第3話 憧憬

「おはよう。メイ。」

 そんな当たり前の朝の挨拶を返してもらえるだけで嬉しかった。

「今日ダンスレッスン一緒だね。」

「メイはダンスの経験あるの?」

 ひとつひとつの質問がとても有難く思える。

「少しだけ。」

「その割にはついてこれてるのすごい!」

“友達”にそういう風に褒めてもらったのなんて、何年ぶりだろうか。

 噛みしめて、ひとつ息を小さく吐いた。

「アキさん!私、ちゃんとこうやって誰かと話せるの・・・嬉しい。」


 この4年間のいろんな出来事が頭をよぎる。

「2年休学してから不安もあったし、こんな私を受け入れてもらえるのかって復学するのは少し怖かった。」


 謙遜なんかじゃない。


「メイはきれいだしガツガツしてないからみんな受け入れてくれるだろ。」

 わかってもらえるとは思ってない。

 私が話したかっただけ・・・聞いてもらいたかっただけ。


「行こっか。」

 僅かな気まずさからアキさんを置いて歩き出した。

 でも、もっと自分のことも知ってもらいたい気持ちが湧いてきた。

「また、話そ?」

 約束したかった、アキさんと。

 お互いを知る約束、時間を過ごす約束、それから・・・友達でいる約束。

 笑顔で応えたアキさんと授業に向かった。


 急にアキさんの歩くスピードが落ちた。

 アキさんの視線の先を追うと逃げるようにジュリさんが走って行くのが見えた。


 女子更衣室に入るとジュリさんが着替えを終えていた。

「おはようございます。」

 気のせいかもしれない。ジュリさんの顔が一瞬こわばった気がした。

「おはよ!先行くね!」


 ジュリさんと入れ違いで入って来たミクさんが不思議そうにドアを見つめていた。

「メイちゃんおはよ!もう着替え終わったの?」

「え?あ、うん。」

「もしかして、脱ぐだけ着替え?」

 いたずらをするような目で私を見る。

「そう・・・ですね。」

「ミクは今から脱ぐからちゃんと裸見てくれていいよ。」

「今日はストレッチ長めにしたいので、先行きますね。」

 はしゃぐように冗談を言うミクさんを交わして更衣室を出た。


「メイ!」

 レッスン室に入るとジュリさんとレンさんが手招きをしている。

「おはようございます。」

 急に友達ができた気がする。でも、きっと気がするだけ。


 痛い思い出が頭を支配する。


 ストレッチをしながら、他愛もない会話が進む。

 突然重低音が鳴り出して、ライ先生がレッスン室にダンスをしながら登場した。

 圧倒されてる私たちにキメ顔で挨拶をした。

「おはよう!急だけど、今の振り入れしていきまーす。」

 一斉に立ち上がる。

 90秒程のアップテンポでもない曲に難しい動きでもない・・・のに、コアがズレるとバランスを崩す。

 全員が“たったこれだけ”に見える振りに悪戦苦闘していた。


 じっとニヤニヤと見ていたライ先生が大笑いした。

「ということで、振り入れになんないから土曜日は筋トレの授業にしようか。」

 いじわるだけど、私たちのやる気をついている。


 こういうストーリー仕立てなのは面白い。

 何かドラマが起こる予感。


「んあー!疲れたぁ!!」

 そう言ってジュリさんが仰向けになった。

 明日筋肉痛になるんだろうな。

 まるでアオハル。

 みんなで筋肉痛になることも幸せに思える。


 着替えを済ませて更衣室を出ると、レンさんに声をかけられた。

「メイも映画観に行かない?」

「ごめんなさい。私、今日バイトなんです。」

「じゃあまた今度誘うね。」

「うん。お疲れ様でした。」

 急いで家を経由してバイトに向かった。


「おはようございます。遅くなりました。」

 12時前なのに席は3分の1埋まっていた。

「メイさん、来て早々だけどこれ3番テーブルに持ってってもらえる?」

「はい。」

 クラブハウスサンドを渡され、エプロンの紐を結びながら受け取った。


 2時になってやっとひと段落ついた。

「メイさん、お疲れ様。賄い作ったから食べてね。」

「ありがとうございます。」

 誰もいなくなったカウンターの裏側のイスに座って、ジョーさんのたらこスパを食べる。


「いらっしゃい。」

 ジョーさんの言葉に反応して急いで食べるのを止めた。

「ノブだから、大丈夫だよ。メイさんは食べててね。」

 いつもの席に座るノブさんとほぼ向かい合って賄いを食べた。


「君は何か習い事してるの?」

 まるで興味がなさそうだったノブさんの突然の質問にむせ返った。

「ハハハハ。ゆっくり食べながらでいいよ。」

 あれほど無口で無表情だったノブさんが笑うなんて・・・。

「すみません。急に話しかけられてビックリしてしまって。」

 また笑うノブさんにつられて、私も可笑しくなった。

「バイト始めたばっかりだと話してる余裕ないだろうと思ってね。」

 浮かべる笑顔には優しさが溢れていた。

「習い事というか、女優目指してます。」

「ほう。もしかしてエンカレ生かい?」

「はい。」

「もしかしてサエは知ってる?」

「サエ先生ですか?」

「そうそう。」

 また楽しそうに笑いながらうなずいた。

「サエ先生は入学当初から凄くお世話になってます。ノブさんもご存知なんですか?」

「まぁ、くされ縁ってやつだな!」

 ・・・くされ縁か。

 サエ先生とノブさんにも縁があって、アキさんはジュリさんとルカさんに縁がある。

 どんな縁なんだろう?くされ縁って。


 ノブさんとはもっといろいろ話してみたい。


 ハードな筋トレの後のハードなバイト。

 ヘトヘトになった分、今日は幸せを感じることもいっぱいあった。


 毎日があっという間に過ぎていく。

「メイおはよう。」

「おはよう。」

 当たり前になりそうな朝を今日も送る。

「もうすぐ4月も終わりか。」

「今日は半袖でもいいぐらいの天気だね。」

 他愛もない会話をアキさんとなら普通にできるようになった。


「今度ミュージカルのオーディション受けようと思って。」

「メイも夢に向かってチャレンジしてんだな。」

「アキさんは?曲書けた?」

 口角が上がったままうつむき加減で首を横に振るアキさんに申し訳ない気持ちになった。


 少し穏やかに沈黙が続く。

 予鈴が淋しく鳴った。

 どちらからともなく静かに顔を上げた。

「じゃあ、またね。」

 発した言葉が同時でさっきの重い空気が一瞬で吹き飛んだ。

 笑いながらも迫る時間に引っ張られるように長く手を振った。


 演技実習が終わるとサエ先生を訪ねた。

「メイさんいらっしゃい!どうしたの?」

 さっきまでの授業よりもっと優しく包み込むように迎えてくれた。

「来月ミュージカルのオーディション受けようと思ってます。」

「そう。」

 嬉しそうに私を見ていた。


「メイさん復学してどう?」

「怖いくらい順調です。」

「順調は怖いよね。」

 サエ先生が笑い飛ばす。

「順調でも、もう少し私のところにも顔出してくれてもいいのよ?」

 そういうジョークも女らしく可愛らしい。

「じゃあ、お言葉に甘えて・・・。」

 マネをしていたずらな顔をしてみせた。

 小さなジョークの掛け合いでいろんな表情をして見せてくれる。


「そういえば、サエ先生ってノブさんって方ご存じですか?」

「ノブってプロデューサーの?」

「プロデューサーさんなんですか?」

「40代半ばくらいのおじさんよね?」

「はい!それぐらいだと思います。先月から行ってるバイト先の常連さんなんです。」

「それってもしかして、ジョーがオーナーしてる古臭いカフェかしら。」

「ジョーさんもご存じなんですね!」

 一瞬目を丸くしたかと思うとサエ先生は大きく手を叩いて大笑いした。

 状況が全く飲み込めないでいると、やっと笑い終わったサエ先生が涙をぬぐいながら話してくれた。

「ごめんごめん。ノブもジョーもエンカレ時代の同級生なの。」

 笑い疲れた様子で続けた。

「たまにノブから連絡来て、ジョーの店に来いって言われるんだけど、私は行ったことない。」

「どうしてですか?」

「めんどくさいから。」

 あまりにストレートな言葉に豆鉄砲くらった鳩になった。

「でも、メイさんがバイトしてるならたまには行こうかしら・・・ノブがいない時に。」

 冗談なのか本心なのかわからないけど、どちらでもいいと思えるあっけらかんとしたサエ先生に、つい笑ってしまう。

「じゃあ、近いうちに待ってますね!」

 男性を誘う気分で教授室を出る間際に言い残した。


 心機一転の学生生活は、疑いたくなるほどの新たな風が吹き抜けている。

 怖さもあるけれど、立ち止まりたくないから風にのろうと思った。


「お疲れ様です、監督。」

「お疲れ~。こちらカメラマンの西田さん。」

「メイです。よろしくお願いします。」

「西田です。よろしく。」

 西田さんは笑顔で右手を差し出してくれた。


「どんなイメージの宣材がいい?」

「女性らしいイメージです。」

 初めての撮影の打ち合わせに少し戸惑って監督をちらりと見る。

「白いナチュラルテイストのカフェ・・・みたいなスタジオがいいかもな。」

「合いそうですね。メイさん、どうです?」

「そういう雰囲気好きです!」

「じゃあ、スタジオ決めたらスタイリストにも共有しますね。」

 スマホを取り出すとスタイリストさんに送るためか、私の写真を何枚か撮っていた。


 すぐに宣材写真の打ち合わせは終わって、カフェオレを一口飲んだ。

「メイさんって女装って聞いてるけど、骨格も男性っぽさがないね。」

「ありがとうございます。元々私、アンドロギュノスで生まれてるからかもしれませんね。」

「カミングアウトするの珍しいね。」

 カミングアウトされ慣れているのか驚いた様子でもない。

「生まれてすぐに女性の方は取ったんですけどね。」

 監督も西田さんも可笑しそうに笑っていた。

 これぐらいの人の方がいい。

 驚かないぐらいの人の方がずっと、変わらずに接してくれる。


 それからしばらく、芸能界のことをいろいろと教えてもらった。

「では、また近いうちに連絡しますね。」

 西田さんとはそこで分かれ、監督とカフェで2杯目のカフェオレを飲んでいた。


「次の舞台なんだけど、メイ・・・助演どうだろう?」

「急に助演ですか?」

 フラッシュバックする。

 エンカレで未経験の私が主演になったあの時のこと・・・。


 なんでお前が。

 どこがいいんだ。

 あんな男か女かわからないやつ。


 自分でもわからなくなっていたことを投げつけてきた。

 苦しかったのは自分を見失いかけてたから。

 自分らしくがわからない苦しさに周囲の妬みが重なって、弱かった私は夢を諦めかけた。


「さっき、“女性らしいイメージ”っていうのを聞いて、次の舞台で構想してる役どころに合うと思った。」

 力強い言葉と優しいまなざしで私を説得する。

「どんな役なんですか?」

「とても純粋なメンヘラな女の子。そうだなぁ・・・もう少し噛み砕いて言うと、傷つきやすくてポジティブでまっすぐな感じかな。」


 確かに、大きな傷はある。

 今は前を向いて夢にまっすぐ向かっている。


「やりたいです。でも、もう少し構想が固まったら・・・もう一度配役考えて、それでも監督が私に合うと思ったらやります。」

 軽い調子で笑うと監督は目を細めた。


「そのまっすぐな感じ、新人の頃のマリーに似てるな。」

「そうなんですか?新人の頃のマリーさんってどんな感じだったんですか?」

 監督は視線だけ右の方へ流した。

「内気だったよ、凄く。」

「内気ですか?マリーさんが?」

「引っ込み思案っていうかな?おとなしいのに芝居の時だけ取り憑かれたように役になりきって、内気なのに自分の夢には正直にまっすぐだった。今も正直でまっすぐなのは変わらんが。」

「天才肌なんですね。」

「まあ、最初の頃は内気なのも演技かと思ったよ。」

 楽しそうに笑って話を続けた。

「そういえば、一度ほんとに何か取り憑いてるじゃないかと思って霊媒師のところに行くの説得してたら、大ゲンカしたこともある。」

 珍しくお腹を抱えて笑っている監督にとても純粋さを感じた。


 尊敬できる人の人生は面白い。

 私の興味が暴走しそうになる。


 二人は本当に愛し合ってるんだと思った。

 監督とマリーさんみたいに、尊重し合えて信頼し合えるからいいものが生まれるんだろう。


 オーディションの準備とバイトとエンカレだけであっという間に5月も半分過ぎようとしていた。

「おはよ。」

「アキさんおはよう。」

 初めて会った頃に比べてクールさも暗さも抜けてすっかり柔らかい顔になった。

「アキさん、今度の土曜日歌の練習したいからカラオケ付き合って欲しいんだけどどうかな?」

「大丈夫だよ。」

「よかったぁ!じゃあ、待ち合わせは13時にあのコンビニでいい?」

「うん。」

“友達”って言葉に甘えた。

 アキさんしかお願いできる人いなかったから。


 こないだ西田さんが言ってた。

 芸能界はプロモーションとブランディングが大事だから、事務所に入ると商品になる。

 そして、自由が利かなくなるって。

 サエ先生も監督もマリーさんもみんな私のしたいようにすればいいって背中押してくれる。


 私は恵まれてる。


 オーディションのためとは言え、友達とカラオケに行くのは初めてだった。

 アキさんと合流するとカラオケまで並んで歩いた。

 男の人と二人で歩くの・・・久しぶり。

「2時間でいい?」

 アキさんは任せるよってジェスチャーしながらで「うん」と答えた。


 ガラス張りのエレベーターの外には夜の街並みが見える。

「見て!エンカレが見える!」

 後ろから覗き込んだアキさんの距離にはっとした。

 急に意識してしまって呼吸の仕方を忘れる。


 部屋に入ると狭さに意識してしまう。

“友達”なんだよ、アキさんは。


「緊張すると喉が硬くなるから少し歌おうか。」


 私の緊張をほぐそうとアキさんが先に歌ってくれた。

 アキさん、かっこいい・・・。

 聞き入ってしまうだけじゃなくて・・・見とれてしまっている自分がいる。


 最初の40分ぐらい交互に歌っていく。

「今度ミュージカルのオーディション受けるんだけど、私に合うテストで歌う曲どれがいいか聞いてほしい。」

「じゃあ、これって思う曲いくつか歌ってみて。」

 2曲で迷ってた。

 最初は歌詞が共感できて歌ってて気持ちいい曲を歌った。


“too much”

 好きすぎて どうしていいかわからない

 そんな詞のバラード。


「少しキーが無理してるかな・・・2♭でもう1回!」


 アキさんのアドバイス通り曲を入れて歌ってみる。

「うん。合ってる。他には?」


 次に審査員のうけ狙いの曲を入れた。

 ノリがいいから、ミュージカルのオーディションに合うんじゃないかと思った。


「・・・どう?」

 女性アイドルの曲で自分らしくはないのはわかってたから自信はなかった。

「うーん・・・悪くないけど、最初の方がいいかな。」

 ほっとした。

「ありがとう。じゃあ、練習するから直すところあったら教えてくれる?」

「わかった。」

 3回目の“too much”は、力みすぎてた。

 4回目の“too much”は、怖くて気付かないふりしてた私の気持ちに気付いた。

 5回目の“too much”で、アキさんが私を見つめていた。

 6回目の“too much”で、アキさんへの好きが溢れた。


 泣きたい気持ち。私が男に生まれたって・・・体はまだ男だってわかったら、嫌われてしまうかもしれない。

 友達ですらいてくれないかもしれない、怖さ。


「ちょっと休憩しよう。」

 そんな恋の不安が見えたかのようにアキさんは私に気遣いをしてくれる。

 我に返って、アイスティーを口に含んだ。

 無性に恥ずかしくなってアキさんの顔を見ないままごまかした。

「今日から連休なのに空いてるね、ここ。」

「ああ、そうだな。」

 声だけで優しく微笑んでるのがわかる。


 いつもの朝みたいな空気が流れ始めた。

 アキさんの顔も見れるくらい落ち着いた時、勢いよくスマホのアラートが鳴った。

 身構えてスマホを取った時、座ってもバランスを崩すほどの地震が急に起こった。

「メイ!!!!!!」

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