第45話 君の怒りが百年続こうとも


 グレイプニルがセーナに激痛を走らせている。


 心苦しいが彼女のためだと自分に言い聞かせて離しはしなかった。


「セーナの魔力が大幅に減っている……!? そのまま続けるのだ! おそらくその魔法具がセーナの魔力を吸っている!」

「魔力を?」


 勇者の言う魔力の流れなんてものは俺にはいまいちよくわからないが、勇者の言っていることが本当なら、今電気を流されているように痙攣しているように見えるセーナは、実際には魔力吸収による反応でそうなっているということらしい。


 なるほど。急激な魔力吸収の衝撃は電撃に似ていて、まるでスタンガンに当てられたような痛撃をもたらしているわけか。ファリが言っていた搾り取られる感覚ってのは、そういうことだったのだ。


 人体には生体電流があるが、そこに外部から電気を流せば強さによっては死に至る。


 魔力も同じように元々自然に身体に流れているものを無理やり動かせばそれは肉体を害するエネルギーになるという理屈だ。


 名付けるなら、電撃縄スタン・グレイプニル。


 探偵はときに暴力沙汰に巻き込まれることもある仕事だ。俺は護身用の仕事道具として必ずスタンガンや縄を携帯していた。それが異世界的解釈で再現されたのだ。


「よし、このままセーナさんの魔力が尽きるまで時間を稼ぐ!」


 セーナはグレイプニルのスタン効果で時折身体を震わせて痺れているものの、まだ完全には動きを止められていない。


 力尽くでミョルゲニクスを握り闇雲に振り回すものの、縄で動きが大きく阻害されたセーナの狙いは大きく外れ、勇者も鎧で防ぐより避ける方に転換し魔力を節約していた。


 俺も無理に引っ張りはせず、グレイプニルの張力には余裕を持たせた。この状態を維持できれば、いずれセーナの魔力も尽きるはずだ。


 だがそのとき、セーナが歯を剥きだし俺を睨んだ。


「ィィイイイイイイイイイイ!!!」


 理性と知性を失った状態でも自分に纏わり付く鬱陶しい縄に嫌気が差したのか、セーナは勇者ではなく魔力量に劣る俺の方に焦点を当て始めた。


「そっちには向かせんぞ。セーナ!」


 勇者が大きな声で注意を惹きつつ駆ける。


 セーナは即座に反応した。また突進してくる勇者に向けて、ぐるりとその場で転身しエルフの長い脚で回し蹴りを放ったのだ。


「ぐはッ!」 


 勇者もセーナがミョルゲニクスではなく蹴りを放ってくるとは予期していなかったのか、腹にまともに喰らい十数メートル先まで吹っ飛ぶ。


 そして邪魔者のいなくなったセーナは、自分の腕に絡みついているグレイプニルの縄を絡め捕るように引っ張った。


 ビン、と張られるグレイプニル。


「うおおおおおおおおおっ!?」


 魔法具で多少は強化されているはずの俺の腕力でも、セーナには遠く及ばない。一秒すら耐えきれず踏ん張る両足は土を抉り、つんのめって前に倒れさらに引き摺られる。


 そして一度止まったと思ったら、セーナは俺の腕から伸びる二本の縄を片手でまとめて掴んだ。


「あ……これ、やば……」


 そしてセーナはそのまま背負い投げの要領で振りかぶる。


 グレイプニルと繋がっている俺の身体は地面からふわりと浮かび上がり、円運動を描いて宙を舞う。


 まずい。頭から地面に叩きつけられる。この勢いじゃ頸椎骨折不可避コースだ。


 一度グレイプニルを離すしかない。だが、さっきみたいな好機がまたやってくるのか?


 迷っている間に俺の身体は弧の頂点を過ぎ上昇から降下へ転じていた。


「コースケ!」


 俺は為す術もなく地面に打ち下ろされた。衝撃で全身の感覚がなくなるほどに痺れる。


 だが、まだ動く。そして気づく。背中が柔らかい何かに触れている。


「……コースケ、平気?」


 飛び込んできたファリが俺の下敷きになっていたのだ。


「ファリ。おまえなんて無茶を」

「へへ、この前助けてくれたお返しだよ……」


 ファリは力なく笑う。


 獣人と言えど大人の人間がひとり急降下してくるのを生身で受け止めるのは相当苦しかったようだ。当たり前か。俺自身の身体が武器になってファリに叩きつけられたようなものだ。


「ファリ、おまえのおかげだ。まだ希望は潰えちゃいない」


 俺も身体中が痛くてたまらないが、ファリに比べたら屁みたいなもんだ。ここで立ち止まるわけにはいかない。


 だが、災難はまだ終わっていなかった。


 その場に蹲っている俺たちを前に、セーナはミョルゲニクスを再度担ぎ直す。


 グレイプニルのせいでうまく腕が回らないからか、セーナは頭上ではなく後ろ手に横向きでミョルゲニクスを構えた。


 打ち下ろすのではなく薙ぎ払う気だ。


 後ろに跳びすさりたいが、痛む身体でファリを抱えてやるのは無理だ。逃げ道がない。


「〈――我が身を以て水晶の盾となそう。挺身とて厭わぬ。それが主君を守るためならば〉」

「ハリシュ!?」


 ハリシュが俺の目前に躍り出てきた。


 横殴りに振り回されたミョルゲニクスは、ハリシュの腹ど真ん中を打ちつけた。


 なにがしかの魔法を使ったおかげだろう。ハリシュはセーナの一撃を受けていながら、その場に立ち続けた。


「ぐっ、う、ぐああっ!」

「ハリシュ! 無理するな! 逃げろっ!」


 ビシビシと、硬質の物体にヒビが入っていくような音が増えていく。その音の数に比例するように、呻吟するハリシュの声が大きくなる。


 ガラスの塊が割れるような音が響いた。ハリシュの魔法が破られたのだ。


 直後、勇者が横から突っ込んでくる。セーナを抱き込むように突進し、そこからさらに鎧を展開する。防護壁が広がる勢いを利用してセーナを俺たちから引き離した。


「すまぬ! 出遅れた!」


 セーナはグレイプニルと勇者に抑えられてさすがに思うように動けないようだ。その場で藻掻く。


「おい、ハリシュ! 大丈夫か!?」


 大槌は防いだのに、ハリシュは膝から崩れ落ち心配になるほどの荒い呼吸を繰り返していた。


「今のは一点集中の私の最硬防御魔法です。魔力の圧縮に拡張構築式を多重に使用し多量の魔力を消耗するため、私はもう、しばらく魔法が使えません」


 ハリシュの全魔力を使った魔法が、たった一回セーナの大槌を防ぐのに精一杯なのか。


「頼みましたよ。カリエセーナ様を」


 ハリシュの顔にはさっきまでなかった色濃い隈が現れていた。心なしか頬もわずかに痩けてしまったように見える。


 勇者が何度も防いでいるから感覚が鈍っているが、本来はそれくらいしんどいことなのだ。魔王を退治した英雄の本気の一撃を防ぐというのは。


「任せろ。絶対に離さない。たとえ俺の腕が千切れようとな」


ここまでしてくれたハリシュに俺は応えなければいけない。


 するとファリがなぜか俺に抱きついてくる。


「コースケが逝くときはアタシも一緒だよっ」


 おい、やめろ。そういうフラグ立てんな。


 グレイプニルはまだセーナに繋がっている。俺が『離す』という意志を持たない限り、これは外れない。


 俺が日和って少しでも逃げたら、セーナを抑えられるやつはもういなくなる。


「セーナさん、これでも俺は罪悪感を感じてるんだ。すまなかった。本当は他にやりようはいくらでもあった。でも俺はこの方法を選んだ。本当に悪かったと思ってる」


 グレイプニルがセーナの魔力を吸い取るのを感じながら、俺はそんな贖罪めいたことを独り言ちていた。 


 きっともどかしいからだ。英雄の持つ魔力量というのは際限がないと思えるような時間の長さ。


「はやく……はやく……はやく……!」


 しかし現実は無慈悲だ。


 セーナを力尽くで抑え込んでいた勇者が、とうとう限界に達し、セーナに引き剥がされて投げ飛ばされた。


 地に伏せた勇者はもう起き上がろうともしない。


 勇者のくせに情けないやつだと言い捨てたい気持ちはあるが、あいつは俺より年上だった。俺も近頃感じてきた体力の衰えを思えば、勇者はむしろ最強のエルフのバーサーカー相手によくやってくれていたのだろう。


「はやく、はやく、はやく」


 セーナはもはや魔力が完全に尽きた勇者には見向きもしない。グレイプニルの魔力吸収に身体を痙攣させながら、なおも力尽くでミョルゲニクスを掲げ、また俺と向き合う。


 彼女の怒りは俺にも痛いほどわかる。


 いや、その表現は正確じゃない。


 俺にはわからない。俺には愛したことがある人もいなければ、愛された経験もない。だからそれが失われたときの悲しさや怒りは、俺には想像もできない。


 雲のように掴み所のないそれを、手に入れる努力をしてこなかったからだ。


 だが他人を通じてそれを俺は知っていた。


 俺が担当してきた依頼の中で、伴侶の浮気に激昂し暴力沙汰になったことはよくあった。


 浮気を突き止めて依頼者からは感謝されたものの、その後依頼者が離婚や慰謝料で揉めに揉めて殺人事件にまで発展したこともあった。


 ある四十代の夫婦の話だ。後になって刑事から事情聴取を受け、その事実を聞かされた。


 依頼者は夫の方だった。俺は気づけなかった。依頼者が持っていた氷のように冷たく窺い知れぬほどの重い憎しみに。


 探偵は人の悩みを解決する手助けができると信じていたのに、俺がやったことは丁寧に丁寧に依頼者を殺人に向かわせる近道を敷いていただけだった。


 正しかったのだろうかと今でも悩む。浮気の事実を告げられても、依頼者は俺の前では冗談を言って笑みすら浮かべていたというのに。


 自分が愛する者に裏切られたら、誰だって冷静じゃいられない。


 ただのそんな単純なことを。俺は探偵業をしていながらそんな当たり前のことすら知らなかったのだ。


 考えることがある。


 あの依頼者は、浮気した妻を殺し、救われたのか?


 愛情の大元を断つことで、彼は自分のそれまでを帳消しにできたのか?


 俺はどうしても彼を肯定できなかった。


 それは報われないなら全てを無くしてしまえという、虚無への邁進だからだ。


 きついよ。つらいよ。裏切られた側は、これから先、ずっと血が滴る自分の掌を握り続けなきゃならない。


 ああ、ほんと愛なんて理不尽なもんだよ。


 でもだからこそ、セーナに今ここで誰かを傷つけさせるべきじゃない。させたくない。


「だからっ! セーナさん! きみには俺が見てきたような悲劇は似合わない! きみの怒りが百年続くなら、俺はそれが消えるまでずっと傍にいてやる! きみがそんな辛い場所に行く必要はないんだ!」

「アアアアアアアぁぁぁぁ………………!」


 目と鼻の先。セーナは慟哭するように叫び――動きが、止まっ、た……?


 零れ落ちるように、大槌ミョルゲニクスはセーナの手から離れた。魔力が尽き、保持できなくなったのだ。


 セーナは今までの暴れっぷりが嘘のように、落ちた木の葉が風でふわりと煽られるように頼りなくふらふらと身体を揺らし、そして、倒れた。











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異世界修羅場事情 樺鯖芝ノスケ @MikenekoMax

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