心の中の二人

日暮ひねもす

心の中の二人

 とびきりお気に入りの服を着て、おろしたての靴を履く。純白で固められた全身を姿見でみて、普段と違う自分に浮き足立った。扉を開けて外に出れば、空は青く澄み渡っていて、今日は特別な日だと思わずにはいられなかった。ポケットに入れたリボンと小銭を確かめて、バス停に向かう。あなたは先についているかな。いつも約束より早く来て、私のことを待っているから。

 バス停にはやっぱり先に人影があって、でも少しいつもと違っていた。私と同じように、白い服と靴を身につけたあなたがいる。お互いにこんな姿を見るのは初めてで、何だか、そわそわしてしまう。

「ふふふ」

「なに笑ってるの」

 あなたが言う。

「何だか特別な感じだなって」

「そうかな」

「そうだよ」

「そうかもね。まるで……」

 結婚式みたい。

 二人で言って、おかしくなってまた笑った。

 ポケットから小銭を出して手に広げ、ぴったりあることを確かめて運賃箱に入れる。じゃらじゃらと音を立てて、小銭は中に吸い込まれていった。これでも、子供の私たちには大金だったのだ。きちんと調べて、あなたと一緒に少しずつ貯めてきたお金だ。

 バスの一番後ろの席にあなたと座る。夏休みが終わったばかりの平日の昼間に、私達以外の人なんているはずなかった。窓の外は相変わらず青色が輝いている。ぼう、と眺めながら降りたあとの道を思い起こししていた。


 ……はっ、と気がつくと、次が降りる場所だった。うっかり眠ってしまったみたいだ。あわててあなたを起こしながらボタンを押す。

『次、停まります』

 聞き慣れた機械音が響く。もうすぐだ。まだ少し眠たそうなあなたと目を合わせて、静かにうなずく。

 バスを降りると、蒸し暑い空気が流れていて、夏休みが終わったなんて思えないくらいに蝉が鳴いていた。まばらな住宅地から細道へ。熱を反射するアスファルトからから雑草の茂る土へ。私たちは段々と傾斜のきつくなる道を歩いていた。

「暑い……」

 どちらともなく口からこぼれていた。暑い。でも、辛いわけじゃない。暑さに駆り立てられるように、心がはやる。もうすぐ、もうすぐ着くんだ。私たちの目指す場所に。

 足元の地面はもはや岩になっていて、つま先にはサンダルで来たことを後悔するような痛みがあった。でも、とあなたの姿をもう一度見る。青空と木々の緑を反射しながら、一面の白が輝いている。やっぱり、この格好じゃなくちゃ。

 突然視界が開けて、今、目に映るものの中で私たちが一番高いところにいた。木々が風に撫でられて音を立てる。その後ろの空はどこまでも遠く、入道雲を浮かべている。

「着いた……」

 やっと。やっとたどり着けたんだ。爽やかな空気が頬をかすめていくのを感じながら、あまりにも美しい景色に思わず口元を抑えた。鼻がツンとして、視界が水彩画みたいにじわ、と滲む。あれ、おかしいな。苦笑しながらあなたの顔を覗き込むと、潤んだ瞳から雫が一粒足元に落ちた。その跡が染みて、少しずつ乾いていくのを私はじっと眺めていた。


 どれくらい経っただろうか。数時間か、数秒か。わからないけれど、いつまでもこうしているわけにはいかないことを、私たちは知っていた。先に口を開いたのはあなただった。

「ねぇ、そろそろかな」

「……うん、そうだね」

 家を出た時よりも軽くなったポケットから白いリボンを取り出して、二人の腕を結ぼうとする。なかなかうまくいかなくて焦っていると、あなたの片手が伸びてきた。

「一緒に結ぼう。せーので、引っぱってみて」

 あなたの言葉にこくりとうなずき、リボンの片方だけをつまむ。

「「せーの」」

 きゅ、と二つの羽を広げ、白い蝶が私たちの腕を結んだ。この羽で私たちは飛ぶんだ。

「お父さんが見たら、何て言うかなあ」

 あなたがふと呟く。青紫色の傷を隠すように、手が腕に触れている。寂しそうな横顔に、言葉がこぼれる。

「いいんだよ。もう、そんなこと、気にしなくたって」

 私は答える。あなたのお父さんがあなたを傷つけた言葉も。拳も。もう、全部気にしなくていい。放課後、友達と遊んだからって叩かれなくてもいい。テストの点数で怒鳴られなくてもいい。私たちが一緒にためたお金と宝物を、全部壊されなくても、いいんだよ。

 大人たちは笑う。そんなものが何になるんだって。未来の方が大切だって。大人の言う大切な未来って、全部自分のことなのに。この夏休み、私たちは一つの計画を立てた。町はずれの山奥。小さいころ一度だけ見た景色を、また見に行くための、二人だけの計画を。夏休みが終わる。学校が始まる。周りのみんなが夢中な話はわからなくて。私たち二人のことも、友情も、傷も、大切なものを奪われた痛みも、ささいなことだとみんなは笑った。

 そんなささいなことが、私たち二人には何より大切で。大切なものを捨てずにすむ方が、ずっとずっと幸せだったのだ。

「ねぇ、それじゃあ、行こうか」

「うん。いいよ」

 二人の瞳には、きれいな青空と緑しか映っていない。ああ、こんな日に、あなたと終わりを迎えられるなんて。

 靴を脱いで、リボンを結んだ手をぎゅっと握った。裸足で触れる地面はぬるい。ざり、と音を立てながら一歩後ろに下がる。握りしめた手がわずかに震えるのがわかった。

「大丈夫だよ」

 そうあなたに告げる私の声も震えていた。大丈夫、と口にして、自分にも言い聞かせる。

「ねえ、ほら、見て。今日の私たち、服も、あの靴も、白くてきれいなんだよ。これなら、どこへだっていけるよ」

 いきなりそんなことを言い出すあなたに、思わず笑ってしまう。

「そうだったね、今日は特別な日で、どこへでもいけるんだ」

 きっと、天国にも。

「それじゃあ、一緒に行こうか。せーので、飛ぼう」

 一つうなずき、深呼吸した。

「「せーの」」

 白いリボンが、空にはためいた。

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