パズル [Flower Voice Collection 小説シリーズ3]

はいしょう 虹音

第1話 風采

 その頃は、まだ男だった。

 小春日和の暖かい日、私は休学届を提出した。

 まだつぼみが色づく前の桜並木を歩いて、門の前で立ち止まった。

 エンカレのあの時計がちょうど4時を指して鳴っているのを見ていた。


 風に舞って足元に何が落ちた。

『受験票 18-00181番』


 拾い上げると同時に元気な女の子の声が聞こえた。


「すみません。ありがとうございます!」

 駆け寄って来るその子の後ろにネイビーカラーのオーラをまとった男の子がいた。

「はい。」

 受験票を渡すとぺこりと頭を下げて、また校舎の方へ戻って行った。


 ・・・受験かぁ。懐かしいな。

 入学した頃と夢は何も変わってない。

 だから、休学を選んだ。


 あれから2年。やっとまた夢に向かって進める。

 復学届を提出した帰り、早めの満開の桜を眺めながら歩いて帰った。


 学校から少し離れたとこにある公園に大きな枝垂桜があった。

 まだ1分咲き程の桜でも儚さを感じて、木の下でしばらく見上げていた。


 大きな声ではなかったけど、男女の声が聞こえてそちらを見た。

 女の子が立ち去って行くのが見えた。

 残された男の子が空を見上げていた。

 私もなんとなく空を見上げる。


 キレイな蒼空。視線を戻すとその彼が立ち上がった。

 あれ?

 もしかして・・・ネイビーオーラの子だ。


 私が休学届を出した時に見たオーラはネイビーではなく、黒紫色に変わっていた。

 急に立ち上がった彼と目が合った。

 視線を逸らすことができなかった空間から逃げるように、私は歩き出した。


 家に帰ってからまだ片付いていない部屋の段ボールを開けた。

 元々そんなに荷物も多くなかったから、1時間ちょっとで片付けが終わった。

 そして、掻いた一汗をシャワーで流した。


 これからのことを考えてワクワクしながら、お茶を飲む。

「あー。疲れた!」

 ご機嫌で一つ伸びをした。

「お腹空いたな・・・。」

 独り言も楽しく感じてきた。

 外行きの服に着替えてバッグを掴んでコンビニへ向かった。


 サラダとサンドイッチを買ってコンビニを出る時・・・

「あっ」

 さっき公園で会ったあの彼とすれ違って思わず声が出た。


「えっ?・・・・・あっ」

 もしかして・・・覚えててくれた?

 でも、もしかしたら覚えてたのは男だったころの私の方かもしれないし・・・。

 いろんな考えが駆け巡る。

 恥ずかしさからとりあえず笑ってごまかして、その場を去った。


 2年前の休学届提出する時に受験してたってことは、合格してれば次3年生?

 でも、さっきの公園にいたってことは、エンカレ合格したってこと?

 ・・・ということは?授業一緒になるかも?


 何度も辻褄合わせをしてみたけど、どれも確信が持てなかった。

 コンビニで買ったサンドイッチを食べながら、ぐるぐるといろんなことが巡る。


 ~♪


 そんなぐちゃぐちゃになりそうな思考を遮るにはいいタイミングで電話が鳴った。

「もしもし、パパ?どうしたの?」

『明日、ゆりとイタリアン行くんだけどメイも一緒にどう?』

「私、お邪魔していいの?」

『ゆりも久々にメイに会いたいって。』

「じゃあ・・・行く。」

『おっけー!明日12時にムーメントで。』

「うん。わかった。』

『じゃあ、明日。』

「うん。明日ね。」

 久しぶりにパパに会うのが彼女連れだなんて、なんだか気が引ける。

 そう思いながらも、明日着ていくジーンズに白いシャツにスニーカー・・・嫌いな服を用意した。


「メイ。」

 そう言って笑顔で手を挙げるパパ。隣には真っ赤な口紅のゆりさんが嬉しそうに大きく手招きをしている。

「メイちゃん!またキレイになったね。」

 上辺の言葉を私に言いながら、前のめりでペタペタと肩を触る。

 笑う事しかできなかった私は静かに席に着いた。

「明日から復学だよな?」

「うん。」

「大丈夫か?」

 パパの顔は、心配というより“応援”してる顔だった。

「大丈夫。」


 大丈夫。今度は、頑張れる。

 きっと男だった私を知ってる人はいないはずだもん。

 ふとネイビーオーラの子が浮かぶ。


 ゆりさんはまるで“パパの奥さん”みたいにベッタリくっついていた。

 ・・・好きじゃない。本当は、この口紅の色も派手な服装も奇抜な髪形も香水の匂いも。

 パパがなんでママと別れてこの人と一緒にいるのか、未だに理解できない。

 苦痛を伴うパパとのランチも残すはデザートで終わり。


「メイ、明日からまた夢に向かうんだろ?」

「うん。」

「じゃあ、笑顔でいないとな。」

 優しく頭を撫でたパパの手をそうっと掴んでテーブルに置いた。

「パパ、ありがとう。私もう行かなきゃ。」

「また連絡する。」

「ごちそうさま。」

「メイちゃん、またね♪」

 私が先に帰って清々してるのかもしれない。

 淋しさの欠片もないゆりさんに振り向きながら作り笑顔で頭を下げた。


 帰りの電車で眠くもないのに目を閉じた。

 この2年間、自分と葛藤しながら、女優の夢を捨てずに生きてきた。

 だから、今度こそは・・・・・・逃げない。絶対に。


 降りる1つ前の駅を発車した後、目を開けて見ていた車窓には満開の桜が川に沿って咲いていた。


 帰ってすぐに長めの半身浴をした。

 汗と一緒に今日の弱さを流して、明日からの新しい生活に備えた。


 久しぶりのエンカレに不安と期待が入り混じる。

 早く目が覚めて念入りにメイクもした。

 鏡の前の自分は、本当の自分・・・・・・。

 にっこりと笑ってみた。


 まだ人がほとんどいない校内をぐるっとお散歩をしていた。

 2年前まで昼休みを過ごしていたひと気のないベンチ。

「まだあった・・・。」

 私の“居場所”みたいで嬉しくなって座ってみる。


 時計を見るとダンスレッスンの30分前になっていた。

 更衣室の前でどちらに入っていいのかわからなくなって、とりあえず演技棟の奥のトイレに逃げ込む。


 トイレを出ようとした時、誰かが入ってくるのがわかった。

 すぐに照明を消して顔が見えないようにキャップを目深にした。

 その男の子は気付いてないようだった。

 男子トイレを出ると急いで女子更衣室に向かった。


 更衣室にいた一人の顔も見ずに慌ただしくロッカーに荷物を押し込んで、レッスン室の前で一呼吸を置く。

「おはようございます。」

 まだまばらに座っている人たちの視線を感じながら、後ろの端の方へ座った。


 ストレッチに集中して、体と心を整えた。

 レッスンの10分前になって、続々と入って来た。

 飛び交う“おはよう”のコールに、顔を見ずにレスポンスしていた。

「あっ。」

 突然、自分の方に向かってきた小さな言葉に反応して顔をあげた。

 想定内のはずなのにできたレスポンスは笑顔だけだった。


「アキ君、おはよー!」

 隣に座っている女の子が、ネイビーオーラの彼に話かける。


 名前、アキさんって言うんだ。

“ネイビーオーラの彼”から“アキさん”に上書きする。


 視界の端っこでアキさんの存在を感じながら、体の準備をしていた。

「みんな、おはよう。準備できてますか?」

 そう言いながら入ってきた先生はダンサーというよりはアスリートのように爽やかだった。

「おはようございます!よろしくお願いします。」

 周りに足並みを合わせるように挨拶をしてみた。

 本当は後輩なんだよね・・・。

 ダンスレッスンも休学までは受講してた・・・のに、心に少し余裕がなかった。

「急きょ、このレッスンを担当することになりました ライ です。よろしくお願いします。」

 急に先生が変わったんだ。

 ちょっと上の空で2年前のレッスンを思い出しそうになって、自分が勝手にブレーキをかけた。

「始める前に新しい仲間がいるから自己紹介してもらおうかな。」

“Stand up”のジェスチャーを私に向かってしていた。

「メイです。夢を叶えるために復学しました!よろしくお願いします。」

 ・・・それ以上は言えなかった。

 こういう時の“困った”に笑顔を作る癖は嫌いじゃない。

「じゃあ、早速レッスン始めようか。」

 スイッチが入ったようにそこにいた全員の目つきが変わった。

 すぐに音楽が鳴り出して、ステップのお手本をライ先生がして見せた。

「シャッフルから~!5、6、7、8!」

 続けてカウントが入ると、足並みそろえて動き出す。


 単純なステップから段々と複雑になっていく。

 集中しないとついていけなくなってしまう。


 合間にちょっと休憩を挟みながら、あっという間の90分。

 途中で頭が真っ白になっちゃったな。

 ランニングと筋トレしないとついていけなくなちゃいそう・・・。

 久しぶりのエンカレの授業でまた課題が増えた。


 終わってすぐに余韻に浸る間もなく誰もいない女子更衣室へ戻った。

 誰かが来る前に着替えて、近くのコンビニでおにぎり2つを買ってベンチに戻った。


 2年前はこのベンチでよく泣いたり悔んだりしてたけど、今は平和。

 ベンチの後ろに咲いてる沈丁花ちんちょうげの香りが風に乗って鼻をくすぐる。

「ニャー」

 たまに見かけるキジトラ猫が珍しく私の足元にゴロンしてる。

「ね。ねこちゃんも平和だね。」

 返事することもなくご機嫌にしっぽをたなびかせてる。

 食堂に入っていく楽しそうな声が聞こえて、自分に言い聞かせる。


 午後の授業の前に図書館へ向かった。

 ヘルス関係の本が並んでるエリアで、筋トレの仕方を調べた。

 ・・・体の作りは男なんだよなぁ。


 復学初日はよくわからないうちに終わった。

 翌朝は少し早く登校した。

 ─コンコン

「はい。」

 中から2年前と変わらないサエ先生の声がした。

「失礼します。」

「メイさん!よかった戻ってきてくれて。」

 そう言ってサエ先生はハグをしてくれた。

 ずっと、私の悩みを聞いてくれてたエンカレで一番信頼してる先生。


「サエ先生、今日からまたよろしくお願いします。」

「すっかりキレイな女の子になったわね。」

 目を細めて、まるで母のように頭を撫でてくれた。

「ありがとうございます。体は・・・男ですけど、心と見た目だけは女の子です。」

 サエ先生との時間はすぐに巻き戻った。

「メイさん、どうする?自己紹介する?」

「はい。サエ先生がいてくれるから、自信持って女の子でいられます。」

「じゃあ、演技室に行きましょうか。」

 聖母のように微笑んで、私の肩を揉むようにぎゅっと掴んだ。


 演技実習室に入ると昨日のダンスレッスンの授業にもいた子が何人かいた。

「おはよう。今日から一緒に実習受けることになった女の子紹介するね。」

 いつもそう。男だった頃から、ちゃんと女の子として接してくれる。

「昨日ダンスレッスンの授業も一緒だった人もいると思いますが、メイです。休学前もサエ先生の実習でお世話になってました。みなさん、よろしくお願いします。」

 頭を下げると12人の小さな拍手が聞こえた。

「せっかくだし、練習も兼ねてみんな30秒自己紹介しようかな。最初はやっぱりルカさんからお願い。」


 あの子も昨日いた気がする。ルカさんって言うんだ。

「ルカです。よろしく。」

 たったそれだけしか言わないルカさんの温度に冷たさを感じた。

 すぐに隣に座っていた子が立ち上がる。


 もしかして・・・・・・

 この子、休学届の日、受験票拾ってあげた子?

 そうだ。アキさんと一緒にいた子だ。


「初めまして、ジュリです。昨日、ダンスレッスン一緒だったの覚えてるかな?私が目指してるのは舞台女優・・・で、声が大きいので気にしないでください。」

 すごく元気に挨拶してくれたジュリさんが少し気になる。

 微塵みじんのもやもやを抱えている間に自己紹介が終わっていた。


「おっけー!じゃあ、今日はエチュードやるから3人グループに分かれて。メイさんはジュリさんとレンさんと組んでね。」

 前みたいにひとりぼっちにならないようにサエ先生が何気なく指示だしてくれたことに心がぽかぽかした。


「よろしくね。」

 小声で言った童顔のレンさんが優しく微笑む。

「よろしくお願いします。」

 その表情につられて微笑み返す。

「メイでいいよね?よろしくね!」

 ジュリさんもとても優しく受け入れてくれた。


「エチュードのテーマ!扇風機。ルカさんチームからお願いします。」

 相変わらずトリッキーな即興テーマを振ってくるサエ先生の授業は、本当に勉強になる。

 1チーム20分の持ち時間でそれぞれの個性であっという間に1時間半経った。

 久しぶりのエチュードも体と口が覚えていただけで、頭は空っぽだった。


 疲れとすっきり感を感じながら家に帰る途中でスマホが鳴る。

「もしもし。」

『カフェ・フローレのジョーです。メイさんですか?』

「はい。そうです。」

『アルバイトの応募もらったので面接したいんですが、明日か明後日、ご都合どうですか?』

「明後日の午後でしたら大丈夫です。」

『では15時に来ていただけますか。』

「わかりました。ありがとうございます。」

『では。明後日お待ちしてます。』

 電話を切って、そのまま家まで歩いて帰った。


 近くのコンビニに寄ると外で立ったまま缶コーヒーを片手に一点を見つめるアキさんが見えた。

「こんにちは。」

 私に気付いてなかったアキさんが目を丸くする。

「あっ。なんで?」

 そうだよね。私の名前までは興味ないよね。

 ちょっと恥ずかしくなって、嘘が出てしまう。

「えっと・・・アキさんだっけ?」

 ぽかんとするアキさんに何故か自分の事を話してしまう。

「近くに住んでるの。」

「・・・俺も。」

 まさかの答えに私の方がぽかんとしてしまう。

 悟られまいと頭フル回転で話題を探した。

「アキさん、今日授業ないの?」

「あー、サボり・・・。」

 ちょっと気まずそうに視線を外す、アキさん。

「そっか。そういう時あるよね。」

 なんだかアキさんが可愛く思えた。


 もう少し話していたくて、アキさんが缶コーヒーを飲み干す前に急いで牛乳を買って戻る。

 ちょうど缶コーヒーを飲み終えたアキさんとどちらからともなく、一緒に歩き出した。

「アキさんは家どっち?」

「こっち。」

「じゃあ、一緒だね。私すぐ近くだけど。」

 家の方向も一緒だったら、コンビニ以外でも偶然会ったりするのかな。

 わくわくしている私がいる。

 アキさんは相変わらずクールな顔でポケットに手を突っ込んで歩いていた。

「一昨日もここのコンビニで会ったよね?」

 覚えてるかわからない日の偶然を提示してみた。

「あ・・・顔・・・覚えてたんだ。」

 意外そうな顔をするアキさんの言葉から、アキさんも覚えててくれたことがわかって調子に乗りそうになった。

「うん。クールな人だなって思って。」

 やっぱりカワイイとこある。小さく笑っちゃう。


 スマホをポケットにしまって、何気なくポケットから出したアキさんの左手の指先にマメがいっぱいできてる。

 ・・・手の甲に切り傷?

「もしかしてアキさんて、ギター・・・弾くの?」

 話がしたくて、思ってることが言葉に出てしまう。

「一応バンドやってる。」

「今度ライブとか行ってみたいな。」

 クールなアキさんのライブがかっこいいことぐらい簡単に想像つく。


 近くの交差点までくると、アキさんの右手の人差し指が方向を指す。

「俺、こっち。」

 嘘!?一緒?

「・・・私も。」

 こんなにも偶然が重なると“運命”を信じたくなる。

 いつも暴走しちゃって、気付くとフラれる。

 アパートの前でちゃんとブレーキかけられた。

「私ココ。」

「あ、じゃあまた。」


 夢。夢に向かってちゃんと歩かなきゃ。

 恋したって、心痛めるだけだもん。

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