エピローグ

第36話 『恋』

 授業終わりの子供たちの声が廊下へと明るく響く中休みの時間帯、勇士は教室の前で立ち止まると感慨深げに『5年1組』と書かれた表札を見上げた。


(帰ってこれた……)


 それほど長い入院生活ではなかったが、それでも約1週間ぶりの登校だったから何となく懐かしさを覚えてしまう。


 しっかりと閉められたスライドドアの向こう側からはクラスメイトたちが談笑する声が聞こえてきていた。


 ポン、と急に勇士の肩へ柔らかな手のひらが添えられる。


「勇士くん」


 少し腰を屈めるようにして、後ろからクラリスの碧い瞳が優しげに勇士を覗き込んだ。


 そう、今日の勇士は朝のうちにこののクラリスと一緒に退院などの手続きを済ましてから来たので、こんな時間の登校になってしまったのだ。


 ちなみにこの保護者というのは学校の先生として親の代理を務めてくれたとかそういうことではない。


 本当の本当にクラリスは中条勇士の遠縁の親戚として法的に認められたとなってしまったのだ。


『明日から一緒のお家で暮らしましょうねっ! ウフフフ~っ!!』


 なんて退院前日の昨日、いきなりやってきたクラリスに言われた時は相当驚き、そして同時にこの世界における魔術のチートさに震えた勇士だったが、よくよく考えれば他に親戚のいない勇士はそのままであれば児童養護施設へ入る他無い。


 そうとなれば入所できる施設次第では小学校の転校なども必要だったため、それが必要なくなったというのは本当に嬉しいことだと、勇士もそれを感謝するとともに受け入れたのだった。


 今日もテキパキと退院手続きを済ましてくれたクラリスに連れられて、荷物を置きに新居へと寄ってきたのだが、そこはとても温かな空間だった。


 特段前の家と置かれている物は変わりはしない。


 キッチンには冷蔵庫、リビング兼ダイニングにはセンターテーブルが、その他に部屋が2つあって1つが勇士の部屋で、そこには本棚と机・椅子と寝具が用意されている、そんなどこにでもありふれた家の光景。


 しかし、綺麗に整えられたベッドのシーツや窓から差し込む陽を反射させる掃除のいき届いたフローリングが、そこに勇士の居場所があるのだと明確に教えてくれていた。


 麻央によって母親への未練も立ち切ることができて、クラリスとの新居という居場所もできて、勇士の心は今これまで感じたことのないほどの軽やかなものだ。


「じゃあ、行こうか」


 晴れやかな気持ちとともにクラリスへと振り返ってそう答えると、勇士はガラガラっと教室の戸を開けた。


「――えっ……?」


 クラス内へと1歩足を踏み入れる前に、目の前のおかしな光景に勇士は息を吞んだ。


 勇士が戸を開けるなり先ほどまで廊下に聞こえるほどの賑やかさはその鳴りを潜めて、全員が自席に座ってこちらを見ているではないか。


 それに全員が教室に揃ってるというのもおかしな話だ。


 男子も女子も、中休みは半分以上の生徒たちが校庭に出て遊んでいるのが普通だったのに、今はクラスメイトのが授業中のように席に着いて正面を向いている。


 そんな静寂が占める空間に、ガタリっという音が立つ。


「――勇士っ!!」


 椅子を引いて篤が立ち上がって、驚く勇士へと笑顔を向けた。


 なんだかおかしな雰囲気の中で篤の表情だけはいつも通りで、勇士はホッと安堵の息を吐いて教室の中程へと足を進める。


「なぁ、篤。これっていったい――」


「そんなことより勇士、黒板見てくれよ」


「えっ? 黒板?」


 篤の言葉に振り返り見てみれば、そこには――


『勇士、退院おめでとう!!!』


 という言葉が、色違いのチョークをふんだんに使って書かれている。


「「「退院おめでとう!!!」」」


 そして呆気に取られている勇士の背中に、束になった声の塊が大きくぶつかってくる。


 それとともに拍手の音も教室へと響き渡った。


「おめでとー!!」「いぇーい!! ドッキリ成功っ!!」「身体、もう大丈夫!?」「困ったことあれば言ってくれよな!!」


 続けてクラスメイトたちから口々に飛んでくる言葉に、勇士の胸にじんわりと温かさが広がっていく。


「篤、みんな……!」


 なんていうか、篤らしい大袈裟なサプライズだなと勇士は嬉しさに溢れる心の片隅でそう思う。


 それはきっとみんな篤の発案に乗せられたからに違いないけど、それでもこうやって中休みに自分が来るまでの間、今みたく驚く自分を想像してワクワクしながら待っていてくれたんだろうな。


 ここにもまた居場所があったんだと、勇士は顔をクシャッと崩して笑う。


「ありがとう! それと、ただいま!!」


 賑やかさの戻った教室で勇士はそう言うと、友人たちの荒っぽい歓迎に髪をクシャクシャにされながら自分の席へと着く。


 そんな幸せな光景を教室の外からクラリスが、そして後ろの席から麻央が眺めていて、どちらも穏やかに笑うのだった。




―――――――――――――




「ジャスティス団、集合ーッ!!!」


 終わりの会が終わって「先生さよーなら!」と挨拶を済ませた直後、篤がその声を教室へと響き渡らせる。


「篤お前、もうちょっと伝え方ってものを……!」


 篤の前の席で背中からその大声を受けた身としては心臓に負担が大きすぎた。


 非難がましい目を向ける勇士に、しかし篤は軽く笑うだけで堪えた様子はない。


「おう!! きたぜっ!! なんだ、なにすんだっ!?」


 教室の外へと向かうクラスメイトたちの波間をスルスルと抜けながらまずはきららが駆け寄ってきた。


「なぁっ!? まただれかと戦うのかよっ!?」


「さぁな、そういうこともあるかもしれないな」


 血気盛んなきららへと意味深に返す篤に、きららは「うぉぉぉおぉおっ!!!」と雄たけびを上げて瞳を燃やす。


「この前はフカクをとったからなっ!! シンカイハツした同五打どうごうちで今度はどんなヤツでも一撃で倒してやるぜッ!!!」


「……それはもしかして両手両足の同時攻撃に加えて頭突きでもするやつなの?」


「な、なぜわかったっ!?!?」


 二の腕に力こぶを作った状態で固まるきららへと勇士は呆れ笑いを返す。


 この前も両手両足の同時攻撃に盛大に失敗して机に突っ込んでいたというのに、相変わらず懲りないヤツだった。


「――来たわよ。それで今日は何なの?」


 そんなおバカなやり取りをしてる間に、すっかり人のはけた教室を麻央と花梨が歩いてやってくる。


 篤は全員そろったことを確認するように4人を見渡すと、机の中から4つ折りにされた1枚の折り紙を取り出して目前へと掲げる。


「みんな――待ちに待った新しい依頼だっ!!」


 特にそれに答えるような返事は上がらないが、しかしそんなことなど構わないとでも言うように篤はランドセルを背負うと先駆けて教室の外に向かって走り出す。


「ちょ、ちょっと篤!?」


 いきなりの行動に呆気に取られる4人を代表するように勇士が慌てて声をかけると、篤はドアの前でピタリと止まってニッと笑顔で振り返る。


「これから相談室に行くぞっ!! 依頼人がもう待ってるはずだっ!!」


「えーッ!? そんな、いきなり!?」


「とにかくGOだ!! 先に行ってるぞーッ!! 俺が1番乗りだぜっ!!」


「なんだとッ!! 待てぇいっ!! オレだって負けねぇぞっ!!」


 篤の強引な発破に、しかしきららだけは乗っかって後を追うように駆け出した。


「き、きららくん……! ランドセル! ランドセル忘れてるよぉ~っ!!」


 花梨もまた、甲斐甲斐しくも自席に置きっぱなしになっていたきららのランドセルを手に持つと、それから小走りで廊下へと出て行く。


「しかし、相談室は今日はクラリスがいると思うんだけど、大丈夫なのか……?」


「ああ、勇士は休んでいたから知らないんだな」


「え、何を?」


「ジャスティス団は放っておくと危ないからお目付け役が必要だ、という話が職員会議であったらしくてな。非常勤だが立候補をしたクラリスが私たちの活動の顧問をすることになったらしい」


 ああ、それはまぁ、そうなるよなぁ……と、勇士はこれまでのジャスティス団の面々の行いを省みる。


 4月の内に花梨の本を追って校舎を飛び出し、それから数週間も間を空けることなく今度は勇士を助けるためにまたもや校舎を飛び出したのだから。

 

 それにしても非常勤のスクールカウンセラーをお目付け役にするとは、教師たちが割といい加減なのかそれともこれもまたクラリスの魔術の為せる技なのか。


「またずいぶんと賑やかになりそうだな、これからの生活も」


 麻央が笑みをこぼしながら軽い口調でそう言う。


 篤やきららのお陰で騒がしさには事欠かないというのに、そこにたまにレイシアの愛しさがために暴走してしまうクラリスがお目付け役に加わることになればそれはもう賑やかなことだろうと勇士もそう思った。


「さて、このまま遅れると文句を言われそうだ。私たちも行くとしよう」


「――麻央」


 スライドドアへと向かって歩き出した麻央をしかし、勇士は呼び止める。


「うん?」


 振り返った麻央に、赤みを帯び始めた西日が当たる。


 陽光を弾くように艶のある二つ結びの黒髪が、その動きに合わせて揺れた。


 素直に綺麗だなと、勇士はそう思う自身の心を受け止める。


「あのさ……」


「どうした?」


 勇士は言葉を区切って、照れて胸につかえそうになる想いを、それでもしっかりと絞り出した。


「――ありがとうな」


 深く、心を載せて、勇士は麻央を見つめる。


 色々とドタバタしていて、正面から伝えられていなかった感謝の気持ちを今こそちゃんと言葉にして伝えようと思っていた。


「前の世界でレイシアを愛してくれていて。それと、この世界の俺を助けに来てくれて。本当にありがとう」


「……なんだ、そんなことか」


 麻央は珍しく少し照れたように、それとどこかホッとしたように自分を見つめる勇士から視線を横に逸らした。


「麻央にとっては『そんなこと』かもしれないけどな、俺にとっては大きなことなんだ」


「なに、私がやりたくてやったことさ。だからそんなに気にするな」


 淡々とそう答える麻央へと勇士がさらに言葉を紡ごうとしたその時、開け放たれていた後ろの窓からそよ風が吹き込んだ。


 それとともに、


「おっそいぞー!! 勇士ぃ~~~ッ!! 麻央ぉ~~~ッ!!」


 という篤の声も一緒に、風に運ばれるように勇士の耳へと入ってくる。


 びっくりして振り返るも、もちろん先に行ったはずの篤の姿は教室にはない。


 それからも遠くから聞こえるような「お~い」という呼びかけが窓から入ってきて、だからこれはきっと2階の相談室の窓を開けて、5年1組の教室に向けて叫んだに違いなかった。


「ほら、呼ばれているぞ」


 麻央にそう言われて勇士が開け放たれていた窓から顔を覗かせると、やはり2階の相談室の窓から頭を出している篤が見えた。


「ごめーん! 今行くからーっ!!」


 勇士が手も一緒に出して大きく振ると、篤もまたそれに両手を振って応える。


「それじゃあ行こうか」


 そうして窓から顔を引っ込めて自席に置いていたランドセルを背負って、麻央と連れ立って教室を出た。


 廊下にはもう誰もいない。


 みんなさっさと帰るか教室に残って雑談に花を咲かせているようだった。


 2階への階段へ差し掛かって、勇士は麻央を上に残したまま段差を1段飛ばしにして先に駆け降りる。


「一応病み上がりなんだろう、危ないぞ?」


 麻央が呆れたように勇士へとそんな言葉を投げ掛けて、そうして自分も降りようとしたところで、勇士はくるりと振り返って階段の上に立つ麻央へと顔を向けた。


「あのさ、俺、麻央のことが好きなんだと思う!」


「――――はっ?」


「人を愛するなんてこと意識してやったことがなかったからどうすればいいのかはわからないけど、麻央のことを綺麗だって思う気持ち、可愛いって思う気持ち、一緒にいたいって思う気持ちが、確かに俺の胸の中にはあるんだ」


 そこでいったん区切ってから麻央を見やれば、いきなりの勇士の告白に1段下に踏み出そうとしていた足を宙に浮かばせたまま固まっている。


「だから……俺は麻央のことを好きだぜっていう! そういうことだからっ!!」


 勇士は口をパクパクとさせている麻央に向かってそう一方的に言い切ると、再び背を向けて駆け出した。


「ちょ――待て!! ゆ、勇士ッ!?!?」


 後ろから麻央がランドセルを上下に揺らしながら慌ただしく追ってくる気配を勇士は感じて、追い付かれまいとして顔を赤くしながらも目一杯に走った。


 必死になって逃げる勇士に、その背中を捕まえようとする麻央。


 人が聞けばまったくもって下らなくって微笑ましい理由の追いかけっこ。


 それを演じているのが元勇者と元魔王なんだから、それが無性に可笑しくて勇士はいつの間にか大きな口を開けて笑っていた。


 すると後ろの麻央の方からもカラカラと、今まで見てきた人を食ったような薄い笑みからは想像のできない、明るく綺麗な笑い声が聞こえてきた。


 ――ああ、それはいったいどんな顔をして笑ってるんだ?


 確かめようと後ろを向けば追いつかれてしまうだろうけど、それもいいかなと勇士は思う。


 こうやって日々、これからは新しい一面を見つけていけるんだろう。


 そんなワクワクに、勇士はとうとう麻央を振り返る。


 恋が自分を呼んでいる気がした。




(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

前世が勇者(♀)な小5男子が前世が魔王(♂)の美少女転校生に恋するわけありません!! 浅見朝志 @super-yasai-jin

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ