隻眼の護衛は掃除していた
時はロゼッタがジラルドにエスコートされた頃に巻き戻る。
エルヴィーラの前を後にしたブルーノは、目を閉じ静かに精神統一した。
再び開かれた水色の瞳は翳り、冷たい光を孕んでいる。これが”白銀の死神”の表情だ。
(なんで今更あいつらが狙ってくるんだ?)
敵は古巣の暗殺者だ。
外出先で、しかもよりによってロゼッタが近くにいる時に現れるてしまうなんて分が悪い。
エルヴィーラも気づいてロランディ家の騎士を貸してくれたのは幸いだった。
ブルーノはロランディ家の騎士たちに指示を出して下級の相手を迎え撃ってもらう。
自分が相手をするのは、その親玉だ。
彼の目の前に黒い装束の男がユラリと姿を現す。
目が合うなり、不気味に笑った。
「……ずいぶん遅い始末だな」
「はっ。勘違いしてるぞ。これは高貴な方からの依頼だ。お前は厄介な連中に守られてて手を出せなかったが、依頼があったからこうやって来てやったのさ」
「……?!」
耳を疑った。
自分を守る人物なんて思い当たらない。
(旦那様が? いや、あのお方はこっちの世界には疎いはず)
ダンテ以外に自分のことを知り、守ろうとしてくれる人なんて果たしているのだろうか。
思案を巡らせてみたが、すぐに止めた。
今はこの獲物を屠ることにのみ集中しなければならない。
一息に距離を詰めて男に斬りかかる。逃げる相手を雷で囲って身動きを封じ、また斬りかかった。
黒霧の魔女に比べると他愛もなかった。
男は息も絶え絶えになりながら、気味の悪い微笑みをまた浮かべる。
「元仲間のよしみで教えてやるよ。禍々しい殺気を放つ貴婦人がお前の殺害を依頼してきた。お前、いつか殺されるぞ」
「俺の仲間は旦那様だけだ」
ブルーノは剣を振り下ろした。
すると、男の体から黒い霧が溢れてブルーノの首を締める。苦しむブルーノの周りを、新手の不届き者たちが取り囲んだ。
(囮だったのか……!)
意識が朦朧とする中、庭園からロゼッタの声が聞こえてきた。
――「いいのっ! ブルーノは私の護衛よ!」
ブルーノは意識を取り戻す。
(行かなきゃ……お嬢様に何かあったんだ)
無我夢中で黒い霧に剣を突き立てる。
――「優しくて強くてカッコよくて、人を見下してるあなたとは違って大人でしてよっ! このませガキっ! ジラルドだって子どものくせに!」
早く駆けつけたい一心で不届き者たちを始末していく。目にも止まらぬ動きに、駆けつけたロランディ家の騎士たちはただ見ているだけしかできなかった。
(あのませガキが泣かせてるのか。ただで済むと思うな)
剣呑なオーラを纏いながら立ち上がったブルーノを、ロランディ家の騎士たちは屋敷の中に案内する。客間に連れていかれると、上等な服が用意されていた。
エルィーラの計らいで、ロランディ侯爵の服を貸すよう使用人たちに言いつけてくれていたらしい。
「……私を守ってくださっていたのは、あなたたちですか?」
服に袖を通しながら、近くにいる騎士に尋ねる。
年かさの男で、貫禄がある。ロランディ家の騎士団の中でも上の方の騎士だろうと踏んだ。
男は朗らかに微笑む。
「ええ、奥様のご命令です。奥様はあなたの正体も全てご存じですよ」
「……?!」
「第一王女殿下があなたを生かしたから、生き続けて欲しいと願っていらっしゃるのです」
ブルーノは言葉を失った。眼帯に手を当て、ローゼの笑顔を心に浮かべた。
ディルーナ王国第一王女ジルダ。
それがローゼの本当の姿なのは、ダンテから聞いて初めて知った。
(俺はまだ、ローゼに生かされている)
記憶の中の女性はずっと微笑みを向けてくれていた。一緒に過ごした束の間の日々は、今も彼にとっては大切な思い出だ。その数日間が、彼を暗闇から導いてくれたのだから。
ブルーノは上着を羽織り、足早に部屋を出た。
◇
庭園に戻ると、ロゼッタがダンテの腕の中でイヤイヤと頭を振って暴れているのが見える。
「お嬢様……!」
近づくと、勢いよく抱きついてくる。
小さな身体をしっかりと受け止めた。
たった数十分離れただけなのに、随分と長い間、彼女から離れてしまっていたような気がした。
首筋に当たる髪の感覚や、ポカポカと温かい体温に安心する自分がいるのだ。
「ブルーノ、どうして居てくれなかったの?! なんで服が違うの?!」
「……」
少女に話すのは躊躇われた。
不届き者のとはいえ、人を殺めてきたのだ。正直に話すわけにはいかなかった。
困っていると、エルヴィーラが助け舟を出してくれる。
「すまないね。うちの犬と遊んでくれてて汚れたんだ」
それでもまだ、彼の小さな主人は納得していない様子だ。
赤くなった目で、咎めてくる。
(傍にいなかったから怒っていらっしゃるんですね)
申し訳なくなるのと同時に、胸の中が温かくなる。
小さな腕が一層力を込めて抱きしめてくるのだ。そんなにも必要としてくれることが嬉しかった。
「……申し訳ございません」
ロゼッタを抱きしめた。
安心して泣き始めた彼女の背中を優しく撫でる。しゃっくりを上げて震える背中は小さく、華奢だ。
先ほどまで武器を握りしめていた彼は、力を入れすぎないように気をつけて、そっと撫でた。少女の身体は触れるだけで壊れそうではらはらするが、触れていると先ほどまで殺意に満ちていた心が凪いで落ち着く。
ずっとこうしていたいと思った。
「もう片時も離れませんから」
「いや、今すぐ離れろ。最近ベタベタとくっつき過ぎだぞ」
妬いたダンテが割って入ろうとしたが、ロゼッタがギュッとくっついて離れなかった。
◇
その日の夜、寝室のソファに座っているロゼッタはまだふてくされていた。何があったのか聞いているのだが、話してくれない。
ブルーノは彼女の前に跪いて、例の上目遣いをしてみる。
すると相手は「うっ……」と声を漏らしたが、それでも頑なに口をへの字にしたままだ。
「……お嬢様、ジラルド様と何があったのですか?」
彼女が泣いたのは間違いなくジラルドとの間に何か問題が起きたからである。聞こえてきた叫び声の内容から推測できるのだが、何を言われたのかまではわからない。
じっと見つめていると、さすがに観念したようで、口を開いた。
「言葉遣いも礼儀も知らない恥ずかしい大人になりたいのかって言われたわ。それに、ブルーノに甘えて子どものままでいるつもりなのかって」
「……」
ブルーノの目が微かに細められたのだが、ロゼッタは気づいていない。悔しそうに話を続ける。
「私、ブルーノに甘えすぎなのね」
「……いいえ、そんなことはありません。護衛には甘えるものです。どうか私から仕事を取り上げないでください」
そう言って両手を広げると、ロゼッタは躊躇いつつもすっぽりとおさまった。
小さな手を背中に回してピトッとくっついてくるのが愛おしくて、思わず唇の両端が持ち上がる。
しかし、その心の中はジラルドへの怒りが渦巻いていた。
余計なことを吹き込むとは見過ごせないな、と心の中で呪詛を呟く。
(ロランディ侯爵夫人の令息でなければ始末しているところだった)
水色の瞳は冷たい光を帯びていた。
腕の中でロゼッタがもぞりと動くと、その心の中にある殺意を悟られないように、髪を梳くように優しく撫でた。
まるで、触れるだけで壊れてしまうガラス細工を撫でるかのように、ゆっくりと。
(誰にも渡すものか)
ジラルドの言葉に感化されたロゼッタが自分から離れてしまうことを考えると、ぞっとした。
子どもの口喧嘩で出てきた言葉だ。本気で自分たちを引き離すために言ったのではないとわかっていながらも、ブルーノにとっては許しがたいことだった。
誰であろうと、あの手この手を使ってでも引き離そうとするもんなら、容赦はしない。彼女は、この世でたった1人の大切な存在なのだから。
大切な主人。
自分だけの大切な主人だから。
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