12月の伝承

スタジオ・とれいたーず

12月の伝承

こんな話を聞いたことがある。


その村には二人の美しいが住んでいた。幼いころに両親を失い家族は他にいなかったが、二人ともとても仲が良かった。いつもいつも二人一緒に過ごし、おたがいに顔もよく似ていたものだから、まわりの住人たちからはまるで二人が元から一つのものであったのではないかとささやかれるほどであった。


しかし、そんな二人の間を、夜の風と共にやってきた真っ黒な影が引き裂いてしまった。


その影に魂を手込めにされてしまった妹は、生きていないにもかかわらず死んでいないものと成り果てた。


村人たちは彼女をみ嫌うようになり、兄は悲しみに暮れた。なぜなら、たとえ悪魔に魂をうばわれていたとしても、彼女にはまだ人の心が残っていたからだ。


兄は必死で妹をかばった。たとえ人に非るものとなろうと、自分の愛する半身に変わりはないのだから。妹もそれに応え、懸命に人であり続けようと努力した。


夏が過ぎ、秋が来て、冬がやってくるまで、それは続いた。日が沈むたび、月がのぼるたびに、彼女の美しい肌は色あせ、柔和にゅうわな肉体は痩せ細り、優しいその心を血の渇きが責めさいなんだ。


しかし、少女はそれでも人であることを止めなかった。その姿を目にして、村人たちは少しずつ少女を信じるようになった。


村人たちのほとんどが少女を信じかけていたそのとき、それは起きた。

どこからともなく舞い戻ってきた黒い影が、少女の耳元で囁いたのである。

兄が止める間もなく、気がつくと少女は、抗えぬ衝動の赴くまま人を手にかけ、その返り血をすすってしまっていた。


それを知った村人達はみな武器をとり、一斉に兄妹の住む家へと押しかけた。


―― 少女を殺せ、そいつは悪魔の使者だ――


扉を打つ乱暴な音、響く罵声、窓を破る石礫いしつぶて

兄は妹を森へと逃がすと、自らの家に火を放った。


―― あの娘は俺が家ごと燃やして殺した。だからもう心配はいらない。悪魔なんてどこにもいない――


燃える自分たちの家を背にして、兄は村人たちに向かってそう叫んだ。誰

もが息をついて落ちつこうとしたそのとき、村人の一人が言った。


―― おい、これは何だ――


 炎の色で朱く染まった兄の顔が悲痛に歪む。なんということだろう。そこにあったのは真っ白な雪の上に残された、森へと続く少女の可愛い足跡であった。


――奴を殺せ!今すぐ殺せ!悪魔を仕留めろ!――


 言うが早いか、村人たちは凄まじい鯨波ときの声を張り上げ、群れる猟犬のように森の中へと雪崩込んだ。

 そして、兄もまた、村人たちの視線を受けながら一組の弓矢を手にし、少女の影を追いかけた。


 

 暫くして、少女は苦悶の表情を浮かべつつ、暗い森のなかを彷徨っていた。背中や肩に無数の傷を負い、歩くたびに落ちる血の滴が雪の絨毯に紅い花を咲かせる。身を護るためにと持たされた一丁の矢銃ボウガンがとても不釣合いで、少女の姿をよりいっそうたよりないものにしていた。


 やや振り返り、追手がきていないことを確認すると、少女は木の根元に座り込んだ。衣服に染み込んでくる雪がとても冷たい。

 少女は悲しみと諦めの入り混じった表情で夜空を眺めた。空からふわりふわりと降りてくる柔らかい雪の向こうで、雲間から差し込む上弦の月明かりが森の中を照らしていた。

 しばらく恍惚とした表情で眺めていたけれども、いつも窓の中から寒々しい様子で見ていた景色がすぐそこにあるのだ、ということを思い出して、少女は何だか可笑しくなった。しかし、先の尖った真っ白な歯を見せ、空にむかって微笑んだ少女の眼に浮かんだものは、喜びではなく一雫の涙であった。


 こんなことになってしまったけれども、本来なら今日はとてもとても嬉しい日だったはずなのだ。父も母もいないので、たった二人しかいないけれども、お互いの生まれた日をささやかに祝いあう、聖なる夜のはずだったのだ。

いつもと同じ、今年も楽しくて優しい夜がきっと来てくれるはずなのだと―― 少女は、ずっとそう信じていた。


 少女は声をあげて泣いた。かつては村人から澄んだ歌声のようだと称えられていたその声も、哀しい哉、今では年老いた獣の唸り声のように穢れてしまっていた。

 少女の慟哭がおさまってきたころ、誰かの足音が近づいてきて、そばにあった柳の木の枝から塊になった雪がドサリと落ちた。


 少女はすばやく顔を上げると、矢銃を足音がした方角に向けて身構えた。

 少女の顔が苦悶に揺れる。見ると、銃口のさきには銀の矢をつがえて少女に狙いを定める少女の兄の姿があった。

 やじりの先を互いに向け合い、二人は対峙する。険しい顔の兄の背後で、村人たちの声が聞こえる。兄妹の瞳に殺意は無かった。交し合う視線の先に見えたもの、それは長年ずっと押し隠されてきた感情だった。


 妹は兄の姿をその眼に映し、銃の引き金に力を込めた。

 兄は妹の姿をその眼に宿し、弓をしならせて弦を引く。


 はじめからそれが正しい姿であったかの如く、互いに武器を向け合って。

 やがて、叢雲が月を覆い、あたりが真っ暗になった直後、空気が鋭い音をたてて震えた。


放たれた矢は、一つ。


崩れ落ちる姿も、また一つ。


叢雲が晴れ、上弦の月が再び二人の姿を照らし出した。積雪に投げ出された兄の弓、胸を貫いた一本の矢、駆けよる妹。呼びかける声と手。


されど、兄の魂は水面に映された虚像のように、もうそこにはないのだ。

弓なりの月は沈み、聖なる夜が終わりを迎える。


闇夜を翔ける大鴉レイヴンが西の空へと飛び去り、小夜鳴鳥ナイチンゲールが夜明けを告げて、暁の空がやって来た。


その後、村人たちの手によって兄の亡骸は葬られた。けれども、妹の姿を見た者は一人としていなかった。



二百年後、旅人の私は今、その兄の墓の前にいる。

今はもうすっかり風化してしまって彼の名前すらわからないけれども、毎年聖夜になると、森の中から少女の悲しげな歌声が聞こえてくるという話だ。



   【了】

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