第2話 黎明
春らしい天気にそわそわして小さなパン屋でお昼を調達していた。
午後の実習は音楽科も一緒って知ってるからなのかキャラメルブリオッシュが前より美味しく感じる。
今日のお昼はいつもより長く感じたから、早めに実習室へ向かった。
「メーーーイ!」
元気な声が聞こえたかと思うと肩を思いっきり叩かれた。
「どこでお昼食べてたの?」
ジュリさんとは対照にレンさんが微笑む。
「今日は気分転換に近くの公園で。レンさんとジュリさんは一緒に食べてたんですか?」
「うんっ。学食で!」
「二人は仲いいんですね。」
「ルカも一緒に食べてたんだけど、コンビニ行ってから行くって言うから先に来たの。」
オートマチックに出てしまった笑顔。
経験のなさから言葉につまる。
実習室へ入るとまだ誰も来ていなかった。
三人で数少ない椅子に座って喋っていた。
2年前はこんなこと考えられなかったけど、ただ一緒に輪の中に入れるだけでも幸せなことなんだと身に沁みる。
「あ~、どうしよ~。昨日アキと喧嘩したからこの後授業一緒なの気まず・・・。」
「でも、朝一緒に学校来てなかった?」
・・・仲いいんだ、アキさんとジュリさん。
羨ましさからなんか憂う。
「だって・・・家近所だし、会っちゃったんだもん。」
「くされ縁だね。」
入口に視線を向けたジュリさんが小声で言った。
「もう一人、アキのくされ縁来たよ~。」
ドアの音に合わせて目をやるとルカさんが入って来た。
何を考えているのかイマイチ読めない顔でジュリさんの横に座った。
「今なんかあたしの話してた?」
その言葉を遮る様に続々と実習室に人が入ってくる。
ジュリさんはわかりやすく私に向けて舌を出して見せた。
すぐに先生が来るとみんな黙って周りに集まった。
「今日からのPA実習は主にハコを想定した実習になるから、恥をかかないようにしっかり覚えてな。」
防音ドアが小さく閉まる音がして視線を向けるとアキさんがいた。
小さく微笑んだけれど、その後どんな顔していいかわからなくなった。
授業の前半が終わってそれぞれ実習室を出た。
「私も何か飲み物買いに行ってくるね。」
レンさんにそう伝えて立ち上がるとドアの近くにいるアキさんとまた目が合った。
「また会ったね。」
交わす言葉が他に見つからなかった。
アキさんと一緒にいる男の子たちの視線まで集めてしまった気がして、実習室を出ると足早に少し離れた美術棟のトイレに向かった。
学校の女子トイレはまだ慣れない・・・というより少し怖い。
手を洗っていると見たことのある男の子が入って来た。
どうしよう。なんて説明しよう。
鏡越しに目が合うとストレートに一言私に向けて放った。
「性同一性障害。やっぱり。」
やっぱり?
よく見るとさっきアキさんの隣に座ってる男の子だった。
言葉が出ない。
「俺はそういうの、認めてるから。」
「ありがとう。でも、まだ内緒にしてもえますか?」
「わかった。」
何かを察したかのようだった。
これ以上話す勇気がなくて、逃げるようにトイレを出た。
大丈夫。たとえバレたとしても、私は頑張る。
不安を払拭するかのように走って自販機に向かった。
ペットボトルを拾い上げながら自分に言い聞かせる。
「メイちゃん!」
声の方に顔を向けるとミクさんがめいっぱい手を振っていた。
「あ、一昨日ダンスで一緒だった・・・。」
「ミクだよ!よろしくね!」
「ミクさん、よろしくお願いします。」
なんだかほっとした。
この感じ、新入生になった時を思い出す。
「メイちゃんって、演劇科なんだね。」
「はい。ミクさんは?」
「ミクは音楽科だよ!メイちゃんは女優になるの?」
「女優目指してます。ミクさんは音楽科で何コース?」
「ボーカルコースなんだけど、ギターもやってて、アキ君に教えてもらってるんだ。」
「そうなんですね。」
ジュリさんとはまた別の感じでくるくるとよく喋る・・・まるで子供みたいに。
そんな風に自分のことを自分から話せたらいいのに。
実習室へ戻るとすぐに先生も戻って来た。
「次はワイヤレスとケーブルについて実践します。3人ずつグループ作って。」
ジュリさんたちの方へ行こうとすると、既にレンさんとルカさんとグループになっていた。
他に空いてそうなグループがないかと周りを探しているとアキさんのところで視線が止まった。
隣にいたのはさっき遭遇した男の子。
背に腹は代えられない。実習だもん。
「アキさん!入れてくれる?」
「もちろん。」
快くさっきの男の子が受け入れてくれた。
「メイです。よろしくお願いします。」
「クウです。よろしく。」
クウさんは私とアキさんが顔見知りだということはわかっているようだった。
「じゃあ、グループで10mケーブルの八の字巻を1分以内にできる様に練習して。」
パンと手を叩いて合図をした。
クウさんが言葉で教えてくれた通りやってみる。
「難しいです・・・。」
演劇ではあまりケーブルを使わないから八の字巻したことがなかった。
「最初はそのまま巻く、次は手を返しながら巻く。」
阿吽の呼吸でアキさんの説明に合わせてクウさんが動作をやってくれる。
「こう?」
くすっとアキさんが笑って私の手を掴んだ。
「こうだよ。」
動きをその手が導いてくれた。
「わかった!」
できなかったことが感覚的にできるようになる喜び。
忘れない様に夢中で何度も練習した。
「そろそろワイヤレスの実習入るよー。」
満足な気分でケーブルをかごに入れた。
「先にピンマイクを演者につける練習から!このクラスは演者希望が多いと思うけど、小さいハコだと自分たちでつけないといけない時もあるから、つけ慣れると少しは緊張も和らぐんじゃないかな。」
先生は近くにいた男の子にピンマイクを装着しながら説明し始めた。
「ということで、グループ内でお互いつけてみて。練習開始ー。」
3人で顔を見合わせると、アキさんとクウさんが瞬きをしていた。
「ピンマイクつけたことありますか?」
「いや。ない。」
即答するクウさんの横でアキさんがうなずく。
「私あるので、最初にやって見せますね。」
かごの中にあるピンマイクを取った。
「送信機たまに電池切れたりするので、一応電源入るの確認してから私はつけてます。」
すぐ横にいたアキさんにピンマイクをつけた。
「ハイ!クウさん。」
別のピンマイクをクウさんに渡して背中を向けた。
横でずっと見てたクウさんは難なくこなした。
アキさんも真剣に見ていた。
「アキ、次!」
・・・・・・?
そんなに難しくないんだけどな・・・。
たどたどしいアキさんに教えている自分が新鮮に感じる。
2年前はわからないことだらけで、いつもうろたえてた。
それでも誰にも教えてもらえなかった。
アイコンタクトで同じ順番にピンマイクを外した後、先生の指示が飛んだ。
「終わったら次はイヤモニね。」
アキさんがピンマイクをかごに戻すとイヤモニを取ってくれた。
音楽系の方がイヤモニ使うからわかる・・・よね?
「アキさん、一人でできますか?」
「大丈夫。」
それぞれが自分でイヤモニをつけて、取る。
ただ、それだけ。
少しだけ時間が余った。
「メイとアキって何つながり?」
「一昨日のダンスの授業です。クウさんは?」
「バンドメンバー。」
ぽつりと答えた後でアキさんを見ると目で“そう”と答えた。
知っててくれて、認めてくれる人が近くにいるっていうのは心強い。
よく知りもしないクウさんにそんな期待をしている自分がいた。
授業が終わって軽くみんなに声をかけると急いで実習室を出た。
高野劇場に着いたのは16時半。
「おはようございます。よろしくお願いします。」
本田監督に挨拶するといつもの優しい笑顔で答えてくれる。
「おはよう。千秋楽楽しもうな。」
私を受け入れてくれる温かな人柄に
他の演者さんが来る前にメイク終わらせて、舞台へ上がる。
すっと目を閉じていつもの深呼吸を始めた。
81回目でゆっくり目を開いて舞台を下りる。
役になりきるためのスイッチ。
「メイちゃんおはよう。今日も楽しくね。」
劇団の花形女優なのに、そう言ってにっこり微笑んでくれるマリーさんが私はとても好きだ。
「はい。よろしくお願いします。」
満員御礼すぎる客席を袖から見ていると開演のブザーが鳴る。
出番があまりなくても、近くで生きた演技やスタッフの動きを見るはとても勉強になる。
あっという間に75分が終わった。
打ち上げ会場に着くとマリーさんが手招きをしていた。
「メイちゃんはここね。」
可愛くウィンクをして私を隣に座らせた。
監督がせっかちに乾杯の音頭をとった。
「みんなお疲れ~!無事千秋楽も迎えられたから、また次の作品までゆっくり休もうな。カンパーイ!」
「カンパーイ!!」
グラスを軽くぶつけて疲れを
宴会も中盤にさしかかった時、隣に座っているマリーさんにちゃんと伝えたくなった。
「マリーさん、ありがとうございます。いつも私をよくしてくれて、心配してくれて。女優としても尊敬してます。一人の人としても。心から感謝してます。」
マリーさんが柔らかく私の手を包んだ。
「わかるから、メイちゃんのその強い志も、気持ちも、経験も。」
泣きそうだった。
「あの・・・これからもよろしくお願いします。」
深く深く頭を下げた。
これ以上ないぐらい嬉しかったから。
ポンポンと頭を撫でられる。
マリーさんの顔は見えなかったけど、優しい微笑みを浮かべているのはわかった。
次の日、午前の授業が終わって家に戻った。
軽くお昼を食べて、面接の準備をしていた時にスマホが鳴る。
『メイ、学校はどう?』
ママからだった。
『今のところは大丈夫だよ。』
『何かあったら連絡してね。』
『ありがとう、ママ!』
短いけど、ママの優しさに癒される。
面接の時間に間に合う様に家を出た。
角を曲がってすぐにコンビニの方からアキさんが曲がってきた。
「アキさん!こんにちは。」
面接まで・・・まだ時間に余裕あるよね?
ちょっとだけなら話できるよね?
下を向いたままのアキさんに違和感を感じた。
「どうしたんですか?」
「メイ。」
「え?」
なんか・・・変・・・。
「ごめん。なんでもない。どっか行くの?」
「あ、うん。」
やっぱりなんか変。
でも、それ以上は聞けない。
「そっか。じゃあな。」
「またね。」
アキさんのことは気がかりだけど、今は少しでも自立したいから。
少しでもバイトしないと。
気を引き締め直して、面接に向かった。
カフェに着くと“CLOSED”の札がドアに下げてあった。
こっそり覗いて、たぶん昨日の電話の声の持ち主だと思われる男性がカウンターにいた。
中に入るとヴィンテージ感のあるファブリックがシンプルに配置されたカフェだった。
「こんにちは。面接に来ました。」
「メイさんですね?ジョーです。」
紳士な男性がにっこりと微笑んで手でソファへ
「はい。失礼します。」
丁度いいくらいのコーヒーの香りがする。
「コーヒーは飲める?」
「・・・甘めが好きです。」
控えめに笑ってコーヒーを入れ始めた。
「ちょっと待ってね。今とっておきのカフェオレ作るからゆっくりしてて。」
「ありがとうございます。」
なんて、優しい人・・・そして、とても優しい時間がカフェ・フローレには流れている。
微笑んだままジョーさんがカフェオレを作ってくれている音を聴きながら、店内を見回す。
1960年代ぐらいの古い映画のポスターや白黒の写真が壁に飾られている。
「はいどうぞ。」
「ありがとうございます。」
間もなくして、ジョーさんがカフェオレを出してくれた。
「あ・・・履歴書、お渡しします。」
「いいの、いいの。」
「え?履歴書いいんですか?」
「うん。僕はね、君のその雰囲気が気に入った。だから、合格!面接は終わり。」
状況がよくわからずにいると、ジョーさんが微笑んで話を続けた。
「メイさんは、どこの学校に行ってるの?」
「エンターテイメントカレッジです。」
「エンカレか。じゃあ、将来は・・・?」
「女優です。」
また暖かな笑顔を向けて「そうかそうか。」というジョーさんの人柄にどうしても自分のことを話したくなった。
「あの・・・ジョーさん。合格はありがたいんですけど、先にお話ししておきたいことがあります。」
「メイさん。無理に話さなくてもいい。生きていればいろんなこともあるし、いろんな事情がある。僕はそういうのをこのカフェでいっぱい見てきた。だから、人柄だけで採用したいんだよ。」
私は返す言葉が見つからなかった。
サエ先生にしろ、私ががんばって負けずに生きていることを応援してくれる。
人としてちゃんと見てくれる。
そういう人生の先輩に出会えたことが幸せすぎた。
「メイさんは学生だから、いつでもバイトに入れるわけじゃないと思うけど、僕はメイさんの夢を応援したいと思ってる。だから、来れる時でいいから働いてもらえる?」
「はい。よろしくお願いします。」
こんなにうれしいことはない。
大人に恵まれていたから、裏切れずに心配かけたくないから相談もして、たまに落ち込んだ時には甘えて。
そうやって生きてこれた。
それから、一時間ぐらいジョーさんと夢の話やジョーさんが好きな映画の話をして、翌日からバイトに入ることになった。
いつもの朝を過ごそうと思ったら、ほとんど誰も来ない私の指定席に人影が見えた。
・・・アキさん?
「アキさん!おはようございます。」
そんな顔していたアキさんはゆっくりと答えた。
「おはよう、メイ。」
なんか疲れてる?
「座ってもいい?」
自分の心に従って、隣に座ることを望んだ。
ここにアキさんがいるだけで、いつもの朝が華やいでるようだった。
「このベンチね、天気がいい日はいつも私の指定席。」
私の事を一つアキさんに教えてみた。
何も言わずに焦った顔のアキさんが可愛い。
「お昼も休み時間もここなんだ。」
「ひとりで?」
「うん。私友達いないから。」
「・・・・・・俺が友達になる。」
アキさんが私の友達?それが嬉しくて嬉しくてどうしようもなかった。
「雨の日は?」
なんでそんなこと聞くの?と聞いてしまいそうだった。
「それは雨の日会ったら教えるね。」
やっと笑ってくれたアキさんに安心感を覚える。
しばらくここでアキさんと静かな朝を過ごしてそれぞれの授業に向かった。
「ジョーさん、今日からよろしくお願いします。」
授業が終わるとバイト初出勤。
「よろしくね、メイさん。」
ジョーさんが、丁寧に挨拶をしてくれて少し緊張がほぐれた。
エプロンを受け取って、簡単に仕事の内容を教えてもらうとすぐにオープンした。
「いらっしゃいませ。1名様ですか?」
早速来たお客様を案内しようと思ったら、ジョーさんが口を挟んでくれた。
「メイさん、その人はうちの常連で、いつもカウンターの一番奥に座るんだよ。」
「わかりました。・・・こちらへどうぞ。」
その人は、慣れた様子で座る。
「何になさいますか?」
「いつもの。」
少し不機嫌そうに一言だけで注文した。
「メイさん、その人の“いつもの”はホットのフローレオリジナルだよ。」
「わかりました。ありがとうございます。」
そっけないその人は何も言わずにパソコンを出して仕事をし始めた。
「初めまして。メイです。今日からバイトさせていただきます。よろしくお願いします。」
何も言わなかったけど、その人は視線をちらっとこちらに向けただけだった。
「メイさん、その人ノブっていうからよろしくね。」
「は、はい・・・。」
笑わないし口数も少なくてとっつきにくいな、ノブさん。
バイト初日は時々客が来る程度で、特に何事もなく終了した。
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