美しくて、醜いもの
牛☆大権現
第1話
「俺達は、物心ついた時からずっと、武術の鍛練に明け暮れていた。
そのかい合って、大人と比べても遜色無い体格まで育った」
60年前、空蔵が失踪する前日。
アンタはそう話し掛けてきた。
「……空蔵、アンタは何が言いたいんだい? 」
「俺達の鍛え上げられた肉体も、老いれば衰える日が必ず来る
芳江……
お前は老いるのが、怖くはないか? 」
気付いていたよ。
アタシより、二回りは大きい腕を、ブルブルと震わせていたのが。
声にも、少しだけ恐怖の色が滲んでいたね。
「身体は衰えても、技の冴えは失われ無いんじゃないの?
老いるのは、ちっとも怖くないね 」
アンタと一緒ならさ。
そう続けようとして、気恥ずかしくて、途中で呑み込んでしまった。
ここで勇気を出していれば、未来は少しだけ違ったのかもしれないね。
「……そうか
だが技の冴えですら、死ねば失われるだろう
ならば、俺達は何の為に技を練り上げるんだ? 」
「生き物が死ぬのは自然の摂理さ、怖いけど、それを気にしても仕方がないよ
それに、技は失われないよ 」
どういう事だ?とアンタは頚を傾げたね。
これが分からなかったって事はさ。
この時点で、アンタとアタシは決定的に、道を違えていたのかもしれないね。
「技を必要とする、誰かに教えれば良い
アタシ達の師匠だって、そうして来ただろう? 」
そう言って顔を覗きこんで、息を呑んだ。
アンタの失望したような、絶望したような表情を、その時初めて見た。
「そうか」
それが、アタシが聞いた、アンタの最後の言葉だった。
アタシは後悔したよ。
もっと他に、言ってやれる言葉は無かったのかって。
「久し振りだな、芳江
お前の弟子達は、肉付きが良い
少しだけ旨かったぞ 」
その空蔵が、アタシの前に姿を現した。
60年前と、なんら変わらぬ姿で。
アタシの弟子の血で作られた、赤い池の上に立っている。
「空蔵、こんな長い間どこほっつき歩いてたんだい
師匠の死に目にも立ち合わないでさ 」
アタシは平常を装って、空蔵に声をかける。
掌に、爪が食い込むのを感じる。
「痩せ我慢はよせ
正義感の強いお前が、弟子を殺されて立腹しない筈がない 」
アタシは、その言葉には答えない。
空蔵は、人間の大腿骨と思わしき骨を、口の中から吐き出す。
「弟子は旨かったが、肝心のお前はどうだ?
60年前と比べて、随分衰えたようじゃないか 」
「そういうアンタは、全く変わらないね
一体どんなアンチエイジングをしたんだい? 」
「アンチエイジング?
違うね
俺は人を捨てたのだ、永遠の強さを手に入れる為にな 」
空蔵の身体が、信じられないほど変化していく。
頭から二本の角が生え、口からは牙が覗きく。
なんだい、これは?
「こりゃ驚いた、人間を捨てたってのも嘘じゃないらしい
さながら、昔話の鬼その物じゃないか 」
「流石のお前も、混乱しているようだな
そうだ、俺は鬼に転生した!
そして、劣化せず成長し続ける肉体を手に入れた! 」
空蔵は道場の柱を一本、握り潰して見せた。
「やめておくれよ、補修代がどれほど高くつくか、嫌になっちまうよ 」
「安心しろ、どのみちお前は、この道場を捨てることになる
選べ、俺と同じく鬼となるか
それとも、殺されるか? 」
そんなの、聞くまでもない質問じゃないか
「どちらも嫌だね
同門のけじめとして、アタシがアンタを葬ってやるよ 」
「……残念だよ、耄碌したのかね
今の醜く老いたお前のどこに、俺を殺す力がある? 」
空蔵が、構えをとる。
剛力を活かす為だろう、右手を大きく振りかぶっている。
「お喋りだねぇ、さっさとかかってきな
それに、鍛えた身体が衰えて、漸く辿り着ける境地という物もある
アンタには、それを見せてやるよ 」
「鍛えた身体が衰えて、漸く辿り着ける境地だと?
そんなものは、無い! 」
空蔵の右順突きが、アタシの顔面を狙い撃つ。
その右拳は、アタシの顔面と薄紙一枚の距離で静止する。
「俺としたことが、かつての同門を相手に、躊躇ってしまったらしい
今度こそ、葬ってやろう 」
空蔵の次の技は、左前蹴り。
その足尖も、薄紙一枚アタシの胴体に届かない。
「アンタが躊躇してるんじゃない
アタシが、アンタの間合いを見切ってるんだ 」
どうやら、鬼にも通用するようじゃないか。
「あらゆる生物には、力の及ぶ"円"がある
円の薄紙一枚でも外にいれば、どんなにスピードのある攻撃も、当たらないよ 」
「たかだか間合いの取り方が、多少巧くなった程度で、調子に乗るな!
その触れれば折れそうな腕で、俺にダメージは与えられまい?
ならば、お前が見切り損ねるのは時間の問題だ! 」
空蔵の拳風が、アタシの頬を撫でる。
激しい乱打が空を切っている。
「そうさね
アンタの分厚い筋肉の前には、何万回打っても響きゃしないだろうね 」
最も、打つ必要も無いんだけどね
伸び切った拳に、掌を合わせて押す。
それだけで、空蔵の身体は宙を回り、背部から地面に叩き付けられた。
「"円"の外に出してしまえば、アンタの剛力は意味を為さない
蟻一匹が載っただけでも、その重さに耐えきれなくなるのさ 」
空蔵は、瞳孔を開いたままになっている。
肉体的なダメージも大きいだろうが、それ以上に精神的な衝撃が空蔵を襲っているはずだ。
「認めよう、確かに境地とやらは存在しているらしい
ならばこそ頼む、人間を捨ててくれ!
鬼となり若返ったなら、更にその先に進めるかもしれないんだぞ? 」
「バカだねぇ
死の恐怖で、常に感覚が研ぎ澄まされているから、この見切りの冴えが生まれるんだ
人を止め死から遠ざかれば、失われるに決まってるじゃないか 」
空蔵は、跳ね飛んで立ち上がった。
懲りない男だね。
「どうしてもお前は、人を止めないらしい
ならば、俺はこの剛力と神速をもって、お前の技と見切りの冴えを撃ち破ろう!
お前の美しかった容貌が損なわれていくのを、これ以上我慢することは出来そうにない 」
「アタシは今の自分を、気に入ってるんだけどね
過去より、今あるものを大事にすべきさ
……でもね、アンタに限って言えば、昔の方が好みだったよ 」
空蔵の"円"が、アタシに近付いてくる。
かつてない速度の踏み込みが、アタシの見切りを遅らせた。
アタシの身体は今、必殺の空間にある。
かつてない"死"の恐怖の中で、気づく。
"円"の中にも、更に複雑に絡み合った"円"が存在していることに。
死中に活とばかりに、アタシも先へと踏み込んだ。
右半身の形で、懐に潜り込む。
アタシの胴体スレスレを、空蔵の腕が通過するのを感じる。
右掌底で、顎をカチ上げるように突き上げる。
カウンターで入ったその一撃で、空蔵は後頭部から落下し、床に叩き付けられた。
「先程の間合い、お前の言う"円"の内側だったはず
何故俺は、非力なお前に投げられた? 」
頭部が潰れたにも関わらず、空蔵はまだ喋れるらしい。
今のはヒヤッとしたし、そろそろ勘弁して欲しい所なんだけどね。
「土壇場で気付いたのさ、アタシが捉えていたより、"円"はもっと複雑な構造をしていたってね
今の境地の先に至れた事で、その概念を理解し、利用できたのさ 」
「そうか 」
空蔵は、起き上がろうと腹筋に力を込める。
けれど、その身体が持ち上がる気配は無い。
「……どうやら俺はここまでらしいな
最後に、一つだけ教えて欲しい
芳江、俺には何が足りなかったんだ? 」
「振り下ろす 太刀の下こそ地獄なれ
達人と呼ばれる人間だって、死は怖いんだ
つまり、人なら誰しもが当たり前に抱える、自分の死への覚悟が足りなかったのさ 」
アタシは、空蔵の近くに座る。
今のコイツは、毒気が抜けた目をしている。
急にアタシを襲うことは無いだろ。
血で服が汚れるが、それくらいは許してやるよ。
「死から逃げたアンタには魅力を感じなかったけど、最後の一撃だけはとてもよかったよ
捨て身の一撃だったからこそ、アタシも自分の壁を破れたんだ
ありがとう 」
「まさか、殺そうとした相手に、感謝されるとは思わなかったな 」
空蔵は、心底おかしそうに笑う。
まるで、60年前に戻ったみたいだ。
「それは別として、アタシの弟子を殺したことは許さないよ
あの世で土下座でもなんでもして、詫び続けるんだね 」
「それも当然だな、俺にも許されるつもりはない
だが、済まなかったな 」
その言葉を最後に、空蔵の身体は崩れ落ちる。
灰となり、風に飛ばされるように消えちまった。
全く、最後まで世話のかかるやつだよ。
美しくて、醜いもの 牛☆大権現 @gyustar1997
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