拾われ令嬢は目が覚めると豪邸にいた
「ここどこ……?」
目を開けると、ロゼッタは豪奢なしつらえの部屋にいた。
天蓋付きの大きなベッドにちょこんとのせられて、ぶかぶかだが質の良い寝間着を着せられている。頭を預けているのはふわふわのクッションたち。輝く金色の房飾りがついていて上品だ。孤児院での質素な生活に慣れているため、そんな豪華な物が所狭しと並んでいるのを見て怖くなった。
眠っている間に連れてこられたようだ。窓の外は明るくなっており、無事に朝を迎えられたんだと実感する。
(まるでお城みたいな場所ね)
広々とした室内をゆっくりと見回す。孤児院のベッドが何台並ぶのかしらなんて考えてしまった。
赤い壁紙と絨毯。扉や窓枠は白色で、コントラストが美しい。調度品は深く温かみのある色の木でできており、部屋全体の調和を保っている。
天井から下がる大きなシャンデリアをぼんやりと眺める。美しい調度品は明らかに高価そうなのが伝わってくる。あまりにも現実味のないほど並ぶそれらを見て、「高そう」「綺麗ね」と簡単な感想しか浮かんでこない。
昨晩はあの後、現場検証につきあったため夜遅くまであの会場にいた。エルヴィーラに抱っこされているうちに意識が遠のいていったのは覚えているが、その後はさっぱりだ。
闇オークション会場に連れていかれたこと、ダンテが助けてくれたこと、そして、彼の養女になったこと。それらが夢じゃなければ、ここはおそらくバルバート邸。
『お前は今日から、ロゼッタ・バルバートだ』
養女になることを承諾したロゼッタに、ダンテはそう言った。さも嬉しくなさそうなその声を聞いて、彼女は頷いたのを後悔した。
あの時は、怖い思いをして弱っていた。誰にも引き取られたくないと強がる一方で、誰かに守って欲しいと、心のどこかで思っていた自分を呪う。
『俺は養父になるが父親になるつもりはない。お父様じゃなくてダンテと呼べ』
(めちゃくちゃだわ。あんなに変な大人に会ったことない)
父親じゃないなら、何なんだ。ボスっとクッションに顔を埋めて足をバタバタさせた。行き場のない怒りが込み上げてくる。
ダンテの印象は最悪だ。不愛想で、怖くて、頭がおかしい。自分を呪い殺せと平気で言ってくる彼に狂気さえ感じた。
(やっぱり、引き取られるんじゃなかった)
1年も、いや、1週間もここにいられる自信がなかった。明らかに自分を嫌っている彼とずっと一緒になんていられない。たとえ恐ろしい商人に追われることになったとしても、外に出た方が心穏やかに生きられるはずだ。
寝間着をずるずると引きずって窓辺に歩み寄った。窓を開け放つとバルコニーに出られる。ふわりと薫る潮風が迎えてくれた。
「すごい……本当に王都なのね」
商人に連れてこられたときは麻袋の中に入れられていたからわからなかった。生まれて初めて見る景色に心を奪われる。彼女の目の前に広がるのは、運河と橋、そして美しい邸宅たち。
ディルーナ王国の王都は海の上にある。
限られた貴族しか
街中にはいくつもの運河があり、貴族は使用人にゴンドラを漕がせて移動する。
幾重も架かる橋もまた、意匠が凝らされている。金属で植物の細工を施したもの、白い石で女神や聖獣を形作ったもの、そしてレンガの可愛らしいものもある。
絵画に描かれるような景色に思わず感嘆を漏らした。
(屋根を下りていったら逃げ出せるかしら?)
欄干に手をかけて身を乗り出そうとすると、大きな掌が腰を掴んで止めきた。見上げれば、隻眼の青年が覗き込んでいる。気配を消していたのか、ロゼッタは彼の存在に全く気づいていなかった。
思わず悲鳴を上げてしまったが彼は気にも留めず、ひょいと抱きかかえると部屋を通り過ぎて廊下に出てしまった。
青年は見目麗しく、きらめく銀色の髪を頭の後ろで結えている。切れ長の目は涼やかで、その瞳は穏やかな空色だ。
冷たさを感じさせる目元に加えて黒い眼帯をつけているため隙のない佇まいと気迫があり、幼い子どもを相手にするにはいささか怖がられる容姿だ。
彼はダンテがロゼッタに付けた護衛のブルーノ。
ギャラリー・バルバートの守衛の1人だったがダンテの指名で護衛になった。守衛をしている時はよく女性客に話しかけられては顔を顰めていた。彫刻作品のように美しい造形の彼を一目見ようとオークションハウスに足を運ぶ貴婦人もいるというのに愛想がないのだ。
齢は16歳で、ロゼッタと同じくみなしごだ。ダンテに拾われてバルバート家の屋敷で住んでいるが養子ではない。
「あ、あのっ。これからどこにいくの?」
「……
抑揚のない声が返ってくる。それっきり、ブルーノは黙ってしまった。愛想がなく、話しかけ難い雰囲気だ。彼が何者かも、ロゼッタはまだ知らない。不安を紛らわせるように廊下を観察した。
廊下もとても広く、孤児院が何軒も建てられそうな廊下の広さに愕然としてしまった。柱ごとに展示台が置かれて装飾品が並べられており、その1つ1つが高そうで震えあがった。ここで走っちゃいけないわ、と自分に言って聞かせた。
(逃げ出そうとしたところを見られちゃったけど、ダンテに言いつけちゃったりしないかしら……?)
黙々と歩くブルーノは怒っているようでもないが無表情で感情が読めず、ロゼッタは警戒した。敵か味方か、嫌われてるのかそうでないのか、全く掴めない。得体が知れない相手だからこそ怖くなる。
やがて大きな扉の前に辿り着いた。
開け放たれた先にある部屋も広く、中央には何十人もの人間が並べるような長いテーブルが鎮座している。その端の席にダンテが座ってコーヒーを啜っていた。彼はロゼッタたちの姿を見てむせかえった。
「おいおい、寝間着のまま連れてきてどうすんだ?!」
「私が着替えさせるわけにもいきませんので」
「メイドを呼ぶんだよ……ったく。ラヴィ! ロゼッタを頼む!」
パタパタと駆けてきたメイド頭のラヴィはふくよかで年配の女性だ。ロゼッタを一目見て感嘆の声を上げる。
「まあまあ、なんて素敵な瞳でしょう! 眠っているお姿も愛らしかったけど、こうやってぱっちりと目を開けたお顔も本当に愛らしいですわ!」
突進するようにロゼッタをぎゅっと抱きしめる。あまりの勢いに、一緒に抱きしめられたブルーノがよろめきかけた。この熱烈な歓迎に、ロゼッタの凍った心は少し溶かされた。
「朝食の後にアドリア様が来るまで我慢してくださいませね」
「わかったわ」
バルバート家御用達の服飾店の女主人アドリアが自ら赴いてくれる。それがどれほどすごいことなのか、ロゼッタは知る由もない。
ひとまずダンテが幼い頃に着ていた服を用意された。待望の女の子を迎えたメイドたちは上機嫌だ。服に袖を通すだけで「素敵!」とベタベタに褒められる。あまりにも褒められるので照れくさくて仕方がなかった。
着替え終えてダイニングに戻る頃にはダンテは仕事場に行ってしまっていた。待ってて欲しいわけでもなかったが、いざ放っておかれると胸がツキンと痛む。
ブルーノに座らせてもらい席に着くと、使用人たちが次々と料理を持ってきてくれた。
テーブルの上に所狭しと並ぶ豪勢な朝食に、思わず頬がひくりと痙攣する。料理人たちはロゼッタの好みがわからなかったから思いつく限り用意したのだ。
たくさんありすぎて何を食べたらいいかわからない。困っているロゼッタに、ラヴィはパンケーキを勧めた。
あつあつのパンケーキには舌触りの良い生クリームが乗せられており、一口食べると自然と笑顔になってしまう。バルバート家の料理人たちの腕は確かだ。先代が食通で王都のレストランでスカウトしていた先鋭たちなのだ。
孤児院ではいつも固いパンにミルクだけの朝食だったため、こんなに贅沢なことをして女神様に怒られないかしらと不安を抱いてしまうのだった。
(それにしても、貴族って毎日こうやってご飯を食べるの? 緊張しちゃうわ)
使用人に囲まれて1人で食べるのは居心地が悪かった。なんせ、ブルーノを始めみんなロゼッタの近くに立って控えているのだ。視線を集めたままだとフォークを動かす手が震えてしまう。
そんな気持ちを察してか、ラヴィが話しかけて知りたいことを教えてくれた。
ダンテの家族や仕事のこと、バルバート家の領地のこと、そして、ブルーノのこと。
「あまり喋らないし笑わないけど、怒ってないから気にしないでくださいね?」
ラヴィが言うなら大丈夫なはずだ。しかし、チラと見上げればしっかりと視線が合うほど凝視されるのはいたたまれなかった。監視されているようで気が休まらない。
(瞬きはしている……よね……?)
試しにじっと見つめてみたが、全く瞬きをしていない。むしろロゼッタの方が目が乾燥して瞬きした。うっすらと涙が出てくる。
「……」
「……」
無言のまま視線を交わしてしまう。誤魔化すようにティーカップを持って目を逸らした。
こんな護衛をつけられて、果たしてこの屋敷から脱出できるのかしら。美しい花束の絵が描かれたティーカップに口をつけつつ、早くも脱出計画に立ちはだかる
「お嬢様、お屋敷の使用人たちを紹介しますね」
朝食の後はブルーノとラヴィに連れられてお屋敷の使用人たちに挨拶していった。みんな笑顔で迎えてくれてホッと胸を撫でおろした。
ダンテは仕事でほぼ家にいないが、彼らはこの先ずっと顔を合わせることになる。まだ完全には信じられないが、彼らもダンテみたいに接してきたらどうしようかと悩んでいたのだ。
最後に会ったのがナナという名前のメイド。彼女がロゼッタの専属になる。そばかすが可愛らしく、夕日のような色の瞳を輝かせて挨拶してくれたナナには好感を持てた。
ラヴィ以上におしゃべり好きなナナ。底抜けに明るい彼女の話を聞いていると、ロゼッタは心が軽くなった。
◇
アドリアは応接間で待っていた。ブルーノも護衛として同室しようとしたところ、ラヴィに「アンタは外で待機だよ!」と言ってペイッと放り出されてしまった。
まずは特注品の採寸やデザインの打ち合わせをする。
これまで田舎にいたロゼッタにとって王都の流行はちんぷんかんぷんだ。これも淑女の教養とばかりに説明されたおかげでよくわかったが、頭がパンクしてしまうほど詰め込まれてクタクタになってしまった。
「ロゼッタ様は美しい珊瑚色の瞳をお持ちですのでこちらの淡い珊瑚色のドレスが似合うと思うざんす。――んまあ! 花の妖精のようざます!」
次にアドリアが持ち込んだ既製品のドレスを選んだ。と言っても、服を買ってもらうことなんてなかったロゼッタはおいそれと選べなかった。結果、アドリアとラヴィたちに着せ替え人形にされてしまう。
何を着ても2人とも頬を緩ませて褒めてくるのでこそばゆくなった。
(なんてことなの……こんなに買っても私の体は1つしかないのよ?)
孤児院でも引き取られた家でも見たことがないくらい上質な素材で作られた服を惜しみなく購入していくラヴィの姿に恐ろしくなった。ダンテが知ったら怒るんじゃないかと不安になる。
ラヴィは購入した既製服から珊瑚色のパフスリーブのドレスを選んで着せてくれた。胸元はレースやリボンがあしらわれており、腰のあたりに生地と同じ色の大きなリボンがつけられている。
髪はドレスに合わせてハーフアップにしてもらった。頭の後ろにはドレスと同じ珊瑚色のリボンをつけてもらう。
「ブルーノ、待っててくれてありがとう」
着替え終わって部屋に呼ばれたブルーノは、一瞬だけ立ち止まって目を瞬かせた。急に年相応の表情になり、ロゼッタはまじまじと見てしまった。隙がない彼でもこんな顔をするのかと驚いたのだ。
ブルーノはロゼッタが座るソファの前に跪くと、彼女の手を取ってキスした。
「……っ!」
「まあまあ、この子ったらすっかりお嬢様に惚れちゃって」
どう見ても無表情なのにそんなことはない、断じて。心の中で反論しつつも、初めて手にキスされる感覚を知ったロゼッタは頬を赤く染めた。
照れ隠しでそっぽを向いた彼女に、ブルーノは微笑んだ。目撃したラヴィは驚きのあまり言葉を失ったのだった。
彼が初めて見せた微笑だったから。
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