第95話

 黒石の衝撃発言に戸惑いを隠せない俺であったが、彼女の心配そうな表情——そして、視線が集中していることを理解し、呼吸を整える。

 黒石の記憶が戻ればもちろん嬉しい。だが、辛いことや悲しいこともあった。強姦未遂に体調不良、二重遭難に吃音症。

 それを無理やり思い出させる真似はしたくない。

 なにより目の前にいる黒石は不安で仕方がないはずだ。

 俺は目の前にいる黒石と前回の彼女を同一人物として認識しながらも、別人格の女の子に接するように決意する。


 もしも記憶が完全に戻らないのであれば、現在の黒石に余計な過去は必要ない。願わくば幸せな人生を送って欲しい。

 そのためにもまずは——、


「——デジャブだな」

「デジャブ?」

 首を傾げる黒石に説明を続ける。

 

 デジャブ。

 既視感。初体験にも拘らず、経験したように錯覚してしまうこと。


「専門的な話になるが記憶は細分化されて保存されてるんだよ。エピソードと記憶が繋がらない場合がある。だから類似的な場面に遭遇したときに虚再認してしまう。つまり——」


 息を吸う。難しいことはどうでもいい。

 俺が黒石に伝えたいことは、


「——悪い病気なんかじゃないから心配しなくていい。もちろんすぐに安心するのは無理だろうから、何かあったら相談してくれ。他人に悩みを打ち明けることで心理的効果があることは実証されているしな。話し相手が俺で不安なら村間先生でもいい。だから、一人で悩むなよ」


 できるかぎり優しい表情と声音を心掛ける。現在の黒石は記憶の一部が混濁しているとはいえ、俺を陰キャぼっちだと認識している。特に下心には敏感になっているだろう。

 

 なにせ無人島への漂着。一応は医者の真似事できる男だ。

 上村や中村風に言うなら『狙っている』と思われても仕方がない場面。

 だが、安心してくれ。俺にそんな気はない。ただただお前が生きていてくれていることが嬉しいだけ。それ以上のことなんて望むはずがない。


「……そ」


 俺の診断に黒石は何かを言いたげな表情に見える。これは、もどかしさだろうか……?

 理解はできたが、納得できない。そんな感情だろうか。


「他に話しておきたいことや気になることはあるか?」

「そうね——じゃあ、一つだけ」

 と黒石。若干、目尻が吊り上がっているのを見逃さない。

 まずい。また俺は何か彼女の機嫌を損なう発言を——⁉︎ クソッ、空気を読むって本当に難しいな。空気って吸うもんだろ。

 

 無人島への漂着は極限状態に直結する。その中でも疑心暗鬼は避けたいところだ。

 俺は次に来るであろう黒石の批難に対して言葉を選定していると、


「どうして私に優しくしてくれるのかしら?」

「………………はい?」


 いかん。あまりに予想外過ぎて反応に遅れた? いまなんて言った? どうして私に優しくしてくれるのかしら? は? え? 


「ちょっと司⁉︎ あんたさっきから変だってば」

 と香川。その意見には概ね同意する。

 黒石の質問にこの場にいる全員の反応は顕著で、あの大原でさえ興味津々の様子が窺える。香川は「どうしちゃったのよ」という反応。

 村間先生は……ぷくう。えっ、あの頬が膨らんで赤みかかってますよ。


「だっておかしいじゃない。私たちは貴方を避けて来たのよ。二手に分かれるときだってあしらったわ。なのに私が不調になった途端、必死になって——もしかして私のことが好きなの?」

「……!」「司⁉︎」「司ちゃん⁉︎」「なっ⁉︎」

 

 ちょっ、あの、どうしたんですか司さん?

 アクセル踏みっぱなしですよ。このままじゃ人身事故を起こしますって。


 俺、困惑。香川と大原も驚愕。村間先生涙目。えっ、涙目?


「おっ、おちちゅけ……!」

 俺が落ち着け。

「答えなさい」

 真剣な目で俺を刺してくる。

 有無を言わせない圧があった。こういう強気な——たまに押しが強いところは俺がよく知っている黒石なんだなと再認識させられる。


 とはいえ、なんと答えればいいのか。

 改めて俺と黒石の関係はなんだ?

 かつては俺なんかに好意を向けてくれた女の子だ。親友? いや、違う。ストンと胸に落ちない。もちろん友情が深かったことは否定しない。けれど友人という感じ……じゃあ恋人? それこそまさか。もちろん黒石に対して好意はある。だが、恋愛的なそれかと問われたら俺には——。

 そこで一人の女性が脳裏に浮かぶ。俺にとっていなくてはならない、大切な人。恋人というなら彼女のことだろう。


 となると……ああ、そうか。俺は黒石のことを——。

 自分の中で答えを見つけたときだった。


 招かざる客。

 不謹慎にもそんな言葉が脳裏によぎった。

「村間先生……! 橘くんを見なかったですか⁉︎」

 現れたのは額に大粒の汗を流し、駆けつけてくる鈴木先生——と上村がいた。


 冷静沈着な鈴木先生が珍しく取り乱している現状に非常事態が発生していることを即座に理解する。スイッチを切り替え、駆けつけてきた先生の話に耳を傾ける。


 結論から言う。

 橘真司が行方不明。遭難した可能性があるとのことだった。

 いけないことだと分かっていながらも俺は上村を睨め付けてしまう。


「……んだよ、その目は。つーか、司たち、なんで田村のとこにいんだよ? あ?」

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ハイスペック陰キャ、無人島で逆転する 急川回レ @1708795

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