倉間関

――少しばかり、食指が動いただけだったのだ。


 倉間関くらまがせき関守、の舘である。

 倉間は真奈まな本島の西端にあり、海峡をへだてて九頭くず島とのあいだを結ぶ関である。つ海から真奈へ至る門口でもあり、九頭の大湊に次ぐかなめの地であった。

 その地を守るはなぶしの舘に、ふたりの客人が訪れた。

 今春より九頭で起こった領主と光明教の乱――のちの世に九頭島の乱と呼ばれる争いを逃れてきた、若き僧侶たちである。

 ふたりは、かねてよりはなぶしと親交のあった師僧、霑膠てんこうの弟子であると語った。

 いずれも身なりは中肉中背、ようよう二十歳になりかけたかという年ごろである。ひとりは抜け目のなさそうな三白眼に、かたくなそうな眉と手足の肉づきをしている。

 いまひとりは清げな目をして、肩やうなじの線にすんなりとしたやわさがある。しかし病でも得ているのか、心ここにあらずといった様子で、三白眼に手を引かれるようにしてやってきた。

 ふたりは舘の門番と押し問答をしたようだが、三白眼のほうが、霑膠の花押をしるした印札を持っていた。門番はそれを認め、ふたりを舘のうちにないしたのである。

 潮っぽい海べりの舘は、折からの曇天でくろぐろと沈んでいる。湿った風の吹く客間で、三白眼は正面からはなぶしに対した。

 おのれの名をすず、連れをきよと述べたあと、きっぱりと膝にこぶしをそろえる。


「霑膠は身まかりました」


 まず発せられたのがそれである。はなぶしは、ほう、と眉を上げたのち神妙な顔をつくった。


「それは愁傷な。お悔やみ申し上げる」

「恐れ入ります」

「で、なにゆえ霑膠どのは亡くなられた」

「九頭の乱に加わりました。それで方々より怨みをったらしく、首を斬られる始末に」


 はなぶしは、ふたたびほうと声を上げた。霑膠がそうした荒ごとに首を突っ込むとは、意外なこころもちがしたためである。

 はなぶしの知る霑膠は、いつもねぶたげな半眼の奥から、さびさびとしたまなざしで世を眺めているような男だった。身も心も枯れかじけ、齢以上にしなびた老木のごとき静けさがあったのである。

 そうした男の中に煮えたぎる何かがあったのかと思えば、人は見かけによらぬものと嘆じたくなった。


「霑膠どのにも、いろいろとおありだったのであろうなあ」

「さて。他人ひとの心のうちは誰とても量れませぬ。もしやすると当人にも」


 すずは、すでに師僧の死を割り切っているようであった。それよりもおのが先ゆきを定めんと欲し、一夜の宿をもとめた。礼はおのれの見聞を以て、とささやく。


「倉間守たるはなぶし様におかれましては、九頭、そしてつ国の動きはいくら存じていらしても足りぬくらいでしょう」

「……ふむ」


 はなぶしは是とも否ともいらえなかったが、すずのいいは真実ではあった。

 目と鼻の先にある九頭の趨勢は、つねにはなぶしの心にかかっている事柄である。はなぶし自身も間者は幾たりか放っているが、乱のただなかから飛び込んできた客人の言とあらば、いったんは聴いてみたい。

 はなぶしは顎をさすりつつ、鷹揚なしぐさで頷いた。


「まあ、遠路はるばる疲れておられよう。今宵はゆるりと休んでゆかれるがよい」


 そうねぎらうかたわら、はなぶしはすずの脇に座すきよという僧侶へ目をやった。連れてこられてから口をきかず、魂のあくがれでもしたかのように茫洋としたまなざしをしている。

 しかし、かえってこうしたしどけなさに気を惹かれるものがあった。この若僧はなにとなく、けだものとしての男の欲をくすぐるところがある。


――ちくと、摘まんでみたいものだ。


 はなぶしが値踏みしていると、遠海でどろどろと雷が鳴り始めた。

 やがて鋭い光が弾け、地が鳴動する。その稲光を取り込んだかのように、すずのまなこも暗く底光りした心地がした。



 *



 夜半である。

 はなぶしはおのれの室を出、客人の寝間に向かっていた。きよという僧侶を夜這うためである。

 このために、連れのすずとやらは別の寝間へ案内しておいた。すずは初め渋っていたが、室はあるのだからと強いて勧めて引き離したのである。夕餉には眠り薬も仕込んでおいたので、妨げにはならぬだろうと思われた。

 しとみの外からは、がらがらと風雨の音がしている。なまめいた磯の香りも折々にうち寄せてきた。

 この悪天であれば、誰が少々騒ごうとも気づかない。あつらえ向きの晩だと心が逸った。


「……きよ殿」


 客の寝間にたどりつき、念のため外から声をかけてみる。いらえはなく、はなぶしは安堵して室にすべり込んだ。

 几帳で囲われた室のうちで、夜具に収まった若い男が眠っている。

 持ち歩いていた手燭をかざすと、その顔はほの暗い灯の下でいっそう白々と、またいとけなく見えた。ようやく童から抜け出したばかりのような、と思えば、その若やかな肌をねぶる楽しみに喉が鳴る。

 はなぶしは灯を消し、夜具をまくり上げてきよの隣に入り込んだ。魂があくがれればぬくみも去るのであろう、熱のこもっていないとこである。

 はなぶしは指のあいだに指をからめ込むようにして、きよの手をさすった。


――おう、冷たい。哀れよの。そなたに何があったか知らぬが、わしがぬくめて進ぜようぞ。


 はなぶしはきよに覆いかぶさり、耳元へ唇を寄せた。

 磯の香りに混じって、清水のようなあわい碧の匂いがする。これがこの若僧の匂いらしい。はなぶしは胸いっぱいにその香を吸い込み、きよの耳朶を食もうとした。

 そのときだった。


「動くなよ」


 うなじに、ひやりとしたものが当たった。それが小刀の刃だと察し、息が止まる。次いで声を上げかけた口をすばやく塞がれ、羽交い絞めにされた。


「――!」


 闖入者は腕一本でぐるりとはなぶしの身を転じさせ、床に叩きつける。はなぶしは闇の中にうっすらとその姿を見、心のうちで叫んだ。


――すず殿!

「まったく、こいつは難ばかり拾うてくる」


 すずは冷えた目で吐き捨てながら、隣のきよへ横目を遣った。

 きよは変わらず、頼りなげな表情で眠っている。すずはふんと鼻を鳴らし、改めてはなぶしの喉元に小刀を突きつけた。


「路銀を寄越せ。俺たちの行き先は口外するな。さもなくば斬る」


 すずは刃をすべらせ、はなぶしの魔羅に押しあてた。とっさに喉が引きつれる。

 まさかそんなことはすまいという思いもあったが、すずはそれを見越したように刃を走らせた。


「う――ッ!」


 衣が切れる。夜風が肌に触れ、おのずと魔羅が縮み上がった。はなぶしは惑い、目だけをきょろつかせてすずを見上げた。


――なぜ。寝酒は飲んでいたと家人が言うておったのに。

「酒なぞ、含んだふりをして捨てたさ。おまえさんがこいつを狙うているのはわかっていたゆえな」


 どん、と外で雷が落ちる。

 その光に照らされ、すずのまなこが金の憤りを帯びて見えた。狐めいた三白眼が細まり、低く宣する。


「こいつを害する者は、俺が殺す」


 そうして刃が浅く鈴口に食い込んだ瞬間、はなぶしは尿ゆまりを漏らしていた。



 *



 あくる朝、舘の家人たちは客の寝間でうつけと化している主人を見つけた。

 はなぶしは床に座り込み、衣のはだけたまま空を眺めてぶつぶつと呟いていた。その魔羅の先は、皮一枚引き伸ばすようにして小刀で縫い止められているのだった。血と尿の混じった臭いが、室のうちに立ち込めていた。

 家人は泡を食い、どうやら昨日の客人たちが手を下したのだと察する。急いでその行方が探されたが、結局のところ、杳として知れなかった。

 はなぶしは関守を退き、甥にあたるという者が後を継いだ。

 あざかは光明教を厭い、朝廷みかどの側に与する。倉間関がすめらみことの手に渡ったことで、九頭の乱はより早く収束の気配をみせた。

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白梅異聞 うめ屋 @takeharu811

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