拾われ令嬢はもっと我儘を言ってみた

「泊まりがけだなんてダメですわ。ダンテがいない間に何かあったらどうするんですの?」

「我儘を言って困らせるな。大切な仕事だから行かなきゃいけねぇんだ」


 バルバート邸の玄関ホールでは問題が起きていた。

 当主ダンテが養女にした花の妖精のような少女が彼の出張に反対し、当日の朝だというのに我儘を言って出発を邪魔しているのだ。


(だったら、なんで嬉しそうなのよ?)


 ダンテは諫めるような声とは裏腹に、目元を綻ばせている。ロゼッタが引き止めてくれているのがよほど嬉しいらしい。

 しゃがんで目線を合わせると、エメラルドのような瞳を甘くして見つめてくる。


 そんな気持ちを知らない彼女は、徹底的に我儘を言って困らせることにした。


「ダンテが家にいないと嫌ですわっ!」

「俺もお前を置いていくのは不安だが、仕事なんだよ。わかってくれ」

「じゃあわたくしを連れて行ったらどうですの?!」

「それはできない。お留守番しろ」

「わたくしはお留守番なんて嫌ですわ! ダンテも行かないでっ!」


 ロゼッタは小さな身体で精いっぱい声を張り上げ、イヤイヤと駄々をこね続ける。


 始めは上機嫌のダンテだったが、彼女の言葉を聞いているうちに表情が曇り始めた。

 眉根を寄せている彼の顔をチラッと見たロゼッタは、我儘作戦の手ごたえを感じる。


(あら、今回は上手くいったかしら?)


 周りに視線を走らせると、始めは微笑ましく見ていた使用人たちからは気まずそうな空気が流れてきている。カストは苦虫を噛みつぶしたような顔をしているし、ラヴィは今にも泣きそうな顔をしているのだ。


「まったく、急に我儘になってどうしたんだ?」


 ダンテは顎に手を当てて、自分の服をぎゅうっと掴む小さな手を見つめた。考え込んでいる彼の横顔を、ロゼッタはドキドキとしながら見守っている。


 怒られるだろうと覚悟していたし、何か言われたら言い返してやろうと意気込んでいたのに、彼が口にしたのは予想外の決断だった。


「……仕方がない。そこまで言うなら今回は止めよう」

「えっ?!」


 ダンテは彼女の額や頬に、軽く触れるキスをする。

 ロゼッタは珊瑚色の瞳をパチパチとさせた。困らせているはずなのに、なぜか彼は怒らないし、優しい。


 何が起こったのかわからなかった。


(何なの? ダンテ、どうしてなの?)


「その代わり、今日はずっと傍にいろよ?」

「えっ、あのっ、ダンテ……?」


 まさか彼が取りやめてくれるとは思いもよらなくて困惑した。

 この出張は前々から決まっていたことで、まして今や当日の朝だ。彼が行かないとなると、多くの人に迷惑をかけることになる。

 

(なんでっ?!)


 ダンテは呆然とするロゼッタを抱き上げて、そのまま執務室に連れて行った。彼は宣言通り、ロゼッタを抱っこしたまま離さないつもりらしい。


 ロゼッタは気まずくて仕方がなかった。

 彼は目の前で、関係者に向けた謝罪の手紙を何枚も書いては魔法で送り出しているのだ。

 自分の思いついた我儘が、ダンテや仕事仲間、そして取引相手に迷惑をかけてしまった。それなのにダンテと目が合えば優しい瞳で見つめられ、我儘を言ったことが後ろめたくなってしまう。


(なにがなんだかわからないわ。私、おかしなことをしちゃったのかしら?)


 思い返してみても、自分は確かに彼を困らせるような我儘しか言っていない。彼の真意がわからず、悶々としたまま昼下がりになった。

 ダンテと一緒に居間パーラーで休憩することになったのだが、そこでも彼はロゼッタを膝に乗せて、離そうとしない。

 紅茶を片手にぼんやりと物思いに耽っているダンテには話しかけ辛かった。暇を持て余して本を読んでいると、突然、彼はふわりと抱きしめてきた。


「ロゼッタは本当に、小さくて弱いな」

「……ダンテ?」


 彼女の存在を確かめるかのように、腕に力を込めて頬ずりする。

 ロゼッタは固まってしまった。耳元に届く彼の声は弱々しい。縋るような仕草と初めて聞く声に、すっかり動揺してしまった。


「こんなに幼くて、何もできないのに、1人で生きていけるわけないだろ?」

「なっ、なんですの?! 馬鹿にしていますの?」


 振り向いて睨むと、寂しそうな微笑を返される。ロゼッタは何も言えなくなった。

 ダンテはふざけていないし悪意もなさそうだが、どうしてこんな事をしてくるのかわからなくて、ただただ困ってしまう。


「覚えていてくれ。お前に寂しい思いはさせない」


 彼は優しく頬を撫でてくる。

 寂しい思いをさせないと、そう口にする彼の方が寂しそうだ。朝の罪悪感もあって、ロゼッタはいつものようには言い返せなかった。


 こんな状態が夜も続いた。

 今日は一日中ロゼッタを取り上げられてしまったブルーノはご機嫌ナナメだ。四六時中、ダンテの後ろで恨めしげな視線を投げつけているのであった。



「ねぇ、ナナ。ダンテはどうして悲しそうにしていますの?」

「旦那様がですか?」

「ええ、私が我儘言ったからお仕事に行けなくて、怒ると思っていたのに落ち込んじゃっている気がしますの」

「……お嬢様のせいでは、ありませんよ」


 ナナはふわふわのタオルで湯あみを終えたロゼッタを優しく拭く。タオルで彼女を包むと、そっと抱きしめた。


「お嬢様、この家に大旦那様と大奥様はいらっしゃいませんよね?」

「ええ……。ずっと昔に亡くなられたのですわよね?」

「お二人は、お仕事の視察に行って事故に遭って亡くなったんです」


 初めて聞く話だった。

 彼の両親が死んでいることは聞いていたが、その理由までもは教えられていなかった。

 来たばかりの、それも幼い少女に話すにはまだ早いだろうとダンテが隠していたのだ。


「きっと、旦那様はそのことを思い出されているので悲しそうに見えたのでしょう。出張を中止されたのは、自分に何かあればお嬢様を独りにしてしまうとお考えになったためだと、私たち使用人は思っております。旦那様は家族を亡くされて、長らく辛い思いをされていたんです」


 ナナの腕は震えていた。

 数年前に突如訪れた、主人の死。使用人たちもまた、ロゼッタを見て当時のことを思い出し、不安になっていたのだ。


『覚えていてくれ。お前に寂しい思いはさせない』


 昼間にダンテが口にした言葉を思い出す。


(ダンテは、寂しいのね。そうだわ、のよ)


 これまで孤児院で育った彼女は親を失う気持ちを想像できないが、悲しいお別れであることはわかっている。


(今日はもう嫌われるのやめるわ。ダンテを悲しませてしまったんだもの)


 ふわふわのタオルに包まれた少女は心の中で養父に謝罪した。



 ◇



 寝室に行くと、なんと寝間着姿のダンテがいた。彼がここに来ることは滅多になく、ロゼッタは訝しく思う。

 ブルーノも怪訝そうにしてロゼッタから離れようとしなかったのだが、カストが現れて外に連れ出してしまった。


「何ですの?」

「今日はずっと一緒にいる約束だろ?」

「今日はもう終わりますわ」

「まだ終わってはいない」


 プイッと無視してベッドに入れば、ダンテは隣に寝転び、頬杖をついて覗き込んでくる。


「私のベッドですのに」


 キッと睨み上げると、寂しそうな微笑みを返された。そんな顔をされると調子が狂ってしまう。今朝の罪悪感もあり、出て行けとまでは言えなかった。


「あっち向いてくださる? ずっと見られてると寝れないですわ」

「我儘だな」


 ダンテはロゼッタに腕枕して、包み込むように反対側の腕をまわす。


 彼の視線は感じなくなったが、されるがままになってしまったロゼッタ。吐息がかかるほどの距離に顔があって困惑してしまうのだが――


「蹴るんじゃねぇぞ」

「失礼ですわね。暴れたりしませんわ」


 いつもの調子で話しかけられムキになっていると気持ちは解れてきた。

 さらさらと髪を撫でてもらっているうちに、瞼が重くなっていく。


(まだ眠っちゃダメよ。ダンテに謝らなきゃ)


 ロゼッタはくるりと身体をダンテの方に向けた。珊瑚色の瞳でじっと彼の顔を見上げる。

 

「ダンテ、我儘言ってごめんなさい」

「気にするな。俺にも思うところがあって行かないことにしたんだ」


 見つめてくる視線は優しい。いっそのこと怒って欲しいとロゼッタは思った。その方がまだ胸が苦しくないような気がした。


「……聞いてくれ。俺には一度、家族が誰もいなくなっちまった時期があった。家族が残してくれたオークションハウスを守っていれば寂しくないと思っていたが、無理だった」


(ダンテ、やめて)


 彼が何を言おうとしているのか、ロゼッタにはわかってしまった。これまで自分の過去を、ましてや家族の話は全く話そうとしてこなかった彼だ。

 ナナから聞いた話も合わせて、今日このタイミングで口にすることは推測できた。


「ロゼッタと出会って、俺はまた家族ができて嬉しいよ。お前がいるからもう、寂しくない」


 この少女がいるからこそ自分は喪失感を忘れられる。彼女は彼にとって、もはや生きる理由で、かけがえのない存在なのだ。


「どうか俺の前から消えないでくれ。お前に出て行かれたら、俺はどうしたらいいかわからない」


(やめて。そんなこと言わないで。お願いだから、もうやめて)


 いつか出て行こうとしている少女には酷な話だった。ロゼッタは自分でも気づかないうちに眉尻を下げてしまう。


「悲しい話をしちまったな。今日はもう寝よう」


 しょんぼりとしてしまった彼女の頭に、いくつものキスを落とす。

 抱きしめられながら頭を撫でてもらっているうちに、ロゼッタは眠りに落ちていった。


(ロゼッタ、俺は卑怯で汚いよな。何を言ったらお前が傍にいてくれるのか、わかって言っているんだもんな)

 

 彼女の波打つ赤い髪を自分の指に絡ませる。指からすり抜けてしまわないように巻きつけた。


(今日のことを、こいつはどう思ったんだろうか。いまさら父親の真似事か、と呆れられてしまっただろうか?)

 

 彼女が自分のことをどう思っているのか気になっていた。不安になる一方で、腕の中にいる愛おしい少女の重みに胸が満たされる。

 この世にたった1人しかいない家族。自分がそうさせた存在だ。


 養父になったのは不純な動機だった。

 ダンテはロゼッタに、ローゼの娘役を密かに求め、家族として迎えた。


 自分の目の前から消えた愛おしい人が、あのひと時にできた子どもを残してくれたのかもしれないと、どうしようもなく歪な希望を満たすために。


 だからこそ彼は、彼女の父親だと名乗ることを躊躇っていた。こんな歪な考えを持っている自分に父親を名乗る資格は持ち合わせていないと思っているのだ。


(すまない、ロゼッタ。俺は本当に、どうにかしちまっているんだ)


 その希望が彼を悩ませ続けていたが、黒霧の魔女への仇討ちのために生きながらえていた彼にとって、ロゼッタが暗闇の中に差した一筋の光であることに変わりない。

 ローゼがいない残酷な世界で生きていく苦しみを和らげてくれたのだから。


 初めは彼女の片鱗を見せてくれる姿が心の穴を埋めてくれていた。一緒に過ごすうちに、反抗的ながらも自分を想ってくれている姿に救われていった。


 彼女の笑顔を、成長していく姿を、見守っていきたい。

 そう思うようになった彼は、彼女を狙う黒霧の魔女を消そうとしている。手段は選ばない。誰に何を言われようと、この世から排除するつもりだ。


 大切な存在を奪った仇討ちのために。

 そして、今度こそ大切な存在を失わないように。


「おやすみ、可愛いロゼッタ」


 ふわりと抱きしめて目を閉じる。

 穏やかで平和な夜。


 すうすうと聞こえてくる寝息に眠気を誘われて、そのうち彼も夢の中に落ちて行った。


 翌朝、背筋の凍るような知らせが届くなんて、この時の2人はまだ知らなかった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る