったんだよ」
あの時のメンバーの心情は正気ではなかった。心が不安定な時は縋るもの、あるいは怒りや悲しみの矛先を向ける対象が必要だ。
わたしがそれに選ばれただけ。チームの一人が言い出すと、周りも同調を余儀なくされる。
「わたしがミスしなければ勝てたのも事実だし。それに、わたしが悪役になれば、他のメンバーの輪は保たれたまま終われるでしょ。あれでよかったんだよ……」
「有梨栖さん……」
そう、あれで良かったんだ。偽善なんかじゃない。わたしはカーリングが好きで、ベストを尽くして、そして負けた。
みんながわたしを責めるのは当然の権利だし、独りよがりな行動をしたわたしに見切りをつけるのも、また自然なことなのだ。
「それでカーリングを辞めたんだ?」
「正確にはもうちょっと後。スポーツ推薦の件もあったから、引退した後も地元のアイスリンクには通ってたんだ」
しかし、そこにはもう以前の
ストーンを放つ瞬間、準決勝の時のあの場面が、そして、チームメイトたちのあの醜悪な笑い声が脳裏を過ぎる。
末端に血が巡らず、手が震えた。指先の繊細なコントロールを要求されるカーリングで、それは致命的だった。
結局、以前のようなプレーができなくなったわたしはスポーツ推薦を辞退し、カーリングもやめた。
大事な場面でミスして、人間関係が険悪になって、それがトラウマになって好きなことを辞める……どこの世界にでもある普通の話だ。
「そんな感じ。ごめんね、楽しくないよねこんな話」
久遠さんは静かに首を横に振る。彼女は終始、まるで自分のことのように悔しさを露わにしていたけど、一通り聞き終わって朗らかな表情を浮かべた。
「安心した。有梨栖さんはカーリングが嫌いで辞めたんじゃないんだね」
心の湖に雫が滴る音がして、気持ちよく体に波及する。
そっか、大好きだったから苦しかったんだ……。
負けたのが悔しいんじゃない。カーリングが嫌いになったんじゃない。みんなの努力を奪ってしまった……そう思ったから辛かったんだ。
取り返しのつかないことをしてしまったと思ったんだ。
目尻から零れた涙はツー……と、頬に一本の線を引く。
その様子を見た久遠さんがそっとわたしの体を抱いた。まるで強く握ったら割れてしまいそうな卵をそっと包み込むように、優しく。
彼女の安心する匂いに、初夏の香りが混ざってふわっと舞う。
「辛かったね……」
「うん……、うんッ……。大好きだった。カーリングも、みんなのことも……っ」
背中をポンポンとたたいてくれる手が温かい。髪を撫でてくれる手が柔らかい。
「私は、どこにもいかないよ」
久遠さんが耳元で囁く。
わたしは感情を全て吐き出すように泣き崩れた。わたしが泣き止むまで、久遠さんは何も言わず抱擁してくれていた。
*
「落ち着いた?」
「うん。ありがとう、久遠さん」
「その呼び方なんだけどさ、できれば下の名前で呼んでほしい……かな」
「下の名前って……」
「うん。
その時。楠音にクスネの姿が重なった気がした。
楠音――くすね。それはわたしにとって特別な名前。マッチ棒の灯りのような仄かな暖かさを持った名前。
「いいよ。ただし、ひとつだけ条件」
「なに?」
「わたしのことも名前で呼んでほしい。比奈って」
「そんなのお安い御用だよ。比奈」
「ぅ……」
自分で言っておきながら、いざ名前で呼ばれると気恥ずかしい。
「実はさ、ずっと有梨栖さんのこと名前で呼びたいなって思ってて、家でいつも妄想してたんだ」
「わたしと名前で呼び合うシュミレーション?」
「そんな感じ」
「それは……、なんていうか、その……エッチ……だね」
「どこが!?」
「ふふっ」
「もーからってコイツ。ほら、次は比奈の番だよ。呼んで、私の名前」
上目遣いで、きれいな
「く、楠音……」
呼び慣れているはずの名前は、どこかこそばゆかった。
でも久遠さ……楠音は、もらったクリスマスプレゼント抱きしめる子どものように、幸せそうな笑みを咲かせていた。
指と指を絡め、肩をくっつけ合ってベンチに座る。五月下旬に吹く風は、いよいよ春の終わりを知らせるように感じられた。まるで、いつまでも同じ場所に留まっていないで早く次の季節に行きなさいよ、と言われているようだ。
そんな季節の移ろいを肌で感じながら、一つの決心をする。
「楠音、お願いがあるの」
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