第1話 ホラーが苦手です

 おかしな話である。

 僕は、この大学へと逃げる様に入学したのだ。

 将来を期待される親戚たちの眼差し、どこへ居ても喧騒からは逃げることはできない、引っ切り無しに来る電車の埃と人の臭いが混ざった空気。

 そんな物たちから、静かに、かつ大胆に身を引いたのだ。

 だが、現実はどうだ。

 電車は、1時間に1本、周りに自然の素材を生かしたインテリアで飾られたカフェなんて物はなく、全くもってそのままの木々が生い茂る森。動物園に行かずして、野ウサギや鹿、時期になれば猿まで見れてしまう、そんな場所。

 でも、「逃げれるならば……」と妥協で、つまらない田舎に進学したわけではない。

 春は、人の少ない桜を観れる

 冬は、今までの都会人生で見れなかった分を取り戻すかのように、雪を堪能できる。

 秋は、どこまでも広がる広大な星空の下、天体観測をしよう。

 そして、夏。小さな駄菓子屋でラムネを買って、汚れていない気持ちのいい夏風を感じることができる。

 だが、それは、どれも幻想に終わった。 


 今日、七月某日――梅雨明けの真夏日は標示の剥げたアスファルトに陽炎を呼び、蝉たちは礼儀を知らない声を上げている。

 まだ、都内で暮らしていた頃の人の喧騒の方がましだった。蝉たちは、原始的な夏を、提供してくれる。

 僕は、額を伝う汗を腕で拭いながら、大学の校舎へ足を踏み入れた。

 やはり、都会に住み続けた体には、科学的で人工的な物に依存してしまっているのだろうか。構内を極限まで冷やしたクーラーという現代物に、平伏した。

 コーラでも買おう、そう思いながら、足取り軽く購買へと向かった。


   *


 夏の講義は、どこまでも僕へ睡眠を与えてくる。

 朝から勾配の多い田舎道を歩き、夏の太陽によって体力は、擦り切れてしまった。年老いた大学の講師たちの声は、オルゴールの優しいメロディーを訪仏させる。

 このまま寝てしまおうか、と目を閉じかけた時――それは、耳元で囁かれる。

「おはよう」

 広い静かな講義室で、僕のビクついた体が大きく目立つ。

「やぁ、おはよう」

 伏せ見がちに声の主へと、視線を向ける。

 田舎の大学では浮きがちな、肩にかかる長髪をセンターパートにして、毛先のパーマはジェル系ワックスで濡れ髪になっている。

 オシャレに疎い僕でも、これが一種のオシャレ髪であるのは、はっきりとわかる。その証拠に、彼が隣に座ると、後ろでスマホをいじり続けていた女の子が「今日も、遅刻?」と笑いかけた。

 彼――雨元は、そうゆう男だ。

「1限から来るなんて珍しいね。 まぁ、遅刻だけだ」

「今日は、放課後から遊び行くんだよ。 それまでの暇つぶし」

「なるほどね」

 教授に聞こえない程度の小声で、いつも通りのやり取りをして、僕は教材と向き合う。雨元は、スマホと向き合う。

 僕と正反対の人種である彼を明確に「友人」と言える。

 もちろん、同じ学科という必然的な要因ではない。

 提出期限より前に課題を出す僕とギリギリまで課題の存在を知らない彼が、偶然出会ってしまったからだ。

 課題の提出を手伝うたびに1回、梅本の奢りで飲みに行く。

 そんな条件下での人付き合いが、今では『暇なときに、割り勘で飲みに行く』という無条件化の人付き合いになっている。

 心地は良い。彼の適当加減が、規律の中で生きてきた僕にとって新鮮だからだろうか……いけない、友人関係を言葉で表すのは、良いものではない。

 そんなくだらない、自問自答を続けていたら1限の終わりを告げるチャイムが鳴った。それを合図に、彼の声も大きくなる。

「マジで暑すぎるよな。 なぁ、アラタ」

「そりゃ、夏だからね」

 リュックへと無駄に分厚い教材をしまう。

 でも、今日は、比較的荷物の少ない日。2限、3限が、休講になったからだ。

 そこで、雨元との会話を思い出す。

「そういえば、2限休講だけど、どこで暇潰すんだい?」

 彼の良い顔立ちに、困惑のシワが寄る。

「……マジで? おいおい、嘘だろ!」

 なんとなく察してはいたが、案の定、彼は「休講」を知らなかったようだ。

 僕は、茶化すようにため息を付く。

「夕方のバイトまで暇だから、その時間まで付き合おうか?」

 彼の答えは、決まっていたようだ。

 僕の言葉を遮りように「サンキュ!」と肩を組む。

 傍から見たら、ひ弱な学生を校舎裏に引っ張る不良学生だ。

 ほら、見ろ。後ろに座っていた女子から「あんまり、イジメちゃダメだよ」と小さな笑い声交じりに聞こえる。

 でも、僕は、嫌な気はしない。

 彼と僕の関係性は、それでいい。もちろん、イジメられているわけではない。

 あえて、言葉でこの友人関係を表すのなら「井戸の中の蛙と井戸を覗き込む鷺」のようなものだ。鷺が知ってるお気に入りの水辺の話を聞くのが、蛙は大好きなんだ。

「そういえば、今日は、どこに出掛けるの?」

 雨元の無邪気な笑顔が、不気味な笑顔に変わるのを見逃さなかった。

 そして、数秒後、僕は、後悔する。

「心霊スポットに行くんだよ。 そういえば、アラタって図書館によく行くよな。 都市伝説とかの文献がある場所分かるよね」

「……最初から、それが狙いか」

 雨元は、ゲラゲラと大笑いしながら、僕の前を歩く。

 やっぱり、僕と彼の関係は「蛙と鷺」で表すのが正解だ。

 重い足取りを引きずるようにして、僕は言う。

「はっきり言うよ。 僕は、幽霊が苦手だ」

 雨元は「暇つぶし、暇つぶし」と背を向け、手をひらひらと振る。

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