エピローグ

 今日もいつも通りに日が昇った。朝日がカーテン越しに差し込んで僕は目を覚ました。軽めの朝食を摂って、だだっ広いお屋敷を回る。

 掃除に洗濯、庭の手入れ。主人の居ないこの場所をただ維持するために行動する。今や生活の一部になってしまったそれを苦に感じなくなった。少し前の自分には考えられなかった変化である。


 あれから二か月が経った。正直に言ってしまえば、自分にはあの状況をきっちりと理解できていない。あの事象の中心にいた自分にさえ情報は開示されることは無かった。

 分かっていることは殆どない。数少ない理解していることは、僕はミツレさんを止めた。そして、この世界に留めたということぐらいだ。

 彼女には人間として前を向いて生きて欲しかった。でも、今ではあの結論は正しかったのだろうかと考えてしまう。何故なら、僕は彼女の願いを砕き、その自由を奪う決定打を打ってしまったからだ。それは揺るぎない事実である。


 あの後、ミツレさんはこの国の軍事組織からやって来たと思われる人間に連れられて行った。自分も事情聴取を受けた。話せることは無かったけれど、調査する人たちの真剣さは僕にでもはっきりと分かった。

 ……彼女がした行為は許されるものではない。この結果は当然と言えば当然だ。

 正直に言ってしまえば、あの時はその後に待ち受ける結末を考えていなかった。ただただ必死だったと言い訳しても拭えることではない。

 その償いなのか。僕はいまだにこのお屋敷を手入れして、維持している。意味がないということは分かっている。それでもやらずにはいられなかったのだ。自己満足と行ってしまえばそれまでだが……


 物思いにふけっていると突然目の前の窓ガラスが砕けた。その破片がかつての彼女との戦いを思い出させて、一瞬立ち止まってしまう。

 でもいつまでもそのままでいるわけにもいかない。盗人か何者か知らないが、僕の主人の遺したものに傷つけることは許せなかった。

 破片の上にガラスを割った張本人が着地する。細身の体。顔を隠す様に深くかぶったフードがその怪しさを強調していた。僕は持っていたモップを構えて、そいつに対峙する。


「ここにいてくれると思っていたよ」


 フード付きの外套。ただ者ではない足運び。正体不明の侵入者に負けない様に僕は声を張る。


「何者だ!?」

「何者……? 分かっているだろうに。もしかしてたった二ヶ月で主人の顔もわすれてしまったのかな?」


 目の前の人物がフードを取った。しまわれていた緋色の髪が露わになる。それは紛れもなく僕の主人のトレードマークであり、もしかしたらもう見れないと思っていたものだった。


「ミツレさん……どうしてここに」

「そりゃあ、決まっているでしょう。脱獄してきたからさ」

「脱獄!? なんてことを……罪が余計重くなったらどうするんですか!」

「情状酌量の余地なしの重い刑が下されることは確実だったからね。これ以上重くなることはないよ」

「そ、そうなんですか……」


 平然と重いことを言ってくるな……。自責の念に駆られそうになる。


「死刑か、無期懲役の二択ならこれ以上罪が重くなることはほぼないしね。脱獄しどくだったよ」

「脱獄犯が『し得』とか言わないでくださいよ……」

「事実なんだからしょうがないだろう?」


 事実かもしれないけどさ……言い方があるだろうに。


「それにこれは君のせいでもあるんだよ?」

「脱獄したのを僕のせいにしないで貰っても良いですか?」

「いや、だってさ、牢屋にいたら君が言っていたようにはできなかっただろうから」


 彼女がそう言って、僕の言葉を思い返している。僕の言葉を受け取って、それを踏まえた上で行動を起こした。それが喜ばしいと思う自分が居るのは確かだけれど……どうにも納得しがたい。


「だから、君にも責任があると思うんだ」

「滅茶苦茶だ……支離滅裂にも程がありますよ」

「ああ、知っているよ。でもそれはさほど重要ではない。追手も来ていてね、時間が無いんだ」

「そりゃあ、そうでしょうね」


 国家転覆を目論んだ大罪人が脱獄したとなれば追手の一人や二人は当たり前。それどころか軍隊を派遣して来るのが打倒ではないだろうか。


「だから重要な事だけ言ってしまえば、シオン君私と一生かけて国外逃亡しないか?」

「世界で一番受けたくないプロポーズですね」

「そう言わずに聞いてくれよ……」


 ミツレさんは僕の言葉に項垂うなだれた。それから一度咳ばらいをして仕切り直す。


「私は君に責任を取って欲しいんだよ。そして、逆に責任を取りたいんだ」

「僕の責任はともかく、ミツレさんの責任……?」

「ああ、君をこちらに連れてきてしまったのは私の責任だ。人生を変えてしまった責任はどう考えても重い」


 そう言えばそんな事を言っていた。僕も彼女に人生を歪められてしまっている。でも僕にとってそれは悪いことでも無かったけれど、彼女にとっては重荷になっているのかもしれない。


「だから、これからも一緒にいよう。お互いに責任を取り合って、多くの時間を過ごそう。そうしたら何事にも代えがたい時間が生まれるかもしれないからさ」


「これは義務じゃない。でも、もし納得してくれるのなら、私の手を取って。これからもメイドとして一緒にいて欲しいんだ」


 ミツレさんが手を差し出す。僕は彼女ともっと一緒にいたかった。だからこそ、あるじの居ないこの屋敷を守り続けた。意味がないと、利益を産まないと分かっていてもやらずにはいられなかった。僕の気持ちは彼女が来る前に既に決まっている。


「断るわけないでしょ。僕は貴女のメイドなんだから」


 彼女から差し出された手を取った。ぐっと掴み返返される。接触面積が増えて、滑らかさと温もりが伝わった。


「文字通り一生付き合いますよ。でも、ちゃんと一生養って下さいね」

「それは、経営状態にもよるかな……」

「そこはちゃんとどんと返事をして欲しかったな~」

「なんか今日はシオン君が意地悪だ……」


 彼女の呟きとほぼ同時。本来の出入り口の方で爆発音がした。たぶん追手が強引に扉をこじ開けたのだ。それを察して彼女は強く手を引いた。


「おっと。よし、じゃあ行こうか!」

「はい!」


 割れた窓枠から僕らは空へ飛び出す。視界が見慣れた庭から、どこまでも続くように見える青空と雲へ移った。すごい勢いでスピードが上がっていく。顔にぶつかる空気がすさまじくて、目をまともに開けることができなくなった。


「ちょっと、待って! 早い、早いですって!」

「ハハッ。ビビリだな、シオン君は。これぐらい、なんてことないだろう。もっとスピードを上げよう!」

「それは勘弁してくださいよ!」


 戸惑う僕に対して、彼女は大きな声で笑う。それは今までの取り繕った笑い方とは違って、少し不格好だ。そこで僕はやっと、無断でした誓いを果たせたのだと悟った。

 どこまでも続く空。僕らの行先はまだ分からない。けれど、二人なら何とかやっていける気がした。


「異世界でも女装して『ですわよ!』って言えば何とかなる。」 完

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

異世界でも女装して『ですわよ!』って言えば何とかなる。 イーベル @i-beru-54

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ