私だけの迷信

 十二月の朝、君の白髪を見つけた。

「また生えてる」

 暖房の行き届いていないキッチンでは、吐く言葉の全てが白く色づく。鍋つかみを持ってスープを机へと運ぶその後頭部に追従して、私は丸椅子に座った。

「見つけたんなら抜いてよ」

 苦言を呈しながら、君はスプーンを私に手渡す。その手にはまだ鍋つかみを付けたままだった。

 きっと食べ始めてから気づくんだろう。私はそう予想しておきながら、決して指摘せずにいる。

「知ってる? 白髪ってさ、抜いたら増えるんだよ」

「ああ、でもそれ迷信でしょ」

 君はこういう噂話みたいなものをてんで信じない。地縛霊や背後霊だって全部何かの間違いだと思っている。あ、でも妖怪はいるって言ってた。なんでだよ。

 ふう、とスープに息を吹きかけて、おそるおそるひと口を啜る。やっぱり熱い。

「迷信でも、だよ」

 迷信でも、噂話でも、君が歳をとるのは怖い。事実として時間は不可逆で、私も君も一秒ずつ老けているのだけれど、その事実ごと怖いと思う。

 そんなこと、言ったってしょうがないんだけど。


「いてっ」

 歯を磨いていると隣から、ぷちっ、という音がした。

 視線をやると、手鏡を睨みながらさっきの白髪を探している君。

 どうせ一分後には私に頼るくせに。そう分かっていながら、やっぱり私は口を挟まない。

「また間違えた……。ねえ、手伝ってよ」

「絶賛、歯磨き業務中ですので」

 私は君の、色んなところを見殺しにしてしまう。

 これは、私だけの迷信。

 そうやって間違って抜いた黒髪の分、君が長く隣にいてくれる気がする。

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