第5話 不屈

 昨日からの雨も上がって、北の空に濃い色の虹が出ていた。

 ダンスレッスンが終わってカフェ・フローレに向かう。


「メイちゃん、久しぶりだね。」

「ノブさん!お久しぶりです。お元気にしてましたか?」

「はい。」

 そう言って小さな包みを差し出した。

「あ、ありがとうございます。」

 不思議に思ってジョーさんを見るといつもよりニコニコとした笑顔でこちらを見ていた。

「開けてもいいですか?」

「開けて開けて!」

 開けてみると、中に小さなティアラが煌めいている。

「えっ!?」

 私の驚きにノブさんが楽し気に大笑いをしている。

「昨日まで仕事でLA行ってたから、お土産。」

 ティアラを出してみると小さいけどキラキラと輝いている本物の宝石みたいなのがいっぱいついていた。

 嬉しくなって頭に着けてみる。

「シンボル・オブ・ザ・クイーンって映画で使ったティアラのレプリカもらったから、メイちゃんにあげようと思って。」

 ノブさんも嬉しそうに私を見ていた。

「いいんですか?そんなものいただいて。」

「いいのいいの。どうせ、他の女にあげたとなったらサエ怒るし。」

「女優だからな、一応サエも。」

 サエ先生も大人な感じで似合うと思うけどな・・・。


 頭に着けていたティアラをしまいながら、エプロンを着けた。

 ノブさんにわからないようにジョーさんがこっそりと耳打ちをする。

「サエに言ってあげて。」

 その言葉に素直に笑顔で答えた。


 ひとしきり午後の忙しさが落ち着いた頃、いつものようにジョーさんのまかないを食べていた。

「メイちゃんちゃんと寝てる?」

「あ、はい・・・一応。どうしてですか?」

「それならいいんだけど、ちょっと手が空いた時とか魂が抜けそうな顔してる時あったから。」

 ノブさんもちゃんと見てくれるんだ、私の事。

「ありがとうございます。もっとしっかりしないとダメですね。」

「しっかりしてるよ、メイちゃんは。しっかりしすぎて・・・おじさん心配してる。」

 冗談交じりに笑っているノブさんの心遣いにほっこりした。

「そういえば、ノブさんってプロデューサーさんって聞いたんですけど映画のプロデューサーさんだったんですね。」

「見えないだろう?」

 どや顔をして見せたノブさんに優しさを感じた。

 いつも通り穏やかに見守ってくれるジョーさんが、静かに食後のデザートを出してくれた。

「これもノブが買ってきてくれたんだよ。」

「わぁ!ありがとうございます。」

 プリンの甘さに心が緩んで、涙が出ていた。

「そんなに泣くほど美味しい?」

「はい。」

 泣き笑いしながら返事してるけど、理由は痛いほどよくわかってる。

 美味しい、嬉しい。

 それが心を癒しているのもわかる。


「ノブさん、あの、女優に必要なものってなんですか?」

 しばらく考えてから真面目な声のトーンで、

「う~ん。ブレない事かなぁ。」

 ・・・ブレない。

「プライベートで彼氏にフラれても、親が死んでもブレずに役になりきれる芯の強さっていうかなぁ・・・。」

 今の私はどうだろう?

 きっと・・・ブレてる。

 考え込んでいるとジョーさんが珍しく語りだした。

「芸能界は厳しいところだから、辛いことも多い。だけど、それに負けないほどの夢だったらプロとして貫く覚悟もできる。」

 いつになく真剣な表情のジョーさんの言葉はずっしりと重かった。

「僕はね、いい役が決まったり続けて出演が決まったりしてたんだけど、スポンサー問題や主役が制作とトラブル起こしたりで不運続きだったことに自信をなくしてた。それで当時、やさぐれて映画の舞台挨拶でレポーターにあることないこと聞かれて暴言を吐いてしまったんだよ。」

 事情をよく知っているノブさんも懐かしむような顔で聞いていた。

「本当はちゃんと謝罪すれば済むことだったんだけどね、俳優なのに苛立って“俳優”を演じきれなかったのが、向いてないんじゃないかって思ってそのまま引退して、顔はそこそこ知られてたから就職もできずこの店を開いたんだよ。」

 そこまで話すとちょっとだけ表情をほころばせた。

「メイさんには、成功して欲しい。最初から逆境かもしれないけど、それでも応援したいと思える人間力が君にはあるから。」

 いつもバカだ、私は。

 こんなに私を理解してくれる人がいっぱいいるのに、恋に溺れそうになった。


 ポロポロと落ちる涙を見ていたノブさんがティッシュの箱を差し出す。

「ありがとうございます。」

 ズビズビの声でお礼を言うと、ニヤニヤしながら言葉を添えた。

「ブレなければ、恋したっていいんだよ。」

 狙い撃ちしてご満悦のノブさんの顔を見て笑わずにはいられなかった。


 家に帰ってから久しぶりにパーソナルノートを出した。

 今までの自分の書いたことを読み返した。

 そして、次のページに大きく「ブレない!!」と書いた。


 ・私はアキさんが好き。

 ・私は女優になる。


 二つを箇条書きにして、ノートを閉じて、翌日のオーディション最終審査に備えた。


 よかった、昨日のうちにクリアにできて。

 晴れた天気が自分の心情に重なる。

 ロバート監督、それから世界的なミュージカル女優スーザン・・・他にも・・・

 審査員の顔ぶれは実に豪華だった。


 だからこそブレない一心で自分と闘う。

 演技審査、ダンス審査を無事終え、歌唱審査の準備をしていた。

 昨日ノブさんにもらったティアラを頭に着けた。

 目を閉じてゆっくり深呼吸を81回繰り返した。


 前の人が終わって袖に戻った時、もう一度深く呼吸を吐いた。

「次の方。」

 そう手で促されて、舞台の中央へ向かった。

「51番、メイです。よろしくお願いします。」

 すぐに“too much” が流れ始める。

 スポットライトで動くティアラの光が壁に揺れた。


“君がそう 隣にいるのは 友達だから

 そんなことわかってる

 笑った顔も 優しい顔も 私のものじゃない”


 アキさんがよぎる。

 それを私は受け入れた。


“傷つけて 悔んでる 自分が嫌い

 止められず 泣いている 自分が嫌い

 それでも… それでも… 君が…”


 それでも・・・君が・・・好き。


“I love you too much

 どうしよう 嫌われたくない

 伝えたい でも Dilemma

 I wanna creep up on you

 近づきたい もっと触れたい

 心に躰に Desire

 …too much …too much …too much”


 1コーラス歌いきった。

 正々堂々と審査員を見た。

「Pretty good.(なかなかやるわね)」

 スーザンがにやりとして私に言うとロバート監督がにっこり笑って少し後ろに座っていたの女性に視線をやった。

「君の歌はまだ完成度が高くない。だけど、演技力や想いを伝える才能には長けていると思う。英語を勉強して演技も歌ももっと磨くといい。」

 ロバート監督が早口で言ったのを後ろの座っていた女性が日本語に訳してくれた。

「ありがとうございます。」

 大きく頭を下げて舞台を後にした。


 今回ダメでも、ありがたい言葉をもらえて、世界に飛び立つ一歩が踏み出せただけでもよかった。

 そのまま客席で審査が終わるまで観ていた。

「本日のオーディションは終了です。審査結果は後日、担当者から電話させていただきます。お疲れ様でした。」

 ステージでオーディションのスタッフが大きな声でアナウンスしていた。


 未だ結果はわからないけど、会場を出るとスマホを取り出した。

 サエ先生と本田監督、あとママに連絡しよう。

 アキさんへは・・・・・・結果がわかってからでいいよね。


 また新しい1週間が始まった。

 いつももベンチで朝をゆったり過ごしていた。

「ニャー。」

 久しぶりに会ったキジトラ猫が“また一人になった”ことを物語っていた。


 いつもならレッスン室に向かう時間になっても腰が上がらない。

 ほんの少し揺れる自分とギリギリまで葛藤していた。

 更衣室を出るとライ先生がレッスン室に入るのが見えた。

 滑り込むようにその後ろを小走りで通り過ぎたその先に・・・


 アキさん・・・


 安堵の気持ちとがっかりした気持ちが複雑に支配する。

 また自分がブレそうになる。

 パーソナルノートに書いたことを思い出した。

 今は好きなアキさんが無事だったこと、それから目の前にある課題をこなすこと、シンプルにそれだけに集中しよう。


 できるだけ、視界にはライ先生だけ入れるようにした。

 レッスンは集中できたけど、今の私はまだ心の整理ができていなかった。

 午後の授業が始まった・・・けど、時間が経つにつれてどうしても心の整理ができなくて、雨も降ってないのに非常階段に向かった。


 ・・・気分が落ち着いたら講義室行こう。

 雲が流れるのを眺めながらアーモンドミルクを飲む。


 上の階からドアが開く音の後、誰かが降りてくる足音が聞こえた。

「あ。」

「え。」

 思わず母音に母音で返事をしてしまった。

「雨降ってないけど。」

「たまには・・・と思って。」

 クウさんは相変わらず無表情で階段に座った。

 いつもの沈黙が今は心地よかった。

「アキ戻ってきてよかったな。」

 突然、困ること言う・・・。

「・・・はい。」

 今度は沈黙が加重される。

 何考えてるかわからない空気感が漂う。

「アキとなんかあった?」

 痛いところつくね・・・。

「何もないですけど・・・。」

「けど?」

 何もなさすぎて・・・。

 続く言葉が出てこない。

 クウさんにはいつも困らせられる。


「クウさんは彼女とかいないんですか?」

 長い静けさに耐えかねて先に破ってしまった。

「いないけど。」

 聞く内容間違えた・・・かな。

「あっ・・・私、授業戻るね。」

 結局逃げるようにその場を立ち去った。

 アキさんと入れ替わるように度々クウさんに会う。

 それでも、会話も続かないし何を考えてるかもわからない。


 谷から山、闇から光・・・それからまた闇・・・。

 ブレないって決めたからブレないけれど、まだ心が慣れない。


 ~♪


「もしもし、ママ?」

『元気してる?メイ。』

「うん。どうしたの?」

『時間ある時に会えない?』

「じゃあ、明日バイト先に来てもらってもいい?」

『わかった。あとで場所送ってね。』

「うん。また連絡するね。」

『体に気を付けてね。』

 ママに久しぶりに会える。

 それだけで安心する。


 カフェ・フローレの閉店時間間際にママが来た。

「ママ!」

 静かに手を振ってママは一番奥のテーブルに座った。

 ジョーさんが挨拶がてらわざわざママの注文を取りに行ってくれた。


「ありがとうございます。場所お借りして。」

 戻って来たジョーさんに伝える。

「メイさん、今日はもうあがって大丈夫だよ。」

「ありがとうございます。お言葉に甘えます。」

 エプロンを外して奥のテーブルに座った。


「メイ元気そうでよかった。」

「ママは?元気?」

「元気よ。」

 優しいまなざしで私を見るママに本当は甘えたかった。

「メイ。ママね、再来月からNYに拠点移すの。」

「そっか。向こうでの仕事だいぶ増えてたもんね。」

 縁が切れるわけでもないのにしんみりとした気持ちになった。

 笑顔のまままっすぐこちらを見ているママが口を開く。

「メイも来ない?」

「えっ?!」

「留学してもいいと思うの。」

“英語を勉強して演技も歌ももっと磨くといい。”

 ロバート監督の言葉がよぎる。

 突然の提案にまだ答えが出ない。

「今すぐに答えださなくてもいい、考えてみて。」

「うん・・・ちょっと考えさせて。」

 何かを感じ取ったママはしばらく外を見ていた。

 メイクアップアーティストの顔からふと母親の顔に戻った。

「学校、辛くない?」

「どうして?」

「私も同じだったから。」

「大丈夫だよ。」

 うん、今は大丈夫。ただ、恋をしてるだけ。

 ジョーさんがロイヤルミルクティーとカフェオレを運んでくれた。


 温かい飲み物を口にしながらママと近況報告をした。

 パパと会ったこと。

 学校のこと。

 劇団公演のこと。

 オーディションのこと。


 ひとしきり親子の会話を楽しんだ。

「そろそろ仕事戻るわね。」

「うん。ママも体に気を付けて。」

「ありがとう。メイもね。また連絡するわ。」

 そう言って、急いでママは仕事に戻って行った。


 テーブルを片付けると空になったカップを受け取ったジョーさんはいつも通り微笑んでいるだけだった。

 そんな優しさに甘えて、家路につく。


 誰にも相談することなく数日間留学のことを独りで考えていた。

 夢を叶えるのに順番とか関係ないと頭でわかっていながら、復学してからの順調・・・な日常を失いたくなかった。


 留学への葛藤と一人の朝はしばらく続いた。

 アキさんとは授業で会っても挨拶程度しかしなかった。


「メイちゃんおはよー!」

「おはようございます。」

「明後日から合宿だねー!」

「そうですね・・・。」

 合宿はきっとジュリさんたちと同じ部屋。

「ミクね、すっごい楽しみにしてたんだー。メイちゃん一緒にお風呂に入ろうね。」

 嘘をつくこともうまくごまかすこともできずに笑ってごまかした。

 こういう時だけ最高の笑顔できる。

 好きだったはずなのに、この癖・・・今は苦しい・・・。

「おはよー!」

「おはようございま・・・す・・・。」

 ジュリさんの態度に違和感を感じた。

 それ以上、声がでなかった。

 輪の中にいるのに入れない感じ・・・胸の奥がジクジクする。


 何があるわけじゃない、何があったわけじゃない。

 私が感じ取った畏怖。


 ・・・どうか気のせいでありますように。

 黙々とストレッチをしているアキさんを視線の端で捉えると安心する。

「みんなおはよう。」

 ライ先生の登場で意識を切り替える。

「明後日から合宿だから、今日のトレーニングは少しゆったりめにやりまーす。」

 レッスンはトレーニングに集中して、一旦いろんなことを忘れた。


「はい、今日はこれで終わります。今日と明日はゆっくり休んで、明後日からの合宿よろしくー。」

 アキさんにはもう伝えたから、バレるとかバレないとかの心配はないか・・・。

 プラス思考に切り替えて、まだ余裕のない自分を正した。


 ~♪


「もしもし。」

『メイさんの携帯でよろしいですか?』

 バイトに向かう途中突然かかってきた電話。

「はい・・・。」

『先日のオーディションの件でお電話いたしました。今お時間よろしいですか?』

「あ、はい。大丈夫です。」

『今回のオーディションは合格ではないのですが、スーザンがメイさんに学校を紹介したいとのことでお電話いたしました。』

「はい・・・。」

 ・・・紹介?学校?

『スーザンが間もなくニューヨーク・アクトスクールの臨時講師をされるようでそこに是非にとのことです。』

 ニューヨーク・・・なんの因果なんだろう。

「ありがとうございます。少し考えたいんですけど・・・。」

『わかりました。何かわからないことがあればXX-XXXX-XXXXまでお電話ください。』

「わかりました。それでは、失礼します。」

 演技を学べる最高の学校。

 世界で活躍するための登竜門。

 わかってる、わかってるけど・・・即答できなかった・・・。


 いろんなことが一気に押し寄せてきてわからなくなっていた。

 見失いそうになって、サエ先生にLINEをする。

「サエ先生、相談したいことがあるんですけど、今日か明日会えますか?」

 すぐに返信が来る。

『大丈夫よ!今日、ジョーのとこいるなら行くわ!』

 今すぐ泣きたい気分だったけど、女優魂をひっぱりだしていつも通りを装って、バイトに励んだ。


 客足が少し落ち着いた頃、いつも通りジョーさんが休憩を促してくれた。

「ジョーさん、今日サエ先生に相談があるので、ここ呼んじゃいました。」

「聞いてるよ。もうすぐ来ると思うけど。」

 そう言ってクラブハウスサンドを出してくれた。

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