倉間関
一
――少しばかり、食指が動いただけだったのだ。
倉間は
その地を守るはなぶしの舘に、ふたりの客人が訪れた。
今春より九頭で起こった領主と光明教の乱――のちの世に九頭島の乱と呼ばれる争いを逃れてきた、若き僧侶たちである。
ふたりは、かねてよりはなぶしと親交のあった師僧、
いずれも身なりは中肉中背、ようよう二十歳になりかけたかという年ごろである。ひとりは抜け目のなさそうな三白眼に、かたくなそうな眉と手足の肉づきをしている。
いまひとりは清げな目をして、肩やうなじの線にすんなりとしたやわさがある。しかし病でも得ているのか、心ここにあらずといった様子で、三白眼に手を引かれるようにしてやってきた。
ふたりは舘の門番と押し問答をしたようだが、三白眼のほうが、霑膠の花押をしるした印札を持っていた。門番はそれを認め、ふたりを舘のうちに
潮っぽい海べりの舘は、折からの曇天でくろぐろと沈んでいる。湿った風の吹く客間で、三白眼は正面からはなぶしに対した。
おのれの名をすず、連れをきよと述べたあと、きっぱりと膝にこぶしをそろえる。
「霑膠は身まかりました」
まず発せられたのがそれである。はなぶしは、ほう、と眉を上げたのち神妙な顔をつくった。
「それは愁傷な。お悔やみ申し上げる」
「恐れ入ります」
「で、なにゆえ霑膠どのは亡くなられた」
「九頭の乱に加わりました。それで方々より怨みを
はなぶしは、ふたたびほうと声を上げた。霑膠がそうした荒ごとに首を突っ込むとは、意外なこころもちがしたためである。
はなぶしの知る霑膠は、いつも
そうした男の中に煮えたぎる何かがあったのかと思えば、人は見かけによらぬものと嘆じたくなった。
「霑膠どのにも、いろいろとおありだったのであろうなあ」
「さて。
すずは、すでに師僧の死を割り切っているようであった。それよりもおのが先ゆきを定めんと欲し、一夜の宿をもとめた。礼はおのれの見聞を以て、とささやく。
「倉間守たるはなぶし様におかれましては、九頭、そして
「……ふむ」
はなぶしは是とも否ともいらえなかったが、すずの
目と鼻の先にある九頭の趨勢は、つねにはなぶしの心にかかっている事柄である。はなぶし自身も間者は幾たりか放っているが、乱のただなかから飛び込んできた客人の言とあらば、いったんは聴いてみたい。
はなぶしは顎をさすりつつ、鷹揚なしぐさで頷いた。
「まあ、遠路はるばる疲れておられよう。今宵はゆるりと休んでゆかれるがよい」
そうねぎらうかたわら、はなぶしはすずの脇に座すきよという僧侶へ目をやった。連れてこられてから口をきかず、魂のあくがれでもしたかのように茫洋としたまなざしをしている。
しかし、かえってこうしたしどけなさに気を惹かれるものがあった。この若僧はなにとなく、けだものとしての男の欲をくすぐるところがある。
――ちくと、摘まんでみたいものだ。
はなぶしが値踏みしていると、遠海でどろどろと雷が鳴り始めた。
やがて鋭い光が弾け、地が鳴動する。その稲光を取り込んだかのように、すずのまなこも暗く底光りした心地がした。
*
夜半である。
はなぶしはおのれの室を出、客人の寝間に向かっていた。きよという僧侶を夜這うためである。
このために、連れのすずとやらは別の寝間へ案内しておいた。すずは初め渋っていたが、室はあるのだからと強いて勧めて引き離したのである。夕餉には眠り薬も仕込んでおいたので、妨げにはならぬだろうと思われた。
この悪天であれば、誰が少々騒ごうとも気づかない。あつらえ向きの晩だと心が逸った。
「……きよ殿」
客の寝間にたどりつき、念のため外から声をかけてみる。いらえはなく、はなぶしは安堵して室にすべり込んだ。
几帳で囲われた室のうちで、夜具に収まった若い男が眠っている。
持ち歩いていた手燭をかざすと、その顔はほの暗い灯の下でいっそう白々と、またいとけなく見えた。ようやく童から抜け出したばかりのような、と思えば、その若やかな肌をねぶる楽しみに喉が鳴る。
はなぶしは灯を消し、夜具をまくり上げてきよの隣に入り込んだ。魂があくがれればぬくみも去るのであろう、熱のこもっていない
はなぶしは指のあいだに指をからめ込むようにして、きよの手をさすった。
――おう、冷たい。哀れよの。そなたに何があったか知らぬが、わしがぬくめて進ぜようぞ。
はなぶしはきよに覆いかぶさり、耳元へ唇を寄せた。
磯の香りに混じって、清水のようなあわい碧の匂いがする。これがこの若僧の匂いらしい。はなぶしは胸いっぱいにその香を吸い込み、きよの耳朶を食もうとした。
そのときだった。
「動くなよ」
うなじに、ひやりとしたものが当たった。それが小刀の刃だと察し、息が止まる。次いで声を上げかけた口をすばやく塞がれ、羽交い絞めにされた。
「――!」
闖入者は腕一本でぐるりとはなぶしの身を転じさせ、床に叩きつける。はなぶしは闇の中にうっすらとその姿を見、心のうちで叫んだ。
――すず殿!
「まったく、こいつは難ばかり拾うてくる」
すずは冷えた目で吐き捨てながら、隣のきよへ横目を遣った。
きよは変わらず、頼りなげな表情で眠っている。すずはふんと鼻を鳴らし、改めてはなぶしの喉元に小刀を突きつけた。
「路銀を寄越せ。俺たちの行き先は口外するな。さもなくば斬る」
すずは刃をすべらせ、はなぶしの魔羅に押しあてた。とっさに喉が引きつれる。
まさかそんなことはすまいという思いもあったが、すずはそれを見越したように刃を走らせた。
「う――ッ!」
衣が切れる。夜風が肌に触れ、おのずと魔羅が縮み上がった。はなぶしは惑い、目だけをきょろつかせてすずを見上げた。
――なぜ。寝酒は飲んでいたと家人が言うておったのに。
「酒なぞ、含んだふりをして捨てたさ。おまえさんがこいつを狙うているのはわかっていたゆえな」
どん、と外で雷が落ちる。
その光に照らされ、すずのまなこが金の憤りを帯びて見えた。狐めいた三白眼が細まり、低く宣する。
「こいつを害する者は、俺が殺す」
そうして刃が浅く鈴口に食い込んだ瞬間、はなぶしは
*
あくる朝、舘の家人たちは客の寝間で
はなぶしは床に座り込み、衣のはだけたまま空を眺めてぶつぶつと呟いていた。その魔羅の先は、皮一枚引き伸ばすようにして小刀で縫い止められているのだった。血と尿の混じった臭いが、室のうちに立ち込めていた。
家人は泡を食い、どうやら昨日の客人たちが手を下したのだと察する。急いでその行方が探されたが、結局のところ、杳として知れなかった。
はなぶしは関守を退き、甥にあたるあざかという者が後を継いだ。
あざかは光明教を厭い、
白梅異聞 うめ屋 @takeharu811
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