(19)

 十月十一日土曜日。今日は文化祭の二日目だ。

 生徒や教師のみで行われる一日目と違い、今日は保護者や他学校の生徒、この高校の見学を兼ねた中学生などがこぞってやってくる。要するに今日からが本番だ。

 その二日目もすでに佳境に入り、舞台上を彩るステージ発表が次々と行われていた。

 上手側から暗幕の隙間を覗いてみると、さっきまで並んでいたパイプ椅子が撤去され、皆立ち見で今か今かと舞台の方を窺っている。

 こういった光景を目にすると、いつぞやの劇を思い出す。あのときは、まあ色々と酷かったけどいい思い出になった。ただ、その思い出を部員同士で話題にすることが出来ないのはやはり寂しい。

 何はともあれ、次はあたし達の出番だ。

 ふいに、ドッタンドドタンと、簡素なエイトビートが聞こえてきた。飾先輩のドラムだ。

 飾先輩はシンバルの高さを調整し、バスドラムをボンボンと二回鳴らすと、おもむろに口を開いた。

「ふむ、こちらの準備は終わったぞ。いつでも始めてオーケーだ」

「私も、チューニングと音作り終わりましたー」

 美夏が、エレキギター掲げて意気揚々と言った。背後には沢山のつまみが付いたアンプがある。

「芽森。俺も終わったから、お前さえよければ」

 栗山が、ベースの弦に右手の指を添えてあたしに言った。あたしは「うん」と返事をして、係りの人に声をかける。

「総文部の準備、完了しました。お願いします」

「はい。がんばってください」

 やがて、幕の向こうからマイクを通した司会の声が聞こえてくる。

『続きまして、『総合文化部』による、バンド演奏です』

 次第に幕が開いていく。あたしはマイクスタンドに少しだけ汗ばんだ手を添えて、ただひたすら前を見た。

「いよいよだな」

 横にいる栗山がボソッと漏らした。誰に言ったのかわからないけど、あたしはそれに答えることにした。

「そうね。楽しみましょう」

 上がりきった幕の向こうには、先ほど覗いたときより大勢の人がいた。これはあたしたちに対する期待の表れなのだろうか。そうだとしたら応えられるか少し不安なんだけど。

『こんばんは。総合文化部です』

 マイクを通してあたしが言うと、中途半端にワーッと歓声が上がった。やっぱり結構期待されてる……のかしら?

『えーっと、いきなりですが、ちょっと曲の前に自分語りをさせてください』

 あたしが言うと、歓声がざわめきに変わった。まあ、予想通りの反応だ。

『私はこの十月に、この高校に転入してきました。だから、私は皆さんのことをよく知らないし、皆さんも私のことを全然知らないと思います。こんな私が文化祭を思いっきり楽しむにはどうしたらいいか。そこで、皆さんにお願いがあるんです』

 あたしは、一旦息を吸った。思いを言葉に乗せるよう心がけて、再び話しだす。

『私はこれから目の前の光景をなるべく目に焼き付けるので、皆さんは、この演奏をちょっとでも記憶に刻んで欲しいんです、そうしてくれたらそれだけですごく嬉しいなって、そう思います』

 あたしは舞台上の三人をそれぞれ一瞥する。皆、一回ずつ頷いた。

『聞いてください。『ももいろクローバー』で、『走れ!』』

 飾先輩が二本のステッィクでカウントを入れる。それが終わると間髪いれずに、あたしは歌いだした。緊張で声が上擦らないようにという意識を忘れずに。

『――――』

 続けざまにかき鳴らされるギターは、適度に歪んでいて小気味よく耳に響く。それが美夏の人柄の良さを表しているようで、一緒に演奏しているという事実をひしひしと感じさせてくれた。

 栗山の地を這うようなベースの音が聞こえてくる。コード進行の最低音をなぞっただけその音が、今はやけに愛おしく思えて、観客の熱気もあいまってわずかに顔が温かくなった気がする。

 やがてドラムによるブレイクが入り、そのまま飾先輩は四つ打ちでドラムを叩きはじめると初めの間奏部分に突入した。あたしが後ろを確認することはできないけど、なんだか楽しそうに演奏する飾先輩の姿が目に浮かんできた。

 飾先輩が骨格を作り、バンドにおける心臓の栗山が血を通わせて、美夏が主旋律を彩っていく。

 渾然一体となってやってくるそれらは、よく聴くと素人ながらにスッカスカで、思わず笑ってしまいそうになった。

 拙い演奏には拙い歌声を。そんな感じで気を楽にしながら、あたしは再び歌を乗せる。

『――――』

 サビを歌うのは、やはり気持ちがよかった。スタンドにマイクをさして歌っていたはずなのに、気づけばハンドマイクで歌っていた。

 観客が『ハイッハイッ』と曲に合わせてのってくれる。どこで手に入れたのか、多くの人が手にサイリウムを持っていた。

 しかし、後ろのほうでは、グルグルとサークルモッシュが起きているし、前のほうでは肩車から人ごみの上に乗るようにしてダイブが発生している。もう、アイドルのノリもハードロックのノリもなんでもアリみたいだ。

 そんな珍妙な光景を、目に焼き付けるのは簡単すぎた。

『――――!』

 切実に思う。この曲の歌詞のように、『好き』という気持ちだけで、世界を変えてしまいたい。あたしはこの光景も、この歌も、一緒に演奏している仲間たちも、全部好きだから。

 ――本当は、あたしは去年の十月にこの学校に転入した。

 総文部のみんなと出会って、過ぎていく日々の中で栗山に恋をして、付き合いだして、ひょんなことから黒野さんと出会い、そして、呪いが明るみになった。

 そのときは黒野さんにいくら言われても信じなかった。いや、信じたくなかった。

 元旦に、初めて呪いの効力を実感したときことは、今でもよく覚えている。

 場所は公園で、雪が降っていて、あたしは栗山にビンタ一発叩き込んで、余計な感情を露にしなかった。

『そんなこと言って、あたしを不安にさせるなんてどういうつもりよ……。やめてよね……ほんとに……』

 栗山は呪いのことを知っているからふざけているだけだ。そう思いたかったのだ。

 しかし、家に逃げ帰ったら、家族の誰もがあたしのことを覚えていなかった。

 そのときは絶望しすぎて、涙も出なかった。

『家、間違えました。失礼しました』と、淡々と言って走り去ってから、ようやく涙がとめどなく溢れてくるようになった。何故あたしは、何も悪いことをしていないのにこんな目に遭わなきゃならないんだろう。今まで生きてきて、一番に世の中の理不尽さを感じた時間だった。

 そのまま黒野さんのところに駆け込んで、六畳間で一晩中泣き続けた。


 過去を振り返っている間に、いつの間にか曲が終わりそうだった。

 アウトロに華を添えるのは美夏のギターソロだ。しかし、ぴょんぴょん跳ねているせいで全然弾けていない。でも見ていると楽しくて、あたしも真似してぴょんぴょん跳ねた。

 何度もジャンプしながらゆっくりと周りを一回転してみる。美夏の相変わらず楽しそうにギターを振りながら弾いており、こちらに気づくと笑顔で応えてくれた。飾先輩は全力でこの時間を楽しんでいるようでこちらには気づかず演奏に没頭していた。一々、叩く動作が大振りなせいでスネアとシンバルの音が大きすぎて耳が痛いくらいだ。

 栗山はベースを弾きながら『なんだよ。こっち見んなよ』、みたいな顔をしていた。『もっと楽しそうにしなさいよ』と、視線だけで言ってみる。『ああ、わかったよ』と、言った気がして、栗山はそのままステージ前方のスピーカーに左足を乗せて、野太い低音を観客に解き放つ。

 やがて、曲の最後の一小節が終わると、甲高い残響が場を満たし、続けて歓声と指笛が飛んでくる。真正面からそれを受けると、今まで感じたことのない爽快感を覚えた。気分が晴れやかだ。今なら何でも出来そうな気がしてしまうほどに。

 なら、やれることは、やっておかないともったいない。

 マイクが声を拾う位置から一歩下がって、右を見る。

 栗山もあたしを見ていて、鼓動が一拍だけ強く胸を打った。

 目の前にあるのは、やりきった後の無邪気な笑顔だ。これからその表情が一変してしまうのかと考えると、ほんの少しだけ申し訳ない気持ちになった。

 でも関係ない。

 この思いは、もう止められない。

「あのさ、栗山」

 依然として残響は鳴り止まない。歓声も、指笛も。

 しかし、これでかき消されてしまうなら、なんとなく本望なような気もした。


「ずっと前からあたし、あんたのことが大好き」


 ――あたしの声、ちゃんと届いたかな。

 その馬鹿みたいに大口開けてきょとんとしている顔を見るに、届いているのかな?

 まぁ、後で様子を窺ってみればいいだろう。そのとき耳の悪い主人公を気取って、『あのとき何て言ってたの?』とかほざいたら、しばらく口利いてあげないんだから。

『それじゃあ、次の曲いきます!』

 あたしがマイクに向かって声を上げると続けざまにハイハットが力強く四回叩かれて、また次の曲が始まる。

 これから季節は冬に変わっていく。人も街もこの世にある全てのものには、終わりがあって、またそこから始まっていったりもする。だけど、人間誰しも、『終わらせること』より、『始めること』の方が遥かに難しく、それ故に尻込みしてしまう。そしてあたしもその例に漏れなかった。

 あたしそのものが季節とか時間という概念だったら、有無を言わさず色々と始められるのに……。

 しかし、こんな漠然としないものに憧れを抱くなんて、そろそろあたしも焼きが回ってきたのかもしれない。

 まあでも次の曲はロックだし、少しぐらい狂った方が様になるかも。

 あたしはマイクに向かって、叫ぶように歌い始める。

 ベースの音だけは、それから暫く、まるっきり聞こえなかった。


 了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

三枝芽森のワンクールラブコメ 横平さしも @yokosashi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ