第65話 叩いて出る埃が全て身体に悪いとは限らない
「観光資源ってのは無ければ作ったら良いし、私達かすれば見慣れた光景も他所様にとっては物珍しかったりする。恭介の言う『何も無い田舎』って表現は確かにネガティブが過ぎるね」
「『無いなら作れば良い』という意見が出てる時点で俺の評価は正当だと思うんですけど」
「そっちはモノの例えだよ。わざわざ作らなくてもウチの村にも見どころは沢山あるさ」
ポコポコと何とも間の抜けたエンジン音を吹かしながら、年老いた白バンは俺達を乗せてヨタヨタと走り辛そうにひた走る。持ち主である漆香さんはそんな車体の悲鳴を気にした様子もなく、しかし俺の地元に対するディスリスペクトには不満があるらしい。
運転をしながら、案内先についての説明と同時に故郷愛の足りない俺に対して苦言を呈してきた。
「田舎の景色、自然の景観も立派な商材たり得る。駅周辺の店をぶらぶら周るのも悪くないけどね。先ずは私お勧めの映えスポット巡りと行こうじゃないか」
「映えスポット?」
あっただろうか、うちの村にそんな小洒落た場所なんて。
「稲村さんちの息子夫婦が何年か前、村に帰って来たのは知ってる? この夫婦が中々にバイタリティ豊かでね。あそこの家の田んぼ、長年放置されてたけど米作りを再開したんだ」
「……それが?」
「千枚田を作ろうってプロジェクトにまで発展している。企業連も一枚噛んでるらしい」
千枚田ってアレか、棚田が一望の下に広がってる状態のアレ。ウチの村にそんなのを作るスペースがあるのか甚だ疑問だが、まあ棚田だし。山に囲まれて斜面は沢山あるのだから出来なくはないのか。
話によると、既に外観だけならそれなりのモノが完成しているそうで。今年から試作を開始してるとかなんとか。成る程、確かに千枚田ともなれば結構なフォトジェニックスポットにもなりそうではある。
しかし百人が百人、その景色に興味を持つとは限らない。つーか、やっぱ無いから作ってんじゃねーか。
「他にも曇天山の大岩、和久田川の鳴子滝、下流の土手も彼岸花の群生が見頃を迎えているし……ほら、いっぱいあるじゃないか」
「大岩や滝はともかく、この地で彼岸花を見るのは縁起的にも気分的にも良くないでしょ」
「君ら写真サークルなんだろ? 縁起ではなく絵面の良し悪しで判断したらどうだ」
どうだと言われても。生憎と俺と雛川先輩は写真サークルでありながら写真にそれほど興味が無いし、片岡は風景より人物撮影の方が好きだと言っている。久留晒さんに至っては撮るのではなく撮られる側だ。
「モデルがいるなら尚更撮り甲斐があるだろう。村を背景にとくと撮れば良い」
そんな漆香さんの発言に苦笑いを浮かべる他なかった。
後部に座る、その現役モデルをバックミラー越しに見遣る。いくらプロと言っても全ての題材や背景に合わせられるモデルは存在しない、と思う。見た目からして、すこぶる都会的な彼女はやはりウチの田舎と相性が悪いと思うのだが。
モード系と棚田の組み合わせ、シュールと取るべきか斬新と取るべきか。取り敢えず、当の本人もその提案には乗り気じゃなさそうだった。
「撮るなら皆んなで……普通の旅行写真が撮りたいんだけど」
ああ言ってるし。
というか、この地でモデルを立てるのならラフな格好で健康的に日に焼けている漆香さんこそピッタリだと思う……いや、まあいい。せっかくなので話題を繋げて探りを入れるか。
「モデルの人と同じ画角に入るのはちょっと勇気が要りそうですね。俺が入っても大丈夫ですか?」
漆香さんは一旦置いといて、俺は助手席から振り返って久留晒さんに声を掛けた。
少し戯けた口調で尋ねたのが幸いしたらしく。漆香さんの案に困り顔を浮かべていたモデルさんだが、俺の馬鹿っぽい問い掛けに表情を崩す。
「モデルと言っても大して売れてないから、一般人と大差無いよ。出来れば仲間外れにしないで欲しい」
もちろん仲間外れとか、そんな意図で言ったつもりは無い。慌てて弁明をすると、彼女の隣りに座っていた雛川先輩がケラケラと笑った。
「大して売れてないは謙遜が過ぎると思うけどねー」
先輩曰く、久留晒さんは有名誌の看板モデルに抜擢されているくらいには有名だそうで(女性向けファッション誌に詳しく無いので雑誌名を言われてもピンと来なかったが)、最近は表紙をバンバン飾っているらしい。確かに、それで「大して売れてない」は人によっては謙遜を通り越して嫌味に聞こえるだろう。
「雛川先輩と久留晒さんって元々どういう繋がりなんです?」
「高校の同級生……と言っても、グループ違ったから在学中は全然話さなかったけど」
「寧ろグループ同士で敵対してたよな。一時期抗争になりかけてた」
「卒業してから連むようになったんだっけ?」
と言いながら「分かんないもんだよねー」と仲良さげに笑い合っている。
個人的にはグループ抗争のくだりが非常に気になるのですが……まあ、今は一点だけの深掘りはせず、広く浅く会話を広げるべきだろう。久留晒さんの
現在、分かってるだけでも三つの顔を持つ彼女。現役モデルとしての第一の顔。雁天の社長令嬢という第二の顔。そしてソガミ教信奉者という第三の顔。
それぞれパンチは強いものの、一見すると共存に問題の無さそうな肩書きである。しかし、
それでも、久留晒さんは両肩書きを抱えたままこの村までやって来た。鋼太郎が彼女を「火種に撒かれたスピリタス」と表現したのも頷ける話である。
当人がどこまで今回の事態を把握しているのかも謎だが、流石に自分の立場を何も理解していない……なんて事は無いのだと信じたい。
最悪、俺か漆香さんが正体を明かして問い詰めるという手もあるのだが。まあ、それは必要に駆られた場合の本当の最終手段であって、別にそこまでして彼女の真意を知る必要は無かったりする。「俺達は何も考えず、ただ降り掛かる火の粉を全力で払えば良い……!」みたいな、少年漫画のようなノリで挑んでも現状問題は無い。
……ただ、厄介ごとを何度か抱えた経験のある俺から言わせれば、そういう脳死プレイは後々に自分の首を絞める可能性がある訳で。
警戒心、遅ればせながら漸く俺にも芽生え始めたらしい。会話の中でヒントか何かを引き出せるなら、それに越した事はないだろう。
そういう訳で、どう彼女を誘導して喋らせるかと色々頭を悩ませていたのだが……
「────ところで久留晒さん、だったかな? 君はこの村に来て大丈夫なの?」
漆香さんがいきなりぶっ込んできた。
典型的なコント漫才の冒頭が如き、前振りもクソも無い本題の振り方。唖然としたのは言うまでもない。
『どうもー、〇〇ですぅー』
『よろしくお願いしますー』
『俺な、△△になりたかってん』
『なんやねん急に』
『俺△△やるからお前××やって』
ぐらいに会話の流れが不自然で唐突だった。本当に流れもへったくれも無く、「アレコレ考えてた自分が馬鹿みてえじゃねーか」とボソリと呟いてしまった俺を誰が責められよう。
タイミングで言うと、宣言通りに車で棚田まで連れて行かれ、大岩を巡り、彼岸花を鑑賞してから「それじゃ最後に上流の滝を見に行きましょうか」という段になっての出来事。各所で写真を撮りつつ、旅行特有の楽しい空気がそれなりに形成されていた最中だった。
いきなり問われた久留晒さんは、俺や先輩達と同様に驚いたように目を瞬かせていた。そりゃ無理もない。
「…………大丈夫って何がですか?」
あんな尋ね方をされたら、例え自分に疚しいことが無かったとしても警戒するだろう。当然の反応である。
「何がってホラ、貴女ソガミ教の信者なんでしょ?」
「ええ、そうですけど」
この人に言ったか……? と首を捻る久留晒さん。それを無視して漆香さんは質問を続けていた。運転をしながら顔は涼しげで口調も穏やかだが、暗に何かを責めるようなプレッシャーを感じる。
「『無闇矢鱈に
そういえば昨夜、鋼太郎がソガミ教の戒律についてそんな事を言っていた気がする。確かに探り入れの口実としては良いのかも知れないが。
しかし、相談どころか目配せも無し。いきなり踏み込んだ質問をぶつけるとか、此方としてはかなり焦る。周りくどいのは面倒だからストレートに聞くという、そのスタイルは漆香さんらしいっちゃらしいのだが。やはりもう少し慎重に行動して欲しい。
その心配を他所に二人の問答は続いていた。
「文言の通り『無闇矢鱈に』なんで、絶対駄目と言われてる訳じゃ無いんです」
「例えば患った時とか?」
「そうですね、恩寵を賜る際が最たる例でしょう」
「ふーん……で、今は? 患ってんの?」
「……健康です」
「だよね」
だよねじゃねーよ。これ見よがしに揚げ足を取るから、あからさまに警戒されている。これじゃあ穏便に聞き出せるモンも聞き出せねえ。
どーすんだこの空気……と思っていたら、漆香さんは突然クスリと笑った。
「ゴメンゴメン、気になったもんだから。昔から思った事を直ぐに口に出す癖があるんだ」
単なる好奇心で他意はない、という漆香さんの弁明はもちろん全部嘘である。
そんなんで誤魔化せるのか? とも思ったが、ハキハキと喋る人にこうも堂々と述べられると人間案外あっさり信じてしまうらしい。少しの間沈黙が続いたが、バックミラー越しに見える久留晒さんの表情からは警戒レベルが幾分か下がったように見えた。
────目的が無いと言えば嘘になるかも。
程なくして、彼女の口からそんな台詞が出たのだから、漆香さんのやり方が正解だったようである。まあ、結果的に上手くいっただけの話だろう。それだけに釈然としない。
「ほう、目的」
「切っ掛けは雛川に誘われたからですけど、誘いに乗った理由は別としてありました。不文律に反しますが、私はどうしてもこの村に来たかった」
俺達が次に向かおうとしている鳴子滝は、落差二十五メートルを超えるこの地域最大の直瀑である。
山白村に唯一流れる和久田川。その上流にある彼の滝へ辿り着くには、結構な山道を進む必要があるのだが。これも観光地化計画の一環なのか、嘗ては獣道と大差なかった狭い山道も今では車が楽々と通れるくらいに拡張されていた。流石に舗装まではされていなかったが、それでも子どもの頃に通った記憶と比べれば雲泥の差である。
村を囲う山を一つ超えた先にある渓谷。地形の影響か、打ち付ける水音が甲高く反響する様から「鳴子滝」と呼ばれているらしい。
久留晒さんの自供中も車は止まることなく次の目的地へと向かっていた。ガタゴトガタゴト、ご老体(車)の膝(サスペンション)はもうとっくに死んでいるらしい。車体に響く振動は非常にダイレクト。治して差し上げたかったが、流石の反転通でも車の不調にまで効力は及ばない。
食べた朝食はまだ胃の中に残っていたらしく、シェイクされる度に気持ち悪くなった俺はご老体相手にではなくて自分に対して反転通を当てていた。
そんな中で聞かされた、久留晒さんの事情。
「姉の子の供養?」
意外と、というか予想を超えて重い内容である。
「初めて聞いたよ。藍良、お姉さん居たんだ?」
雛川先輩も驚いて聞き返していた。もちろん俺も驚いている。昨日鋼太郎から聞いた話では、確か久留晒藍良のことを社長の「一人娘」と呼んでいた筈……
「異母姉妹なんだ。姉さんは父の愛人の娘」
普通に世間体が悪いので、第二の母娘の存在は雁天グループの総力によって完璧に隠匿されているのだとか。なるほど、リアクションに困る内容だ。そして良いのか、俺達に話して。
「父は基本真面目だけど浮気性だったらしい。円満な家庭を築きながら他所で別の女を作る、そこそこ最低な部類でね」
「ある意味凄いね」
雛川先輩が「凄いね」としか言えないのだから相当である。俺もどういう顔をすれば良いのか分からない。
取り敢えず神妙な顔を作っていると、反応に気付いた久留晒さんが「すまない、誤解を招く言い方だったな」と何でもないように述べて、薄く笑った。
「愛人だの異母姉妹だの最低な部類だの、色々剣呑なワードを使ったけど、別に家庭が崩壊している訳じゃ無いんだ。父は……色々と異常でね。大企業を束ねているだけあって、甲斐性が異常なのか、それとも単に口が上手いだけなのかも知れないが。とにかく、とても上手に家族を纏めていたよ。私も母も愛人も姉さんも、皆んなが円満だった」
……だからなんだ! リアクションのし辛さに変わりは無えよ!
とてもそんな空気では無かったので言わなくて正解だったとは思うが、この渾身の突っ込みを口に出せなかったのはもどかしかった。
「流石に一緒には暮らせなかったけどな。それでも『五人家族』は機能していたよ。特に、姉さんとは昔からよく一緒に遊んでいた」
「仲良かったんだ?」
「気の置けない仲だった。尊敬もしていた。優しかったし、誰よりも綺麗だった」
「へえ、藍良にそこまで言わせるなんて。よっぽど素敵な人なんだね」
「ああ、私の憧れだ…………それだけに、今の姉さんは労しくて見ていられない」
歳の離れた、尊敬する姉。常に溌剌だったその人は、現在、見る影もなく憔悴しきっているのだと言う。
原因は二年前、彼女の子どもが亡くなったからだ。
場所は此処、山白村である。
死人が出たという話自体に驚きはない。この地へ救いを求めて訪れる人は現代医学では完治の難しい患者ばかり。今日、明日の命で担ぎ込まれる重症者も時にはいる。
そして、病いの進行は予定調和では無いのだ。承和上衆の施しも麓の病院の献身も間に合わず、あと一息のところで零れ落ちる命は年に一つや二つ、必ず存在する。俺が実家に住んでいた時も何度かそんな不幸話を耳にした。その内の一例が久留晒さんの姉の子なのだろう。
「二年が過ぎた今も姉は塞ぎ込んだままだ。私がどう声を掛けても反応すらしてくれない」
「それは、心配だね」
「無理もないだろう。神の手からも零れ落ちる命は当然ある。そんな事は信者ならば誰でも知っている。……知っているが、理解しているつもりの私でも、受け止め切るのに相当の時間が掛かったからな」
車の中に沈黙が流れる。流石の雛川先輩でも合の手に困窮しているご様子だった。そんな先輩を見て雰囲気を悪くしたと察したのか、久留晒さんが見せたのは苦笑の表情。
「だから今回、雛川から旅行を誘ってくれて少し運命めいたモノを感じたんだ。丁度今年で三回忌だし、時期もお彼岸だったからな。未だ受け入れられない姉の代わりに、せめて私が供養をしたいと思った」
姉の子が亡くなったこの土地で。聖域と信じてやまないこの土地で。
ひょっとすると……いや、ひょっとしなくても。彼女が駅に降り立った時に手を合わせていたのは、そういう意味が込められていたのだと今更ながらに気付く。
「すまない、やはり話すべきではなかったな。せっかくの旅行なのに空気を悪くしてしまった」
久留晒さんの謝罪に対し、漆香さんが首を横に振った。
「謝るのは私の方だ。センシティブな事情だったのに無理矢理問い詰めてしまったな」
まったくだ。俺も探りを入れようとしていただけに少し……いや、かなりバツが悪い。そしてやはり空気も重い。
────と、そんな気不味い車内の空気を破ったのは誰かしらのスマホの着信である。俺のでは無い。間違っても俺は日本民謡を着信音に設定したりはしない故。
出処の正体は漆香さんのスマホだった。
走行中であった為、代わりに出るよう電話を放る運転手。「相手誰だよ、車を止めて自分で出ろよ」と言いたかったが、表示されている名前が鋼太郎だったので躊躇う気持ちは一瞬で消えた。
「こちら捜査一課」
『……なんでテメーが漆香さんのスマホに出やがる』
不意打ちのネタで揶揄ってやろうとしたのだが、余り効果がなかったようで。物の見事にスルーされてしまった。
まあいい、気にせず話を進めよう。
「管理官殿は運転中だ。要件なら俺が聞く」
そう述べると暫く鋼太郎は黙っていたが、やがて舌打ちしてから口を開いた。
『客の中に厄介そうな奴がいる』
「観光客狙いの置き引きとかか?」
『違えよボケ。警備がやられたっつってんだよ。二人もな』
「へえ、何処で」
『和久田川の下流、彼岸花の群生に埋もれてやがった』
……奇遇である。俺達がついさっきまで居た場所だ。
『多分、テメーら尾けられてんぞ』
神通力は人を救うが同時に世界を掻き乱す 梅しば @umeshiba
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