テーマ『住処を変える』

実話 大滝のぐれ



 よく夏頃に放送される怪談再現ドラマが「このあと私たちは引っ越しましたが、今でもそのアパートはあの場所に建っているそうです……」というふうに終わるのを見るたび「こいつらはなんでホイホイ引越しできるんだろ」と思っていた。小学生のときは適当なつじつま合わせでなんとなく納得していたが、中学生で反抗期へ突入し、家出願望を抱いたとき、その考えは変わった。家賃とか家の建設資金さえ払えばさっさと引っ越せると思っていたが、詳しく調べると引越しというものは表に出てくる金額以上に莫大なお金や手間がかかり、おいそれとはできないことであることがわかったのだ。

 だというのに、彼らはやっと持てたであろう新居などを簡単に売りに出したり引き払ったりしている。命が危ない状況とはいえ、もう少し粘ってもいいのではないだろうか。


 そう考え続け悶々としていた私に突如として一筋の光が差し込んだのは、大学卒業が迫ったある冬のことだった。

「幽霊とかに興味あるんだよねたしか。実は、ぴったりの仕事があるの。知り合いからの紹介なんだけどどう? まだ就職決まってなかったよね」

 卒業式三日前にゼミの教授からもたらされたその話はまさに渡りに船で、私は二つ返事で承諾した。その会社もあっさりと私に内定を出した。

 入社後すぐに二ヶ月間の研修を受け、半年ほど先輩の元で学んだあとで私は独り立ちすることになった。新人としては異例のスピードだったらしい。だがそれもそのはずで、その会社は他でもない「巷にあふれる怪談再現ドラマを『発生』させる事業」をしていたのだ。


 仕事の主な内容は、指定されたアパートやマンション、一戸建てといった居住空間で手羽元を調理することだった。甘酢あんかけでも塩焼きでも、社外秘のレシピで決められた行程さえ踏めばなんでもいい。すると、どこからともなく幽霊が部屋に『発生』するので、用意された台本通りに俳優を動かし、再現ドラマというていの映像を撮る。幽霊が筋書きにそって動き、問題なく映像ができていればオッケー。いなければ撮り直し。そんなよくわからない行為を日本のあちこちで一年に何度も繰り返し、うちの会社は利益をあげていた。

 長い間温めてきた疑問の真相がそんなものだったと知った時は少々がっかりしたが、それでも仕事はとても楽しかった。オフの日や撮影の合間で観光をしたり、滞在場所に慣れたところで帰らなくてはならないことに一抹のさみしさを覚えたり、見慣れない新しい土地に行って胸を高鳴らせたり。毎日が刺激と学びに満ちていた。


 そんな日々が続いていたある日。ある現場で急に浮かんできた疑問を私は社長にぶつけた。

「いつも『発生』させてる幽霊ですけど、本物が出てくることってないんですか」

「ああ、あるよ。彼らはかなり強い。俺たちじゃ太刀打ちできないよ」

 当時の私はまだその手のアクシデントに遭遇していなかった。じゃあ、どうすれば。不安げにつぶやいた私に、社長は真剣なまなざしを向けてきた。


「いいか、おれたちが作るのは虚構だ。現場にしつらえられた設定、人間、命は全部偽物だ。だから、それに引きずられるな。そうなったらすべてを投げ出して逃げろ。そんなもので死ぬことはない。フィクションなんかで」


 それになんと答えたかはよく覚えていない。が、たぶん私はうなずき、納得したのだと思う。現に、そのときもそれ以降の撮影でも、本物が出現したときは即座に撤退した。私たちはそこに根付いているわけではない。だから、何が起きても関係はない。




 なんて、昔のことを思い出している場合ではなかった。食器棚やソファ、ダイニングテーブルといった家中の家具ががたがた揺れている中、私は塩の入ったびんを片手に忍び足で歩いていた。夫と息子はすっかり腰を抜かしてしまっている。恐怖のために震える息子の肩へ手を置き、私は玄関のほうをにらむ。どす黒い色をした不定形の塊がそこでとぐろを巻いていた。全身がぴりぴりと痛むような不快感にさいなまれる。ずいぶんと久しぶりで、懐かしい。結婚を機に転職してから、もう八年ほど経つというのに。


「なんだよこれ。なあ、これ、まさかお前のむ、昔の仕事と」

「ええ、関係ある。でも、これは」

 私は手羽元なんて調理していない。これは本物だ。なんで出てきたのだろう。あの仕事での経験を活かし、この家になにか瑕疵かしがないかどうかは慎重に調べていたのに。

 首を吊りたくなるような陰鬱な空気が強まり、私はその場に膝をつきそうになる。でも、荷物をまとめすべてを放り出すことはできない。ご都合主義的に湧くお金や、呪いや恐怖が途切れるチープで適当な理由もない。これは実話だ。物語や娯楽の合間ですりつぶされるものではなく、時間と思念が絡み合った本物しか、ここにはない。

 フィクションなんかで。社長の言葉が脳裏によぎる。うずくまるふたりを背にかばい、私はびんのふたに手をかけた。





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【一部作品試し読み】プロブレマティカと湾曲のある静物群集 大滝のぐれ @Itigootoufu427

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