第4話 村雨

「メイ!!!!!!」

 気付くとアキさんの腕の中にいた。

 よくわからなくなるほどの揺れが数十秒続いた。


「・・・地震、収まった?」

「そうみたい。」

 揺れが止まったのを確認した瞬間、アキさんと目が合う。

 このまま時間が止まってしまえばいいのに・・・。

「ありがとう。」

 我に返して、アキさんの胸を押し返した。

 ・・・のに、もっと深く腕の中にいた。

「メイ・・・。」

 私を呼ぶ声が聞こえたけど、怖くて顔を上げることができない。

 今顔を上げたら自分を止められなくなりそうで・・・。


 どうしよう・・・。


「メイ?」

 心配そうに名前を呼ばれた。

 動揺を隠せる気はしなかったけど、顔をあげた。


 アキさんの瞳に吸い込まれる。

 思わず目を瞑る。

 隙間を埋めるように唇が重なった。

 抵抗するつもりもなく、されるがまま・・・何度も。


 よぎる想い・・・アキさんはまだ私の事、何も知らない。

 いやな思い出が途端に押し寄せて、感情に歯止めをかけた。

「ごめん。」

「違うの!アキさんは、悪くない。」

 沈黙と共にこんないびつな事情がある自分が嫌いになりそうだった。


“今ならアキさんはまだ引き返せる”

 自分の良心がささめく。

 嫌われたくない想いを押し殺して、押し殺して、押し殺して・・・アキさんの手を取った。

 まだ取っていない“ソレ”にその手を当てがった。


 ・・・顔を見たら、言葉を受け取ったら、心がボロボロになってしまいそうだった。

「私、男なの。でも、心は女で・・・。」

 心を落ち着かせて、わかっている言葉を続ける、女優としての精いっぱいの笑顔を添えて。

「受け入れてもらえないよね。」

 明らかにフリーズしているアキさんが錆びついたように口を開ける。

「俺・・・・・・、メイは友達だし、好きだ。でも、混乱してる・・・。」

「ごめんね、私の事は・・・忘れて。」

 わかってた。わかってたんだ。最初からこうなるって。

 なのに、なんで、私浮かれてアキさんと仲良くなって・・・。

 でも・・・でも・・・

「アキさん・・・それでも、友達でいて?」

「わかってる。混乱してるのは自分自身のことだから。」

「ありがとう。」

 ありがとう、私に気を使ってくれて。


 本当に・・・・・・・・・バカだ、私。


 せめて今だけでも、何もなかったことに近づけたい。

 沈黙が喉を締める。

「そろそろ、出よっか。」

 時間に救われる。

 エレベーターの中はまるで酸素がないみたいに苦しくて、耳鳴りがしそうだった。


 カラオケを出たところでルカさんに出会でくわした。

「私、寄るところがあるので、また・・・。」

 ルカさんに弾かれるみたいに、ない予定を作った。


 その足でカフェ・フローレに向かった。

「いらっしゃ・・・メイさん、今日はバイトない日だよ?」

 私の顔を見るなり、ちょっと驚いた顔をしたジョーさんはすぐに笑顔になった。

「あの・・・今日バイトの日じゃないんですけど、働かせてください。今日のお給料はいただかなくていいので。」

 見抜かれてるのかと思うほどいつもより優しい顔で、私を見ていた。

「メイさん、今日は連休でお客さんもほとんど来ないし、たまにはお客さんとしてゆっくりしといで。」

 ちょんちょんとカウンターの奥のいつもノブさんが座ってる席を指差した。

「・・・はい。」

 嘘つけないな・・・。

 何も言わないけど、何かを察してくれてるんだろうな。


 椅子に座って10分ほどコーヒーの匂いでぼーっとしていた。

 お店には誰もいなかったけど、急に勢いよくドアが開いた。

 まったりとドアの方を向くと同時にすぐ隣に人影が見えた。

「メイさん!」

 声がする方を見上げた。

「サエ先生?!」

 サエ先生が椅子に腰かけようとするのと同時にカフェオレが二つ、出てきた。

「ジョーから“メイさん遊びに来てるから来い”って連絡あってぇ~!」

「ノブいないからって言ったら“10分で行く”だって。」


 楽しそうに笑う二人のやりとりに長い年月を感じる。

 見てるだけで心が落ち着いた。

「ちょっと買い出し行ってくるから、留守番だけお願いしてもいい?」

「えっ?お客さん残して行くの?!」

「クローズドにしてるし、お金取るつもりないから頼む。」

 笑顔にならずにいられないそのやり取りは羨ましいと思った。

「いってらっしゃい。」

 結局すんなり送り出したサエ先生は、ドアが閉まる音が終わるのを待って穏やかに私を見た。


「メイさん。なんかあった?」

「・・・やっぱりサエ先生にはバレてましたね。」

 楽しそうに笑いながらサエ先生も正直に話してくれた。

「ジョーがね、メイさんの様子がなんか変だから話聞いてやれって。」

「ジョーさんは懐が深い方ですよね。面接に来た時も”本当は男なんです”って言おうとしたら、“無理に話さなくていい”って言われました・・・。」

「昔っからジョーはそうやって察して、すーっと一歩引くのよね。だから、女からは“いい人”で終わるし、ノブみたいなよく喋る男においしいとこ持ってかれる。」

 半分になったカフェオレのふちを一周させながらサエ先生は話した。


 そう言ってくれたジョーさんの気持ちに応えなきゃいけない気がして、口を開く。

「サエ先生、私、またやっちゃいました。」

「やっちゃったって何を?」

 上塗りしていたさっきの出来事を簡単にサエ先生に話した。

 サエ先生は、真剣でもなく聞き流すでもなくちゃんと聞いてくれた。


 私の話しが終わると、サエ先生はほんのり口角を上げた。

「メイさんは、その男の子が好きなの?」

 直球だった。

 むしろ、今の私にとっては、剛速球のデッドボール。

 それでも見送ることも逃げることもできない。

「・・・好きです。どちらかと言えば、好きになることがいけなかったのに、好きだと気付いたら暴走してしまいました。」

 こちらを向くこともなく、サエ先生はカウンターからキッチンの天井へ視線を移した。

「好きになることは、いけないことじゃない。暴走してしまって苦しいのは自分だけ、それが間違っているとは限らない。それに性別も何も関係ない・・・でしょ?」

 デッドボールが痛すぎて涙が止まらない。

「失敗したっていいじゃない。それに気付けただけで、成長してる証拠よ。私だって自分の好きな人が自分のことを好きかもしれないと思ったら、きっと自分の嫌いなところとか先に知ってもらいたいって思うもん。それ知っても好きでいて欲しいから。」

 自分の気持ちを丸裸にされて、涙で何も見えなかった。

 嗚咽おえつしてる私をそっと抱きしめてくれた、きっととても愛おしそうに。


 涙が止まってまた笑えるようになった頃、見ていたかのようなタイミングでジョーさんが買い出しから帰って来た。

「せっかくだから、フレンチトーストでも食べて行って。」

「私作ろうか?」

「サエに料理させたらお腹壊しそうだからいらない。」

「はぁ?作れるわよ!焼くだけでしょ?」

「いいから座ってろ。」

 2人のやりとりが可笑しくてお腹を抱えて笑う私を見て、ジョーさんとサエ先生が少し照れくさそうにしていた。


 たぶん、“さっきまで泣いてました”ってぐらい目が腫れてるのに、笑わせてくれる大人の気遣いに癒された。


 週明け・・・指定席には私一人だった。

 最初から一人だったんだから。

 そう自分に言い聞かせて、いつもより早く更衣室に向かった。


 アキさんは来てない。

 一瞬でわかるほどしかいないレッスン室に入ると、いつも通りすぐにストレッチを始める。

「おはよう!メイちゃん。」

「おはようございます。」

「今日早いね!」

「早起きしたから。」

 いつも通り振る舞えてると思う。

「今日はアキ君と一緒じゃないんだね。」

「あ・・・はい。」

 笑顔のミクさんになんて言えばいいのかわからなかった。


 私だけ気まずく感じているとジュリさんとレンさんが入ってきた。

 ミクさんが眩しさに苦しくなって、二人になびいた。

「おはようございます。」

「おはよー!」

「アキくん、入院したんだって。」

 レンさんの言葉に飛び込んできたのはミクさんだった。

「えっ?どこの病院?!」

「アキのお母さんに聞いてみるよ。」

 みんなの言葉一つ一つに苦しくなる。


 アキさんが入院した。

 ジュリさんがアキさんのお母さんに聞く。

 その事実に何も言えずただ笑っていることしかできなかった。

 嫌な思い出がうずく。


 授業がどうだったとか誰と何を話したとかその日は何も覚えてなかった。


 翌日もいつもの指定席で入院しているアキさんを待った。

 朝も昼も。

 まだ退院していないのか・・・それとも私を避けているのか・・・。

 ぐるぐると頭をいろんなことが頭を巡る。

 それを遮るように、冷たい風が吹いて雨が降り出した。

 走って美術棟の非常階段に逃げ込む。

 通り雨なんだろうけど、4階ぐらいまで階段を駆け上がった。


 階段の踊り場から横殴りの雨に濡れながら講義棟の時計を見ていた、上がっていた息が収まるまで。


 少し早いけど演技室行こう・・・。

「クウさん?」

「おはよ。」

 ・・・いつの間に。

「お・・・はようございます・・・。」

「少なくともメイよりは早くいたけど。」

「えっ?」

「いつからいたの?って顔してたから。」

 油断してた。

 アキさんのことで頭いっぱいで、周りが見えてなかった。

 急に恥ずかしくなった。


 おもむろに立ち上がると階段を降りながらすれ違いざまに、私の頭にポンッと手を乗せた。

「授業始まる。」

 一瞬息ができなくなった。

 よくわからなくなって、クウさんが開けたドアを先に入る。


 エレベーターを降りたところでベルが鳴り始めた。

 リセットするように演技室まで走った。


 雨のせいか人がまばらだった。

 サエ先生の声も授業の内容も雷の音で打ち消されていた。

「もう今日はマイクがないと聞こえないわね。」

 スピーカー越しにやっと聞こえたサエ先生の声が現実に引き戻す。

「生徒もまだ揃ってないし、今日はクイズでもしようか。」

 豪快に笑う声につられて笑う。


 ・・・自分どこ行っちゃったんだろう。


 上の空のままクイズ番組のシミュレーションが始まる。

「バラエティ番組でも、“素の自分”っていう意外性あるキャラ設定は必要だから、そういう意味で演じてみて。あ、そうそう、身の丈以上の意外性は無理だから!そこ気をつけて。」

“素の自分”っていうキャラ設定か・・・。

 今の自分が素なのかすらわからないのに。


 ブレブレだな、私。

 間接的なボディブロウは身に沁みた。


「じゃあ、始める前に自分でノートにキャラ設定書いてみて。できるだけ細かく。どんな育ち、何が好きで、何が嫌いか。役を演じる時も同じ様に細かい設定を体に覚えさせるから、基本的には同じです!基になる部分が台本なのかそもそもの自分なのかの違いで演じる期間がだいぶ違うから、そこは本当の“素の自分”に無理がない程度にするのがポイントね。」

 一周廻って今の私。

 素の自分を演じているわけじゃないけど、2年前になりたい自分像を詳細に書いたのを思い出す。

 生まれや育ちは変えられない。


 何の前触れもなくアキさんがよぎる。

 それと同時に復学してから今日までのいろんなドラマも。

 ゆっくり息を吐いて、新しい空気を入れて、気持ちをフラットに。


 雨が止んで人が増えてきた・・・。

「おはよう。」

「おはようございます。」

 小声でレンさんに答える。

「雨凄かったね。」

 ホワイトボードを見てノートをさぐりながら上目遣いで微笑んだ。

「ジュリさんは一緒じゃないんですか?」

「今日アキくんのお見舞い行ってから来るって言ってたよ。」

「そう・・・。」

 また心が曇る。

「仲良いんだね」そう喉まで出かかった。

 知ってる、“くされ縁”だよね。

 まだ確認できずにいる2つのくされ縁。


「そろそろ書けた?」

 サエ先生の言葉と同時に後ろのドアが開くのがわかった。

「遅れました。」

 その声が私の胸を刺す。

 視線を感じるのは思い過ごしであって欲しい。

 足音が止まってルカさんはレンさんの隣の席についた。


「おはようございます。」

 心が縮む音がした。

「おはよ。ジュリは?」

「アキくんのお見舞い行くって。」

 何も言わず授業に集中し始めたルカさんに圧倒されそうになる。


 ルカさんの威圧感は2年前を思い出してしまうほど、冷たいものだった。

 今度は恐怖に支配されそうになって、短く息を吐いた。


 結局ジュリさんはその日、演技室には現れなかった。

 幸いにも、その日のバイトは客足が途絶えることもなくその意味を探らずに済んだ。


 水曜日も木曜日も来るのをいつもの指定席で待った。

 金曜日は雨だった。

 指定席を通ってみたけどいるはずもなく、通り過ぎてなんとなく美術棟の非常階段に向かった。


「おはよ。」

 階段に座り込んでいたクウさんが予想できたはずなのに内心戸惑う。

「おはようございます。」

「座らないの?」

 促されたのかわからず、とりあえずクウさんの2つ上の段に座った。

「肺炎だって。」

「・・・アキさん・・・ですか?」

 クウさんは首を縦に振っただけで、その後はまた何も喋らなかった。

 まるで、私の心を読んでいるかのようで隠すのが無駄に思えた。


「あの、クウさん。」

 特に返事もなく空を眺めているクウさんを気にも留めず続けた。

「ずっと気になってたんですけど、私が性同一性障害ってなんで気付いたんですか?あの時、初めて会いましたよね?」

「その2日前に男子トイレですれ違ったから。」

 こちらを向くこともなく淡々と答えた。

 復学したダンスレッスンの時。

 確かに男の子とすれ違ったけど・・・電気消してたし、キャップ目深にして下向いてたし・・・。

「そうだとしてもあの時、顔見えなかった・・・はずですけど・・・。」

 自信がなくなる、丸裸にされてるようで。

 考えているのか少し間を置いてからクウさんは口を開いた。

「PA実習の時、花の匂いが同じだったから同じ人だなって。・・・あと、小さいけど喉ぼとけが出てるから、そうかなって。」

 ぐうの音も出ない。

 女の子になってから気付かれたのは初めてだった。


 足元を見ていた視線をまた空に移して、ぽつんと呟いた。

「好きなんだよね、あの匂い。」

 くるりと初めて見る笑顔は弾けていた。

 少し仲良くなれた気がして嬉しくなる。


 アキさんのこと教えてもらおうかな・・・。


「クウさんって、アキさんといつから仲良いんですか?」

 唐突すぎたかなと不安になったけれどアキさんのこともっと知りたくて聞いてみる。

「ん~。ここで知り合ったけど、初めてバンドでセッションした時かな。今までにないぐらいお互いしっくりきて、そこからかな。」

 友達って言葉に憧れも嫌疑もある。

 でも、最近“友達”ってものの嫌疑が薄れてきている。

「いいですね、感性で響き合う関係。」

 私にもあるのかな、そういう関係。できるのかな、そういう人。

 男でも女でもいい。

 認め合って信頼し合えることが容易でなかったからこそ、羨ましくもあり怖くもある。


「メイは?アキといつから?」

 ぐるぐると記憶を巻き戻す。

「前にダンスの授業繋がりって言いましたけど、本当は今年の3月31日。」

 違う、本当は・・・本当は・・・。

「でも、本当の本当は2年前に会ってるんですよね。」


 何かを察した顔をしたクウさんがフフフッと笑って簡単にその言葉を口にした。

「運命かよ。」

“運命”という言葉に頭がついていけなかった。

 いつものように私の心を読んだのかもしれない。

「偶然に何度も出会ってるんだったら、運命・・・いや、宿命かな。」

 からかうように“運命”っていう言葉を“宿命”って言葉に変えていく。


 運命?宿命?

 私とアキさんが?

 タイミングよくベルが鳴って、私のぐにゃりとなった思考を止めた。

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