被監禁日記(前)

まず、現在の状況を整理しておこう。

今の僕は身の安全を保証されている。保障ではない。保証だ。

ずっと一緒にいられる訳ではないから、守ってあげると約束することはできないと彼女は言った。

その安全のホショウっていうのはどちらの意味かな、と聞くと彼女は一瞬、驚いたような顔をして笑った。


保障というのは危険なことが起きないように守ること。

保証というのは危害が及んだ時、その埋め合わせをすること。

同音異義語というのは厄介だ。僕の専門である契約魔術の根本と言ってもいい。古い言語、解き明かされていない言語には、おそらく現在では知られていない同音異義語が星の数ほどある。発音に気をつけること、そして意味の取り違えをなくすために文法を絞ってゆくこと。

冗長になりがちな契約文の詠唱にはそれなりに意味がある。


ともあれ保証の話だ。

彼女は「埋め合わせをする」という意味のことをよく言う。自分の目的に付き合わせてしまったのだから、その恩には報いないといけないのだという。


報恩。


年若いヒュームの女性が使うにしては少々古めかしい言葉だ。

この記録装置も、保証のための一環なのだという。実際のところどういう意図かはわからないが、万が一、龍の手が彼女に届いた時、僕が彼女と共謀して脱獄したのではなく、単に「彼女に拐われた被害者である」ということを証明する材料にするのだという。


そう。


僕は地下牢から目隠しをされ、彼女に担がれてこの部屋にきた。

もともと、よく分からない理由で放り込まれた地下牢だ。その仕打ちに納得していたわけではないが、脱獄するつもりはなかった。

状況としては「救出された」と言ってもいいような気がするが、問題なのは僕を連れ出した彼女が外から来たのではなく、もともと「隣の房」にいたということだ。

僕は諸事情により、彼女の脱獄に同伴する形で宮廷の地下牢を出た。


ああ。


彼女の名誉のために付け加えておくと、彼女はここまで僕に対しては一度も暴力を振るってはいない。礼儀正しく、友好的な態度が崩れたことはない。色々過激なことはあるが、彼女の中にあるのが純粋な好意、善意であることは疑わなくてもいいような気がする。


この日記を残すことについては、どう転んでも僕に不利益のあることではないというその説明にも嘘はなさそうだった。まあ、話の矛盾点もないが、実際のところ僕には拒否権もない。好意、善意とは言ったが、当分、彼女は僕を解放するつもりはないようだ。


そんな訳で今日からしばらくは日記を兼ねて、この装置に色々と吹き込んでいこうと思う。


僕の名前はダグラスホーン。ダグラスホーン・マクヘネシースタンドリーフ。もっとも家名に関してはもうあまり意味はない。

今は入獄時に取り上げられた眼鏡を、そのまま、あの地下牢に置いてきてしまったことばかり考えている。



この装置についても残しておこう。

正直、見たことのないものだ。龍の国で広まっているものではなさそうだし、僕が使っていたものとも違うが、根底は同じだろう。この予感に間違いはなさそうだ。


選んで、記録して、保存する。


要は魔術的な回路を使うか、紙とインクを使うか、石板と鑿を使うかの違いで、言葉を扱うものたちはいつの時代も記録から逃れられない。

考えたこと、忘れてしまいそうなこと、後から取り消させないこと、そういったものを僕たちは書き留めてきた。エルダー、ヒューム、もしかしたら魔物たちだって同じことをしているかもしれない。


ともあれ今は手元に眼鏡もない。

しばらく厄介になることは間違いない。紙とペンではなく、こうした魔道具を与えられたのは幸運と呼ぶべきだろうとは思う。


僕は昔から記録魔だった。自分の辿ってきた道筋に、書き残さねばならないほどの価値があるとは思わないが、ひとは価値があるから記録するのではない。

そこには色々な動機があり、そして当人たちの思惑とは全く別の次元で記録されたものにはそれぞれ独自の意味が生まれる。その意味では、エルダーに記録魔が多いのは面白いと思う。これはなんとなくの感覚だが、滅多に子を為さない種族ほど記録をたくさん残しているような気がする。そう思うと記録や情報は、ひとと関わってゆく生き物にとっては子孫と同じような意味を持つのかもしれない。


この装置とこの日記について、彼女は顔を少し赤らめて絶対見ないというようなことを言ったが、気にしてはいない。もともと読まれて困るほどのことを書くつもりはない。


彼女は、この手記を最後の手段として使うと言った。

最悪の展開になった場合、彼女に全ての罪を着せて僕だけは助かるためのツールだという。つまり、元々が誰かに読まれることを前提にとった手記というわけだ。

そういう位置付けのものに、赤裸々な秘密を書こうとは思わない。

ただ、読むつもりがないという彼女の意思と潔癖さについては尊重しておこうと思う。


つまりこれは、おそらくは宮廷会議の面々が読むだろうということを想定して書く日記だ。

だからこそここに、最初に明確に記しておくが、僕はこの記録を通して自身の潔白だけを主張しようとは考えていない。

僕を地下牢に閉じ込めた宮廷会議の処置は間違ったものだと今でも思っているし、議論が許されるなら公平な場所で争うべきではないかと思っている。


入獄に関してはともかく、破獄に関して僕は完全な無実ではない。本気で抵抗しようとすればもっと抵抗することもできたはずだが、僕はそうしなかった。彼女と言葉を交わさなければ、彼女は破獄という選択肢を取らなかったのではないかという思いもある。

彼女について、僕はそれほど多くのことを知らない。

名前、生まれた土地の気候、敵対している相手、僕が知っている情報は限られたものだ。なぜ彼女が投獄されていたのか、僕は知らない。

だが、彼女が破獄に至った経緯のきっかけに関しては、責任の一端が僕にもある。

今僕に言えるのは、彼女にも最大限の酌量の余地を与えてほしいということだけだ。


彼女のことも残しておこう。


これは、主観的には弁護に近い。もっとも彼女のしたこと自体については、単純に言って弁解の余地はないだろうとは思う。

しかし、彼女は僕と話をするまで、壁を破ろうと思えばいつでも破れるのにそうしていなかった。

これはひとつの善良さの証として受け取ってもいいように思う。


それを何と呼ぶべきか、もっと上手な言い方があるとは思うし厳密には語弊があるとは思うが、僕と話した結果「スイッチが入ってしまった」としか言えないのではないだろうか。

現に、その後の彼女は言葉も少なく、脱獄してしまった罪悪感に落ち込んだ様子に見える。


では何が彼女の回路を繋げてしまうのか、これに関しては「無実の罪」というのがひとつのキーワードだと考えている。

彼女は、彼女を陥れた人物として鉄仮面の魔女、グラジット・ミームマルゴー氏の名を挙げた。宮廷会議の階位二位の人物の名前だ。

詳しい事情を聞いている訳ではないし、無条件に彼女を信じている訳ではないが、無実の罪を着せられたのだという言葉に、何らかの真実は含まれていると思う。


一方、僕が地下牢に放り込まれたのも、宮廷会議内の、納得のいかない論理が下敷きになっている。僕たち二人の投獄に関連はないが、僕と彼女はひとつの同じ疑念を抱いている。

この記録を借りて主張するというのも変な話だが、本当に宮廷会議は「正しく機能している」と呼べるのだろうか?


第一席であるレディ・マルスクエアの義体は最近では定時連絡すらままならないと聞く。列席による、職務と呼んでいいのかわからない奇妙な私物化の話もある。先だっては宮廷内で死人まで出ているうえ、僕の部屋にも賊が押し入っている。僕は、決して地下牢に入れられるような咎を負ってはいない。

そこでは何かが起こっているはずだ。

投獄は僕の保護だという名目上の説明は受けたが、眼鏡だって取り上げられたままだし、どう見たって保護の扱いからは遠い扱いだ。事情があって尋問の場では話せなかったが、僕を襲った賊は、宮廷会議自体の手引きで忍び込んだ疑いさえある。


これは彼女からの受け売りも含まれた意見だが、宮廷会議の内紛は、民の方を見ていないだけではない。もはや龍の方を向いてすらいないのではないだろうか。


この日記があなたがたの目に触れているということは、そのまま彼女が再び捕まってしまったことを意味する。僕はそれを歓迎する立場にはない。

だから、どうにかして「それ以外の方法」で、意見を述べるために行動しようとは思う。だが、しかし、万が一にも不本意な結果になったことを考えながら…これを記録している。

いい機会だ。


自分の状況についても残しておこうと思う。

それは彼女の状況とは無関係だし、僕は自身の弁明と主張を自分の口で行う予定だが、万が一ということがある。

もしも、何らかの事情によって僕が話をできない状況に追い込まれた場合。そう、例えばそれこそ何らかの要因で死亡したり、重篤な障害を負った場合、これから残しておくことが、僕の語れる唯一の証拠になるわけだ。

つまり、僕は何重もの意味で今、これを残しておかなければならないとも言える。


しかしなんと言ったものか。


とても難しい。


僕は慎重に言葉を選んでここに残す。

実は、僕は自身が投獄された原因に心当たりがある。

正確には、宮廷会議が『僕を投獄しなければならなくなった理由』に心当たりがある。

僕を襲った賊は、何の情報も残してゆかなかった。僕は、彼女が何者であるかを知らない。だが、賊を差し向けた当人には心当たりがある。僕は、襲撃の夜を幸運にして生き延びた。おそらく、賊を差し向けた人物にとっては誤算だったことと思う。

今度こそ確実に僕の口を塞ぐため、その人物は僕を投獄したのだろうというのはそれほど難しい想像じゃあない。


僕は……。


……なんとも難しいな。


僕が懸念しているのは僕を地下牢獄から攫い出した彼女のことだ。彼女は、自分がこの記録にアクセスすることはないと言っていた。盗み見をしないというその言葉を僕は信用している。

僕が心配しているのは「彼女に覗かれるかもしれない」ということではない。


むしろ本来知るべきでない情報を知ってしまった結果、彼女がよりまずい立場に追い込まれてしまうのではないかということだ。

彼女がこの記録にアクセスする時。それが興味本位の覗き見でない場合。おそらく僕に何らかのアクシデントが起きていることと思う。その場合、彼女も無事ではないことと思う。


僕と同じタイミングで捕縛されているだけならまだいい。

今僕は、僕だけが倒れ、彼女が生きて逃げ延びた場合のことを考えている。

僕がこの記録を持ったまま、再び彼らの手に落ちるというプランは残念ながら現実的ではない。

宮廷会議の面々が、捕縛した僕の懐からこの記録を発見し、誠実に中身を確認した結果「誠実に、公平に対応してくれるだろう」という期待は極めて楽観的だと言わざるを得ない。

僕を陥れたであろう人物、そしてその人物と極めて近い関係にある人物、どちらも宮廷会議の中にいる。この記録が最初に彼らの目に触れた場合、初めから存在しなかったかのように握り潰される可能性が極めて高い。実際、僕は何かを主張をする機会すらろくに与えられず、地下牢に放り込まれた。


僕の弁明を聞いてくれなかった相手が、この記録の内容だけは信じてくれるケースというのが、はたして存在しうるのだろうか。

そのことを考慮すると、彼女に促されて記録をつけてはいるが、この記録が効果的に機能するケースというのは極めて少ない。

つまり、消去法ではあるが、僕に何かがあった場合、僕はこれを彼女に託すべきだというのが理性的な判断になる。僕はこの記録を、自分が積極的に脱獄したのではないという弁明のためではなく、もっと別のことに使うべきなのだ。


しかし、これは、大いなる矛盾だ。


僕を救済しようとするための記録は、彼女にとって不利になる証拠でしかない。彼女にとっても利用価値があるかもしれない告発は、それを知ることで新たな危険と敵を招く。僕たちにとって、これはそもそもが不公平なゲームだ。


彼女の弁護をするためには、そして自身の潔白を示すなら、本来ならあやふやな未来に賭けるべきではないのだ。今は何が何でも逃げ延び、信用できる味方を見つけて、正面から再び挑むしかない。


この記録は脱獄の罪を軽くしたり、逃れたりするための「保険」であるべきではない。それは、宮廷会議に対する「武器」であるべきだと思う。


この記録を聞いているあなたは、誰だろうか。

僕にはあなたか誰だかわからないが、ただ信じてほしい。

僕は自分の保身のためだけではなく、そして彼女の立場を救済するためだけでもなく、宮廷会議に潜む大きな間違いを告発するためにこの記録をつけている。


ただ。

やはり、この秘密を彼女と共有すべきとだとはどうしても思えない。彼女は直情だし、何より「人の話を聞かない」。万が一、彼女が「宮廷会議に対する武器を得た」と感じてしまった場合、僕は僕の闘争に彼女を巻き込んでしまうことになる。


それはフェアではない。

僕自身は、彼女とミームマルゴー氏とのトラブルに関与するつもりが全くないというのに、彼女だけを僕の闘争に巻き込もうというのは、全くもってフェアではない。


どう残したものか、いまだに悩んでいる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ハニカムウォーカー、また夜を往く 高橋 白蔵主 @haxose

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ