イチゴ牛乳と回転木馬

野森ちえこ

好きだよ

 我が家の常識は世間の非常識なんていうけれど、それぞれの家でしか通じないことは確かにあると思う。

 たとえばうちは『缶詰』といえば桃缶のことだったし『サラダ』といえばポテトサラダのことだった。

 そして、正式名称でなくても通じてしまうがゆえに、子どものころのかん違いが修正されないまま成長してしまった人間も、世のなかにはいるはずだ。なぜなら、あたしがそうだからだ。


 あたしはずっと、メリーゴーラウンドというのは観覧車のことだと思っていた。いったいなにがどうなってそうなったのか自分でも謎なのだけど、だいぶ成長するまで――正確には高校二年生の夏までそう信じていた。

 大人になった今でもメリーゴーラウンドと聞くと、反射的に観覧車を思い浮かべてしまうくらいだ。三つ子の魂百までというやつだろうか。違うか。まあ、そんなことはどうでもいい。


 あれは高校二年生の夏休み。クラスの友だち数人と遊園地に遊びに行ったときのことである。

 散々遊びたおして、最後はなにに乗るかという話になったとき『遊園地の締めといえばメリーゴーラウンドでしょ!』と、あたしは高らかに声をあげてしまったのだ。あのときの『ちょっとなにいってんのかわかんない』というような、なんとも形容しがたい微妙な空気はきっと一生忘れない。


 でもそのおかげで、あたしの思う『メリーゴーラウンド』と、みんなが知っている『メリーゴーラウンド』は、どうやら別物らしいということにはじめて気がついたのである。そして、メリーゴーラウンドとは回転木馬のことであると知った。あの、メルヘンなお馬さんとか馬車とかがくるくるまわっているアレだ。十七歳にしてようやくである。なぜそれまでかん違いが修正されずにきたのか。我が家ではアレをずっと『お馬さん』と呼んでいたから――だろうか。わからない。謎である。


 最終的に、いくらなんでも笑いすぎだろうというくらい、みんなに大笑いされた。けれど、そのなかでひとりだけ、ボソッと『どっちもまわってるからな』と、つぶやいたヤツがいた。どっしりがっしり、冷蔵庫みたいな体格の男子だった。でも顔立ちは柔和で、身体からだのおおきさのわりに、威圧感のようなものはそれほどなかったことをおぼえている。


 クラスメートとはいえ、友だちの友だちというレベルでしか知らなかった相手だった。にもかかわらず、やたら深く印象に残っているのは、たぶんイチゴ牛乳のせいだ。彼はそのとき、紙パックのイチゴ牛乳をストローでちゅーちゅー吸っていたのである。


 あざやかな朱色に染まりはじめた夏空の下、真顔でイチゴ牛乳を飲む男子高校生。なんで遊園地でイチゴ牛乳。いや、どこで飲んでもべつにいいのだけど。でかい身体で飲んじゃいけないってこともないのだけど。

 なんというか、あまりにシュールな光景に自分が笑われていたことなんてどうでもよくなってしまった。


 ドラマなら恋がはじまったりするところなのかもしれないけれど、きっとタイミングがあわなかったのだと思う。それまでよりは多少話すことが増えたものの、クラスメート以上の関係になるようなことは特にないまま卒業して、それっきりになった。


 そして十年。

 今日は同窓会である。


 最近あまり見かけなくなった、紙パック飲料の自動販売機。それが会場の最寄り駅にあった。

 ガコンと落ちてきたのはイチゴ牛乳。懐かしくなって思わず買ってしまった。

 とりだし口に手をつっこんだところで、背後から名前を呼ばれる。イチゴ牛乳を片手に振り返ると、十年ぶん大人になった柔和な顔がそこにあった。

 ドキリと心臓が動いたのは気のせいか。思いのほかいい男になっている。体格は相変わらず、どっしり四角い冷蔵庫みたいだ。


 ひさしぶりと、言葉すくなに挨拶をかわして、当然のように彼もイチゴ牛乳を購入した。


 ちゅーちゅーと、ふたりしてイチゴ牛乳をストローで飲みながら街を歩く。


「好きなのか? イチゴ牛乳」


 あなたのことを思いだしてたんだよと答えたら、十年まえは変わらなかった関係が、これから変わったりするのだろうか。なんて、それこそドラマじゃないんだからと心でセルフツッコミをしつつ、ほんの数瞬考える。そして、あたしは簡潔に答えた。


「好きだよ」



     (おしまい)


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

イチゴ牛乳と回転木馬 野森ちえこ @nono_chie

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ