第10話 姉がヤーバィ~コロシヤの脅威~

 へぇー。

 そうなんですか。

 凄いですね。

 勉強になります。


 それはまさに鉄壁であると瑞希は頷いた。

 何一つとして他人の意見を求めていない、いっそのこと頷いてさえいれば話を聞いていなくてもいい人間に対して峻厳なる天険がそれらの言葉だ。

 別名めんどくさい上司への対応、あるいはキャバ嬢トーク。

 優也が繰り出した穴熊囲いは見事由愛に突き刺さり、彼女が放つ機関銃がごとき罵詈、そのことごとくを無効化することに成功。

 終始由愛を見る目が侮蔑と白眼を足して二で割ったようなものを差し向けたまま、優也は都合三十分弱ほどの付き合いの後自室への帰還を果たしていた。

 全く正しいこってすと、瑞希は後輩に対して満点である振る舞いに内心で頷き、そして多分この姉、姉の友人、姉の後輩の三人組の内二人がまともではないと弟くんの中でカテゴライズされたであろう事実にシニカルに笑う。

 ちゃっかりと己をその中から除外し、まだまともだと自認する辺り、瑞希は自分の心の中に棚を作っていた。


 ぱきり、と、齧ったチョコプレッツェルをそのまま半ばほどで折る。

 瑞希が立てたその音は閑話休題の意思を持つ。

「弟くんも帰ったし、本題よ」

 樹理、瑞希、由愛の三人が座卓にて膝を突き合わせる。

「こいつのガワ、それをどうするか問題」

 短くなったプレッツェルで瑞希が指すこいつこと清水由愛。

「今日のメインはそのはずだったんだよなぁ」

 何故か弟くんにちょっかいを出し始めていたけれど、当初の予定はそれが主体だ。

 瑞希は残りのプレッツェルを口に放り込んで、新たな一本をするりと袋から引き出し、摘んだそれを指先で指揮棒のようにゆらゆらと揺らす。

「はい、樹理。なんか意見を」

「うーん、お岩さん?」

「……」

 次は四谷、四谷。お出口は右手の扉です。足元にお気をつけください。ネクストステーションヨツヤ。

 瑞希のプレッツェルがあてどなく虚空に円を描いた。

「いいと思います」

 いいのか。

 由愛の即答に瑞希が目を剥く。

「……他になんかもうちょっとおらん? 頼むぜ樹理ママ」

 あたし雪那あんた、二人を生んだVの母親だろう?

 真っ当な回答を求めて瑞希は一縷の望みを言葉に託した。

「じゃあお菊さん」

 おう、ワイや。番町や。変化球なぞ投げとらんで漢なら真っ直ぐで勝負してこいや。

「素晴らしいと思います」

「全肯定Botかお前は」

 樹理をただ全肯定するだけの機械と化した由愛を見て、瑞希は白い目をして突っ込んだ。

「妖怪というより個人名の悪霊やんけ。もっとあるやろなんか」

 しかも片一方悲恋で振られてるし。それでいいのか百合後輩。いいと思います言うてる場合じゃないぞ百合後輩。

「……じゃあ由愛ちゃんピアノ弾けるからベートベン」

「だから個人から離れろォ故人から離れろォ」

 果たして学校の怪談とは妖怪や化け物に属するのか、そういった疑問を貫通してどう考えても角が立つキャラクターモチーフであった。

「……対案も出さずに否定だけするのはよくないと思いまーす」

「……唐突にまともなこと言いやがって」

 尽くキャラデザに却下を出されて、編集に対する抗弁を述べる樹理に瑞希は頬をひくつかせる。

「取りあえずこいつで推して行きたいのはそのピアノ弾けるってことだから、そのイメージに合わせて行きたいわよね」

 こいつと指差された由愛は「そうですか」と何とも気のない返事をする。それに思わず「あんた本当にピアノ弾けんの?」と言いたくなる瑞希だったが、高校時代に実際弾いているところを目の当たりにしているため、ぐっとその言葉を飲み込んだ。

「ピアノのイメージ的に西洋の妖怪というか怪物、最大公約数だか公倍数だかで考えたら分かりやすく吸血鬼あたりなんだろうけど」

 そこまで言って瑞希は腕を組んでうんうんと考え込む。

「ミッション系に通っていた吸血鬼ってどうよ」

「今更じゃないかなぁ」

 確かに。

 設定上既に鬼と雪女が通っていたことになっているわけで、大して気にするようなものでもあるまい。

「でも鬼と吸血鬼だと『うわあ、鬼と鬼で被っちゃったぞ』ってあたしの心の中のゴローちゃんがアームロックしてきそう」

「半分くらい何を言っているか分からないけど、鬼と吸血鬼って被ってはないと思うよ?」

 ――こやつめ、碌な案を出してこないくせに論破だけは一丁前にしやがって。

 瑞希は容赦なくブーメランをぶん投げた。

「私は吸血鬼でもなんでも構いませんよ」

「お前はもっと興味を持て」

 自身のガワの話だというのに良く言えば冷静に、悪く言えば蚊帳の外にいる由愛に瑞希はブーメランから持ち替えて、今度は牽制球を投じた。

 由愛は極論樹理の意見ならば一切の否定はなく、瑞希の意見ならばどうでもいいというスタンスで臨んでいるのだろう。

 瑞希からすれば世話の焼き甲斐がない後輩ではあるが、積極的賛成が消極的賛成になるだけでとても都合がいいことに違いはないので文句自体はない。

「ぶっちゃけると吸血鬼キャラは雨後の筍のようにぽんぽこ生まれてきそうなのがなぁ」

 テーブルの上に突っ伏して、プロデューサー宮前はこの乱世極まるバーチャル業界で生き馬の目を抜いていく術を考える。樹理と由愛がオタク界隈に疎いから尚更だ。

 吸血鬼は既に被っているし今後も被るだろう。そうなるとキャラを立てるのに苦労する。

「瑞希ちゃん、鬼は?」

「うん?」

「鬼はぽんぽこ生まれてないの?」

「……」

 樹理のその言葉に、瑞希はしばしの間言葉を失って。

「いやだって、鬼はあたしが好きなキャラだし、由愛は興味ないみたいだけどあたしはやりたいガワをやるのが一番モチべ上がるから、ほら」

 めっちゃ早口で語り始めた。

「先輩」

「はい」

「良くないところ出てます」

「はい」

 おっしゃるとおりで。

 由愛のトドメに、深々と頭を下げた。




 座卓の中心にA4用紙を一枚広げる。

 その用紙の中央最上部に書かれた「吸血鬼」の三文字はぐるぐると雑な円で囲われており、それに伸ばされた矢印には「暫定」と結論付けられていた。

 さらにその下には「河童」だとか「天狗」だとかの妖怪の種族が野放図に列挙されており、企画書の製作が難航している様を如実に示していた。

「……あかん」

「大して出てけえへんわぁ」

 右手のシャープペンをくるくると回しながら、瑞希は何故かはんなりとした口調で愚痴をこぼした。

「妖怪とか種族上げろって余裕っしょって思ってたけど、いざ挙げるとなると難しいもんですわぁ」

「……そないなもんやから、考え方変えます」

 筆が勢いよく滑り、紙の空いたスペースに「春」「夏」と書き入れられる。

「茜が秋、雪那が冬をモチーフに作ってもらったから、必然由愛にも残りの二つどっちかを背負ってもらいます。これは決定事項なんでよろしく」

「それは構いませんけど」

「手っ取り早いのは誕生月で決めるパターンだけど、あんた何時だっけ誕生日」

「一月です」

「冬ですね」

「ええ」

「埋まってますね」

 冬は既に。

 口元にペンを当てて、瑞希はしばし考えて。

「初春ということで春を取ってもいいけど、どうする?」

 書かれた春の一文字を丸で囲んだところで、樹理が声を上げた。

「ダメです」

「……なんでぇ?」

 思わぬところから否定の意見が向けられて、瑞希は素っ頓狂な声を漏らした。

「春は優くん枠です」

「……ん?」

 どういうことだろうか。

 つらつらと手で「春風のように爽やかなアイツ」と紙に書き込みながら瑞希は幾ばくかの間考える。弟くんをV化させるなぞ考えたこともないし、やるつもりもない。そもそも目の前の樹理こいつは自身の家族にもVTuberとして活動していると告げていないし隠しているはずだ。

 だというのに唐突に自身の弟に対して「VTuberやってみない?」と突きつけるつもりなのか。絶対にその理由について問われると思うのだが、それをどう乗り越えるつもりなのか。

「いや、初耳ですけど?」

「え? でも私弟くん設定画枠取ってるの知ってるよね?」

「……雪那としてやってるアレ?」

「そう、それ」

「こないだ『こんなんじゃ弟くんの良いところ百分の一も表現出来てないですよぉ』って言って合計四時間くらい掛けて作った設定画廃棄したアレ?」

「そう、それ」

「あんたん所のリスナーからサグラダファミリアとかベルセルクとかハンターハンターとか言われてるあれ?」

「最近バガボンドって言ってる人もいたけど、ねえ瑞希ちゃん、これも終わりそうにな」

「やめなさい」

 何らかの恐怖を感じて瑞希は言葉を遮った。

「いいか、樹理。バガボンドもヒストリエもいずれ終わるんだ。完結するんだ。それは当然のことなんだ。いいね」

「アッハイ」

 何故だか異様に喉が渇いたので二人は机の上で夏の暑さに汗をかいているグラスを手に取り、ジュースをごくりと嚥下した。

 そして同時にぷはあと息をつく。この上なく飲み物が美味い。

「……あれ、そういうネタでやってたんじゃないの? 賽の河原で石積むのを見る感じで」

「流石にそんな虚無配信はしないよ?」

 樹理が傍らの後輩を横目で見ると白目を剥いていた。一体何の言葉が心に突き刺さったのだろう。ヒストリエだろうか。ヒストリエなのか後輩。

 自身の誕生した季節を示して、それを弟くんが既に予約済みだと言われるという目の前で行われた行為を風呂敷に包んで心の箪笥に仕舞い込んだ瑞希は、多分白目の原因がヒストリエだということにして無視を決め込んだ。

「何時か優くんにも私が描いたキャラクターでデビューして欲しいんだぁ。それで、一緒にコラボするの」

「ほーん」

 まず実現することのない、真実夢物語であることを瑞希は理解した。

 第一に、多分弟くんのキャラデザに妥協が出来ずにキャラクターが完成しない。樹理というものはそういうものだ。どこまで描いても結局理想が高すぎて求めるハードルを飛び越えることは出来ないのだろう。樹理の偏愛はそれほどに深い。唯一満足行くデザインにするためには、弟くんを写真で撮ってそれを動かす、ということが眼前のブラコンに刺さる唯一だろう。

 このことは別に告げなくてもいい。勝手に描いて勝手にハードルを越えられないジレンマにとっ捕まっていればいい。瑞希は内心で冷徹に突き放す。

 そして第二に。

「それさあ、あんたん所のリスナーは求めてないと思うよ」

「……なんで? 皆弟くんのこと、好きだよ?」

「違う違う、『雪那』を好いてくれているのは『雪那』が好きなだけであって、別に弟くんに対して深い感情なんて持ってないって」

 あるいは、「弟」というのはあくまで代名詞であって、その実は「彼氏」と呼ぶのではないかと邪推する雪那ガチ恋勢が不快感を抱いていたのかもしれないが、それも先日の「弟フラ」で大分減ったはずだ。

「でも、優くんガチ恋勢名乗ってる人もいるよ?」

「ネタでしょ。あんたが弟くんについて語る。リスナーがガチ恋を名乗る。コメブロックしてもらう。後日ブロック解除。流れが出来てるプロレスじゃん」

 なんつうんだっけ? こういうの。カリカチュア? マクガフィン?

 あくまで弟へのリアクションは「雪那」と対話をするための道具に過ぎないと瑞希は述べる。

「舞台装置でしょ。リスナーからしたら。見たことも聞いたこともない名も知れぬ男子にさ、ガチ恋なんてするわけないじゃん」

 そして、第三に。

「それと、あたしら一応個人勢だけど、『茜』と『雪那』、この二人と、一応将来的にはそこで白目剥いてるバカも入れて女三人で繋がりを持つことになるでしょ。基本的にVってのはオタクカルチャーの一部なワケ」

「そういう層のリスナーがあたしらに求めてるのは女子だけで完結したゆるゆる世界観なの。そこにあんたの弟とはいえ男突っ込んだらさ、血の繋がりがない『あたし』に対してのありもしない可能性を膨らましてくんのよ」

 俺も仲間に入れてよ、と女子二人の間に首を突っ込んでくるチャラ男が瑞希の手によってA4用紙に書き加えられる。春風のように爽やかなアイツはどこに行ったのだろうか。

「以上の理由から、弟くんをV化させることは話のネタにしかならず実現には動きませーん」

 樹理は瑞希のその歯に衣着せぬ物言いに頬を膨らませてぷりぷりと怒って見せるが瑞希は瑞希で知らん顔を決め込む。

「個人的にはてぇてぇと思うけど、レギュラー化は無理でしょ。歌ってみたコラボで動画一本出すとかはあたしの私利私欲で見てみたいけど」

 言いながら、瑞希はファンシーな雪だるまに三度笠を被せたえらくポップでキュートなキャラクターを描き出す。

「弟くんのデザインはヒトガタのイケメンは絶対無理。こういうプププでペポーイとか言いそうなピンクの悪魔な世界観に住んでる、マスコット系のキャラデザにしなきゃ」

「……瑞希ちゃん、相変わらず二頭身の絵を描くの得意だよね」

「リアル等身のデザインはクソだけどな!」

 まじまじとその雪だるまを眺めて、樹理は呟く。

「……キャラデザ、これが正解かも」

 ぐりぐりと雪だるまが乱雑に塗り潰されていく。それを見て樹理が「ああっ」と悲痛な声を上げるが筆を動かす瑞希の腕が減速することはない。

「正解かもしれませんがデビューは認めませーん。そもそもあんたがVやってるって弟くんに暴露しないと話し持っていきようもないでしょうが」

 そして樹理はそのことを優也に告白するつもりはない。するにしても、今までの動画を全て非公開にしておとうトークがバレないようにしなければならない。

 以前瑞希から「『雪那』が話してる内容が弟くんにバレたら好感度多分ダダ下がりするわ」と釘を刺されてもいるし。

「万が一あんたが暴露して、同時に弟くんにV化を薦めたとしても」

「としても?」

「まともな人間はようやらんわそんなこと」

 自ら好んでVTuber化した人間のくせに、そしてその世界に樹理を巻き込んだくせに、瑞希は真顔でそうのたまった。




「でも私と優くんの歌ってみたは瑞希ちゃんも見てみたいんだ」

「それはそう。てぇてそうだし。だからどうにかあんたがVだってことを知られずに弟くんのカラオケだけどうにかして収録出来んか」

 土台無理な相談を二人は始めた。

 

 


 

 


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