罪悪感を食べる猫

向日葵椎

罪悪感と猫

 世界が止まったような夜。しんと静まる住宅街。

 ある家の前で黒服に黒帽子の姿が腕時計に目をやる。


 そろそろ時間だ。始めようじゃないか!


 両手を広げて明かりの灯っていない二階の窓を見る。

 深々とお辞儀をし、指を鳴らす。

 パチン。瞬く間に姿を消す。

 静止した世界を残して。


 その時、二階の部屋では枕が濡れていた。枕を濡らしたのは誰か? きっと彼女なら自分のことを張本人、なんて言うだろうね。

 彼女は学校の制服姿、ワイシャツにスカートのままでベッドに伏して枕に顔をうずめている。

 そんな様子をデスクに座ってじっと眺める。

 窓から射す月光、黒帽子の下のモノクルが怪しく光る。


 ああ、なんて綺麗な罪悪感なんだろう!


 何者かの気配を感じた彼女はピクリ、顔を上げてこちらを向く。

 しかし残念。ここにいるのは……


「ニャー」デスクの上で鳴く。

「え? ……なんで?」


 ドアや窓の方を見て、猫の侵入経路を探している。そしてまた私を見る。ベッドの上に座りなおして、私を観察している。

 変身は完璧だ。正体が猫ではないとバレるはずがない。ましてや悪魔であるなんて、人間には絶対にわからないだろう。

 しばらく様子を見ていた彼女はやがて、小さなため息をつく。


 素晴らしい。理想の状態だ!


 こんなに可愛いふわふわの猫ちゃんを前にして、残念そうなため息をつける状態の人間はそうはいない。これは最高級の罪悪感に出会えるぞ。

 期待に尻尾を揺らすと、彼女はベッドから降りて私のもとへと歩いてくる。そして目の前でかがんで頭を撫でてきた。

 顔は無表情である。これも合格。


「契約しよう」彼女に言う。


 さすがに彼女は目を丸くした。頭の上で手が止まる。しかし、それもすぐに無表情に戻る。また無言で頭を撫でる。

 これだ。最高級の罪悪感を宿した人間であるに違いない。こんなに可愛いふわふわな猫ちゃんが喋っても、それは彼女に響いていない。


「キミを助けてやろう――ニャン」猫らしさを添える。

「そう」口をほとんど開かずに言った。

「世界をメッタメタにするとか、一生誰にも見つからない場所に逃げるとかさ、そういうこと、したいって思わない? ニャン」


 悪魔的な誘惑をしてみる。しかし彼女は何も言わない。

 ますます理想的な状態である。もちろん、それを望むなら叶える。契約としてそれなりの代価が必要になるけれど。


「じゃあさ、罪悪感をくれるのはどうだい?」


 彼女の手が止まって、空いていた方の手で胸を押さえる。止まった手のひらにふわふわの頬を擦りつけるようにする。魅惑の猛攻である。とどめといこうか。


「大好物なんだ。ニャン」寝転がって腹を見せる。

「悪趣味ね」腹の、特にふわふわのところを撫でる。苦笑を浮かべながら。

「いい条件でしょ。それ以外には何もとったりしない。寿命とか喜びとかはそのまんまだし、一緒に恐怖までとって危険な人間にもしない。魚は好きだけど、ハラワタは苦手なんだ。ニャン」

「きっと夢ね。でもありがとう」

「夢でもどちらでも。契約は契約さ。目覚めたときに胸につかえるものはないし、スッキリと気持ちいいはずだよ。ニャン」

「そう……じゃあその話、乗ったわ」

「よし、契約は決まった。サインしとくね」起き上がり、彼女の胸元に前足の肉球を当てる。


 これであとは取り出して食べるだけだ。

 彼女は微笑んで次の何かを待っている。でも、これからその何かをするのはキミなのである。


「話してみて、今日あったこと。必要なんだ」前足を引っ込めて聞く姿勢を作る。


 彼女は表情を曇らせる。本当に必要かどうかを疑う目、不安そうな目で私を見る。瞳を丸くして見つめ返す。 


「食べるためには出さないといけない」


 一瞬だけ彼女は視線を逸らすと、背を向けてデスクに腰かけた。

 胸元で手を握る。息を吐いて俯く。

 彼女の準備ができるまで、月明かりの中で毛づくろいをする。


「今日ね――」


 それから彼女は今日の出来事をぽつぽつと話始めた。

 失敗について、心配について、後悔について、罪悪感の正体について。詳細は彼女のプライバシーだから忘れることにしたけれど、もしかしたらお菓子を食べ過ぎてしまった話かもしれない。

 時間をかけて、彼女は話し終えた。最後に大きく息を吐く。


「手を開いてみて」彼女に言う。


 胸元で握った手を彼女が開くと、そこには黒曜石の欠片のようなものが散らばっていて、月の光を鋭く反射していた。これが罪悪感の結晶である。

 彼女は驚くでもなく、それを私に差し出す。


「それじゃ契約通り、いただきます」差し出されたものを食べる。


 硬くて噛むとカリカリと音をたてて砕ける。濃縮された罪悪感の香りが口の中で広がって、飲み込むと体を満たしていくのがわかる。まさに至福の時間である。どんな小さな欠片も残さないように、彼女の手を舐めて綺麗にする。

 あっという間に食べえ終えてしまう。


「ごちそうさま。おいしかったよ。ニャン」

「そう……私はなんだか、とっても眠たいみたい」まぶたを重たそうにしながら彼女は言った。

「そういうものさ。もう大丈夫でしょ」

「うん」うとうとしながら、彼女は微笑んで答え、撫でてくれる。

「じゃあ、おやすみ」


 最後に彼女は頷くと、そのままベッドに行き、静かに眠ってしまった。

 そんな様子をデスクに腰かけながら眺める。


 そろそろ戻ろう。世界が動き出す。


 すっと立ち上がる。

 深々とお辞儀をし、指を鳴らす。

 パチン。瞬く間に姿を消す。

 彼女の寝息を部屋に残して。


「ニャン」彼女は言った。

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