(18)

 十月三日金曜日。今日は高校に編入する日だ。

 登校中、涼やかな秋の様相を肌で感じると思わず身震いしてしまった。体格のせいか、あたしは常人にとっての『涼しい』が『寒い』に変換されてしまうようだ。

 そういえばまだ栗山の前に立って何を言おうか決めてない。でも、何かしようとするとそのたびに空回りして失敗している気がする。

 前のときは、会ってすぐ何発も引っぱたいてしまったのが何よりの失敗だった。でもあれはしょうがない。そういう約束だったんだし、あたしが反省する理由もないし。

 前の前は、栗山が好きなアニメなどのお約束(テンプレ?)を実践してみたが、あまり効果は得られなかった気がする。それどころか栗山を困惑させるだけだった。要するに失敗。

 前の前の前は……なんだったかしら?

 ……ともかく、出会いは普通が一番なんじゃないかと、このシチュエーション四回目(出会うのは五回目)にしてようやく思えてきた。

 もちろんだけど、総文部には入ろうと思う。部員同士の時間は、もうあたしの中でかけがえないものになってしまったから。

 夏ごろには美夏と険悪になったが、二学期が始まってからの一ヶ月で仲良くなることができて本当に良かった。合宿のときに美夏の栗山に対する気持ちを知ってしまったけど、引け目を取っ払って正々堂々と美夏に向き合ったことも良かったのかもしれない。それと、元々美夏は人当たりがいい性格をしていて、あたしがその性格を知っていたことが幸いしたのかも。

 色々考えながら歩いていたら、もう高校に着きそうだった。転校生なのに、ここまでの道を歩きなれているなんておかしな話だ。

 あたしが校門を目の前にしたそのとき、見覚えのありすぎる、長く艶やかな黒髪が目に入った。

「「あ」」

 目が合うと、あたし達は同時に小さく声を漏らした。そしてあたしはついその名を呼ぼうとしてしまう。

「飾せんぱ――」

 次の瞬間、飾先輩があたしの全身にのしかかってくるにして抱きついてきた。

「いっ……!」

 ……や、柔らかい。これは過去に何度も無理やり味わわされた、あの感触だ。で、でも、改めて味わってみると、これに身をゆだねてみるのも悪くないと思えてきたかもしれない。周りの視線が気になるのと、鼻息がフガフガ聞こえてくるのはちょっとアレだけど。ん、きもちい。

 その気持ちよさをまんまと断ち切ったのは、お尻をまさぐられた感触だった。

「ひゃ、何すんのよっ!」

 すかさず腹パンを打ち込む。そういえば海で抱きつかれたときは後ろからだったのでこれができなかったなぁ。

 飾先輩は「グフッ」と声を上げて体を折ったが、ものの五秒ほどで体勢を立て直した。もしかして前よりタフになってる?

「ああ、いかんいかん、ちょっと夢中になってしまった。君が……あまりにかわいかったものでな」

 キメ顔で飾先輩が言った。

「へー、そうだったんですか」

 割とどうでもよかった。

「それとすまん。名乗ってから抱きつくべきだった。殴られるのも当然だな」

 ……もう、ツッコむ気も起きないわよ。

「私は、三年の生田飾だ」

「……二年の三枝芽森です。実は、今日からこの学校に転校してきました」

「なんと! それはまた物珍しいものを見た!」

 こんな風に自己紹介をしたりされたりする度に、胸が痛くなる。だがその痛みもまた、以前に比べればだいぶマシになった。

「ふむ、ではまだ部活も決めていないのだろう?」

 どうなんだ? ん? ん? みたいな感じで飾先輩は顔を近づけてくる。ああ、またこの流れか。

「そうで――」

「よし! ではめもりん! 我が総合文化部に入ってもらおうか!」

 飾先輩の食い気味が綺麗に決まった。多分あたしがノーと言おうとしても、この人は食い気味に提案したんだろうけど。しかもいつの間にか呼び名が『めもりん』になっているし。

 この人はいつだってこうだ。変わらないというか、本当にぶれない。

「……えっと、それってどういうことする部活なんですか?」

 これは建前上、聞かなければならないことだった。というかこれを聞かずして入部を決めたらただの変人になってしまう。前々回は、そこをおろそかにしてあたふたしてしまった記憶があるし。

 飾先輩は「ふむ」と唸ってから説明を始めた。文化にちょっと触れるだけで活動内容は無いに等しいという活動内容の説明だったんだけど、改めて聞くとわけがわからない。

「じゃあ、わかりました」

「わかったというと、つまり……?」

「あたし、総文部に入部します」

 あたしが言うと、飾先輩は息を吸って、

「やったあああああああああ!!」

 両手を上げて大声で喜ぶ。周りからの視線が痛いことこの上ないのでやめてください。

 飾先輩は一通り喜んだ後、仕切りなおすように「コホン」と咳払いして話し始める。

「実はなめもりん。もう文化祭が目前に迫っていて、そこで我ら総文部の面々はバンドをやろうという話なっているんだ。……しかしどうしたものか、うちの他部員二人がどちらもボーカルをやりたがらない。私がやるという手もあったが、比較的難しいパートであるドラムを叩けるのが私しかいないのでな……ドラムボーカルは流石の私も難しいし……」

 その話は聞いている。というかあたしの記憶の中では、もうあたしがボーカルとして話が進んでいた。

「そこでだなめもりん。もしよかったら、ボーカルをやってくれないか?」

「……んー、どうしますかね」

 これも二つ返事するのは不自然なので一旦渋る。すると、飾先輩は両手を合わせて言う。

「ステージの真ん中に立てば、めもりんのかわいさを生徒たちに知らしめることができるぞ! 私の野望のためにどうか頼む!」

「その話は聞いてないわよ!?」

「へ?」

「……こほん……なんでもないです」

 なるほど。そういう魂胆か。……どうしよう。急やりたくなくなってきたわ。……でもこればっかりはしょうがない、かな。

 飾先輩の総文部としての活動は、正真正銘これで最後なんだし。

 部室に勉強しに来ることはあるかもしれないけど、もうこの人と、これといった活動はなくなってしまうだろう。

「……まあ、いいですよ。ボーカル、やります」

 あたしの言葉を聞いた飾先輩は、ガッツポーズして嬉しそうに声を上げる。

「おっしゃああ! めもりんは優しいなぁ! ますます気に入ってしまったぞ!」

 真っ直ぐに、何の迷いも無くあたしに好意を向けてくれる飾先輩を見ていると、自分の存在理由を何度も再確認できるので、正直ほっとするし、素直に嬉しい。

 栗山も、初めからこれくらい素直でいてくれたら嬉しいんだけどなあ。


 黒野さんの便宜のおかげで、あたしはまた栗山と美夏のいるクラスに転入した。

 今回は特に何も事を起こさず、普通に淡々と自己紹介して、普通に休み時間にクラスメイトに質問責めにあって、普通に普段のあたしで話をした。

 結果、普通に二人と友達になった。

 こんなに早くなれると思わなかった戸惑いと、嬉しさが込み上げて午後の授業は上の空状態だった。もしかしたら歴史の木崎先生に、転校初日なのに授業を真面目に聞かない不良生徒と思われたかもしれない。

 放課後、あたしは栗山と美夏と一緒に総文部の部室に行った。

 あたしが総文部に入りたいことを二人に伝えると、美夏はすごく喜んでくれた。その笑顔を見て思わず泣きそうなったけど、そこはグッとこらえる。

 バンドの練習は次回から行うらしい。部室では歓迎会をして、飾先輩が奢ってくれたお菓子を食べつつ、色んなゲームをして過ごした。そのとき、あたしは彼らにとっての初対面であることを少し忘れていたように思う。

 楽しい時間はあっという間に過ぎて、下校の時間になった。


 帰り道は例によって栗山と一緒だった。朝とそんなに気温は変わらないはずなのに、今は寒く感じないのは何故だろう。

 栗山と趣味の話をする。漫画とかアニメとか。初対面ならではの探り探りの会話が続いて、やがて、話題がなくなってしまった。

 あたしが知っている栗山の話ならたくさんあるのに、話せないのがたまらなくもどかしい。むこうは少し戸惑った顔をしていて気まずく思っているかもしれないが、あたしはそれどころではなかった。

 でも、沈黙なんか生ませない。あたしはふいにそんな思いを胸に秘め、早足で栗山の前に出て、振り返る。

「ねえ栗山、あたしのこと、芽森って呼んでよ」

 後ろで手を組んで、上目遣いでそう言った。ちょっとあざとすぎるかな? まあいいわよね、これくらい。

「えー、まだ初対面だしちょっとそれはハードルが高いというか……」

「ちっ」

「ちょ、今舌打ちしたか!?」

「してないしてない」

 あたしはそう言って小さく笑い飛ばし、再び振り返って歩き出した。

 肌寒いはずなのに胸の奥からじわじわと暖かい。

 多分あたしは、本当に、心の底から栗山のことが好きなんだ。

 何をどうあがいてもこの感情は変わることはないだろう。でも、これを吐露してしまえば『重い女』の烙印を押されかねない。それぐらいにはまあ、好きだ。

 いつの間にか駅に着いた。今まで栗山との出会いを繰り返す度に心を痛めていたのに、今日はそんなもの感じなくてむしろ清々しかった。

「じゃ、バイバイ」

「おう、また明日な」

 改札を通り過ぎてから、互いに挨拶して別れた。

 今回は、栗山にあたしのことを説明しないことにする。

 説明しなくてもいいんじゃないかと思えてきた。ここまで怖いくらい順調だし。

 栗山があたしの真実を知らずして過ごしていくことになるのは少し寂しいけど、呪いが解けないよりはずっといい。

 それにやはり、『海馬に存在を焼き付ける』なんて大層なこと成し遂げるには、義務感や使命感はかえって邪魔になってしまうのかもしれない。

 そう心に決め込み、あたしはホームと続く階段を下りた。

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