第4話 ヨセフ・フルベルト
はしばみ色の
心を守る鷹匠。鳥飼の放たれる泉に現れた一人の青年マッフォは、自宅の便所の先に通じる地下帝国へと既に足を踏み入れた。
モリモリ沸き立つ汚れた噴水は、人糞間欠泉。地底から昇る五芒星の噴出口。濁流の
ここは満天の下水道であり、大便の浅瀬とも言える。膝下まで浸かる程の排水と、それを肥料に育ったまばらな椰子の木が視界を満たす。遠方は霧で覆われ、景勝を阻む。
地面は緩やかな漏斗状になり、中央に排水口が存在する。しかし、排泄物は地の底で高圧ガスと化し、連なる下水を地上へと弾き返すのだった。そうして生まれた茶色い噴水は、誰の意志も介さず、自然の現象として間欠的に噴き上がる。恵みをもたらす
無数の人糞、その邂逅。個人の歴史が個人の科学で茶色くマッシュされ、ついには全体と一体になる。ハブ空港だけに、大蛇うんちである!! へべろへべろへべろ。連帯を持たない鈍色の孤独が混ざり合う、THE、海綿体ポリスである!!
ところで、花吹雪。マッフォの気性はどうなったかね? ん? どうなったかって? 今までも今もずっと変わらねえよ。私は、私たちなのさ。
マッフォは七つの意識で生きている。胃袋を他人と共有し、毎日、バトンをパスするのだ。
「昨日食った激辛麻婆のことは、謝罪するよ。けどよ、激しく我慢ならねえのさ。たとえお前が、山椒一発で脳天の千切れる、切り干し大根みてえな繊細野郎だとしてもだよ」
それは、自らの身体に公共の意味を問わない【人格:月】の発露。すなわちここに、際限ないモラルの体現者【人格:火】の愚痴が連なるのである。
「いい加減にしろよ。お前の尻拭いは、いつもアタシがするのだ。おかげで朝飯は、ビオフェルミンばかり」
「尻拭いだと? さぞかし辛いウンチを拭うのだろうね、ひひひ」
「なんだと!? もう我慢ならねえ! 表へ出やがれ!この野郎!」
「今日の表はお前だろ、ひひ」
【人格:月】は、そう言い残して意識を退いた。取り残された【人格:火】は、半ば強制的に与えられた、今日一日限りの身体駆動の権利をもって、絶え間なく前進を続けるのだった。
爆音がこだまする。思えば四方八方から噴水が湧き立ち、足元には不規則に絡まり合った波紋が生じている。それは、上空から汚水の海に降る無数の弾頭が作り上げた、暴力的な等高線なのだ。
「おやおや、山伏が娑婆で何してるのさ?」
足元の水面から飛び出た頭が、彼に語りかけた。よく見れば、水泳帽とゴーグルをかけた老人であるらしい。
「こんなところで、よく水泳ができますね」
「戦場で水泳しちゃ悪いのかい?」
「いえ、そうではなくて」
マッフォの鼻つまみも意に介さず、老人は下水のプールで平泳ぎを続ける。水面から上がった彼の頭には、数匹のハエがたかりだす。
「それにしても、これは一体何なんですか?」
降り注ぐミサイルを、椰子の木を盾に回避しながら、マッフォは問う。
「これは、百年戦争だよ」
「百年もこんな状態が続いてるのですね......」
マッフォの憂う表情に対して、老人の顔に危機感は見られない。悠長な彼の態度にも、もちらん理由はある。
「それは違う。戦争は、百年間続いていたのだ」
「戦争はもう終わったというのですか?」
「ああ、これはその名残だよ。それももはや、終わりに近づいているが」
百年前までの間、敵は宇宙に向けて無数のミサイルを放っていた。それは五十年の飛翔をもって旋回し、地球へと再び帰還している。相対的時間の異なった敵意が、悠久の時を経て地上に降り注ぐのである。それを聞かされ、マッフォは二度千切れた。
「酷い話ですね」
「暴力の行使されるタイミングが違うだけの話だろう。当然その間に、道徳の変革を伴ったわけだが」
老人はやおら立ち上がり、裸体を露わにする。すんでのところで全身をハエが覆い、彼の輪郭は失われた。ご尊顔も、ハエの仮面で拝めなかった。
「安心しなよ、全て不発弾だ。落下以上の意味は持たない」
老人は再び潜水したが、台詞は至って明朗だった。
「私の名は、ヨセフ・フルベルト。最後の凶弾に倒れることを約束された、
老人はその発言に、ことさらに感情を乗せなかった。
「最後の凶弾とは......」
「無論、今も降り注ぐ、無数の不発弾だよ」
彼の達観した調子に、マッフォはまたしても千切れた。
「一体いつから?」
「鬼の達磨。最初の怒りが放たれた時、私は王の嫡子として生を受けた。その時、私の人身御供としての運命は定められた」
老人は再び立ち上がり、自分の体に虫除けスプレーを吹き付けた。ついに明らかになった彼の姿は、まるで......。
「あなたは、ライオンマンだったのですね」
古代彫刻に名高い獣人の末裔は、その日一番の笑顔で首肯した。
「自由を望んだ日も、もちろんある。そんなの、もはや私の意思で決められることではないのだが」
「なら、アタシの意思で、抜け出さないか?」
マッフォはすかさず飛び出た自分の言葉を反芻し、照れた表情を浮かべた。
「私は他の世界からやってきた。私は、あなたを取り巻くしがらみなんか、関係ない」
「そう言ってくれるだけで嬉しいよ。気持ちだけ、受け取っておくよ」
「......」
マッフォは無言と俯きの末、静かに対面の彼へと手を伸ばし、告げた。
「一緒に、行こう」
そして、それに応じるかのように、老人はマッフォに手を伸ばした。
それに応じるかのように、老人の頭部に弾頭が直撃したわけだが。
衝撃に耐えかねて、老人の体は肩で裂けた。胴体はみるも無残に潰れ、水面にはマーブル模様の血溜まりが広がっていく。
マッフォは老人を救えなかった。彼は孤独の海を泳いでいるように見えて、その実、連帯していたのだ。いや、連帯させられていたのだ。
ギンギン!! 山川 湖 @tomoyamkum
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