みなしごは花の顔の男爵に拾われる
お目当ての商品が登場して、会場の騒めきは最高潮に達した。
仮面の中の瞳から注がれる視線に気分が悪くなる。
これまでに向けられたことのない類の悪意だ。異常な執着、欲望を叶えるためなら手段を選ばない残忍さ、そして、弱者を手にかける優越感に浸る加虐心。
女神の秘宝という、伝説の蒐集品を見つけて手にしたい。彼らにとって少女の命なんて、風が吹けばすぐに飛ばされてしまうほど軽いのだ。
「今宵は珊瑚色の瞳を持つ少女を仕入れてまいりました。近頃は警備が厳しいゆえ入手困難でしたが、これも何かの運命。さあ、女神の秘宝を探し求めるコレクターたちよ、我こそはと思う者は金額を提示してください! 500ペクーからスタートです」
競売人の声に促されて仮面たちが口々に値段を口にする。仮面の下に隠した思惑が交差する。互いに出方を窺って金額を釣り上げていった。
「現在は17番様の1000,000ペクーが最高入札価格です! 他にいらっしゃいますか?」
会場はどよめいた。
悔しがる声が聞こえてくる。街1つを買い取れるような金額だ。さすがに右に出る者は現れないだろうと、ハンマーが叩かれる音を待っていた。
「――おや? 23番さん、いかがですか?」
23番の札を持つ人物が、スッとその札を挙げる。黒地に金色の星の装飾が施されている仮面をつけたその人物は立ち上がり、会場中の視線が集まる。
薄く形が整った唇の端がわずかに持ち上がった。
「”燃えよ”」
口にしたのは呪文だった。若い男の声で唱えられると、会場内を炎が走り出す。観客たちは我先とばかりに立ち上がって出口に集まり始めた。
「オイッ! 商品に手を出すな!」
「人聞きが悪いな。救助だ」
ロゼッタの身体を、星の仮面の男が抱き上げたのだ。仮面を外し、追ってくる商人に投げつける。その反動でフードが外れた。
フードの下から現れたのは、ロゼッタと同じ赤い髪を持つ男。
整った顔立ちに、余裕に満ちた微笑みを浮かべている。エメラルドのような色の瞳は吸い込まれそうなほど美しい。
この男、その美貌で王都中の女性を虜にしている噂の貴族。流した浮き名は数知れず。
「くそっ! バルバートが紛れてたのか!」
「騎士団の犬め!」
名前はダンテ・バルバート。男爵家の若き当主で王都屈指の老舗オークションハウス『ギャラリー・バルバート』の支配人。気難しいコレクターを相手取る手腕は然ることながら、違法取引を摘発するため騎士団に捜査協力しており、有名人だ。
奴隷商人や会場に集まった客たちは狼狽えた。彼がいるということは、騎士団が近くにいるはずだ。
その予感は当たり、会場の後ろにあった大きな扉が開かれると、客を押し戻して騎士たちが入ってくる。
「そこまでだ! 会場は我々ディルーナ王国第二騎士団が包囲した!」
漆黒の髪を結いあげた美しい女性騎士が声を張り上げた。騎士たちは次々と場内の違法取引者たちを捕まえてゆく。
彼女は水魔法で炎を消し去ると、ダンテの腕の中にいるロゼッタの手足と口を自由にしてやった。
「この子をどうしたもんかね。君、名前は?」
「……ロゼッタです」
「家の名前は?」
「ないです」
「孤児を攫ったのか……卑劣なマネを」
騎士の名前はエルヴィーラ。王国第二騎士団の団長で、ダンテとは共同捜査するうちに打ち解けた仲だ。はっきりとした物言いと面倒見の良さで部下たちから慕われている。
「なら、俺が引き取る」
「はぁ?! お前、まだ妻も娶ってないのに?」
友の戯言に瞠目した。ダンテは妻どころか婚約者もいない。ふらふらと何人もの女性と噂を流しているため、そろそろ身を固めろと説教したくらいだ。仕事では頼もしいが、女性関係となるとだらしない男。いつか身を亡ぼすぞと何度言ったかわからない。
(さりとて気まぐれにものを言う奴ではない。子どもを引き取ってどうするつもりだ?)
腹の内がわからない。ダンテはいつも、一線を引いて本心を隠している。砕けて話していたとしても、その実なにを考えているやら計り知れず煙に巻かれることがある。
無理矢理聞き出すのも野暮だろうとそのままにしているが、子どもはそうもいかないだろう。
「身を固めろといったのはエルヴィーラの方じゃないか」
「まさかお前、その子を妻にするのか?! 見損なったぞダンテ・バルバート!」
「まっ待て、剣を向けるな! 養女にするんだよ!」
ドクン、とロゼッタの心臓が大きく脈を打った。
見上げて視線がかち合うと、ダンテは先ほどまでの微笑みを消して眉を根を寄せる。まるで忌々しいものを見ているような顔。
(なんで……?)
奴隷商に売られた時に見せられた養父の顔を重ねてしまった。
その表情に、胸をズタズタに引き裂かれてしまった。口では引き取ると言ったが、歓迎しているわけじゃない。そんな人の家に行きたくない。悲しい未来が目に見えているのにわざわざ選ぶはずがない。
「やだ」
震える唇で必死に訴える。もう誰の家にも引き取られたくない。
「孤児院に帰りたい」
「お前がそこに帰ったら、悪い奴らが来て大切な仲間たちを殺してしまうかもしれねぇぞ? それでもいいのか?」
鼻で笑って一蹴された。冷たい声が言葉を並べ立ててくる。泣きたくなった。実際に目には涙が浮かんでいる。それでも流さないのは、悔しいからだ。
何も悪いことをしていないのに責めるような目で見つめられるのが悔しくて、ダンテを睨みつけた。
私が何をしたっていうの、と言わんばかりに。
離してほしくてジタバタした。抱きかかえられているせいで視線から逃げられないロゼッタは苛立ちを覚えた。嫌いならさっさと離してくれたらいい。
「お前のせいでみんな死んでしまう」
「バルバート、よせ」
エルヴィーラが諫めてもダンテは聞く耳を持たない。何か引っかかる。しかし、簡単に踏み入れてはいけないことのような気もする。彼女は豹変してしまった友の頭を小突いた。
いったいこいつはどうしてしまったんだ。相手が女性なら胸焼けしそうな微笑みを振りまいているというのに、この子どもの前だと驚くほど怖い顔をする。
「じゃあ、一人で生きていくもん! 離して!」
ロゼッタは必死だった。もう誰にも引き取られたくない。諦めてほしい。可愛げのない態度でいれば向こうも欲しがらないだろうと高を括っていた。
「怖いオッサンに捕まるかもしれねぇぞ? 閉じ込められて、何をされるかわからない」
(おいおい、それは脅しだ。いつもはもっと気の利いた言葉で口説いてるじゃないか。本当に、どうしてしまったんだ?)
「俺は違う。俺はお前みたいなガキに手を出す趣味はない」
エルヴィーラは盛大に吹き出してしまった。
騎士団が犯人たちを捕まえている騒然とした現場で、少女を相手に必死で口説いている友。滑稽だと思うと同時に呆れてしまう。
しかし悲しいことに、少女にはその必死さが伝わらない。まだ幼い彼女に回りくどい感情なんて伝わらないのだ。冷たい視線を向けられたショックが、彼の本心が届くのを妨げる。
一向に引き下がらないダンテに業を煮やした彼女は、自分にかけられた呼び名を思い出した。
「私は呪われた少女って呼ばれてるのよ! 私を引き取ったら誰かが死ぬか、家がなくなっちゃうんだから!」
これまでに引き取られた家族の言葉を思い出す。気味悪がって、罵られた言葉を。悔しくて涙が溢れた。
早く解放されたい一心で睨みつける。
「噂は聞いていたが、この子が本当にその子どもなのか?」
エルヴィーラは王都にまで届いたある噂を思い出した。
とある地方で相次いで貴族家に不幸が起こった。中には没落してしまった家もある。彼らには共通点があった。どの家も、目を奪われるほどの美しく、赤い髪の少女を引き取っていた、と。
「……じゃあ、俺を呪い殺してみろ。どんな最期を呼んでくれるのか見ものじゃねぇか」
ついにヤケを起こしたか、とエルヴィーラは開いた口が塞がらなかった。
いったい、こいつに何があったのかはわからない。ただわかるのは、この少女の前では冷静さに欠けてしまうほどの何か思い入れがあるのかもしれない。さて、どうしたものか。
チラとダンテを窺えば、まっすぐにロゼッタを見ている。普段のように取り繕って笑っていればこの少女ももっと話を聞いてくれるだろうに、よほど余裕がないように見受けられる。
(やれやれ、器用な奴だと思っていたのに。意外にも不器用な一面を見せられると余計な世話を焼きたくなってしまう)
こんなにも人に執着する友をこれまでに見たことがなかった。
両親を事故で失ってから1人で家業を切り盛りしてきた苦労人には幸せになってほしい。
一肌脱いでやるか。自分も他の奴らと同じで、こいつには甘くなってしまうもんだな、とついつい苦笑が漏れてしまう。
「ロゼッタ、こいつは口は悪いが乱暴は働かない。きっと守ってくれるだろう。それに、子どもには大人になるまで守ってくれる人が必要だ。その代わりと言ってはなんだが、この寂しい独身貴族の家族になってやってくれないか?」
「入れ知恵するんじゃねぇよ」
ダンテからロゼッタを取り上げ、抱いて涙を拭いてあげた。背中を撫でてやると緊張が解けてしまったのか、嗚咽を上げて泣き始めた。
「ずっと一緒にいるのが嫌なら1年だけでもいい。傍にいてやってくれ。意地悪されたら私が制裁を下してやろう」
「遊びに来てくれる?」
「もちろんだ。息子と一緒に遊びに行こう」
ダンテが何か言いたげだが目で制す。余計なことを言うな。説得したかったら大人しく聞いておけ。
花の顔ともてはやされ数々のご令嬢を意のままに相手してきた男は、一児を持つ母親の貫禄を前にして何も言えなくなってしまった。
エルヴィーラの貢献により、ロゼッタは小さく肯首した。
かくしてこの少女はダンテ・バルバートの養女となった。
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