エピローグ

第40話 エピローグ

『行ってしまったか?』


 足元に顔を出したウルムを、マグナが拾い上げて肩に乗せる。


 フォッサ小国の城の城壁の端っこにある見張り台の上。そこで二人は、国の境に広がる見事に緑豊かな精霊の森を見つめていた。


『見事なもんだ』


「ああ。さすがにこれはすげぇや」


 マグナたちがフォッサ王とウァール、兵士たちと城へと戻ったとき、城から見えたのは広範囲にわたって燃え尽きた精霊の森の姿だった。


 精霊樹を中心に燃え広がった火は、風向きもあって小国とは反対側に大きく拡大し、城から見える範囲の多くを黒焦げにしていた。


 シオンはマグナに、王たちを連れて戻るように伝え、ニケとともに森へと消えた。


 ――それが、彼らを目にした最後だった。


 鎮火し始めたのはマグナたちが城に着いてからで、ちりちりと目に焼き付くような火の姿が消えたのは夕方過ぎ、翌朝には真っ黒だった森が朝日に照らされ、昼過ぎには緑が増えた。


 それからはあっという間に割れた地面がゆっくりと戻り、木々が復活し、緑が増えて行った。


「たった数日でこれとは、恐れ入ったぜ。まさかあのむかつく野郎が、精霊の王だとはな」


『精霊の王だとしても、性格は色々あるだろう』


 ウルムの返事に、マグナは確かになとうなずいた。


 フォッサ国王が森が元通りに蘇ったのを見て、泣きながら精霊樹に詫びを入れに行ったのはまだ記憶に新しい出来事だった。


 新薬の製造と称して精霊狩りをしていたウァールは、事情をきっちりと聞いてから、フォッサの手に負えないということでイグニスで引き取ることになった。


 精霊狩りにかかわっていたすべての人間は、記憶を混濁させる複雑な魔導を施してから釈放された。


 全ての新薬が破棄され、黄金色の回復薬はこれから一切造られることはない。


「何がむかつくって、どさくさに紛れてニケにくっつけた祝福まで無かったことにしやがったあいつ」


 それにウルムはほっほっほと笑った。


「何がおかしいんだよ」


『魔力が有る無しにかかわらず、ニケは面白い子だ。マグナがそこまで執心するとはな』


 うるせえや、と口をとがらせてから、マグナは風に運ばれた緑の匂いを吸い込んだ。


 ――〈全〉と〈無〉。


 全てを手に入れられるのに、あえて無を選ぶなんてとマグナは肘をついた手のひらの上に顔を乗せた。


『あの子が居なかったら、あの竜は暴れて手が付けられなかった。よもや、この世界が壊れていたかもしれない。やはり、対になる力というものは、知らずして引き寄せられるのかもしれないな。


 運命とは、我々の知らないところで巧妙につくられているもんだ』


「お前みたいな爺さんでも、運命とか信じるわけ?」


『当たり前だ。お主とわしが出会えたのだって、運命の奇跡の一つにすぎん。ニケとシオンが出会ったのも、誰かの引き金か、運命の選択か。いずれにせよ、出会うべくして、人は出会う。出会いとは、その全てに意味があるのだとしたら、やはり彼らの出会いも偶然ではないのだろう』


 珍しくよくしゃべるウルムを見ながら、マグナは息を吐いて、元通りに戻った美しい精霊の森を眺めて、少し微笑んだ。


「あいつさ、薬師になりたいって言ってたけど……やっぱりこれを見ると、魔導士の方が向いてると思うんだよな」


『まあ、向いているものとやりたいことが違うことなんかざらにある。やらせてあげればいいさ。これが、一つの越えるべきものなんだよ、彼女にとって』


 さあ、イグニスに戻るぞとウルムが身体を震わせた。ひらひらと金色の粉が舞い落ちて、朝日に輝く。


 生命の根源といわれる精霊と共に暮らすこの世界。


 その精霊の王は、何とも信じがたいことに、魔力さえ持っていないと疎まれていた少女のたった一言で、世界を破壊するのをやめた。


 ――やっぱり、必要としていたのは、案外あいつの方だったんだな。


 森の奥へと消えて行った二人の姿を思い出しながら、マグナは朝日に背を向けた。


 *


「ねえシオン、大丈夫なの、歩いて?」


「平気だって、何回言ったら信じるんだ」


 先ほどからずっとそのやり取りをしている理由は、森を元に戻す作業を昼夜問わずずっと続けていたシオンが、疲れ果てて眠りについたのがつい昨日の夜で、目を覚ますともう出立だと言い出したからだ。


 洞窟に置いてきてしまった薬箱を取りに戻って、街道へと戻った二人は、先を急ぐわけでもないのに歩みを止めることは無い。


「ねえ、シオンってば」


 ニケがシオンばかり見ていたので、足元にあった石にけつまずいた。転げそうになるその身体をシオンが引っ張って支える。


「ニケ。前を向いて歩けって。本当に大丈夫だから」


 ニケは口を尖らせた。


 あの一件があって以来、ニケはシオンのことを心配するようになっていた。あんまり力を使い過ぎて、病気にでもなったらどうするんだとニケは口うるさい。


「ほんとに大丈夫?」


「ほんと。具合悪くなったら言うから――そしたらニケが俺を診て」


 そのシオンの言葉に、ニケの表情がぱああと明るくなった。


「うん! 私が全部治してあげる!」


 それを言ってから、師匠とも同じやり取りをしたなとニケは思い出して懐かしくなってシオンに抱きついた。


「ありがとう、シオン」


 懐かしい匂いがニケの鼻孔をくすぐる。


「ああ。行こう……まだ、治療すべき精霊も人も、探し物がたくさんある」


 二人は薬箱を背負い直すと、不治の病の治療薬を探しに、自分たちを必要としてくれている人と精霊の元へと、また歩き始めた。




―おわり―

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