鳥たちは語らう

木戸相洛

鳥たちは語らう

鳥型のバイオロボが肩にとまり、俯く僕の顔を覗き込む。丸みを帯びた体とふわふわの羽からは、これが回路を兼ねた炭素骨格と人工的な遺伝子デザインで肉付けされた有機ロボットだとは想像できない。

「ピーちゃん」

名前を呼んで撫でると嬉しそうに目を細めた。

あんなに地球の話をしてくれたのに、どうして連れて行ってくれないんだ。


透き通った青い海

オレンジに染まる空

みずみずしい葉を揺らす木々


ディスプレイに表示される美しい地球の景色たちは僕の心を癒してくれる。

「お父様とケンカしたんですか」

鳥のさえずりに僕は小さくうなずく。話したり聞いたり、勉強を教えてくれる頭のいいピーちゃんの脳みそは僕の小指の爪より小さなチップでできていることを僕はまだ信じきれていない。

どうしてこんなにも怒っているのかは自分でもわからない。

お父さんは生物学者だ。地球じゃない星で生物を見つけるために宇宙を動き回っていて、僕もそれについてまわっている。僕はあまり頭がよくないから、それ以上のことは知らない。

どの星が一番好きか訊くと、父は決まって「地球」と答えた。そして綺麗な地球の写真や動画を見ながら、たくさん地球の話をしてくれた。初めて地球の写真を見せてくれたときは、

「地球には色があるんだよ」

「ここにも色はあるよ」

 僕は教えてあげる。

「そうだね。でも毎日同じ時間に点いては消える人口光源に照らされた居住船にはない、グラデーションで変化する自由な色が。ジョン、君は色をいくつ言えるかな」

「ええっと、白、黒、赤、黄、灰色、金、銀」

 僕は周囲を見渡して目に入った色を言った。

「地球にはもっとたくさんの色があるんだよ。青、緑、オレンジ、茶色。数えきれないくらいもっとたくさんだ。ジョンが見たことも聞いたこともない色や言葉になっていない色もある。言葉は近似なんだよ。言葉をたくさん知っていればいるほど正確に表現し、伝えることができる。」

 そう言って僕は初めて地球の写真を見せてもらった。最後のほうはよくわからなかったけど、鈍い金属の色とその光沢、それにいくらかの原色でできた無機質な居住船での生活しか知らない僕は胸を躍らせた。僕が見たこともないものが地球にはあるんだ。

「地球に行きたい」

なんどもお願いしてみたけど、お父さんは困ったような顔をして

「ごめんな。父さんは忙しいんだ。また今度な」

と言うばかりだった。たまに近所の惑星に行くことはあったけど、何日もかかる地球には行けていない。最近は地球の話もあまりしてくれなくなった。

さっきも久しぶりに帰ってきたから地球旅行をおねだりしたが、どうしてもダメだと言われた。

「お父さんのバカ」

癇癪を起した僕は小さな宇宙船に乗り込み、初めての家出をした。といっても居住船につながれて近くを漂うだけのことだ。

「お父様は意地悪しているわけじゃないと思いますよ」

「そんなの言ってくれなきゃわからないよ」

「あなたはお父様のお話を聞こうとしたのですか」

「聞こうとした」

「本当にしましたか」

涙の滲む目をこする。

「あなたはお父様に、思いを言葉にして伝えましたか」

僕はなにも答えられない。

「伝わるのは思いではなく言葉なのです。あなたが言葉にしなかった思いのように、お父様にも思いがあるんです」

言葉は伝えたいことの近似である。

 その意味がやっと、少しだけわかった。

「どうすれば仲直りできるかな」

「言葉はなにかを共有するための伝えるためのものです。人はずっと昔からなにかを共有することを大切にしてきましたから」

「でもなにをすればいいのか...」

「実はお父様も地球に行きたいのですよ」

「ほんとに」

僕は思わず声が大きくなる。

「ええ、あなたと同じように毎日地球の映像を見ているようです。忙しくてそうもいかないだけで」

「僕も地球にいって、地球の話ができたらいいな。そして次は一緒に行くんだ」

「なにかお土産があれば、もっと喜びますよ、地球の座標を検索してみますね」

ピーちゃんは電源が切れた時みたいにしばらく微動だにしなかった。

「ありました。お父様の行動履歴に残っていましたよ。少し苦労しましたけど」

そう言うとピーちゃんは座標を入力した。

(0,0,0)

「こんなに単純なの」

僕は思わず笑った。ピーちゃんもおかしがっているようだ。公転する地球基準の座標系は今となっては時代遅れにも思える。

「さあ、美しき地球へ出発しますよ」

小さな宇宙船は人類の故郷「地球」へと歩み始めた。


3時間前の記録です。

私は絶望した。頭がよくて聞き分けがいいから息子が家出をするなんて考えてもいなかった。

「あのバイオロボットのAIは最近できた教育用の、それもプロトタイプですから」

秘書AIも私を慰めようとしているのだろうが、すでに言葉を失っている。子供を家出に誘うAIがどこにある。しかも居住船との有線を切り離して地球に旅立つなんて。

「あの小型宇宙船の燃料では地球から帰ってくることはできません。地球での燃料補給も不可能ですから」

 それはそうだろう。もはや今地球には人は、——もしくは全生物は——存在しない。核戦争で無数の爆発が起きて、地球はもう美しい星ではなくなった。息子に見せてきたような地球の姿はもうない。それを知っているから連れていくこともできなかったし、それを伝えることもできなかった。私はそのために息子から夢を奪いたくはなかった。強烈な爆風と熱線で赤く焼き付けられたクレーターが広がり、その上を黒い雨が流れる。その先には厚い雲を反射する鉛色の海が波打ち際の魚の死骸を繰り返し洗う。あの輝く瞳にそんな世界を映したくはなかったのだ。

宇宙で最大の拠点である地球を失い、居住船というかごの中の鳥となった人類はぴーちくぱーちく話し合った結果、新たな拠点となる惑星をみつけることが喫緊の解決すべき問題であると決めた。

かくして私はそれにちなんだ部署へ移動し、人類の命運を握る重要な仕事をこなすためにジョンと接する機会は少なくなった。もうお目にかかれない地球についての追求をうけなくてすんだのだ。それが今回の騒動につながるのだが。

「とにかく追いかけよう」

秘書AIの言葉を聞かずに、すぐに船を発進させた。

言葉には力がある。

世界を描き、思いを伝える力が。大空を飛ぶ鳥のように、私たちは言葉の空で語り合う。

次会うときには必ず伝えよう。真実と私の思いを、言葉にして。

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