レクイエム

真花

レクイエム

 未来は輝き過ぎて、眩しくて全然見えないけど、そっちに行けば素敵だって分かっていた。十七歳の女子高生なら全員がそうなんだと信じていた。

 北海道の北の方、家より牧畜の方が多くそれが生業の家が殆どのここで生まれ育って、何の疑問も持たずに中学を卒業した。美里は周囲の誰もが同じように地元で育ち切る、少なくとも高校まではそうだと思い込んでいたが、中学の卒業間際に親友のみどりに呼ばれた。夕暮れの教室で、二人。

「美里、私高校から東京に行くの」

「え」

「お父さんが東京に引っ越すって。お母さんもお兄ちゃんも行くって言うから、私だけ残る訳にもいかなくて」

「みどりは、東京に行きたいの?」

 彼女は弱々しく視線を泳がせて、そのまま呟いた。

「みんなと別れるのは嫌だけど、家族と離れたくない。東京がどんなところか全然分からない。……分からないけど、付いて行く」

「そっか」

 時間が沈殿するような間が、誰も居ない教室に満ちてゆき、溺れそうになる。私は行って欲しくない。みどりにはここに居て欲しい。照らし出された二人の影の方が本人達よりも雄弁に見える。

 みどりが一歩近付いて、美里の手を取る。

「私、美里と別れたくない」

「私だって、嫌だよ」

「でも、行かなくちゃいけないの」

「……うん。そうだよね。みどりの意志じゃないのは分かってる」

「ごめん。独りでもここに残るって、選べなくて」

「謝らないで。だって、しょうがないよ、ね、そうでしょ?」

「しょうがない。しょうがないで、済ませていいのかな」

 美里の頭に急激に魂が上る。目が釣り上がる。

「済ませるしかないんでしょ!? だってもう決まったことなんでしょ!?」

 みどりが小さくなって、それでも見捨てないでと手に力を込める。

「うん。……しょうがない」

「ねえ、みどり、今は現代だよ。二人ともスマホもあるし、連絡なんて地球のどこにいても取れる。私達二人なら、それで繋がっていれば、ずっと一緒と同じだよ」

「そうだよね。距離だけでバラバラにはならないよね」

「そうだよ。大丈夫。私達はずっと親友だよ」

「うん。また、会おう」

「また、会おう、絶対」

「絶対」

 そして卒業式で一緒に写真を撮って、みどりの出立の日には駅まで見送りに行った。


 二年が経ち、高校二年生になった美里とみどりの連絡は、本人達も気付かない程の傾きで、徐々にになっていた。それはお互いのことがどうでもよくなっていたのではなくて、新しい生活に慣れると共に頻繁に交信しなくても不安ではなくなって来たからだった。だから、最後のラインに既読が付いてから返信が数日なくても、美里は平気でいた。しかし、四日目。

 流石に何か言って来てくれてもいいよな。

 美里は「みどり、大丈夫?」と追加で送った。

 今度はいつまで待っても既読が付かない。嫌な予感が走る。翌日の夜まで待って、美里は電話をかけた。

 出ない。

 二度目も出ない。

 何かあったのだろうか。それとも私が彼女を怒らせるようなことを書いたのだろうか。

 ざわつくこころを抑え込みながら、頭を回転させる。スマホが故障して、修理中なのかも知れない。そうだ。私達の関係が壊れることなんてあり得ない。怒らせたなら怒ったと言う筈だ。

「でも、じゃあ、何かあったの?」

 事故? 病気? 全然分からない。嫌な想像ばかりが駆け巡る。

 部屋をうろうろ歩きながら次の一手を考える。みどりの両親の連絡先も、新しい東京の電話番号も知らない。二人が直接やり取りをすることが出来ない状況なんて考えてなかった。頭を抱える。スマホが鳴る。

 見れば、みどりからの着信だ。画面を見てほっとする。少なくとも動けないような事態ではなさそうだ。

「もしもし」

 安堵から大きな声で電話に出る。

「もしもし」

 その声はみどりのそれではなかった。体の筋と言う筋を後に急に引かれたような感覚。

「誰?」

「美里ちゃん、みどりの母です」

「お母さん。……みどりに何かあったんですか?」

「美里ちゃん。ごめんね。……ごめんね」

「お母さん、どうしたんですか? まさか」

 まさか、の先はイメージがあった訳ではない。悲劇の匂いを言葉にしただけだ。

「ごめんね。あのね、みどりね」

 言葉を切ったみどりのお母さんの詰まり切った気配から、その先が分かった。

「死んじゃったの」

「嘘でしょ?」

「嘘じゃないわ。ごめんね。私のせいよ」

「お母さんが何かしたんですか?」

 自分の声が胸から直接出ている。彼女も同じだ。

「違うの。助けられなかったの。あの子が、自殺、するのに気付けなかった……」

 自殺。

 みどりが。おかしいだろう。私とのやり取りの中ではそんな素振り全く見せていなかった。それとも、目の前にいないから、隠したのか。隠されていたのか。

「嘘でしょ……」

「ごめんね、美里ちゃん。だから、みどりは死んでしまったの。お葬式は家族でするから、ごめんね」

「私も参列します。すぐに行きます」

「ごめんね。みどりも死んだ姿を見せたくないと思うから。ごめんね」

 そう言われて、返す言葉が見当たらなかった。黙ったまま、言葉を探しても、何も出て来ない。動揺だけがずっと体を越えてこの空間を揺らしている。

「じゃあ、美里ちゃん。みどりと仲良くしてくれてありがとうね」

「……はい」

 電話は切られ、恐らくみどりの一家との連絡もこれで切られ、美里は揺れの止まらない部屋の中央でへたり込む。

「みどり、嘘でしょ」

 しかしお母さんが嘘をくとは思えない。みどりから連絡がなかったことと整合性はある。

「みどり」

 泣こうとした。でも、涙が出ない。悲しいが大き過ぎて把握出来ない。

 居間からお兄ちゃんが馬鹿笑いするのが聞こえる。

「みどり」

 美里、と彼女が呼ぶような気がした。

「みどり?」

 それっ切り。どうしよう。どうしよう。……どうしようもない。

 きっとみどりは死んだ。そうなんだ。彼女の死に顔を見てないけど、そう信じるしかない。

 美里は部屋を駆け出す。

 玄関を抜けて、近くの草原の、小高い丘になっているところに行く。

 誰もいない、自分の家も誰の家も見えない、空と丘しかないような。

「みどり」

 空をじっと見る。月が浮かんでいて、星もあって、じっと見る。

「みどり!」

 叫んだ声が大地と空に吸収されて行く。

「みどりーー!」

 すぐに、静寂に飲み込まれる。

 でも、月が少し滲んだ。

 美里は歌おうと思った。みどりのためのレクイエムを歌おうと思った。でも、レクイエムなんて知らない。だから、もう、音でいいと思った。

「みどり、みどり、あなた、わたし」

 三つだけの単語に、節を付けて、伸びやかに、ゆっくりと、強く弱く。

「あなた、わたし」

 やはり、空と大地は美里の声を吸い取ってゆく。声が吸い取られるから、次の声が出せる。吸い取られるから、一緒に思い出が出てくる。

 一緒に中学校に上がったとき、お揃いの制服をこれから毎日着ることが嬉しくて、はにかみあってはしゃいだね。

「あなた、わたし」

 小五のときに、二人で同じ男の子を好きになって、恋より友情って、指切りしたね。

「あなた、わたし」

 中学校の文化祭、あなたが実行委員長、私が副委員長。無敵だったよ。

「あなた、わたし」

 部活も一緒。吹奏楽にしたのはあなたがいたから。コンクールはこてんぱんだったけど、あのときより素敵な音楽を知らないよ。

「みどり」

 小学校に上がる前から、気が付いたら一緒に遊んでたね。うちのお兄ちゃん、みどりのこと好きだったんだよ。

「みどり」

 いつかお嫁さんになるって、平凡だけどこれが夢だって言ってたね。

「みどり」

 どうして、死んじゃったの?

 どうして、死んじゃったの?

「みどり」

 月がもう見えない。光のかけらばかりが目に入って、いや、目から零れて。

「みどり、……さよなら」

 美里の鎮魂歌が、最後まで世界に吸い取られる。引き出されたこころが、美里のところにある。

 美里は全てのこころを出し切って、空っぽになった。

 その器に世界が、月が、星が、入って来る。でも、みどりの穴が埋まることはない。みどりの穴がより明確になる。そしてその穴が、自分のこころでなら、少しずつ埋まりそうだと分かった。すぐには出来ないけど、きっとそうなのだと分かった。

「そうなんだ。レクイエムは彼女のためのもの。でも、違った」

 目を瞑って、自分の胸の穴とそれを埋め始めている自分のこころを見る。

「私のためのものなんだ。みどりが、私のために歌わせてくれたものなんだ」

 風の中に、美里、とみどりが呼ぶ声がした。今度は間違いじゃない。

「さよなら、みどり。絶対に忘れない。私は生きるよ」

 みどりの笑顔が、風に流れて空に行った。美里はそれを見送って、涙を拭いて歩き始めた。



(了)

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