隻眼の護衛は何を想う

(※残酷描写がありますので苦手な方は飛ばしてください><)




 ダンテの部屋から出た時はカンカンに怒っていたロゼッタだが、廊下を歩いているうちに落ち着いてきた。

 緊張ばかりしていて疲れてしまったためか眠くなり、遠慮がちにブルーノにもたれかかる。


 首筋にかかる柔らかな髪に、ブルーノは胸がこそばゆくなった。

 腕の中にいるのは小さな命。その小さな存在に頼られる喜びを、静かに噛み締めた。


「ブルーノ、ありがとう。おやすみなさい」

「……」


 ロゼッタがベッドに入るのを見届けた彼は、魔法で明かりを消すと、星明りが室内に差し込む。


 1日があっという間に過ぎた。

 護衛をしろと言われて初めは戸惑った。そんな約束はしてないぞと抗議した。

 それに、これまで人を殺すことはあっても守ることはなかったのだから何をすれば良いのかわからなかった。


 白銀の死神。

 ブルーノはかつてそう呼ばれていた。


 ダンテに拾われるまでは暗殺を生業としていたのだ。

 生まれはここから遠い異国の地。みなしごだった彼を暗殺組織が引き取り、兵器として育てられた。兵器に感情はいらない。任務をこなすうちに本当に感情がなくなっていった。

 この国に来たのは、ディルーナ王室の第一王子を殺す任務のためだった。しかし任務は、ある事件のせいで失敗に終わってしまった。

 彼が片目を失ったのは、その事件からだった。


 第一王子が頻繁に王都の外に出て国内各地に赴いている噂を聞きつけて、次に来るとされる小さな街に潜んでいた。


 小間使いのふりをして身を潜めているうちに、ある夜、おぞましい殺気を感じ取った。他にも同業がいるのかもしれないと、偵察しに外に出た。


 薄暗い路地裏に、その正体は立っていた。栗色の髪を結いあげた女だった。手にはナイフを持っており、その後ろには、殺された少女の亡骸があった。


 ここにいちゃいけない。ここから立ち去れ。頭の中で本能がそう言ってきた。あれは手に負えない、と。しかしその警告も虚しく、女は彼に気づいた。


「あら、珊瑚色の瞳の……もしかして、あんたが持っているの?」


 ブルーノの目は、左右で色が違うかった。彼は空色の瞳と、珊瑚色の瞳を持っていたのだ。


なかったのよ」


 足を一歩引くと、女がナイフを投げてきた。右目に激痛が走るが、隙を作れば殺されると思って雷魔法を放った。女は雷が当たっても動きを止めない。ブルーノも武器を取り出そうとしたその時、声が聞こえた。


「こっちだ!」

「待て!」


 大勢の足音とともに声が聞こえてくると、女は逃げて行った。彼もその場を離れようとしたが、ふわりと身体を支えられた。


「大丈夫?!」


 支えてきたのは、白金色の髪に、珊瑚色の瞳の女性。白いシャツに黒いスカートといった簡素な服装だが、どこか品がある。平民には見えなかった。

 彼女たちは殺された少女の叫び声を聞いて駆け付けたらしい。ここ数日、少女を狙った事件が増えており警戒していたそうだ。

 ブルーノはそのまま病院に連れていかれて手当てを受けて、しばらく彼女の世話になった。片目が見えなくなってしまった彼のために、食事の世話をしてくれたり、片目に慣れるように生活を手伝ってくれた。 


「きみ、何て名前なの?」

「……」


 名前なんてなかった。番号か「白銀の死神」と呼ばれてきたのだ。


「じゃあ、勝手に呼んじゃうわよ? あなたの名前はブルーノね」


 彼女が昔飼ってた犬の名前らしい。銀色の綺麗な毛並みの犬で、賢くて、片時も離れなかったそうだ。大切な存在だったらしい。

  

 彼女はローゼと名乗った。

 旅の途中で、街の小さな宿屋に泊っていた。太陽のように明るい人だった。街の人とも宿屋の人とも、すぐに打ち解けてしまう。ブルーノもまた、少しずつだがそんな彼女に心を開いていった。


「いい? 私がいない間に外に出ちゃダメよ?」

「……なんで?」

「今日は人がいっぱいいて危ないからよ」


 その日の夜、彼女は珍しく外出した。小さな街に人が溢れかえる夜だった。当時世間を騒がせていた怪盗がオークションハウスに現れる予告をしていたらしく、それを聞きつけて見物に来たそうだ。


 ブルーノは不安だった。大勢の人の気配に紛れて、またおぞましい殺気を感じ取っていたのだ。本当はローゼに外出してほしくなかった。だからローゼが外に出た後、こっそりとついて行った。

 

(妙だ。気配を隠そうとしてる奴等もいる)


 外には数日前に感じ取った女の殺気もあれば、身を潜めている手練れの集団の気配もある。気配に気を取られているうちに、ブルーノはローゼを見失った。怖くなった。彼は殺気やそれに似た気配は感じ取れるが、逆に言えばそうじゃないものは感じ取れない。

 ローゼがどこにいったか分からなくなってしまい、不安に駆られた。


 嫌な予感がして、あの女の殺気をたどる。どんどん強くなる殺気に、気分が悪くなった。辿るうちに、街を抜けて、森に出た。血の匂いがして、ブルーノの心臓が早鐘を打つ。


 森の中の開けた場所に、彼女たちはいた。


 輝く金色の髪の女性が地面に倒れていた。シャツは血が滲んで染め上がっている。髪が覆いかぶさって顔は見えない。その後ろには、栗色の髪の女がいる。


(ローゼ?)


 頭の中が真っ白になったブルーノは、女と、目が合った。


「ねえ、女神の秘宝、やっぱりあんたが持ってるの?」 


 一瞬だった。脇腹に痛みが走る。ナイフが刺さっていた。呻き声を上げ、痛みと熱でよろけそうになる。


「あら、男だったの。じゃあ、持ってないわね」


 声を聞いた女は残念そうだった。髪が長いブルーノを女の子と勘違いしていたのだ。そのまま立ち去ろうとしたのを、逃すものかと、身体に力を入れて立ち向かった。

 武器を手にして動きを封じ、何度も呪文を唱えて、雷を放った。雷に打たれているというのに、女は嗤っていた。人間じゃないと思った。


「残念ね、この身体も気に入ってたのに」


 女の身体から黒い霧が吹きだして、空高く昇っていき、森の中は静かになった。

 限界だった。足に力が入らなくなり、地面に倒れこむ。


「ローゼ…」


 這いつくばって近寄るが、彼女は返事をしてくれなかった。


 久しぶりに泣いた。

 涙でぐちゃぐちゃになった視界が閉じていきそうになった時、声がした。


「しっかりしろ、ここで何があった?」


 滲む視界を凝らしてとらえたのは、赤い髪の男、ダンテだった。

 

 助け起こしてくれたダンテは泣きそうな顔をしていた。後ろでは幾人もの騎士が頭を垂れて泣いている。その真ん中では、殺すべき第一王子がローゼを抱き起して、涙をこらえていた。


(そうか、あの妙な気配は騎士団だったんだ)


 獲物を見つけてても、いつものように身体が動かなかった。任務なんてもうどうでも良かった。

 吐いてしまうほど身体が痛かったし、息ができないほど胸が締めつけられて苦しかった。


 初めて仕事を放棄した。


 このまま死ぬかもしれない。でも、死んだらローゼに会えて、一緒にいられるかもしれない。そう願ったが、天は死神の願いを聞いてくれず、生き残ってしまった。


 目を開ければバルバート邸に居た。ダンテが呼んだ治癒師と医者のお陰で一命を取り留めたのだ。

 

 目を失ってしまったし任務は失敗した。組織に戻れば殺されるし、組織の人間に見つかってもまた、殺される。それなら、早く彼女のもとに行きたかった。


「俺は、王子を殺しに来た」


 ダンテに真実を話した。騎士団に突き出して、処刑された方がすぐに会えると思った。しかし、ダンテはそうしなかった。

 彼の中にあるローゼの記憶を失いたくなかったのと、犯人を退けた力を必要としたのだ。


「仇討ちの仲間になってくれ」


 それまで仲間と呼ぶ者なんていなかった。ローゼを失った者同士で、初めて絆が生まれた。

 失敗すれば殺される世界で生きてきた彼は必要とされることなんてなかったから、その気持ちに応えたくなったのだ。

 こうして彼は、ダンテと一緒に犯人の魔女を探して仇を撃つ共闘関係を結んだ。


 子どものお守りをするなんて、そんな約束はしてないと断ろうとしたが、眠るロゼッタの前に連れてこられた時、その決心は揺れた。ローゼによく似た雰囲気の少女の横顔を見て、彼女を思い出してしまったのだ。


 ブルーノがじっと見ていると彼女はうなされ始めて、苦しそうに譫言うわごとを口にした。彼女が闇オークションで捌かれそうになったと聞かされていたことも相まって、弱々しくてすぐに消えてしまいそうに見えた。

 彼は部屋を出てからも彼女の譫言が頭から離れなかった。そして断れないまま、彼女は目を覚ましてしまった。

 今日一日だけは護衛をしようと思って彼女の傍にいたが、一緒にいるうちに気持ちは変わった。


『ブルーノ、待っててくれてありがとう』


 ロゼッタが何気なく口にした一言が彼を動かした。彼女の心に触れて、もっと傍にいたいと思ったのだ。

 恐ろしい思いをして、知らない場所で不安を抱えている少女は、それでも自分を気にかけてくれていて、心の強さを感じた。

 強くて優しいその心に魅せられたのだ。


 そんな彼女が緊張を解いて寄りかかってくれると胸がこそばゆくなり、温かいものが広がっていった。

 彼は頼られる喜びを、初めて感じたのだ。

 

 彼女は新しくできた大切な存在。

 今度こそだれにも殺させないと、ブルーノは心の中で誓った。


 片時も離れずに守る、と。


「……おやすみなさいませ」


 また明日も、その珊瑚色の瞳に自分を映して欲しい。

 ブルーノは小さな主人が夢の世界に誘われていくのを見守った。 

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