第2話

 大きく綺麗な病院。その綺麗に整備された庭には、大きな桜の木がその花を誇らしげに揺らす。人が死ぬ様を眺めながら、その桜は白々しく咲き誇る。

 その病院の廊下を女が歩いていた。無表情に、淡々と。空調の効いた病院。真新しい空気清浄機は人の死の匂いさえも浄化する。

 廊下を歩く看護婦が笑顔で女に挨拶をする。つい先刻一人の老人を看取ったとは思えないほど柔和で透明な笑顔だ。


 汚れ一つない真っ白な扉の前で立ち止まり、女はその取っ手に手を触れる。良く油の差されたその扉は少しの抵抗も見せずに開いた。


 真っ白な部屋の真っ白なベッドに一人の少女が座っている。細い腕に点滴を刺し、儚い笑顔で外を眺める。


「……お母さん?」


 少女は女を見るが、その目には何も映してはいない。それでも音がした方に首を向け、視ているように振る舞う。


「今日はお見舞いありがとう。お母さんのおかげで、今日も楽しいよ。本も読めるようになったんだ」


 少女が手に持つのは真っ白な本。視力を失った人にしか読めない文字が刻まれた真っ白な本だ。


「私はお母さんではありません」


 女は無表情ではあるが、声はどこか柔らかい。


「なんだ。お母さんじゃないのか」


 少女は視るふりをやめる。左右の黒目は離れ焦点を結ぶことはない。


「じゃあ、どちら様?」


「私は魔女です」


 女の言葉を聞いた少女は少しだけクスリと笑う。


「私の読んでるこの本にもね、魔女が出てくるの。それはとっても悪い魔女。いたずらをする子供を食べちゃうの。ねぇ、貴女は良い魔女?悪い魔女?」


「悪い魔女です」


「そうなんだ。悪い魔女なんだ」


 女は少女のベッドに腰かける。


「私ね、目が見えないの」


「そうみたいですね」


「身体も弱いの」


「はい。わかります」


「その内ね、死んじゃうんだって」


「……人は皆、その内死にます」


「ちょっとだけ、私は早いの」


「そうかもしれません」


 淡々と少女が話す。


「お母さんはね、楽しく生きなさいって言うんだ。残り時間なんて気にしないで、好きなようにしなさいって。この部屋から出ることもできないのにね」


「そうですか」


「もうね、疲れちゃった。体は痛いし、ずーっと真っ暗だし。お母さんは優しく話しかけてくれるけど、顔が見えないから不安になるの。もしかしたら嫌な顔してるかもしれないなーって」


 少女の顔がクシャリと歪む。焦点の合わない瞳から涙が零れ落ちる。もう機能していない瞳に潤いを与える。


「お母さんが言うの。今日は病院の庭が綺麗に咲いたのよって。私はそんなの見えないのにね。でも私はありがとうって言わなくちゃいけないの。だってお母さんが私を少しでも幸せにしようとしているから。私は少しでも幸せにならないといけないの」


 少女が白いシーツを握りしめる。腕に刺された点滴の管に、少しだけ赤色が混ざる。


「もう嫌だ。もう死んでしまいたい。何も見えない真っ暗闇で身体が痛いだけ。このまま死ぬのを待つくらいなら今すぐ死んじゃいたい。でも、歩けないから自殺もできない」


「死にたいですか?」


「うん。もう疲れた」


「私は悪い魔女です。貴女の命を貰いに来ました」


「命?」


「はい。私は人から命を奪って生きる悪い魔女です。死にたいですか?」


「……うん。死にたい。私の命を貰ってくれるの?」


「はい。私は悪い魔女ですから」


「そっか。良い魔女なんだ」


 女が少女の手を握る。汚れの全くない白い手だ。


「貴女の命を貰います。最後に何か言いたいことはありませんか?」


「……病院の庭の桜。今日も綺麗に咲いているの?」


 女は窓の外に目を向ける。桜はそよ風を受けながら、知らん顔で咲き誇る。


「いえ、そんなものはありません。とても殺風景で綺麗なものなんてありません」


「そっかー。やっぱりそうなんだ」


「見る価値など無いものです」


「ふふふ、ありがとう。良い魔女さん」


「私は悪い魔女です。では、貴女の命を頂きます」


「さようなら、良い魔女さん」


 女の手が少しだけ光る。規則正しく動いていた心電図はやる気を無くしたかのようにただの直線に変わった。

 




 命を奪う魔女。そう呼ばれる女がいる。

 いつまでも老けることのないその魔女は、人から命を奪い取っているのだと、人から奪った命により永遠に若いままなのだと、恐れられ噂をされている。

 ただ、魔女に命を奪われた人は、どこか少しだけ安らかな顔をしていたという。

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苦しみを奪う魔女 佐伯亮平 @gottiknu

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