オーグメンテッド・リアリティ

拝師ねる

オーグメンテッド・リアリティ

「この世界はゲームだ」

 目の前に広がる無機質な空間に、膨大なデータを表示させながら、その男は呟いた。

 コンタクトレンズ型ウェアラブル端末は現存する最新型で、どの情報も誤差はほとんど無いに等しい。

「あと七十三秒後に雨」

 男は小さく駆けだした。眼前に表示された到着予定時刻が短縮される。靴から発せられる電子音と、踵の着地音が同化していく。電子スーツの体温調整機能が身体の冷却を始める。

 天を衝く、針のような建物が街の中心にそびえ立つ。コントロールセンターと呼ばれるその建物は、気象を操り、温度、湿度、風量を制御する。煩雑な手続きを経れば時間を操ることも可能とされている。

 二〇五〇年、人類は神の領域に到達したと声明している。


 街のシンボルとも言えるその建物のエントランスに、男は吸い込まれた。人のいない、無機質で合理的な空間だった。

 ――ユーザーネーム「D・S」のログインを確認。受注ミッションをローディング、Aランクミッションのコンプリートを確認。

 デスティニー・セイヴィアを名乗る、略称DSの職業はソリューショナー。ミッションハンターとも便利屋とも呼ばれる。ギルドに寄せられる大小様々なミッションをクリアし、報酬を得る。この職に就いた理由は明快。つまらない世界を、ゲームのように少しでも楽しむため。

「ギルドにようこそ。何かお手伝いしましょうかミスターDS」

 うんざりした様子でDSは訪ねる。

「型番は?」

 表情を変えず女は言う。

「NEL八〇八〇、必要であれば詳細スペックを送信します」

 AIによるオートモードの、典型的な回答だった。DSはこの世界の仕組みに疑問を抱いていた。自分の思考、行動をAIに委ね、自ら村人Aになる大衆が理解できなかった。

「オートモードオフ。……コンタクト型ウェアラブル、電子スーツ、半重力スニーカー、今時めずらしいぐらいの、古臭い格好ね」

 感情が戻ったのだろう。先ほどまでとは打って変わって、人間味のある笑顔で彼女は続ける。

「少し脳を弄れば、そんなもの使わなくても同じ効果を得ることが出来るわ。安全性だってずっと……、まあ貴方に言っても無駄そうね」


「その通りだ。俺は常に自分で考えたい。動きたい。身体機能を休止して、脳に埋めこんだAIでフルオートに仕事をこなすなんて、そんなクソゲーはまっぴらだ」

 この時代にロボットやアンドロイドは存在しない。旧時代、急速に発展したロボット産業は、ひとつの研究により荒廃した。

 LB-BRAINと呼ばれる技術により、人間の脳は一〇〇パーセント使用可能になり、さらにAIを埋め込むことでその能力をカスタマイズし制御できるようになった。

 人間の脳が直接電子世界にアクセスできるのはもちろん、他人の脳と通信も出来るため、パソコンやスマホといった単語は歴史の教科書で見るぐらいでしかない。

「人が直接接触してくるということは、情報屋か」

「そうね、情報屋は行動が漏れないように、人と会うときは最もアナログな方法をとる」

 全てのAIは行動が記録される。非公式情報ではあるが、誰もが知っていることだった。

「わかった、案内しろ」

 DSは全ての電子機器をオフにして、自らの力で歩き出した。


 スラム街。全ての人間がLB-BRAINの恩恵を受けられるわけではない。この世界からはじき出された人間たちが、身を寄せ合うことで、自然と闇は生み出される。

「お前はスラム街の人間なのか?」

 特に興味も無いかのように、DSは女に尋ねる。スラム街の人間にAIが使われていることに疑問を持ったのだろう。

「そうよ、このAIは裏ルートで入手し非合法で入れてもらったものよ。情報屋に使われることを条件にね」

 それほどまでに、この技術はこの世界に浸透してきた。

 廃墟のようなビルの地下に降りていく。錆びたスチール製の机に向かい、ぎぎぎと音をたて男は振り返った。カビと煙草の匂いが入り交じった、湿った空気。

 男は立ち上がった。背骨が弓なりに曲がり、大きく盛り上がっている。情報屋だ。

 乱雑に積み上げられた薄汚い本を差し出しながら、情報屋は掠れた声を絞り出す。

「神々の記憶、というものを知っているか」

 DSはその本を受け取らずに答える。

「都市伝説だろ。それを手にした奴は、世界を変えることができる」

 本を差し出したまま、情報屋は再び声を絞り出す。

「それがお前の望みか? この本には、この世の全てを手に入れることができるとも、全てを無に帰すことができるとも書いてある」

 世界を変える。DSはそういったことをよく夢見ていた。人類の進化の方向性に、疑問を抱いていた。

「その情報が手に入った。お主も、その情報が欲しいから此処に来た、違うか?」

 昨日、ミッションボードにSSランクミッションが追加された。どうやらそれは、神々の記憶に関する内容らしかった。

 一般のソリューショナーには、Sランク以上のミッションを受ける権利も、閲覧する権利も無かった。SSランクは国家規模のミッション。この制度が始まってから数回しか発令されたことはない。どれも神々の記憶に関するものだったと噂された。

「いくらだ」

 情報屋はにやりと口角を上げた。黒ずんだ瞳に光が宿る。

「百万ティアだな」

 DSは大げさに首を振る。

「そんな金払えるわけないのは分かるだろ。街のど真ん中に家を建てられる金額だ。無茶言わないでくれ、清作さん」

 清作は情報屋の通り名だった。元ボクサーだからそう呼んでくれと言われたことを、DSは思い出していた。

「ふむ。ならばお前さんの脳をちょいと弄らしてくれんか。それならば情報代は負けてやろう。なに、わしは元脳外科医だ。心配はいらん」

 再び清作の瞳がどす黒く沈む。

「俺がLB-BRAINの技術を嫌っていることは知っているだろ。ふざけるのはやめてくれ」

「ではこうしよう。このミッションをすでに追っている人物がいる。お主もミッションを追うのであれば、衝突は避けられん。其奴はいわゆる希少種だ。殺すなり、捉えるなりしてその脳をわしに寄越せ」

「交渉成立だな。それじゃあ情報を教えてくれ」


 足音を消して、無機質な廊下を駆ける。セキュリティをかいくぐり、到達した最上階。扉の前で耳を澄ます。

 音によって周囲の状況を把握する暗殺術『無明』により、ターゲット、秘書、ボディーガードの位置、戦闘能力を把握する。

 扉のセキュリティに手をかざし、解析を始める。すぐに解析は終わり、無効化が施される。これも暗殺術のひとつ『変可』。

 扉が開いた瞬間、弾道の軌跡を読み、『風抜』でかわしながら、全員の足下にナイフを投げる。

 次の瞬間にはターゲットの首元から鮮血が舞う。『影縫』からの『血華』。

「私は『月の組織』生き残りです。それだけで意味は通じたかと」

 ターゲットである初老の男は、絶望の表情を浮かべる前に失命した。

 AI特化型暗殺部隊『月の組織(ムーン・オーガ)』、謎の壊滅を遂げたその組織の生き残りであるアサシン、プルートは漆黒のローブを身にまとい、その華奢な身体を復讐に踊らせていた。

「ようプル、順調か?」

 曲がった背骨を背もたれに預けながら、清作はいつもより軽快な口調で言った。

 プルートはいつも通り抑揚を抑え、中性的な声を発する。

「清作さん、あと一人です。これで私の直接的な復讐は終わります」

 フードで覆い隠され、その表情は窺えない。

「直接的な、とはどういうことかな? やはりお主は……」

「私はこの世界にも復讐します。あの事件の、決定権を持っていた人物を殺め続けても、この答えは変わりませんでした」

 政府直轄の暗殺部隊が、国の一存により一夜で壊滅させられた。アサシンたちに埋め込まれたAIは強力だがバグも多く、また、遺伝子操作により生まれながらに暗殺術が身に宿る。

 管理の問題、なによりその特異な体質が受け継がれることを、政府は恐れた。

 アサシンは戦うことでしか己を見いだせない。プルートの決意は必然であった。

「そうか、ならば良い方法がある。神々の記憶というものを知っているか?」


 DSが清作から渡された情報はふたつ。あのミッションは巧妙に偽装されたフェイクであること。神々の記憶を追う者を炙り出すためのミッション。そしてそれは、神々の記憶が本当に存在するということ。

 その存在を隠そうとするものは、もちろん政府である。DSはある疑問を抱いていた。

 政府は神々の記憶を所持しながらも、何故その力を行使しないのか。俺たちが知っている情報は、せいぜい都市伝説レベル。本当は世界を変えるほどのものでは無いのではないか。いや、それさえも情報操作の可能性がある。

 DSは考えを振り払うように、再び駆ける。そして、コントロールセンターへと舞い戻った。

 ――ユーザーネーム「D・S」のログインを確認。受注ミッションをローディング、SSランクミッションを遂行中。

「ミッションをクリアした。成果物『神々の記憶』を納品したい」


 オートモードのAIたちに通された、無機質に広い部屋には、スーツを着た女が一人座っていた。

「この世界の創造主を、あなたは知っていますか?」

 澄んだ声だった。抑揚のある、人間らしい声だった。

「それがお前だとでも言うのか?」

 読めない展開にDSは焦りを隠せない。ミッションボードにハッキングし、受けられるはずのないミッションを受注。神々の記憶を、その名前から記憶チップではないかと予想し、暗号化を施した無価値のチップを納品。そして、そのやりとりの中で神々の記憶に関するヒントを得る。合図を送れば清作が、情報屋のネットワークを使ってセンターのセキュリティを無効化、混乱に乗じて逃げるという作戦だった。

「この世界に存在する、AIの型番は知っていますか?」

 穏やかな、優しい口調。とても神々の記憶を追うものを、消そうとしているようには見えない。

「NELから始まり四桁の数字が続く。今は第八世代だから八から続く数字になっているはず……」

 DSは答えながら、この後の展開を、必死に思考していた。

「遙か昔、人類のテクノロジーがよちよち歩きを始めた頃。このAIが生まれるきっかけはそこまで遡ります。それは一つの小説でした。その物語は複雑に暗号化され、百年後にようやく解析されたのです。そこに記された情報を元に今のシステムが創られました。その作者の名前が型番に使用されています」

 DSはますます混乱を極める。何かの罠かも知れない。こうやって、時間を稼いでいるのかも知れない。

「その作者の末裔である私たちはずっと待っていました。神々の記憶を求める、この世界を変えたいと願う、勇気ある者を。これは、データでしかない私たちには使えないもの。あなたに託します。これが神々の記憶、人類の未来です」

 ことりと机の上に、それは置かれた。DSは動けない。

「心配はいりません。このセンターの機能は全て無効化しています。パンドラの箱……残された希望……」

 そこに確かにいたはずの女性は、輪郭が曖昧になり、砂のように消えていった。

 DSはその希望に手を伸ばした。


「そこまでです」

 DSの背後から、首元にナイフが突きつけられている。冷たい汗が大きな粒となって床に落ちる。

「そうか、お前が情報屋の言っていた希少種」

「月の組織を知っているのですか? 少しだけ驚きました。ではこの状況で戦っても無駄ということもわかりますね?」

 DSは動かない。

「殺しはしませんよ。神々の記憶を譲っていただければ貴方に用はありません」

 プルートは神々の記憶を手に取った。ナイフはDSの首元から離れない。

「神々の記憶とは、一体……。これは、液体……? 持ち帰って調べてみましょう。それでは失礼」

 プルートが離れた瞬間、DSは後ろ回し蹴りを放つ。プルートは振り返らずにかわし、DSの足下にナイフを投げる。『影縫』。

 DSは空中で跳ね、プルートの顔にめがけて水平に蹴りを放つ。真横にはじけ飛ぶプルート。神々の記憶が宙を舞う。

「割れる!」

 DSは強く地面を蹴り、大きくジャンプして神々の記憶をキャッチ。それを守るように、丸まって床を転がる。

 起き上がったところにプルートのナイフが飛んでくる。DSが首元を咄嗟に神々の記憶で守ると、ナイフの軌道が変わりそれを避ける。

「なるほど。貴方はAIが入っていないのですね。私の暗殺術が効かないのも納得です」

 首元を神々の記憶で守りつつ、じわじわと入り口へと近づくDS。

 DSは清作の存在を思い出していた。情報屋の一味は、ここセンターのセキュリティーを止めるためにスタンバイしているはずだ。

 ならば、逆にセキュリティーを復旧してもらうことも出来るはず。そうすればこいつをここに閉じ込めることが出来る、と。

 DSは一気に入り口に駆けた。そして何かにぶつかって、室内に弾き返される。

 その何かは清作だった。丸まっていたはずの背中はピンと伸び、隆々とした筋肉がその小汚い服の上からのぞいている。顔も若返っているように見えた。

「どっちか死んでくれりゃあ楽だったのによう。こうなりゃ二人とも相手してやる。言ってなかったがわしは元軍人よ」

 どうすればいい。元軍人かどうかは分からないが、尋常じゃないのは分かる。清作はついに自分の身体までも改造してしまったのだろうか。

 DSは考えを巡らせる。そして、神々の記憶を見つめ、一つの答えを導き出した。

「わかった。この神々の記憶、三等分するってのはどうだ」

 三人の視線が、一斉に神々の記憶に注がれる。褐色の瓶の中に、満タンに液体が詰まっている。たしかに、三等分しても一人あたりの分量は結構ある。

「面白いことを言う人ですね」

 プルートは微笑んだ。

「がっはは! 世界を三等分するってか」

 清作はのけぞって笑っている。

「魔王も勇者に追い詰められたら世界の半分を与えようとするからな」

 DSも余裕を取り戻したようだ。


 清作は腰にぶら下げていた水筒に、プルートは暗器と共にローブの中に入れていたカンティーンに、DSがそれぞれにその液体を分け入れた。

 清作はすぐさまそれを口に持っていく。

「ちょっ、飲むのかよ」

 DSは驚きの声を上げた。

「飲んでみんことには分からんだろ。なに、毒だとしても問題ない。わしは元忍者だからな。毒に対する訓練も積んでおる」

 ごくり。喉を通る音が、乾いた部屋に響く。

「ほう、これは……」

 清作の言葉に、注目が集まる。

「お主らも飲んでみろ。なるほど、これが神々の記憶。確かに、わしは今、神にでもなった気分だわい」

 プルートが後に続いた。

 こくっ。小さく瑞々しい音が鳴る。

「……私の、呪われた力が、消えていく」

 プルートは涙を流している。


 たまらずDSも口にする。

「げほっげほっ! な、なんだこれは……何も変化ないぞ?」

 自分の身体を確認するDS。視界が歪む。それが何故だか、心地良い。


「これはな、酒じゃ」

 二口目を飲みながら、清作が声を張る。

「遠い昔に失われた技術。わしも禁書でしか見たことがない」

 清作の顔はみるみる赤みを帯び、表情が朗らかになっていく。

「どうやら酒には、埋め込んだAIを無効化する力があるようだ。道理で政府がひた隠しにするわけだ」

 酒、AIを無効化。なんだかDSも愉快になってきたようだ。確かに、これは世界を変えることができる!


 その後、明け方まで騒いだ三人は、少量を持ち帰り、作り方を研究。大きな酒場を開店したのでした。酒場の名はもちろん……

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