すぐ帰ってきたコロナ時代の怪異

λμ

口裂け女

 かつて、口裂くちさおんなという都市伝説があった。

 顔の下半分を隠す大きなマスクをつけた、赤いコートを着込んだ女の話だ。

 女は夕暮れどきに子どもの前に現れ、「私、キレイ?」と尋ねてくる。子どもがキレイと答えると、「これでも?」と言いながらマスクを外す。

 そのマスクの下には、耳元まで引き裂かれた口がある――。


 問題はここからだ。キレイじゃないと答えるとハサミやカミソリで殺される。これは分かる。都市伝説の伝統的パターンだ。では、キレイと答えた場合はどうなるのか。


「……実際、どうしてたんですか?」


 趣味で怪異のコンサルタントをしているごく普通の高校生、並木なみきはリモート会議中の口裂け女に尋ねた。『メリーさんの電話』のメリーと違って名前がないのでやり辛い。それだけならまだしも、


「……え? 今それを聞きます?」


 そう答える口裂け女は、美肌加工にジュエリーな犬耳フィルター、(おそらく)自撮り用リングライトまで用意している。そのせいか、特徴的な大きな口もいい具合にボカされ、ちょっと大きな口が印象的で……、などと後に語られそうな気配だ。

 ――まぁ、自分がキレイか尋ね回るくらいだから、美への探究心は強いのだろうが。

 並木は出かけた息を飲み込み、メモに視線を落とす。


「いえ、まぁ、いいんですけど……それでご相談の確認なんですが……」

「あ、はい。ターゲットを変えないとまずいんじゃないかと」

「まぁ今の子どもマスク見慣れてますからね。普通に可愛いって言っちゃいますよ」

「で、ですか……」

「なんで照れてるんですか?」

「え、あ、すいません……」


 縮こまる口裂け女に、並木は頭をかかえたくなった。これではコンサルというよりバイトの面接だ。あるいは、万引した主婦を問い詰めているような。

 

 口裂け女の歴史は古い。並木が生まれる前どころか、そこから三十年は昔の話だ。広く流布しただけに研究も進んでおり、江戸時代には怪談としての原型ができているとする説もある。それだけに、並木には分からないことも多い。


「えっと、弱点の……ポマード? ってなんです?」

「え? あの、髪につける……」

「整髪料ですか? なんで?」

「あの、出始めの頃、ヤンキーが多くて」

「ヤンキー?」

「え。あの……不良? 度胸試しとかウザそうだなって……」

「なるほどですねー」


 口裂け女のキャリアはメリーさんより長い。それゆえに属性も特盛だ。当時は徒競走が流行ってでもいたのか百メートルは余裕で十秒切るし、姉妹になったり、不幸な過去を背負ったり、べっこう飴にハマったことも……

 ん? と並木は首を傾げた。


「べっこう飴ってなんです? 昭和のスイーツ?」

「しょっ!? あの……えぇ……?」


 口裂け女がカクンと肩を落とした。答えるのもめんどくさいと言った様子だったが、


「あの……砂糖と水だけで作れるカラメル色の……もういいです。飴ですよ、飴」

「不貞腐れないでくださいよ。こっちも真剣にやってるんですから」

「はーい」


 口裂け女の気のない返事に、並木はとうとう息をついた。途端。


「いま、ため息つきました?」


 口裂け女が画面いっぱいに顔を近づけ、並木を睨んだ。瞳孔にリングライトが映り込み、瞳がキラッキラに輝いていた。ついでに、カラコンで黒目が大きくなっている。


「……キレイですよ」

「……これでもぉ?」


 言って、口裂け女が犬耳フィルターを切った。浮かび上がる……黒髪ロングのおねーさん。

 卓上リングライトと白い机のレフ板効果が怪異に打ち勝った瞬間だった。


「……あの、思うんですけど」

「え? あ、はい」

「今って、外でマスクをはずすと逃げられたりしません?」

「ですね……それに、まず外に子どもがいなくて……」

「ああ、ですよね……」


 都内では『夕暮れどきにひとりで歩く子ども』の方が都市伝説に近い。


「それで大人にターゲットを移そうと」

「です。まだ私のことを覚えててくれる人もいるんじゃないかって……」


 口裂け女がフィルターを戻すのを見て、並木は思った。

 これ完全に元カレ引きずってる的なアレだ。

 怪異は忘れられたら消えてしまう。だから新規顧客を開拓しなくてはならない。たとえば『メリーさんの電話』のメリーは、メッセージグループの不正利用をしながら三密になりがちな場所を経由し接近する、という搦め手を考えた。

 

 というか相談に乗っていた並木は実験台にされ、翌日の微熱にわりと本気で焦った。そこまでのやりとりをメッセージアプリで見ていた友人は見事に学校で話を広め、親公認のメリーというカノジョがいることにまでなった。

 ――違う。そうじゃない。

 そう内心で思った。しかし、単に流布するという意味では悪くない手だ。あとは脅迫に使ってきたスタンプを可愛らしいキャラ絵から――


「あの、並木さん?」

「あ! えと、失礼しました。ちょっと考え事してました」

「いえ、いいんですけど……私、ちょっと考えてみたんですよ」

「……何をです?」

「あの、最近って可愛いマスクが色々でてるじゃないですか」


 何? 並木は疑問を抱きながらも笑顔を作った。


「ですね。立体型で顔の下半分をプリントしたのとかもあるとか」

「で、可愛いのを着けておけば、キレイって言ってもらえるんじゃないかと思うんです」

「……ん?」

「……ん?」


 並木と口裂け女は、ほとんど同時に首を傾げた。

 キレイと言ってもらえる。言って、もらえる? それはつまり、


「キレイって言って欲しいってことですか?」

「え!? 当たり前じゃないですか!」

「当たり前なんですか!?」

「えっ!? えぇ~……?」


 並木と口裂け女は、ほとんど同時に呆れ声を発した。

 だが、すぐに気を取り直す。前回はメリーが怖がられたいと思っていただけで、口裂け女の目的は違う。ただそれだけの話だ。

 コンサルの役割は怪異側の目的に沿ったアドバイスにある。


「ん~……だったらもう、最初からマスクに口をプリントするっていうのはどうです?」

「え? 口って――」

「ですから、その、裂けた口です」

「……なんのために?」


 瞬間、口裂け女の映像が少し乱れた。

 九時五時なら家に帰ってくる頃合いだ。マンション回線が混みだしたのかもしれない。

 ま、もう終わるだろうし、並木は笑顔で言った。

 

「つまりですね? 最初から怖い顔を見せておいて、キレイかって聞くんです」

「……それで?」

「キレイだって言われたらマスクを外してもOKですよね」

「……そうですね」

「怖いって言われたら『これでも?』とマスクを――あれ?」


 口裂け女の動きが停まっていた。よほど回線が混雑しだしたのだろうか。もしくはメリーさんの言っていたフィルターの長時間使用によるCPU負荷の影響か。並木にはまったく意味がわからないが、暑い時期はキツいのだと聞いている。

 

「あのー……一旦、フィルター切ってもらっていいですか? 声、届いてます?」


 並木の声に応えるように、ふつ、とフィルターが切れた。


「あ、よかった。聞こえてるんですね。それで――あの、どうしました?」

「……私、キレイですか?」


 口裂け女は長い髪を前に垂らして、顔を伏せていた。


「えと……はい。いまその話してましたよね?」


 口裂け女が髪の下から何かを出した。汚れたコットンシート――メイク落としだろうか。つづいて、カラーコンタクト。そして、


「これでも?」


 ノーメイク。ノーフィルター。リングライトが消えた。

 並木は、つい口を滑らせた


「……え、怖っ」


 暗闇のなか、耳まで裂けた笑みが浮かんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

すぐ帰ってきたコロナ時代の怪異 λμ @ramdomyu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ