第2話 自己暗示

 大学の図書館は、ファンタジックな禁書庫を連想させる。関係者以外の入館を制限するゲートや、どことなく無機質な職員の対応、古い書物の色褪せたインクの匂いが、そう思わせる。

 とりわけ、僕たちがいる妖怪文書や地域学の書物が並ぶエリアは、閉鎖的な恐怖を煽っていた。

 僕の漠然とした緊張感とは裏腹に、雨元は、適当に本を見繕う。

「さてさて、どこの心霊スポットが怖いのかね」

 彼が、流し見する本を隣から覗く。

 妖怪文書と言え、やはりどこか子供だましに思える。だが、大人たちの大真面目な冗談ほど、信ぴょう性を感じてしまう物だ。

 妖怪と偉人――雨元が選んだこの一冊は、江戸時代に大学のあるこの地域の領主として生きていた、名の知られていない武士と妖怪を結びつける文献だ。

 僕は、大学生の心霊スポットとこの地域の偉人が、どうにも結びつかず、疑問符が漏れる。

「心霊スポットを調べるなら、過去の事件の記事を読んだ方がよくないか。 こんな田舎なんだ、川で事故のひとつや、ふたつ、あるだろう?」

 雨元は、至って真剣に本へ視線を落としながら、重い口調で語る。

「そうか、アラタは、大学生になってからここに来たんだよな。 この辺りはな、妖怪やら鬼やら幽霊やらの話が、昔から絶えないんだよ」

 いつもの陽気なキャラクター性とは、正反対の彼の口調は、この空間の緊張感をよりタイトな物にする。

「どうゆう意味だよ」

 田舎特有のどことない疎外感を感じた。外者を嫌う、田舎の悪しく風習だ。

 決して、雨元が村八分の言い出しをするような奴だった、という話でない。ちょっとした、距離を感じてしまったんだ。

 雨元は、やはり本へ視線を落としたまま、流れる様に語る。

「この辺はな、昔の偉い人が、妖怪に魂を売った、なんて言われてるんだよ。 だから、小さいとき悪さすると『冥土の迎えが、あんたを連れてくよ』って、よく言われたもんだよ」

「そんなの、小さい子への叱り文句じゃないか。 雷様にヘソを取られる、って言葉だって高い位置に雷は落ちるから、子供たちがヘソを隠して屈むようにするためだろ?」

 物事には、何にでも意味はあり、存在する。

 雷様は存在しないけれど、雷は存在する。

 ヘソは取られないが、命を落とす危険はある。

 子供には、理論的な話をするより、物語と結びつけた方が理解がしやすい。

 ただ、それだけの理由だ。

 雨元は、本から視線を上げ、真剣な顔つきをする。

「冥土の迎えは来るよ」

 彼は、それだけ呟いて、席を立った。

 夏の図書館に人は少ない。だから、外で鳴く蝉の声が、やけに大きく聞こえる。

 その喧騒に耳を覆われるように、彼らの声が誇張される。

 僕は、はっとして去ろうとする雨元に声を掛けた。

「お、おい。 もう探さなくていいのか、心霊スポット」

 立ち止まる。振り向いた彼の表情は、いつもと同じ陽気な笑顔を持っている。

 僕は、安心した――そして、外の蝉が、黙り込むのを聞いた。

「心霊スポットを探していたんじゃない。 冥土の通り道を探していたんだ。 まだ、連れていかれたくはない」

 外の蝉は、一匹も鳴いていない。いや、僕の耳に届いていないだけだ。

 それほど、彼の口から理解のできる言葉が聞きたかった。

 低俗な下ネタでもいい、想像すらつかない煙草の銘柄でもいい。

 だが、願うほどに、彼の言葉がゆっくりと咀嚼されていく。拒絶反応で、吐き出してしまいそうだ。

 それほど僕は、ホラーが苦手だ――

「なんてな」

 噴き出しながら言う、雨元の姿に脳の切り替えが追いつかない。

「そんな、顔面蒼白になるなって! 冗談だよ、冗談。 ただの昔話」

「な、なんだよ」

 理解と言うより、無理やり『冗談』という言葉に縋りついた。

 雨元は、ひとしきり笑った後、再び背を向ける。

「暇つぶしは?」

「腹減ったから、飯でも買ってくるよ。 何がいい?」

 足を止めずに、そう言う彼のもとに駆け寄った。

「僕も行くよ。 喉が渇いた」

 変に緊張しているのだろうか。図書館特有の緊張感が、誰もいない放課後の学校のように感じる。埋め込み式クーラーの軋む音が、子供の笑い声に似ているような気がしてならない。

 とにかく、現実的な夏の暑さを感じたかった。

 だが、図書館の自動ドアが開き切る前に、雨元は呟く。

「この街は、少しだけ変なんだよ。 アラタは、気づいても気づかないふりをしろよ」

 僕は、聞こえないふりをした。

 

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昼を嫌う彼女と逆さ文字の交換日記 成瀬なる @naruse

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