第8話 とりあえずの仮説
そうですねとひとこと言って、早矢仕刑事は唇を少しなめた。
「きちんと筋道の通った理屈と言えるかどうか分かりませんが、腹話術で被害者が殺害されたあとも生きているように見せ掛けるというのは現実的ではないと思いました。腹話術のテクニックがどうこう言う以前に、既に有名な推理小説に用いられているのと同じ方法で、実際の殺人をやらかすものだろうかという疑問です」
「おー、素晴らしい。立派な理屈ですよ、それは」
現実の殺人犯が、既存の“有名な”ミステリのトリックを使ったらじきにばれてしまってトリックとしての用をなさない、という意味だろう。
「だからこの事件は、達彦が犯人として囚われるよう、真犯人が何だかんだと偽装工作したのではないかと踏んでいます」
「さすがだ。あなたとは今回もいい仕事ができそうな気がするね」
天馬が右手を出すと、早矢仕刑事はすぐには分からなかったようだけれども、じきに握り返す。がっちりと握手を交わした。
「それで天馬さんは、何か仮説を持っているのですか」
「仮説と呼べるほどには固まっていないが、塩崎澪吏本人か、もしくは執事が関与している可能性が高いと睨んでいる」
「やはりそうなりますか。関係者を当たっても、他に怪しむべき人物が出て来ない。唯一、
堂森というのが、塩崎澪吏の部屋への人の出入りを図らずも見張ることになった人物Dのようだ。
「現場を収めた写真を見るか、それが無理なら現場にあった物の詳細を知りたいのだが、早矢仕刑事?」
「写真は持って来ていませんし、将来の持ち出しも現状では多分、無理でしょう。リストなら言えます。ただし、すべてをリストアップするのは難しいかと。そもそも、現場にある物をすべて漏らさずに記録したものなんてありはしません。関係がありそうな物をピックアップしただけですよ」
「結構。主に知りたいのは首を吊った状態についてですから。個人的なイメージだけで言うと、名をなした女優が自殺で首を吊る場合、身辺をきれいにしているんじゃないだろうか。裾が乱れないようにするとかね。今度の件が自殺に見せ掛けた他殺なら、犯人がどんなに気を回したとしても不自然さが残っている気がする」
「お言葉を返しますが、有名女優らしくない死に方だというだけでは、他殺の証拠にはなりませんよ。それに、私が記憶している限り、自殺としておかしな点は一つだけ。それも遺体の様子じゃなく、部屋にあった時計なんです。遺族にも伝わっているから、もうご存知かもしれませんが」
「いや、それは初耳だな。聞かせてください」
「彼女の部屋には大ぶりでレトロな感じの置き時計があって、目覚ましの機能がセットされていたんですよ」
自殺なら、翌朝目を覚まそうとは考えないはずだという理屈らしい。
「ただ、これもいくらでも理由付けはできます。亡くなる当日の朝、普通に目覚ましの音を止めると、そのまま翌朝の目覚ましをセットしたことになる仕組みでして、単なる習慣だろうと判断されました」
「……再確認になりますが、立石という執事は優秀な方なんですよね」
「え? ええ。本場の執事学校を正式に出ています。塩崎澪吏が非常に信頼を置いていて、年齢が近ければ結婚したのではないかと噂されたこともあったとか。それ以前に立石と塩崎澪吏とは遠い親戚関係だったらしく、体面を気にする有名人としては、結婚しづらかったんじゃないかという話もちらほら」
「ふむ。塩崎澪吏の死で、立石に財産が行くことは?」
「血縁があるからということではなく、遺言書できちんと指定されていました。多額ではあるが、執事として仕え続けた方が実入りはよかったようですよ。私が計算したんじゃありませんがね」
「なるほど。漠然と想像していたほどシンプルな構図じゃなさそうだ」
「どんな風に思い描いていたんだい?」
私は参考までに聞いてみた。天馬が立石の犯行もしくは塩崎澪吏の“狂言他殺”を疑っているのは分かっていたが、具体的には聞いていない。
「誰が犯人であろうとも、堂森氏という目撃者のおかげで、死亡推定時刻に現場に出入りするのが難しい。あるとしたら、何らかの自動的な殺害器具――悪ふざけで首吊りに見せるつもりが本当に首が絞まるような仕掛けのある道具が現場にあったんじゃないかと考えたんだ。塩崎澪吏は犯人の口車に乗せられ、自殺のお芝居のつもりでその道具を用いたが、本当に首が絞まってしまった。無論、そんな道具が現場に残っていれば他殺であることは明白だから、犯人が片付ける必要がある。となると怪しいのは立石執事だろう。第一発見者の立場なら、人を呼ぶ前に色々細工ができるからね。現場にあった物について早矢仕さんに尋ねたのは、道具を片付けると言ったって、部屋の外に持ち出すのは困難だろうから、分解して目立たぬように隠したり、元からある物に紛れ込ませたんじゃないかと、そう思ったんだ」
続く
死を招く模倣 小石原淳 @koIshiara-Jun
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