花に嵐(別)
今日で夏休みが終わる。
大学生になって、夏休みが長くなったにも関わらずすぐ終わってしまった。あと2ヶ月ぐらい夏休みでいいのに。
夕方のスーパーを出て、 片手に米、片手に牛乳とその他食材を入れたビニール袋を下げて歩き出した。重すぎる。早く帰りたい。
「.......片方、お持ちしましょうか」
後ろから小さな声がかかった。
今買ったパピコの片方を握りしめた監視の人だ。冷たくないのかそんな握り方。
「これ重いんで大丈夫です。はぁ、最近兄貴が牛乳ガブ飲みするから.......4本も買っちゃったよ.......」
どうしたんだ突然。いくら牛乳飲んでもそれ以上背伸びないからな。何目指してんだよ、せっかく牧原さんと食事に行ったのに本当の本当になんの進展もなかったからって方向間違えんなよ。.......我が兄貴ながらぽんこつ過ぎて泣ける。俺の尊敬してる兄貴はどこいったんだ。
涙を拭う手が塞がっているので、そのまま歩いた。今日はやけに夕日が赤いな、秋か、と思っていると。
『ほお、ほお、ほお』
「お?」
艶っぽい、甘い女性の声がした。そして、後ろから頬にするりと白い手が伸びてくる。
『のお、
頭が背後の柔らかな双丘に埋められ、ふわりと薄く甘い香りがした。ぐいっと赤い着物を連れた腕に顎を上に向かされ、にっこりと笑った美女と顔を向き合わせる。距離にして約5センチ。
焦点が合わないほど近くにある浮世離れした美しい顔。心地よい甘い香りに、真っ白な肌に大きな黒目がちの目。真っ赤な唇は楽しそうに弧を描いていた。
『童、花は好きかえ?』
優しく微笑みかけられて。
「好きだ。あんまり花に詳しくないけど、桜が好きだ」
真剣に、美女の目をまっすぐ見て嘘無く答えた。
『ほお、ほお、ほお! 童は桜が好きかえ? ほうかほうか! やはり良い童じゃのお!』
いきなり満面の笑みになった美女に。何をする間もなく、ぶちゅーっ! と勢い良く唇を奪われた。
ナニガオキタ。
「っっ!! 何してるのよっ!! この浮気者!!」
そしていきなり殴り飛ばされた。
わっとはっぷん。
地面に倒れ込み、無理やり口にねじ込まれた大量の赤い花を吐き出しながら、ふうふうと荒い息をして俺を見下ろしている葉月を見上げた。なんで葉月がここにいるのかとか、監視の人がまた髪を握りしめて唸っているとか、なんだこの妖怪、など色々疑問はあるが。
「ごほっ、ご、誤解だっ! ごっほごほ、これ、これはキスじゃなくて花食わされただけって言うか!」
何よりもまず浮気者というレッテルだけは何とかせねば。捨てられたらどうしよう。
「きっ!! き、キスって、あなたが自分で言ってるじゃない! 結局男の子は、相手は誰でもいいのね!? ま、町田さんが言った通りだったわ! えっち!」
「ちがーーーうっ!!」
口から7個目の赤い花を吐き出しながら、真っ赤な顔の葉月のとんでもない誤解に叫びを上げた。本当に違うんだゆかりんも呼んで色々弁解させてくれ。
『元気な童じゃ、ほれ』
いきなり腕を引かれ、着物のはだけた白く大きな胸元に頭を埋められる。そして、ゆっくり髪を梳かれながら、耳元にふう、と甘い吐息をかけられた。甘い香りに、ぞくりとした。
「っ!! 最っ低ね! やっぱり大きい方がいいんじゃない!」
「違うんだあああああっ!!」
耳に詰められた花を引っ張り出しながら、なんとか豊満な胸から逃げ出そうと藻掻く。段々と強くなってきた甘い香りが絶えず肺に入ってきて、なんだか息苦しい。
というか、普通に苦しい。
「んうう!? うまってう! のおうまっ.......ごほごほっ! おえ、ごほっ!」
『ほうかほうか! 楽しいか、童! 次は桜にしてやるからのお』
詰まってる、喉詰まってるからギブ、とバンバン美女の背中を叩いても喉の奥までねじ込まれ続ける花は止まらない。これ死ぬんじゃないか。ギブアップだってば。
「【
ばぢっと、顔の横で焦げた臭いがした。
『.......ほお、ほお、ほお。邪魔をするでない、つまらぬ童』
震える手で印を結んで術を使った監視の人が、目の前で声を低くした美女から出る異常な雰囲気に、1歩足を下げた。ダメだ、完全にビビってる。
声を出そうとして、喉に詰まった花に思い切り噎せた。ぼたぼたと自分の口から赤い花が落ちる。
『のお、つまらぬ女の童。花は好きかえ?』
「.......」
『.......答えんか。
「【
葉月の術で、赤い着物の女が動きを止める。それを見た監視の人が、さっと血の気を無くした。
「植物系の妖怪に水の字を当てるのは悪手です!」
「あら、私はそんなことお師匠さんに習ってないわ。ねえ、お師匠さん」
「ごほ.......お弟子さん、自分で教科書読んで知ってるくせに」
不思議そうな顔で、身動きひとつ取れないでいる赤い着物の美女の前に立ち上がった。
木と水の相性の悪さを打ち消すほど、葉月の使った術は細かく歪みない。はい、よく出来ましたねお弟子さん。
「相性より術の精度で抑え込めって、お師匠さんの背中が言ってたわ。それに火の術なんて使ったら、あなた焦げるじゃない。その子ともケンカになるし」
転がったリュックの中から、ごうごうと燃えるランプが飛び出ていた。落ち着けトカゲ、牛乳腐るからあんまり温かくしないでくれ。
「.......それに、あなたこの妖怪退治する気ないんでしょう? .......随分綺麗で大きいものね。えっち」
「誤解だ!! そこの椿の霊だから退治したくなかっただけなんだ!! あと俺は大きさじゃなくバランすぐえっ!」
「変態」
冷たい目の葉月に殴られた拍子に、公園の隅に顔が向いた。
視界に映る、他の木に混じり1本だけ植わった小さな椿の木。
まだ季節では無いが、毎年小さいが綺麗な花が咲く。そしておそらく、あの木がこの妖怪の本体というか、住処なのだろう。今日初めてこの女を見たが、直感的にあの椿の霊だと思った。
『ほお、ほお、ほお! 椿が好きかえ? ほんに可愛い童じゃのお!』
しかし、目の前の美女は見れば見るほど、小さく若いあの椿には不釣り合いな随分立派な木の精だ。そもそも、本来なら霊が宿るような年月を経た木ではない。
「あんたいきなり出てきてどうしたんだよ。今まであの椿に霊なんて宿ってなかっただろ? 突然変異か?.......まったく、結構な悪さしやがって。こんなこと俺以外にやったら退治されちゃうぞ」
未だ違和感の残る頭をブンブンとふれば、ぼたぼたと椿の花が落ちてきた。俺の頭にどんだけ花詰め込んだんだ。空っぽだからって限度があるだろ。
『妾は他からこの木に移ってきたからのお。この木は幼いが、ええ木じゃったからのお。枯らしとうない』
ふと、視界の端の小さな椿がさらに弱々しく見えた。葉月が小声で、今年の台風で枝が折れたの、と教えてくれた。.......知らなかった。今年の夏は自分のことばっかりで、台風のことなど気にもしていなかった。
「.......悪さしないって約束するなら、見逃してやるよ。この木に居るならウチの管理下になるけどな」
『くふふ。軽く遊んでやっただけじゃろう、童』
そろそろ葉月の術が限界なようで、するりと伸びてきた腕に頬を撫でられた。そして、ポトポトと椿の花を落とされる。ちょん、と小さな桜の花が鼻先に載せられた。
『なに、妾はもう外には出れん。最後の戯れじゃ、童』
「え?」
『妾の歳にこの木が追いついたら、また生まれるかもしれんのお。妾が守ってやるから、また愛されるとええのお』
もしかして。
「.......あんた、消えちゃうのか? この椿、枯らさないために?」
『ふっ。言わぬが花じゃ、童』
白い指を赤い唇に当て、花のように儚く微笑んだ花の精に、葉月も少し遠くの監視の人も息を呑んだ。あまりにこの世の物からかけ離れた美しさに、皆心を奪われる。
『ほれ! 花の季節はまだじゃからのお。妾が取ってやるから、沢山持つが良い!』
手を取られて、腕にどっさりと様々な花を持たされる。桜の枝も、梅のつぼみも、タンポポもひまわりも俺が名前を知らない他の綺麗な花々も。咲くはずのない今の季節に、両腕に溢れんばかりに持たされる。そして、柔らかく笑った美女の白い手に、ゆっくり頭を撫でられた。
『花は好きかえ? 童』
「うん」
『ほうかほうか。妾も童が好きじゃ、良かったのお』
白い両手が、俺の頬を包んで。
赤い唇が、優しい慈愛とともに頬に降る。
それから、まだ夏の香りがする秋の風が吹いたとともに、花の精は見えなくなった。
きっと、枝が折れたあの小さな椿は、これから先ずっと、今までとは違ってすくすく元気に育つだろう。
拾ってきたのがあまり良い種ではなかったのか、植えてからも中々大きくならず、何度も枯れかけて10年経ってやっと小さな花をつけた、育ちの悪いあの椿。植物は植えた人間に似るのか、なんて子供の頃は割と本気で思った。
公園に種を蒔いたことは、父にも、姉にも兄にも内緒にしていた。絶対に怒らないでついてきてくれる1人にしか、言わなかった。
育たない椿を見て、小さくて可愛いね、と笑う人の声を、俺はもう思い出せない。声は、俺も似なかったから。
「和臣、今の妖怪.......」
「いなくなっちゃったな。さよならだ」
葉月に桜の枝を渡す。監視の人にはひまわりを。
それでも両腕から溢れそうな花を、もう一度丁寧に抱え直した。
「さて、花配りに行くか。全部持って帰ったら姉ちゃんに怒られる。ウチ花瓶こんなにないから」
葉月が、口をへの字にして道に転がったスーパーの袋と俺のリュックを拾った。そう言えばめちゃくちゃ重い荷物あったわ。
葉月に花の山を渡して、代わりに米と牛乳とトカゲを背負う。潰れる。冗談抜きに。
「.......申し訳ありませんでした。また、余計なことを.......術まで、使用してしまいました」
しょぼんとしている監視の人。葉月は花に埋もれていて表情が見えない。
「むしろあのままだったら窒素してたんで助かりました、ありがとうございます。お弟子さんも」
「.......」
そのままウチの道場に行き、とりあえずいる人全員に花を配った。それでも余ったので、家に帰る途中で裏山にプレゼントしたら大量のどんぐりと山葡萄とアケビが降ってきた。わらしべ長者がワンターンで叶ったぞ。
まだ残った花は、明日京都に行く時に配ることにした。既に優止と先輩に狐の嫁入りの件でラッキーボーイとからかわれているので、今度はフラワーボーイだとからかわれる未来しか見えない。無駄にうまいこと言わないでくれ。
「.......和臣」
「葉月、誤解しないで欲しい! 俺は変態じゃなくて健全なんだ!」
自室の敷きっぱなしの布団の上で土下座した。もう一度言う、俺は健全なんだ。ちょっとメイドが好きなだけで、健全なんだ。
「おばかね」
葉月が隣に腰を下ろし、ぴたりとくっついてきた。
「.......最近、私より監視の人の方があなたと一緒にいるから」
「え」
もしや、捨てられるのか。
いやしかし俺の隣で耳も首も真っ赤にしているこの可愛すぎる葉月さんは一体。
「.......私も近くにいようと思ったの。でも」
「でもじゃなくていいよ近くにいてよいてくださいよ」
「あなたが桜を私にくれたから、もういいわ。あなたのそういう所、好きなの」
鎮まれ俺。今から厨二病を発症してでも鎮まれ。
「.......ん!」
目をぎゅっと瞑って、いきなり俺の肩に手をついて、唇と唇を合わせた葉月。ごちん、と倒れ込んで布団からはみ出た頭を床にぶつけたが、痛みはなかった。ただ目をかっ開いて目の前の葉月の顔を見ていた。そしてさっきの声はなんですか。もう鎮まりませんけど。
俺を床に押し倒したまま、葉月が俺の頭の横に手をついて体ごと唇を離した。
「はっ、花、の、味が、したわ」
真っ赤な顔で、声を裏返し瞳を揺らしながら。彼女は、全部自分でやって自分で言っておいて照れている。
監視の人の、パタパタと去っていく足音が聞こえた。トカゲはどろどろ燃えている。
「.......葉月、明日何限から?」
「1限からだから、もう寝るわ。おやすみなさい」
「.......え? まじで?」
すくっと立ち上がった葉月。拷問官として特異な才能を見せつけてるぞ葉月さん。
耳の赤い葉月は、呆然とする俺を見下ろして。
「.......嘘よ。.......中田さんに、1回嘘をついた方が可愛いって、言われたの。.......どうかしら?」
何も言わずに、葉月の腕を引いた。
花より甘い味がした。
「学年一の美少女は、夜の方が凄かった」ボツネタ集 藍依青糸 @aonanishio
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