もう夢は掴んだのだろうか。

『飽きた』

それを聞いたのは朝も明ける前の、白いベールがかかった頃。本当にそれだけを残して、彼女とは音信不通になった。


そんな彼女から電話があったのは昨夜の話だ。やるせない午前二時。

久しぶり、との挨拶すら交わさぬまま「あのさ」と向こうがぶっきらぼうに言った。「私ね、いまアメリカにいるの」


「それだけ」

こちらの言葉も聞かぬまま、彼女は一方的に電話を切った。

相変わらずの自由人だった。

なぜわざわざそれを伝えるためだけに電話を寄越したのか、見当もつかなかった。


内気で無口でみんなの影になるような人だった。

その彼女が相変わらず視界の悪い風体でテレビに映っているのを見たのは、それから随分と後のことだ。


海外のニュースを取り上げた、たった数秒の映像。

ひどく伸びて乱れた髪も、煌びやかな衣装も、化粧っ気のある顔も、全てが変わったようで何も変わってやいない彼女が、饒舌な外国語でインタビューに応えていた。


昔から画家になりたいと言っていた。私にはこれしかないからと言っていた。それからたった一言、飽きた、と。

私は自分の手で目元を拭った。何に対して泣いているのかわからなかった。


絵を描く時だけ広くなる視界は昔から変わらないようだった。わたしは彼女の瞳がとても好きだった。

ニュースキャスターによれば、パリで行われるオペラのプログラムの表紙を描いているという。私でも聞き覚えのある名だった、余程有名なのだろう。


自分の夢を追いかけているのだろうか、もう夢は掴んだのだろうか。気分屋な彼女のことだから、夢すらもう違うものに変わっているのかもしれない。

けれど、彼女が元気ならばそれでもう十分だ。


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泡沫挿話集 喜岡せん @yukiji_yoshioka

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