苦しみを奪う魔女

佐伯凪

第1話

 命を奪う魔女。そう呼ばれる女がいる。

 いつまでも老けることのないその魔女は、人から命を奪い取っているのだと、人から奪った命により永遠に若いままなのだと、恐れられ噂をされている。





 見捨てられた街。建物の多くは崩れ植物に飲み込まれ、道路はひび割れ車が走ることはない。そんな街の朽ちた道路を一人の女が歩いていた。

 日差しは肌を焼くように熱い。女の額から一筋の汗が流れる。それを拭うこともせずただ歩く。無表情に、淡々と。

 街に人気は少ないが全くのゼロではない。見捨てられた街に住むのは当然、見捨てられた人間たちだ。

 長く続いた人間たちの私利私欲による環境破壊にで世界から食料は奪われ、増えすぎた人間による争奪戦が行われた。

 その戦争に敗北したこの国は、救う人間と切り捨てる人間を分けた。切り捨てられた人間に行く場所などない。捨てられた街でひっそりと生き延びるだけだ。


 女は一つの建物を見上げる。三階建ての鉄筋コンクリートで出来た建物だ。それも例外なく崩れ骨を痛々しくむき出しにしているが、雨風をしのぐだけの機能は十分に果たしている。女はその建物に足を踏み入れる。

 様子を伺うように見ていた小さな影たちが鼠のように素早く逃げていく。

 女はその建物の一室に目を向ける。扉はゆがみ完全に閉まることは無い。鍵など掛けられそうにないが、捨てられた物しかないこの街には鍵の必要性もない。

 蝶番ちょうつがいから錆びをはがすように扉を開けると、鼻をつまみたくなるような異臭が漂う。腐った油のような、どこか甘く吐き気を催す匂いだ。

 顔を顰めることもせず、女は部屋の中を見渡す。探し物はすぐに見つかった。

 染みだらけで黒く変色した布団の真ん中に、仰向けに横になる老婆が居た。目は開いているが景色を脳に伝達しているようには思えない。胸は小さく上下しているので、かろうじて生きてはいるようだ。

 女はためらうことなくその老婆へと近づく。


「おや……お迎えが来なすったかの……」


 耳は聞こえているのだろう。老婆はかすれた声でつぶやいた。声を出すたびに命まで吐き出している。そんな風に見える。


「はい。お迎えにきました」


 女は無表情ではあるが、声はどこか柔らかい。


「お前さんは……天使か……それとも悪魔かのお」


「いえ、私は魔女です。人の命を奪い生きる魔女」


 老婆は何かを話そうと息を吸い込み、咳き込む。黒く濁った血が布団に新しい染みを作った。


「こんな老婆の命を……欲しがってくれるのかい……?」


「はい。貴女の命を奪いに来たのです」


「そうかい……そうかい……」


 女は老婆の手を握る。長いこと風呂にも入っていないだろうその手は垢にまみれ冷たい。


「最後に、何か言いたいことはありませんか?」


 ヒューヒューと戸の隙間から漏れるような息を吐きながら、老婆はその息に音を乗せる。


「もう……何もないよ……あんたにあげられる命だけは……あったみたいじゃがの……」


「はい。ありがたく頂戴します」


「もう……生きるのは辛い。死んでるような……ものだ。足が動くうちに……死んでおくべきだった……」


「そんなこと言わないでください。貴女のおかげで、私は命を貰えます」


「そうかい……そうかい……ありがとう。魔女さんや」


「こちらこそ。ありがとうございます」


 女の手が少しだけ光る。もう死んでいるような老婆はそれで動かなくなった。

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