不死身の薔薇

デッドコピーたこはち

イモータル・ローズ

「こんばんは」

 振り返ると赤いコンテナの上に日傘を差した純白の少女が居た。日傘で満月の光が遮られた影の中に居る少女の年頃は十六か、十七か。その辺りに見える。白いレースの日傘、純白の髪、あまりにも白い肌、白揃えのパンツスーツに身を包んだその姿を見た時、私は彼女が噂の『処刑人』であることを確信した。

 私は素早く辺りを見回した。真夜中のコンテナ埠頭にはコンテナの山とクレーンがあるばかりで、人気はない。多少暴れても問題はないだろう。

 全く厄介なことになった。貨物に紛れて、何とか国外へと脱出しようとしていたのに。もう少しで上手くいく所だったが、捕まってしまった。

 どこか遠くの方でボーと霧笛が鳴るのが聞こえた。

「こんばんは、『陰画ネガ』さん」

 私は声が震えない様に気を付けながら、嘲るような口調でいった。少女の目元がピクリと一瞬動くのが見えた。

 『陰画ネガ』とは、月の光ですら「日焼け」してしまうほど弱い肌を持っている彼女を揶揄する蔑称であった。他にも『月に嫌われた者』、『日傘持ち』、『不能者』等々、不名誉な名が彼女につけられていたが、それは彼女が真名を奪われていることに由来していた。どう呼べば良いのか決まっていないことを良い事に、皆好き勝手に彼女の事を呼んでいた。

「貴女を始末しに来ました」

 少女はコンテナから飛び降り、アスファルトの地面にふわりと着地した。しなやかな身のこなしは、猫のように滑らかだった。

 彼女は純血の吸血鬼でありながら、身体に不具を持ち、月光の下を歩けないばかりか、吸血の儀式によって眷属をつくる事ができなかった。故に、劣等の烙印を押され、一族の恥として名を奪われた彼女は、こうして同族狩りという汚れ仕事を押し付けられている訳だ。

「私、なにも悪い事した覚えはないんだけどなあ」

「許可もなく、勝手に眷属を増やしたでしょう?必要以上に吸血鬼を増やすことは、人類との共存関係を脅かすことに直結します。大罪ですよ」

「一人ぐらい増やしたって、いいじゃない。自分ができないからって、嫉妬するのは良くないよ」

 私はいった。挑発することで何とか隙を作れないかと思ったのだ。だが、彼女は冷静だった。

 彼女の強さは噂でしか聞いていないが、狙った獲物を逃がしたことはないのは確かだった。彼女が『掟』を破った吸血鬼の処刑をしくじった事は一度もない。

 聞くところによると、十人ほどの吸血鬼至上主義者が古城を占拠した所に一人で入っていって、生首を十個持って出てきたこともあるという。しかし、それは流石に嘘だろう。一人ではいくら何でも同時に十個生首を持つのは難しい……とにかく、そういう噂が立つぐらいに彼女は強いということだ。

「貴女がおとなしく私に殺されていただけるとありがたいのですが……いかがです?」

 彼女は日傘をくるくると回していった。

「いやだね」

 私は拳を顎の近くに寄せ、脇を締めてファイティング・ポーズを取った。深呼吸をすると、潮の香りがした。

 逃げても彼女はきっと追ってくるし、決して私を逃がさないだろう。ここで、やりあうしかない。

「そうですか、それは残念」

 彼女がそういいながら、日傘を閉じた。ちょうどそのとき、雲が月光を遮った。辺りが更に暗くなり、光源は遠くに見える都市の光だけになった。

 彼女は流れるような仕草で、日傘をこちらに投げつけてきた。

「うおっ」

 私はそれを身を捩って避けた。日傘は私の真後ろのコンテナに突き刺さっていた。

 私が体勢を整えている間に、彼女は恐るべき速さで距離を詰めてきた。彼女が踏む一歩一歩でアスファルトが砕け散った。彼女の足元で小爆発が起こっているようなありさまだった。

 彼女は踏み切って、跳んだ。彼女が空中で身を縮め、弾丸の様な速さで突っ込んで来るのが見えた。ドロップキックの体勢だ。十分助走をつけた、よく鍛えられた吸血鬼の全力での蹴りである。あんなものをまともに喰らったら血煙になるだろう。

 私は半ば倒れ込むようにして、全力で横に跳んだ。私はアスファルトの上をすべる様にして転がった。

 直後、背後から爆音がした。振り向くと、私の真後ろにあったコンテナが爆ぜていた。貨物であろうトイレットペーパーは辺りに散乱し、千切れたトイレットペーパーが紙吹雪のように降り注いできた。まるで、ロケット弾でも撃ち込まれたかのようなさまだった。

「よく躱しましたね」

 紙吹雪の中から彼女が歩み出てきた。

「わたしもそれなりに本気を出しましょうか」

 彼女は右腕を突き出し、手のひらを左手の爪で裂いた。手のひらの傷から真っ赤な血が染み出てきた。血は滴ることなく彼女の右腕を覆っていき、固化して、赤黒い結晶と化した。彼女の右腕を覆う結晶は、手首から先が鋭くなっており、黒曜石で作られた槍の穂先のようであった。

 上位の吸血鬼の中には、自身の血を自在に操るものも居るとは聞いていたが、これほどのものとは思わなかった。私は驚いていた。いや、半ば見惚れていた。彼女の血が作った結晶はまるで黒薔薇の色をした紅玉ルビーのような美しさで、彼女の右腕が宝石細工でできた手甲のように見えたのだ。

 私は突撃して来る彼女の姿を見て、気を取り戻した。彼女は結晶に覆われた右腕を振るった。私は思いきり仰け反った。私の鼻先を血の結晶でできた刃が通り過ぎていき、私の前髪が切断された。結晶の刃は美しいだけでなく、切れ味も良いようだった。

 私は後ろに仰け反るその勢いのままブリッジの体勢を取り、そこからさらにバク転を打つ様にして思いきり蹴りあげた。私の渾身のサマーソルトキックは、彼女が首を僅かに傾げるだけで躱された。

 一回転して向き直った私は、彼女の右肩までもが血の結晶に覆われている事に気が付いた。確実に先ほどより結晶が成長しているのだ。

 彼女は右腕を折り曲げ、ショルダータックルを仕掛けて来た。速い。避けられない。私は右腕で彼女のタックルを受けた。凄まじい衝撃が走り、私は弾き飛ばされた。

「うう……」

 一瞬意識が飛んだようだ。私は歪んだコンテナの壁にめり込んでいた。身体が動かない。背骨が折れたらしい。視線を下の方に向けると、右腕があらぬ方向に曲がっているのが見えた。

「まだやれるでしょう」

 彼女は歩み寄って来た。彼女の首から下はもう殆ど血の結晶に覆われていた。今の彼女は、まるで赤黒い甲冑を着ているかのようだった。板状の結晶が幾重にも重なって形作られたその甲冑は、いっそ薔薇のようでもあった。

「貴女の修復限界を超えた打撃を与えた上で、血を飲み干し、殺します。さあ、死んだフリは止めて、立ちなさい」

 彼女は立ち止まり、冷たい声でいい放った。もうとっくに身体の修復は終わり、油断している彼女が近づいてくるのを待っていたのだが、それは見透かされていたようだ。

 私は立ち上がりながら、コンテナの壁を引き千切り、その鉄片を彼女に向かって投げた。鉄片は回転しながら彼女の頭に向かって飛んで行く。生身の人間が喰らえば、胴が真っ二つになるぐらいの威力はあるだろう。すかさず、鉄片と自身とで連続攻撃を仕掛けるべく、私は突撃した。彼女が鉄片を避けるなり、防御するなりすれば、どちらにせよそこに隙ができる。その隙を突く作戦だった。

 鉄片が顔面を吹き飛ばす寸前、血の結晶が急成長し、彼女の頭部をフルフェイス・ヘルメットめいて覆った。彼女は飛来する鉄片を微塵も動かずに受け止めた。血の結晶に僅かにヒビを入れて、鉄片は弾かれた。

 私は完全に虚を突かれた形になった。しかし、今さら突撃を止める訳にもいかない。勢いが付きすぎているのだ。無理に方向転換すれば、それは致命的な隙になる。やるしかない。私は右手の爪を伸ばして、彼女の心臓目がけて貫手を放った。

 彼女は私の貫手に合わせるように右手を突き出した。尖った結晶の先端と右中指の爪の先がかち合った。

 一瞬の力の均衡の後、私の爪先に結晶の穂先が食い込んでいった。人間の骨格程度なら軽く引き裂けるほどの強度があるはずの爪が、まるで熱したナイフでバターを切る様に裂かれていった。

 結晶の穂先はそのまま、私の中指を、手を、腕を真っ二つにしながら突き進み、肩にまで達した。なぜか痛みは感じなかった。切り口があまりにも綺麗で、造り物みたいだと他人事のように思った。

 私の血がドッと吹き出し、結晶で防御された彼女の顔面に掛かった。これで良い。

 彼女は目つぶしをされたのにも関わらず、瞬時に反撃に転じた。剃刀のように鋭利な結晶で覆われた足刀部での蹴り。私の左足がひざ下で切断されて、地面に転がった。

 私は左手のひらを思いきり彼女の胸へ叩きつけた。その瞬間、くぐもった破裂音が響いた。

 やった。私はそう思った。

 

 左前腕の内部に散弾銃を組み込み、十字架を鋳つぶした銀の弾丸を仕込む苦労は、筆舌に尽くしがたいものだ。吸血鬼のこの身をもってしても、橈骨の代わりに十二番径のバレルを入れ込むのは、骨の折れる仕事だった。もっとも、折ったのではなく抜いたのだが。

 だが、その苦労も報われた。吸血鬼自身が銀の弾丸を使うことなどあり得ないという思い込みを突いて、見事に吸血鬼狩りの吸血鬼を狩ってやったのだ――そう思っていた。


「ふむ。なかなか、おもしろい」

 彼女は私の右手を二つに裂いて、肩まで達していた右手を、そのまま斜めに振るった。私は右肩から左腰までを袈裟に切られた。

「あが、あ」

 私は地面に転がりながら、呻いた。

「わたしの不死身の薔薇イモータル・ローズは砕けることはあっても――」

 彼女の胸を覆っている結晶は確かに砕けていた。蜘蛛の巣状にヒビが入っていた。だが、銀製のスラグ弾は結晶の中に半ば埋もれつつも、そこで止まっていた。銀に触れた結晶は、焼かれて煙を立ち昇らせていた。私は気付いた。彼女の結晶はむしろ砕けることで弾丸の威力を殺したのだろう。衝撃吸収構造クラッシャブルストラクチャーというやつだ。

「散ることはない」

 彼女がそういうと、赤黒い結晶の甲冑に入った白い蜘蛛の巣状のヒビが、赤く染まり始めた。彼女の血だ。弾丸の衝撃を受け止めて入ったヒビを補修しているのだ。彼女の血が、銀の弾丸を外へ押し出し、固まると、甲冑の補修は完全に終わったようだった。新しく補修された部分はより赤く、元の部分とは色味が少し違った。赤黒い結晶の甲冑に、蜘蛛の巣状の赤い紋様が描かれたようになった。それもまた、美しかった。


「……わたしは先ほど貴女に死んでほしいと言いましたが、貴女が罪を贖う方法は、死以外にもう一つあります」

 彼女はこちらに近づいてきた。

「追放です。貴女は名を失い、吸血鬼の社会から永遠に放逐されます」

 彼女はしゃがみ込み、私の顔をじっと見つめた。

「追放者に新たに与えられる役割は、『処刑人』です。わたしのようなね。ある意味で、死より辛いことです。嘲られ、軽んじられます。自ら死を選ぶ処刑人も居ます」

 彼女は僅かに眉を寄せていった。

「しかし、貴女には才能があります。それを失うのは惜しい。どうです?処刑人、やりませんか?いやと言うなら、仕方がありません。貴女の意思を尊重して、殺します」

 そんな二択があるか、私はそう思った。

「ああ」

「そうですか!やりますか!いや、ちょうど助手が欲しいと思っていた所なんですよ。最近『掟』を破る若い吸血鬼が多くて……助かりますね」

 いや、違う。口から空気が漏れただけだ。肺が片方真っ二つになっているのだ。なにを聞かれても、答えられるはずがない。私は抗議しようとしたが、声が出なかった。

「私のことはアルビナと呼んでください。陰画ネガではなくて。あっ、でもこっそりですよ。私に名はないことになってますから。二人だけの秘密です」

 彼女は弾けるような笑顔を浮かべた。戦闘中の彼女とは別人のようだった。どちらが、本当の彼女なのだろう?ああ、こんな笑顔を見せられたら、断り辛いじゃないか。

「貴女の名前を教えて下さい。こっそりと呼びますから」

 彼女はウインクして、いたずらっぽく笑った。エリ、私の名はエリ、そう言いたかったが、言えなかった。


 結局、彼女が私は話せないことに気が付いたのは、たっぷり十分は経ってからの事だった。

 

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