わたしと血まみれデザインナイフ

伊古野わらび

わたしと血まみれデザインナイフ

 わたしは不器用である。紛うことなき不器用である。付き合いの短い人や職場の人たちからは「そうは見えないけど」というお言葉を頂くこともあるが、残念ながら、わたしが不器用であることは否定のしようがない事実である。手芸工作は設計書通りに出来た試しがなく、刃物を持たせると間違いなく血を見る羽目になるため、親からは「包丁を握るな。扱うな!」と釘を刺されるほどである。ただ切るだけなら出来なくはないが、皮剥きは鬼門。野菜果実の実をごっそり削るか、自身の指の身をごっそり削るかの二択となる。血みどろクッキング。隠し味はわたしの血液。呪いかこれは。お蔭でちっとも料理の腕が上がらない。未だにレンチンに頼る毎日である。

 ともあれ、わたしは不器用である。多少外面は器用そうに見えたとしても、不器用なものは不器用である。特に刃物との相性は破滅的に悪い。包丁は勿論、カッターナイフや彫刻刀など学校の授業などで必ずお世話になる刃物も、わたしが扱えば、まず間違いなく赤い色を見る羽目となった。彫刻刀を扱った時など特に酷かった。詳細は割愛するが、当時のクラスメイト達を相当怖がらせてしまったことだけは白状しておく。本当に申し訳ない。


 まあ前置きはこのくらいにして、ここからは、そんな不器用なわたしの十代だった頃の話をしようと思う。

 当時のわたしが熱心に取り組んでいたのは、無論料理ではなく、とある漫画クラブでの活動だった。学校内のサークル活動みたいなもの、とだけ説明しておく。アングラな活動ではあった。

 今でこそ文章を書いてばかりのわたしだが、実を言うと漫画を描き始める方が早かった。もっとも「不器用」という呪いを生まれながらに授かっている身の上、漫画の技術も全く向上しなかった。後から参加してきた妹に華麗に抜き去られたほどだ。まあ妹は今ではその絵でお金を儲けているのだから、そもそも比べること自体間違っていたのだろう。姉妹は似ないものである。


 さて、某漫画用ソフトなど存在しなかった当時、漫画を描くとなれば無論アナログでの作業となった。しかもまだ十代。ペン先もインクもトーンも原稿用紙も高級品で、少ないお小遣いをどうにかやりくりして画材を買い集めていた。一本のお値段がコミックスと変わらなかったという某色塗り用アルコールマーカー(※コピ○ク)に至っては、数本でも持っていれば羨ましがれ、十本以上持てば神様扱いされた。

 不器用な癖に見栄っ張りだったわたしは、形から入りたがった。画力がこれっぽっちも伴わないのに、クラブのメンバーの誰よりも早く画材を一式買い揃えた。Gペン、丸ペン、ペン軸、インクにトーン一式。某マーカーも少々。猫に小判この上ない状況だったが、当時のわたしは机の上に広げられた画材を眺めるだけでも心が満たされた。

 ちなみに、原稿用紙も買いはしたが、あまり使用しなかった。コピー用紙ならクラブでいくらでも支給されたからだ。お蔭で思う存分、下手くそな漫画もどきを描くことができた。


 みんながまだ市販の安い水性もしくは油性ペンでペン入れをする中、わたしはGペンでガリガリとペン入れをした。その時の優越感と言ったら! ペン先が紙に引っ掛かってインクが飛び散り最終的に黒い飛沫(プラス後述の色違いの飛沫)を隠す修正液だらけの何とも無様な原稿となったが、ペン先を使う苦労を知っているのはわたしだけだと思うと、ついにんまりしたものだ。専用の画材を使わずに描いたみんなの原稿の方が遥かに完成されたものだったのにも関わらず。何とも恥知らずで無礼で失礼な話である。


 しかし年が経つにつれて段々と差が縮まってきた。わたしの画力の差ではない。みんなとの画材の差、そちらの方である。段々とペン先を使う人たちが増え、トーンを貼る人たちが増え、某マーカーのカラーバリエーションを自慢する人たちが増えてくると、わたしの唯一誇れた部分は、あっという間に没個性となった。

 わたしは焦った。見栄っ張りと分不相応な負けず嫌いが、わたしを急かした。画力で他のメンバーに勝てないことは、当時のわたしも自覚していた。それでも何とか他の部分で優位に立ちたい。本当に分不相応の負けず嫌い。


 ともあれ、悩みに悩んだわたしは、今まで避けてきたことに着手すると決めた。禁忌の画材のバージョンアップ。相性最悪の相手。刃物。そう、カッターナイフである。

 トーン作業には欠かせないカッターナイフ。切れ味が落ちても、パキンっと刃を折れば即時復活。お手軽簡単。但し、わたしのような不器用な人間は、刃を折る作業も命がけ。そんなカッターナイフ。勿論わたしも持っていたし、使ってもいた。

 仕方がなかった。買ったトーンは観賞用ではない。使ってこその宝で武器だ。例えトーンを切ろうとして下のコピー用紙ごと切り抜こうが、赤い飛沫がコマに散ろうが、使用済みの原稿からトーンを引っぺがして再利用しようが、赤い飛沫がコマに増えようが、持っている物は使って使い倒さねばならない。そして正しく(?)使うとなれば、適切な道具がいる。それが相性最悪の道具であろうと。


 そのカッターナイフのバージョンアップ。わたしは多大なる対価と覚悟の元に、カッターナイフの上位互換においでいただくことにした。唯一無二の一枚刃、デザインナイフである。

 刃は完全使い捨て。切れ味が落ちたら刃ごと換える。その切れ味は折り紙付き。トーン作業以外にも、あらゆる細かい作業に引っ張りだこの売れっ子である。お値段、当時の価格で驚異の千円超え。今では百均でも見かけることがあるが、流石に当時はそこまでお手軽な物ではなかった。一本がコミックスと同じ値段の某マーカーすら買うのに躊躇する身としては、まさに多大なる対価を支払う羽目にはなった。

 しかし、カッターナイフで十分事足りる中、デザインナイフにまで手を出すティーンエイジャーは、我がクラブには存在しなかった。よって、わたしは一躍主役へと返り咲くことができた。但し当社比。


 お値段四桁のデザインナイフを買えるなんて凄いねと、仲間からこぞって羨ましがられた。いい気がした。試しに使用させてくれと、仲間からこぞって頼まれた。大変いい気がした。

 いいね。凄いね。凄く切れるね。これならトーンを切るだけじゃなくて削るのも楽ちんだね。凄いね。凄くいいね。羨ましいなあ。

 褒められては鼻がぐんぐん伸び、調子に乗り、あれよあれよと煽てられて皆にデザインナイフを貸し出す中、ある時ふと気付いた。


 褒められてるの、わたしじゃなくてデザインナイフじゃね?


 当然と言えば当然である。わたしは不器用。刃物との相性最悪の人間である。トーン作業中に指先を血に染めながら、ついでに原稿も血に染めながら、それでも漫画を描いているような人間である。褒められるような部分は、見栄っ張りが過ぎるのと、それ故に早くから画材を揃えた先行逃げ切り型だった、それくらいである。いや、褒められる内容か、それ? そもそも逃げきれてなくね?


 ともあれ、嫌なことに気付いて、伸びた鼻が少し曲がり出した頃、更に追い打ちをかける事実が判明した。


 そう言えば、怪我が減ったような気がするのですが、果たしてそれは?


 カッターナイフを使っていた頃より絆創膏が少なくなった指先を見て、わたしは今更ながら愕然とした。

 相変わらず指先は切る。切れるものが我が前にある場合は、何でも切れる。しかも、デザインナイフは切れ味抜群。わたしの指は面白いくらいすぱっと切れた。ただ、負傷する頻度そのものは減っていた。目の前の絆創膏がその証拠。

 何故だ。カッターナイフと違って鉛筆握りがしやすいからか。お高い道具を使うからと、それ相応の慎重さをもって使用していたからか。そもそも切れ味抜群の刃は交換頻度が非常に低く、一番の負傷に繋がる刃の交換作業をしていないからか。

 分からない。分からないが、負傷率の減少時期とデザインナイフの使用時期は確実に重なっていた。そこから両者に相関があると導き出すのは、阿呆なわたしの脳みそでも当然の帰結だっただろう。


 つまり。

 やっぱり凄いのは、わたしではなくてデザインナイフじゃないですか!


 不器用人間、完全敗北の瞬間である。平伏し頭を垂れたのは言うまでもない。


 それから見栄っ張りのわたしが少しは謙虚になったのかと言えば、そこはリアル中二病年齢のティーンエイジャー。容易に落ち込んだ分、立ち直りも早かった。

 確かにデザインナイフが凄くて偉いのは間違いない。だが、そのお偉方を抱えているのは、いまのところわたし一人。それもまた事実に違いない。今のところはだが。まあそれでもいいじゃないかと。勝ちは勝ちじゃないかと。馬鹿で阿呆の極みである。

 そんな訳で、わたしとデザインナイフの付き合いは、今後も続いていくこととなる。



 さて、このデザインナイフとの付き合いが具体的にどのくらい続いたかというと、わたしが完全デジタル作業に移行するまでの約十年間という長丁場となった。その間、消耗品のペン先やトーンを始め、ペン軸や定規なども買い替えはしたが、十代の頃に買ったこのデザインナイフは、十年もの間、常に初代、常に現役として君臨し続けた。現役のまま、トーンと原稿用紙と、ついでにわたしの指先を切り続けたのだ。

 恐るべし、デザインナイフ。できれば、その恐ろしさを我が指で発動することだけは直して欲しかった。


 社会人になり、家にパソコンとネット環境が用意され、ようやく漫画のデジタル化にもお金が突っ込めるようになってからデザインナイフ様にはご引退頂いた訳だが、最後に一つホラーなオチを。


 わたしの十代の黒歴史とアナログ時代の終焉までも見届けた血まみれデザインナイフは、今も捨てられることなく我が家にいるのです。今でも、ずっと。


 いや、だってわたしの血を浴び続けたデザインナイフだぞ。百年近く経たなくても化けて出そうではないか。怖くて捨てられるか。まあ不器用人間の血だから持ち主に似て、化けて出ても、わたし以外の指は上手く切れない不器用さんかもしれないが。


 そういう訳で、このデザインナイフをいつどのように処分したらいいのか。もしかして、お祓いでもした方がいいのか。それとも塩撒くか、いや盛り塩か。なんて十代の頃と変わらず馬鹿で阿呆なことを考えているわたしなのである。



   【了】

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